3章
人魚の少年はロンドと名乗った。ロンドはゲルダたちに握手を求めたが、三人を包んでいる大きな泡にまず興味を示した。
「それって魔法?」
「そうだ。俺はエルフのエリアスだ。訳あって、ゲルダの手を取っていないと魔法が使えない。逆の手ですまない」
エリアスは左の手を差し出した。ロンドは恐る恐る泡の中に手を入れ、エリアスの左手を両手で握り、ぶんぶんと大きく上下に振った。
「わあ、エルフなんだ! 魔法が使えるんだね。そっちの女の子は?」
「私はゲルダ。まじない師。昼の国から来た人間」
ロンドはそっか〜、と気にしていない様子でエリアスの時と同じようにゲルダの手を両手で取り、大きく振った。エリアスの時と反応が違うので、ゲルダは戸惑う。
「そっちの小さいのは?」
「小さいって失礼ね! まあ人魚って世間知らずなだけだから許すわ。私はハルム、風の妖精よ。ご主人様はゲルダ」
ロンドは今度は親指と人差し指を使い、小さなハルムの手を取って優しく振った。
「エルフにも人間にも妖精にも会うのは初めてなんだ! みんなここに来る時は死んじゃってたから。ボクは陸には上がれないし、友達が欲しかったんだあ。良かったら街を見ていってよ」
ゲルダはそんな場合じゃない、と言おうとしたが、あまりにもロンドが嬉しそうにするので断れなかった。それに、ロンドは自分たちの話を聞かず、案内を始めてしまった。
「まずこの巻き貝がボクの家。光ってて綺麗でしょ」
ロンドは丁寧にも一つ一つゲルダたちに説明をした。
静かの海、人魚の街というのはとても閑散としていた。ロンドの住んでいるような大きな巻き貝はたくさんあったが、どれもロンドの巻き貝のように光ってはいなかった。ロンドの家は桃色だったが、他にも群青、橙、若草色など、たくさんの貝があった。光っていれば綺麗だっただろうが、その美しさは失われていた。光っていない故に、街は寂しくなっていた。ロンドの巻き貝が一軒だけぽつんとあるようにも見えてしまう。
ロンドの説明によれば、光っていない貝は人魚がいなくなってしまった家なのだという。
「皆どこへ行ってしまったの?」
「さあ。ボクが生まれた時からずっとこうだから。でも、光ってたら絶対綺麗だよね。昔は賑わってたんだろうなって思うよ。人魚たちみんなで歌ってさ。ボクたち、歌うのが大好きなんだ」
ロンドが歌を口ずさむと、波が風のように優しくそよいだ。
ゲルダははっとして、ロンドに尋ねる。
「ねえ、さっき歌ってたのも、あなた?」
「さっき?」
「私たちが地上からここに流れてくるまで。私、波にさらわれた時、歌を聞いたの。きっとこの嵐は人魚のせいなんだって思いながら沈んで来た」
ゲルダの言葉に、怒りのようなものが感じられたが、ロンドは首をかしげた。
「ええ〜? 歌ってたのは認めるけれど、ボク、君たちを海に沈めようだなんて思ってないよ? いつか、この海の流れが、この街に友達を呼んでくれますようにって、歌ってただけ。静かの海じゃない、他の海に住んでいる人魚たちを呼んでくれますようにって、思ってただけだよ? 嵐なんて知らないよ?」
「で、でも!」
実際、嵐は起こった。
占いでは、今日は一日快晴のはずだった。この海を渡ろうとしている者は皆沈んでしまうから、この海は静かの海と呼ばれているのだとハルムも言っていた。
ロンドの歌が起因となっているのではないか、と思わざるを得ない。それなのにロンドはけろっとしていて、何も分かっていない。
「落ち着け、ゲルダ。ロンドに悪意があった訳ではないようだ。それに、歌と天気が結びついているともまだ言えないだろう」
エリアスに冷静に言われて、ゲルダは口をつぐんだ。
「ロンドは寂しかった。だから歌った。たまたま嵐に巻き込まれた俺たちがここへ来た。まだ分かっているのはそれだけだろう?」
