4章
気持ちの良い目覚めだった。不気味なほど輝く星々は姿を消していた。
起きればエリアスは腕組みの状態で座ったまま寝ていた。ずっと起きていたのはハルムだという。
ゲルダは一人で川に向かった。先客がいる。鳥だ。しかし、ただの鳥ではない。その背はゲルダよりも高く、くちばしは異様に細い。体はレモン色で、森の中では浮いて見えた。親子で来ていたらしい。子のほうはゲルダと同じくらいの背丈だった。もし襲われたらと思い、ゲルダはしばらく親子の様子を観察していた。
親鳥はくちばしで水を吸い上げ、子の背中にかけてやっていた。仲睦まじい親子の様子が見れた。
親子は思う存分に水で遊び、体毛を綺麗にして、飛び去っていった。
ゲルダはほっとして、川の中に体を入れた。昨日は調理の時に手を洗ったくらいで気が付かなかったが、その水は、ほんの僅かに温かかった。エリアスが昨晩のうちに体を清めることができたのも納得ができる。
川は思ったよりも深く、ゲルダは肩まで浸かった。
飛び去っていった親子がほんの少し羨ましく思えた。自分にも、あんな親がいたのだろうか。なぜママ・アルパの元で育てられたところからの記憶しかないのだろう。森に一人でいた自分を、親は探してくれていないのだろうか。ママ・アルパのところに来ないということは、きっとそうなのだ。捨てられたか、見捨てられたか。そう思うと、胸の奥が痛む。
俺にはゲルダがいないといけないんだ。ゲルダがいないと――痛んだ胸を撫でるかのように、エリアスの言葉が耳の奥で木霊する。
しかし、いずれ自分は昼に帰る。帰らなければとも思っている。自分の中の夜が明らかになれば。そうなれば、このエリアスへの想いはどうなってしまうのだろう。エリアスと別れなければならないのは分かっている。世界が違うのだから。
ゲルダは手のひらいっぱいの水をすくい上げ、顔を覆った。
泣くのはお湯の中にしておきなさい。ベッドに涙を持ち込んではいけない。ママ・アルパにそう教えられた。
お湯が悲しみまでも流してくれるだろう。だから、安心して流しなさい。
ママ・アルパの言葉を思い出すと、ママ・アルパが恋しくなる。
(帰りたい、でも、帰りたくない――)
どうしたらいいか分からない。答えは占いでは分からないだろう。まじないでも自分の心を整えることはできないだろう。自分の心が乱れている時、まじないも占いも、乱れるから。
行くしかないのだ。小人の街に。ゲルダは最後の涙ひとつぶを川に落とした。
身支度を整えて、エリアスたちのところに戻ろうとすると、木の陰からひょっこりとエリアスが顔を出した。どうしたのかと言うと、エリアスは困った顔で言った。
「ゲルダの声が聞こえた気がした」
そんな大きな声は出してないけれど、とゲルダが応えると、エリアスは首を傾げた。
「聞こえたというか。伝わってきた……のかもしれない。とにかく、ゲルダが何か叫んでいるような気がした。だから、ここで待っていた」
海に沈んだ時もそうだった。皆、なぜかゲルダの夜を感じると言っていた。自分の夜など、自分では感じたことがない。夜の国の住民ではないから。けれど、自分の想いが強くなれば、エリアスたちは感じ取ってしまうのだ。具体的には伝わっていないようで、ゲルダは安心する。
「もう大丈夫だよ。ありがとう。行こう」
ゲルダは何でもなかったかのように微笑んだ。
悲しみと不安は、水の中に落とした。次の目的地に行けば何かが変わる。ゲルダは期待していた。
小人の街は川上にあるとハルムが教えてくれた。それを信じて、川沿いを歩く。
森の木々は、面白いほどに姿を変えた。
