2章

 ゲルダはおもむろに鞄の中から巾着袋を出した。さらさらとした砂の上に石をまく。
 揺らめく火に輝く石の文字を拾い上げる。
「帰るべき時は先……」
 ゲルダはため息をついて、再び空を見上げた。星々はやかましいくらい、瞬いている。ママ・アルパの声も聞こえてくる。
 ――本当にお前が夜の国に行ってしまったら、私はお前を救ってやれない。
 ――お前には自制心が育ってない。私がお前の未熟な自制心の代わりをしているんだ。
 石を巾着袋の中に入れながら、ゲルダは唇を噛み締めた。
 ママ・アルパの言う通りだ。先のことなんかちっとも考えずに、行けたら帰れるだろうと甘く見ていた。ゲルダは巾着袋の口を閉め、石が混ざるように優しく揉んだ。
 ハルムからは何者だと言われた。自分の中に夜があるとも。ゲルダはエリアスと同じように、ある日を境に記憶がない。あの森で、ママ・アルパに拾われる以前の記憶だ。自分と夜の国には何か関係があるのだろうか。このまま、エリアスと旅をしていく中で分かるのだろうか。
 再び袋の口を開け、石を砂の上にまいた。
 火と星の明かりを頼りに文字を探したが、石は、何も教えてくれなかった。
 すべての石が裏になっており、文字は何一つ表に出ていなかったのだ。
 こんなことは初めてだ。ゲルダは質問の仕方が悪かったかと思い、再度石を袋の中に入れ、質問を整えた。
 この旅で、何が分かるのか。簡単で、でも一番知りたい質問をした。
 しかし、それでも石は教えてくれなかった。
 ため息をつき、石を袋の中に入れ、鞄の中にしまった。確か、ママ・アルパは言っていたはずだ。未来すぎることは占えないと。きっとまだ答えが出る時ではないのだ。もう少し時が進めば、石も少しずつ見せてくれる。不安を拭うかのように、そう自分に言い聞かせた。
 鞄の中から、二つの水晶を出し、一つずつ両の手で握った。
 ハルムとの契約で使った水晶と、まだ使っていない水晶。ハルムは曖昧ではあるが、それでもゲルダやエリアスよりは夜の国を知っている。大事にしなければならない。それから最後の石。これは、昼の国に帰る時に使おうと決めた。
 明日は海に出る。自分も少しは休もうと思い、火の中に新しい焚き木を入れて、目を瞑った時だった。
「寝れないの?」
 ふわりとハルムが手の上に座った。
「契約って面倒くさいわね。石を通じてあなたの気持ちが分かっちゃう」
「あ、ごめん」
 ゲルダが謝ると、ハルムは首を横に振った。
「ねえ、ゲルダ。楽しみましょうよ。明日からの海の旅もきっと面白いものになるわ」
「巨人に追われたり、エルフに追われたりしたのも、よく楽しいって思えるわね。怖くないの」
 ハルムはゲルダの手の上で足を組み、大きくため息をついた。
「この夜の国に単身でやってきて、今になって怖いって言うの? もうちょっと度胸のある人だと思ってたんだけど」
 言われて、ゲルダは俯く。
「私は自分のまじないに自信があったし、もうママ・アルパ――師匠の教えも必要ないって思ってた。ここに来たのは、それを証明したかったからだし、自分がどこまでできるか知りたかったから。でも、ここに来て、全く通用しなくて、それ以前に人間が小さすぎて、怖いって思ってる。明日は海に出る。でも、この石は、使えない。占いで見た天気だって外れるかもしれない」
 大きなため息をついて、顔を腕の中に埋めてしまったゲルダを見て、ハルムは静かに飛び、肩に座った。
「うじうじしてても、明日は来るし、海に出るわ。それは変えられない。足掻いてみなさいよ。あなたはまじない師なんでしょ。もうちょっと自分を信じなさいよ。あなたは確かに夜の国に来て、確かに私と契約を交わした人間なのよ。今まで、そんなことができた人間はいないわ。あなたは、今、前例がなかったことをやってるのよ」
 ゲルダは顔を上げて、そっと目に浮かんでいた涙を拭いた。
 ハルムの言葉が、ママ・アルパの言葉に重なる。
 そうだ、まじないは、信じる者にしか効かない。まじないは、まじないを信じる者だけの術なのだ。ママ・アルパから一番最初に教えてもらったことではないか。
 ゲルダは握りしめていた石を大切に鞄の中に入れ、手を置いた。鞄の中に入っている道具やハーブを撫でるかのように。
「そうね。ハルムの言う通りだわ」
「ゲルダも眠ったほうがいいわ。何かあったら私が教えるから」
 ゲルダは頷き、火の前で足を抱え、丸くなって目を閉じた。
 ハルムはエリアスの様子も確認をする。眉間に皺が寄っている。どんな夢を見ているのだろう。
 小さな妖精はこの二人がこれからどうなるのかが楽しみだった。
 きっと、いいお土産話になるはずだ。そう思うと心が弾む。
 これから渡る海は、名を静かの海という。
 なぜその名前がついているかも、ハルムは知っていた。けれど、ハルムはその名前も、その理由も、二人には言わなかった。
 自分はいたずらと、面白い話が大好きな、風の妖精だ。このくらい、楽しんでも、ご主人さまは怒らないだろう。ハルムはそう思いながら、風に身を任せて静かに踊った。
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