「そうだけど……」
「では、まだ責められない。俺は、ロンドの言いたいことは分かる。狭い場所で一人でいることがどれだけ辛いことか。外を知らないことがどれだけ寂しいことかを」
エリアスはそう言って、繋いでいるゲルダの手を握りしめた。
ああ、とゲルダは再び自分を責めた。
「ごめん。私、また自分勝手なことを言った。ロンドの気持ち、考えてなかった」
「いや、いいんだ。ゲルダも悪くない」
しかし、人魚の歌というのは、魔法とはまた違うが、力のあるものなのだろう。先程のロンドの優しい歌を見た限りでは、潮に作用するようだ。
ハルムはロンドに提案した。
「私たち、海の上に行きたいの。ロンドの歌なら、できるんじゃないかしら。それに、ロンドも海の上に行ってないのでしょう? 海の上で確かめてみるのがいいわ。ロンドの気持ちがどう力になっているか分からないし。それでみんな納得じゃない?」
「確かに。確かにそうだね。ボクはずっと、ここで歌うばかりだったから、外のことは本当に何も知らないんだ。正直、外に出るのは怖かったんだ。だから、ボク、無理やり、みんなをここに引っ張っちゃってたのかもしれない。だから、みんな死んじゃったのかも……、もしそうだったら、ボク、人魚失格だね」
綺麗な瞳から、輝く涙が溢れ、波に流れていく。
ゲルダは、絞り出すような声で言った。
「私も……、まじないや占いに頼りすぎて、自分のためばかりに使ってきたから、分かるよ」
ロンドは涙を拭いながら、頷いた。
「本当は、みんなのために使うべきだって、思ったの」
「うん」
「行こうよ、外に」
ロンドは、大きく頷いた。
「うん、行こう」
最後のひとしずくを拭い、ロンドは胸に手を置いた。
「君たちのために、一生懸命歌うからさ、ボクと友達になってほしいな」
ゲルダも、エリアスも、ハルムも、頷いた。
ありがとう、とロンドは頬を染めて微笑んだ。
「それって魔法?」
「そうだ。俺はエルフのエリアスだ。訳あって、ゲルダの手を取っていないと魔法が使えない。逆の手ですまない」
エリアスは左の手を差し出した。ロンドは恐る恐る泡の中に手を入れ、エリアスの左手を両手で握り、ぶんぶんと大きく上下に振った。
「わあ、エルフなんだ! 魔法が使えるんだね。そっちの女の子は?」
「私はゲルダ。まじない師。昼の国から来た人間」
ロンドはそっか〜、と気にしていない様子でエリアスの時と同じようにゲルダの手を両手で取り、大きく振った。エリアスの時と反応が違うので、ゲルダは戸惑う。
「そっちの小さいのは?」
「小さいって失礼ね! まあ人魚って世間知らずなだけだから許すわ。私はハルム、風の妖精よ。ご主人様はゲルダ」
ロンドは今度は親指と人差し指を使い、小さなハルムの手を取って優しく振った。
「エルフにも人間にも妖精にも会うのは初めてなんだ! みんなここに来る時は死んじゃってたから。ボクは陸には上がれないし、友達が欲しかったんだあ。良かったら街を見ていってよ」
ゲルダはそんな場合じゃない、と言おうとしたが、あまりにもロンドが嬉しそうにするので断れなかった。それに、ロンドは自分たちの話を聞かず、案内を始めてしまった。
「まずこの巻き貝がボクの家。光ってて綺麗でしょ」
ロンドは丁寧にも一つ一つゲルダたちに説明をした。
静かの海、人魚の街というのはとても閑散としていた。ロンドの住んでいるような大きな巻き貝はたくさんあったが、どれもロンドの巻き貝のように光ってはいなかった。ロンドの家は桃色だったが、他にも群青、橙、若草色など、たくさんの貝があった。光っていれば綺麗だっただろうが、その美しさは失われていた。光っていない故に、街は寂しくなっていた。ロンドの巻き貝が一軒だけぽつんとあるようにも見えてしまう。