天を突き刺すかのような針葉樹が現れたかと思えば、今度は葉が顔ほどある木々が姿を現した。さらには、ベリーのような実をたっぷりとつけた木々も現れる。そこでゲルダたちはお腹いっぱい実を食べた。ごく僅かな食料をなんとかハーブで食べれるようにして皆で分かち合って食べてきたので、空腹状態が続いていたのだ。酸味がきいていたが、甘さもあって、ずっと食べていられた。食感は今まで食べたことがないようなものだった。ベリーのようなぷちっとした食感はなく、ふにふにとした不思議な食感だった。歯ごたえがある分、満足感があった。久しぶりに腹一杯になって、休憩を取ると、今度はまた眠気が襲ってくる。それほど平穏な道中だった。
目を覚ますとエリアスは夢を見なかったと驚いていた。エリアスの表情は晴れ晴れとしていた。
幹が真っ白な木々の間を抜けると、ようやく目的地が目の前に現れた。
レンガの壁が立ちはだかる。壁はあの巨人の背以上に高かった。
何者も寄せ付けない、入れさせない。そのような意思を感じる。
「これはかつて、小人たちが昼からさらってきた人間によって作られたって伝説があるの。風の妖精の中では超有名な話よ。小人は妖精を使役するから、小人の街の外の妖精は嫌がってあまり入ろうとしないの」
「え、じゃあハルムは?」
「私はもうあなたと契約済みだから大丈夫。あ、でも、気をつけて。契約を乗っ取れるような力の強い小人がいたら注意して」
ゲルダは頷く。契約石は絶対誰にも渡さないと約束をした。
小人の話は、ママ・アルパがしてくれた。こちらでも人間の話が残っている。つまり、あの話はおとぎ話ではなかったのだ。
「私も昼の国で聞いた。小人はずる賢いって。力がないから、他の者の力を借りるのが上手い。小人は人間の子供と小人を取り替えて、自分たちのものにしてたって」
「でもそれは、以前の話って聞くわ。今は小人の街の発展に伴って、法が整備されて、人間は一人もいないって噂は聞いたことがあるわよ」
「では、ゲルダは正々堂々と小人の街に入れるのだな。良かったではないか」
噂だけどね、と、ハルムは断りを入れる。
ゲルダはありがとうと言った。もうハルムを疑うようなことはなかった。
三人はそびえ立つ壁に沿って歩き始めた。門を見つけた時は、空に星が瞬いていた。
起きればエリアスは腕組みの状態で座ったまま寝ていた。ずっと起きていたのはハルムだという。
ゲルダは一人で川に向かった。先客がいる。鳥だ。しかし、ただの鳥ではない。その背はゲルダよりも高く、くちばしは異様に細い。体はレモン色で、森の中では浮いて見えた。親子で来ていたらしい。子のほうはゲルダと同じくらいの背丈だった。もし襲われたらと思い、ゲルダはしばらく親子の様子を観察していた。
親鳥はくちばしで水を吸い上げ、子の背中にかけてやっていた。仲睦まじい親子の様子が見れた。
親子は思う存分に水で遊び、体毛を綺麗にして、飛び去っていった。
ゲルダはほっとして、川の中に体を入れた。昨日は調理の時に手を洗ったくらいで気が付かなかったが、その水は、ほんの僅かに温かかった。エリアスが昨晩のうちに体を清めることができたのも納得ができる。
川は思ったよりも深く、ゲルダは肩まで浸かった。
飛び去っていった親子がほんの少し羨ましく思えた。自分にも、あんな親がいたのだろうか。なぜママ・アルパの元で育てられたところからの記憶しかないのだろう。森に一人でいた自分を、親は探してくれていないのだろうか。ママ・アルパのところに来ないということは、きっとそうなのだ。捨てられたか、見捨てられたか。そう思うと、胸の奥が痛む。
俺にはゲルダがいないといけないんだ。ゲルダがいないと――痛んだ胸を撫でるかのように、エリアスの言葉が耳の奥で木霊する。
しかし、いずれ自分は昼に帰る。帰らなければとも思っている。自分の中の夜が明らかになれば。そうなれば、このエリアスへの想いはどうなってしまうのだろう。エリアスと別れなければならないのは分かっている。世界が違うのだから。
ゲルダは手のひらいっぱいの水をすくい上げ、顔を覆った。
泣くのはお湯の中にしておきなさい。ベッドに涙を持ち込んではいけない。ママ・アルパにそう教えられた。
