1章
その男は、あるまじないを探しているんだ、と言った。
ゲルダの前に腰を下ろした男は、がりがりと言えるほどやせ細っていたし、顔は布に覆われて見えないが、手の皺からして高齢であるはずで、腰も曲がっているのに、それでも背はゲルダよりもあるので、座っていてもゲルダが見上げる形になる。
そのような見た目から腰痛にでも効くまじないだろうか、とゲルダは予想するが、男は聴き慣れない言葉を言った。
「あなたは、もしくはあなたの師は、”夜の国”をご存知だろうか」
男は少し期待しているようだった。声が少し上ずっている。
まじない師という存在が少なくなってきているからだろうか。ここゴンド島はまじない師を産む島だと言われ、多くの優れたまじない師が存在している。ママ・アルパもそのうちの一人である。島の中にある村にはまじない師が一人はいるとも言われているくらいだ。しかし、島の外に行けば、めっきり見かけなくなるとゲルダは聞いたことがある。いたとしても、この島から修行に出たまじない師くらいである。まじない師に対して、男は期待をしていた。
けれども男の期待に対して、ゲルダはすぐに応えることはできなかった。
「いえ……、聞いたことありません。それで、どんなまじないをお探しですか?」
「夜の国にあるまじないを」
「どういうことですか? 夜の国とはなんですか?」
ゲルダは男が創作した物語でも聞かされているのかと思った。
夜の国が何を意味するのかも分からないのに、そんなところにまじないがあるというのもよく分からない。それは場所だろうか。だったらどこにある国のことだろうか。まるで想像もつかない。ゲルダはこの島の外に関してはほぼ何も知らなかった。もう少しこの世界の地理をママ・アルパから教わっておけばよかったと思う。
ママ・アルパはハーブを使ったまじないと、古代文字を使ったまじないを得意としている。ゲルダはそのうちハーブのまじないを教わっているが、そのうち古代文字のまじないを教わる予定である。ゴンド島にはさらに、ある占いと組み合わせたまじないや、動物、食べ物などを使ったまじないなどを得意とする者もいると聞いている。しかし「夜の国のまじない」を得意とするまじない師など聞いたことがない。あるのだったら、ママ・アルパが教えてくれているはずである。それとも、ママ・アルパでさえ知らないまじないが存在しているというのだろうか。
ゲルダが首をかしげているので、男は肩を落とす。
「あなたも夜の国を知らないか――、いや、そう簡単に見つかるものとは思っていないのだが」
男は残念そうにため息をつき、よっこいしょと膝に手をついて立ち上がろうとした。
ゲルダは慌てて男の服を握り、引き止めた。
「待ってください。もう少し詳しく教えてくれませんか」
ゲルダに引き止められた男は再び腰を下ろしてくれた。ゲルダは安堵する。
このまま何も知らずに終わるわけにはいかない。
この男が欲しているまじないが、自分の持つハーブでも代用できるのならば、まじないを売ってやりたいとも思っていた。そのためにも、まずは話を聞かなければ分からない。
このゲルダのまじない店に来るのは、だいたいが体の不調を訴える者である。ハーブは体の調子を整えることが得意だからだ。だからこの男も体のどこかが悪いのではないかと考え、質問をする。
「あなたは、体のどこかが悪いのですか?」
「まあ、腰は見ての通りだが、特別、治したいとは思ってはいないよ」
「では、どんなまじないを求めているのですか?」
「不老不死のまじないを。それを聞いて、あなたは笑うかもしれない。この世にそんなものはないと。けれども、この夜にないのならば、この世ならざる場所にあるかもしれないと私は考えたのだ」
老いることに対して、恐怖を抱いている。男はそう言った。
つまり、夜の国というのは、この世界ではない世界のことなのだろうか。もう少し話を聞きたいゲルダは、更に男に質問をする。
「夜の国について、あなたはどこまで知っているのですか?」
「この世界と相反する世界。普段は交わらない世界。そこには人間はおらず、不思議な住民たちが住んでいる。この島から少し離れた場所にある大きな街では、そのような伝説が語り継がれている」
この島から少し離れた場所にある大きな街、というのもゲルダは知らない。この男は、そこから来たのだろうか。でも、そうだとゲルダは思う。喋り方が少し、ここの島の人と違うからだ。
