4章

 見えない手錠は外れてくれない。
 滴り落ちる水の音が聞こえる。鉄格子の向こうには、青白い顔をした小人がいた。
 風によって無理矢理連れて行かされたのは、街の中央にある、大きな施設の地下。ここはこの街の中央、役所、もしくは政府の建物なのだろう。その地下に、罪人を閉じ込める牢があるのだ。ゲルダはそこまで理解して今ここにいる。
 ゲルダは小人に気が付かれないように、まじないの言葉を紡いだ。しかし、妖精のかけた見えない手錠は外れてくれない。手をねじると、まるで金属の手錠が擦れたかのような痣がついた。風でこのようなことができるのだから、小人の使役する妖精はよっぽど力があるのだろう。ハルムもつむじ風で吹き飛ばされてしまったほどだ。エリアスの胸にぶつかり、落ちるところまではゲルダも見ていた。ハルム、と叫んだが、自分の声は風にかき消されてしまった。
 もし、自分にもっと力があって、ハルムを上手く使うことができたら、こうはなっていなかったのではないだろうか。そう考えると、悔しくなった。
 ゲルダは鞄を肘で触る。ごつっとした硬いものが肘に当たり、ほっとする。契約石は奪われていないようだ。
 それにしても、何かがおかしい、とゲルダは思った。
 この地下牢には、自分と、自分を見張っている小人しか、気配がない。格子は錆ついてしまっていて、ぼろぼろに朽ちている部分もあった。罪人を閉じ込めるにしては心もとない格子だった。力のある男が格子に体当たりすれば、すぐに折れてしまうだろう。罪人の動きを見張るためにはある程度の明かりも必要である。それなのに、明かりといえば小人が持っているカンテラだけ。そのカンテラの中にも妖精が入っていたが、妖精は何故か怯えていた。無理矢理使役されているのだろうか。しかし、ハルムとの契約をした感じでは、信頼関係がないと妖精を扱うのは難しいはずだ。小人は自由奔放な妖精を怯えさせるほどの力があるのだろうか。
 ゲルダはカンテラを見ていると、中にいる光の妖精の口が動いているのを発見した。
 目を細めて、その小さな唇が何を紡いでいるのか見る。
 た、す、け、て――助けて。
 やはりおかしい。小人のことは分からないが、妖精との契約は、こんなものではないはずだ。
 ゲルダは格子に近づいた。
「あのう」
 自分を見張る小人に話しかけた。
「あ?」
 青白い顔がこちらを向く。
「あのう、なんで私はここに連れて来られたのでしょう。せめて理由を教えてくれませんか」
「奴隷にするためだよ」
 小人はそれだけ言って、そっぽ向いた。
 話と違う。
 それは伝説の話だ。まじない師たちが密やかに語り継いできた、かつての伝説の話。まじない師が小人に連れ去られた人間を取り戻すためにまじないを使って夜の国に行こうとした、あの話。ハルムは教えてくれた。あれはもう古い話で、今は法が整備され、そのようなことはなくなったと。
 もちろんハルムの知識には欠陥がある。噂話も多く、事実と異なる部分はあるだろう。しかし、ゲルダはここに来るまでに街の様子を見ていたが、人間の姿は一人として見なかった。
 もし頻繁に人間を奴隷として捕らえているのならば、昼の国でももっと話がされているはずだ。でも、今はもう、まじない師しか語り継いでいない。体が小さいままの存在がいないからだ。もしそのような存在がいれば、今でもまじない師に親が相談に来るはずだ。けれども、昼の国の人間たちは、その伝説を忘れた。忘れるほど昔の話だったのだ。
 小人の街で何かが起こっているのだろうか。
 ゲルダはさらに聞いた。
「奴隷って、何をするんですか?」
「そりゃ、街を守る壁を修復したり、もっと高くしたり、小人の家を作ったりだよ。小人たちは力がない。だから人間がちょうどいいんだ」
「でも、壁、もう出来上がってましたよ?」
「そんなわけがない。まだ巨人の背にも満たない」
 そんなわけがない、は、こちらが言いたかった。巨人ほどの高さはあると、ゲルダは壁を見た時思ったのだから。
 もし壁がまだ建設中なら、足場を組むだろう。けれど、それはなかった。それに、作業をさせているのなら、壁に人の姿があってもよい。門を探している間に壁伝いに歩いたが、人間どころか小人の気配すら壁にはなかった。
 いつの話をしているんだろうか。ゲルダはさらに問いかける。
「あの壁、とても大きくて、立派ですよね。いつから建設されてるんですか?」
「3年前だよ。ああ、早く出来上がってほしいね」
 ゲルダはカンテラの中の妖精を見た。光の妖精の唇が動く。
 ぼ、う、れ、い――亡霊。奴は亡霊。助けて。
 ゲルダは後退りした。
 ママ・アルパの話が蘇る。
 まじない師が昼の国と夜の国を結ぼうとした時、何が起こったのか。
 ――昼と夜を繋ごうとすると、夜空に輝く星の数が増え、月は幻を映し出し、亡き者が地上に戻った。二つの世界は、近くなりすぎると、混ざってしまうのだ。
 優しく語ってくれたママ・アルパの声が蘇る。
 伝説が、伝説でなくなった。ゲルダは唇を震わせた。
(私が、私が、まじないを使って、ここに来たからだ……! 私が、エリアスに……、エリアスに、こんな気持ちを抱いたからだ!)
 私に自制心がないからだ。後のことを考える力がないから。
 ゲルダは、ママ・アルパの言葉を反芻し、自らの愚かさを呪った。
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