お湯が悲しみまでも流してくれるだろう。だから、安心して流しなさい。
ママ・アルパの言葉を思い出すと、ママ・アルパが恋しくなる。
(帰りたい、でも、帰りたくない――)
どうしたらいいか分からない。答えは占いでは分からないだろう。まじないでも自分の心を整えることはできないだろう。自分の心が乱れている時、まじないも占いも、乱れるから。
行くしかないのだ。小人の街に。ゲルダは最後の涙ひとつぶを川に落とした。
身支度を整えて、エリアスたちのところに戻ろうとすると、木の陰からひょっこりとエリアスが顔を出した。どうしたのかと言うと、エリアスは困った顔で言った。
「ゲルダの声が聞こえた気がした」
そんな大きな声は出してないけれど、とゲルダが応えると、エリアスは首を傾げた。
「聞こえたというか。伝わってきた……のかもしれない。とにかく、ゲルダが何か叫んでいるような気がした。だから、ここで待っていた」
海に沈んだ時もそうだった。皆、なぜかゲルダの夜を感じると言っていた。自分の夜など、自分では感じたことがない。夜の国の住民ではないから。けれど、自分の想いが強くなれば、エリアスたちは感じ取ってしまうのだ。具体的には伝わっていないようで、ゲルダは安心する。
「もう大丈夫だよ。ありがとう。行こう」
ゲルダは何でもなかったかのように微笑んだ。
悲しみと不安は、水の中に落とした。次の目的地に行けば何かが変わる。ゲルダは期待していた。
小人の街は川上にあるとハルムが教えてくれた。それを信じて、川沿いを歩く。
森の木々は、面白いほどに姿を変えた。
天を突き刺すかのような針葉樹が現れたかと思えば、今度は葉が顔ほどある木々が姿を現した。さらには、ベリーのような実をたっぷりとつけた木々も現れる。そこでゲルダたちはお腹いっぱい実を食べた。ごく僅かな食料をなんとかハーブで食べれるようにして皆で分かち合って食べてきたので、空腹状態が続いていたのだ。酸味がきいていたが、甘さもあって、ずっと食べていられた。食感は今まで食べたことがないようなものだった。ベリーのようなぷちっとした食感はなく、ふにふにとした不思議な食感だった。歯ごたえがある分、満足感があった。久しぶりに腹一杯になって、休憩を取ると、今度はまた眠気が襲ってくる。それほど平穏な道中だった。
目を覚ますとエリアスは夢を見なかったと驚いていた。エリアスの表情は晴れ晴れとしていた。
幹が真っ白な木々の間を抜けると、ようやく目的地が目の前に現れた。
レンガの壁が立ちはだかる。壁はあの巨人の背以上に高かった。
何者も寄せ付けない、入れさせない。そのような意思を感じる。
「これはかつて、小人たちが昼からさらってきた人間によって作られたって伝説があるの。風の妖精の中では超有名な話よ。小人は妖精を使役するから、小人の街の外の妖精は嫌がってあまり入ろうとしないの」
「え、じゃあハルムは?」
「私はもうあなたと契約済みだから大丈夫。あ、でも、気をつけて。契約を乗っ取れるような力の強い小人がいたら注意して」
ゲルダは頷く。契約石は絶対誰にも渡さないと約束をした。
小人の話は、ママ・アルパがしてくれた。こちらでも人間の話が残っている。つまり、あの話はおとぎ話ではなかったのだ。
「私も昼の国で聞いた。小人はずる賢いって。力がないから、他の者の力を借りるのが上手い。小人は人間の子供と小人を取り替えて、自分たちのものにしてたって」
「でもそれは、以前の話って聞くわ。今は小人の街の発展に伴って、法が整備されて、人間は一人もいないって噂は聞いたことがあるわよ」
「では、ゲルダは正々堂々と小人の街に入れるのだな。良かったではないか」
噂だけどね、と、ハルムは断りを入れる。
ゲルダはありがとうと言った。もうハルムを疑うようなことはなかった。
三人はそびえ立つ壁に沿って歩き始めた。門を見つけた時は、空に星が瞬いていた。