男は続けて語る。
「夜の国と、こちらの国――昼の国が交わってしまった時、この世界は滅ぶ、なんて伝説がある。伝説だけれど、実際にあったそうだ。昼の住民と夜の住民が入れ替わったり、迷い込んだりすることが。夜の国の住民がこちらに来た時に対応していたのは、まじない師たちだった。だから私は、夜の国について詳しいまじない師を探している。まじない師は、この島の外ではもう希少な存在だから、私はまじない師が数多くいるゴンド島にはるばる来たのだ。しかし、どの村のどのまじない師を訪ねても、誰も知らないと言っていた。あなたはどこの村のまじない師か」
「まだ見習いですが、この町から少し離れたところにあるバルバという村のまじない師です。私の師はママ・アルパと申します。孤児の私を育ててくれたまじない師です。師はハーブと古代文字を得意としており、歴史にも通じております。よろしければ、バルバ村にお越しください」
ゲルダは提案してみたが、男は首を横に振った。
「いや。もうじゅうぶんだ。私はそろそろ、この島を出る。話を聞いてくれてありがとう、まじない師見習いさん。帰るところを引き止めて悪かった。外は寒い。気をつけて」
「あなたも――」
しびれる足を擦りながら、男は立ち上がった。そしてコサルフからパンをもらい、教会から出て行ってしまった。そのままもう島の南にある港に向かってしまうのだろうか。ゲルダは少し残念に思った。
夜の国。不老不死のまじない。ゲルダの知らない、不思議な世界とまじない。
先程までは、帰りに何を買って帰ろうかとわくわくしながら考えていたのに、今はその未知のまじないで頭がいっぱいだった。
結局、いつもと同じ店で、いつもと同じ肉と野菜を買って帰路についた。籠の中にはまだ銀貨が残っていた。
砥石を買い忘れたと気がついたのは、町を出てしばらく歩いた時だった。次にこの町に来るのは一週間先だ。また切れ味の悪い包丁で肉を切らなければならないと思うと、少し落ち込んでしまう。
ふと空を見上げると、いつの間にか夜が近づいており、辺りは暗くなっていた。カンテラの明かりを頼りに、ゲルダはバルバ村へと急いで帰っていった。
ゲルダの前に腰を下ろした男は、がりがりと言えるほどやせ細っていたし、顔は布に覆われて見えないが、手の皺からして高齢であるはずで、腰も曲がっているのに、それでも背はゲルダよりもあるので、座っていてもゲルダが見上げる形になる。
そのような見た目から腰痛にでも効くまじないだろうか、とゲルダは予想するが、男は聴き慣れない言葉を言った。
「あなたは、もしくはあなたの師は、”夜の国”をご存知だろうか」
男は少し期待しているようだった。声が少し上ずっている。
まじない師という存在が少なくなってきているからだろうか。ここゴンド島はまじない師を産む島だと言われ、多くの優れたまじない師が存在している。ママ・アルパもそのうちの一人である。島の中にある村にはまじない師が一人はいるとも言われているくらいだ。しかし、島の外に行けば、めっきり見かけなくなるとゲルダは聞いたことがある。いたとしても、この島から修行に出たまじない師くらいである。まじない師に対して、男は期待をしていた。
けれども男の期待に対して、ゲルダはすぐに応えることはできなかった。
「いえ……、聞いたことありません。それで、どんなまじないをお探しですか?」
「夜の国にあるまじないを」
「どういうことですか? 夜の国とはなんですか?」
ゲルダは男が創作した物語でも聞かされているのかと思った。
夜の国が何を意味するのかも分からないのに、そんなところにまじないがあるというのもよく分からない。それは場所だろうか。だったらどこにある国のことだろうか。まるで想像もつかない。ゲルダはこの島の外に関してはほぼ何も知らなかった。もう少しこの世界の地理をママ・アルパから教わっておけばよかったと思う。
ママ・アルパはハーブを使ったまじないと、古代文字を使ったまじないを得意としている。ゲルダはそのうちハーブのまじないを教わっているが、そのうち古代文字のまじないを教わる予定である。ゴンド島にはさらに、ある占いと組み合わせたまじないや、動物、食べ物などを使ったまじないなどを得意とする者もいると聞いている。しかし「夜の国のまじない」を得意とするまじない師など聞いたことがない。あるのだったら、ママ・アルパが教えてくれているはずである。それとも、ママ・アルパでさえ知らないまじないが存在しているというのだろうか。