ロンドの説明によれば、光っていない貝は人魚がいなくなってしまった家なのだという。
「皆どこへ行ってしまったの?」
「さあ。ボクが生まれた時からずっとこうだから。でも、光ってたら絶対綺麗だよね。昔は賑わってたんだろうなって思うよ。人魚たちみんなで歌ってさ。ボクたち、歌うのが大好きなんだ」
ロンドが歌を口ずさむと、波が風のように優しくそよいだ。
ゲルダははっとして、ロンドに尋ねる。
「ねえ、さっき歌ってたのも、あなた?」
「さっき?」
「私たちが地上からここに流れてくるまで。私、波にさらわれた時、歌を聞いたの。きっとこの嵐は人魚のせいなんだって思いながら沈んで来た」
ゲルダの言葉に、怒りのようなものが感じられたが、ロンドは首をかしげた。
「ええ〜? 歌ってたのは認めるけれど、ボク、君たちを海に沈めようだなんて思ってないよ? いつか、この海の流れが、この街に友達を呼んでくれますようにって、歌ってただけ。静かの海じゃない、他の海に住んでいる人魚たちを呼んでくれますようにって、思ってただけだよ? 嵐なんて知らないよ?」
「で、でも!」
実際、嵐は起こった。
占いでは、今日は一日快晴のはずだった。この海を渡ろうとしている者は皆沈んでしまうから、この海は静かの海と呼ばれているのだとハルムも言っていた。
ロンドの歌が起因となっているのではないか、と思わざるを得ない。それなのにロンドはけろっとしていて、何も分かっていない。
「落ち着け、ゲルダ。ロンドに悪意があった訳ではないようだ。それに、歌と天気が結びついているともまだ言えないだろう」
エリアスに冷静に言われて、ゲルダは口をつぐんだ。
「ロンドは寂しかった。だから歌った。たまたま嵐に巻き込まれた俺たちがここへ来た。まだ分かっているのはそれだけだろう?」
「そうだけど……」
「では、まだ責められない。俺は、ロンドの言いたいことは分かる。狭い場所で一人でいることがどれだけ辛いことか。外を知らないことがどれだけ寂しいことかを」
エリアスはそう言って、繋いでいるゲルダの手を握りしめた。
ああ、とゲルダは再び自分を責めた。
「ごめん。私、また自分勝手なことを言った。ロンドの気持ち、考えてなかった」
「いや、いいんだ。ゲルダも悪くない」
しかし、人魚の歌というのは、魔法とはまた違うが、力のあるものなのだろう。先程のロンドの優しい歌を見た限りでは、潮に作用するようだ。
ハルムはロンドに提案した。
「私たち、海の上に行きたいの。ロンドの歌なら、できるんじゃないかしら。それに、ロンドも海の上に行ってないのでしょう? 海の上で確かめてみるのがいいわ。ロンドの気持ちがどう力になっているか分からないし。それでみんな納得じゃない?」
「確かに。確かにそうだね。ボクはずっと、ここで歌うばかりだったから、外のことは本当に何も知らないんだ。正直、外に出るのは怖かったんだ。だから、ボク、無理やり、みんなをここに引っ張っちゃってたのかもしれない。だから、みんな死んじゃったのかも……、もしそうだったら、ボク、人魚失格だね」
綺麗な瞳から、輝く涙が溢れ、波に流れていく。
ゲルダは、絞り出すような声で言った。
「私も……、まじないや占いに頼りすぎて、自分のためばかりに使ってきたから、分かるよ」
ロンドは涙を拭いながら、頷いた。
「本当は、みんなのために使うべきだって、思ったの」
「うん」
「行こうよ、外に」
ロンドは、大きく頷いた。
「うん、行こう」
最後のひとしずくを拭い、ロンドは胸に手を置いた。
「君たちのために、一生懸命歌うからさ、ボクと友達になってほしいな」
ゲルダも、エリアスも、ハルムも、頷いた。
ありがとう、とロンドは頬を染めて微笑んだ。