ゲルダが首をかしげているので、男は肩を落とす。
「あなたも夜の国を知らないか――、いや、そう簡単に見つかるものとは思っていないのだが」
男は残念そうにため息をつき、よっこいしょと膝に手をついて立ち上がろうとした。
ゲルダは慌てて男の服を握り、引き止めた。
「待ってください。もう少し詳しく教えてくれませんか」
ゲルダに引き止められた男は再び腰を下ろしてくれた。ゲルダは安堵する。
このまま何も知らずに終わるわけにはいかない。
この男が欲しているまじないが、自分の持つハーブでも代用できるのならば、まじないを売ってやりたいとも思っていた。そのためにも、まずは話を聞かなければ分からない。
このゲルダのまじない店に来るのは、だいたいが体の不調を訴える者である。ハーブは体の調子を整えることが得意だからだ。だからこの男も体のどこかが悪いのではないかと考え、質問をする。
「あなたは、体のどこかが悪いのですか?」
「まあ、腰は見ての通りだが、特別、治したいとは思ってはいないよ」
「では、どんなまじないを求めているのですか?」
「不老不死のまじないを。それを聞いて、あなたは笑うかもしれない。この世にそんなものはないと。けれども、この夜にないのならば、この世ならざる場所にあるかもしれないと私は考えたのだ」
老いることに対して、恐怖を抱いている。男はそう言った。
つまり、夜の国というのは、この世界ではない世界のことなのだろうか。もう少し話を聞きたいゲルダは、更に男に質問をする。
「夜の国について、あなたはどこまで知っているのですか?」
「この世界と相反する世界。普段は交わらない世界。そこには人間はおらず、不思議な住民たちが住んでいる。この島から少し離れた場所にある大きな街では、そのような伝説が語り継がれている」
この島から少し離れた場所にある大きな街、というのもゲルダは知らない。この男は、そこから来たのだろうか。でも、そうだとゲルダは思う。喋り方が少し、ここの島の人と違うからだ。
男は続けて語る。
「夜の国と、こちらの国――昼の国が交わってしまった時、この世界は滅ぶ、なんて伝説がある。伝説だけれど、実際にあったそうだ。昼の住民と夜の住民が入れ替わったり、迷い込んだりすることが。夜の国の住民がこちらに来た時に対応していたのは、まじない師たちだった。だから私は、夜の国について詳しいまじない師を探している。まじない師は、この島の外ではもう希少な存在だから、私はまじない師が数多くいるゴンド島にはるばる来たのだ。しかし、どの村のどのまじない師を訪ねても、誰も知らないと言っていた。あなたはどこの村のまじない師か」
「まだ見習いですが、この町から少し離れたところにあるバルバという村のまじない師です。私の師はママ・アルパと申します。孤児の私を育ててくれたまじない師です。師はハーブと古代文字を得意としており、歴史にも通じております。よろしければ、バルバ村にお越しください」
ゲルダは提案してみたが、男は首を横に振った。
「いや。もうじゅうぶんだ。私はそろそろ、この島を出る。話を聞いてくれてありがとう、まじない師見習いさん。帰るところを引き止めて悪かった。外は寒い。気をつけて」
「あなたも――」
しびれる足を擦りながら、男は立ち上がった。そしてコサルフからパンをもらい、教会から出て行ってしまった。そのままもう島の南にある港に向かってしまうのだろうか。ゲルダは少し残念に思った。
夜の国。不老不死のまじない。ゲルダの知らない、不思議な世界とまじない。
先程までは、帰りに何を買って帰ろうかとわくわくしながら考えていたのに、今はその未知のまじないで頭がいっぱいだった。
結局、いつもと同じ店で、いつもと同じ肉と野菜を買って帰路についた。籠の中にはまだ銀貨が残っていた。
砥石を買い忘れたと気がついたのは、町を出てしばらく歩いた時だった。次にこの町に来るのは一週間先だ。また切れ味の悪い包丁で肉を切らなければならないと思うと、少し落ち込んでしまう。
ふと空を見上げると、いつの間にか夜が近づいており、辺りは暗くなっていた。カンテラの明かりを頼りに、ゲルダはバルバ村へと急いで帰っていった。