2章
風が吹き抜ける。どこから来る風だろうか。頬が凍てつきそうだった。
ゲルダはケープのフードを被り、ハルムと共に谷を歩いた。本当にこの先に森があるのかと疑ってしまうほど、乾いた土地だった。むき出しになった岩肌に当たれば、すぐさま皮膚を切り裂いてしまいそうだ。カンテラを頼りに、エルフの森に向かって歩いていく。
「ハルム、エルフというのは、本当になんでも知っているの」
白い息を吐きながら、ゲルダは自分の肩に座っているハルムに聞く。
「夜の国のことなら。夜の国の女王の次に力を持つとされているわ。魔法が使える、唯一の種族なの。魔法は使えるけれど、体は弱く、だから森でひっそり暮らして、滅多に外には出てこないと言われているわ。この巨人の谷は、エルフを外敵から守るためのものだと言われてるのよ」
ゲルダはもう一度辺りを見回してみる。しかし、巨人と思えるものはなく、ただ岩山があるだけだった。
最初こそ警戒していたが、何もいないと分かると、ゲルダはほっとしてハルムに話しかけた。
「巨人なんていないじゃない」
大きな岩が巨人に見えるから、そう呼ばれているだけなのだろう。ゲルダが言うと、ハルムは自分を馬鹿にしたように笑った。
「本当かしら。一つ教えてあげるけれど、私達風の妖精は、面白いことが大好きなの。それから、おしゃべりも。私は今、ゲルダを見ていて楽しいわ」
くすくすと笑うハルムに、ゲルダはむっとして、地面に転がっていた小石を蹴った。
蹴った石はころころと勢いよく飛んでいき、かつんと岩山にぶつかった。
「じゃあ、見つかったら、私達はここから追い出されてしまうことになるってこと」
「そうね。だから、用心しておいたほうがいいわ」
ハルムはぱっとゲルダの肩から飛び立ち、くるりと一回転した。
そして、先程小石が当たった岩山を指差す。
ゲルダは首をかしげて、カンテラを掲げながら振り返った。
地鳴りがしたかと思いきや、目の前の岩山が動き出す。ボロボロと岩肌から小さな小石や砂が滑り落ち、砂埃が勢いよく舞った。
ゲルダは一瞬、目の前で何が起こったのか分からなかった。驚いて身動きできない自分をハルムは笑って見ている。
満天の星空の下、岩が立ち上がった。岩のくぼみに、二つの目が赤く輝いていた。
ばらばらと砂と石を落としながら岩の腕が振り上げられ、そのままゲルダに向かって落とされる。
ゲルダははっとして、岩の手から逃れるように走った。全力で走った。
背後から衝撃音と飛び散る砂が襲いかかってくる。フード越しにこつこつと頭に石が当たっているのが分かる。ゲルダは砂を吸わないように腕で口を覆った。
「もっと別の道はなかったの!?」
振り向くと、巨人はまだ自分を追ってきている。巨人が歩くたびに地面が大きく揺れ、ゲルダはつまづきそうになる。しかし、このままこけてしまえば、巨人の足に潰されてしまう。
「だって、ちょうど、巨人の谷に出てしまったんだもの! ほら、ほら、逃げて」
危機的状況であるのに、ハルムは楽しんでいる。
けらけら笑いながら飛び散ってくる石をちょこちょこと避けている。
ゲルダは走りながら後ろを振り向くと、巨人がしゃがんでいるのを目の当たりにした。
何をしているのかと思って見れば、巨人は脇にあった岩をぐっと掴み、その手の力で岩を小さく砕いた。
砕いた石を掴み、それをそのままゲルダに向かって投げようとする。
「え、ちょっと! ハルム、笑ってないで私を助けて!」
「どうやって?」
笑ってくるハルムに苛立ちを覚えながらもゲルダは叫んだ。
「風の盾でも作ってみてよ!」
「分かった、流れ星が消えるほどの速さで」
ハルムがゲルダの前に躍り出るのと、巨人が砕いた岩を投げ飛ばすのは、同時だった。
ゲルダはカンテラを持つ手で顔を覆う。
ごっと風が砂を巻き上げる音が聞こえてくる。
「――!」
ハルムが楽しそうに何かを言っているが、竜巻の音にかき消され、ゲルダは聞き取れなかった。
「何!?」
風の向こうで、巨人は自分を踏み潰そうと片足を上げている。
そのまま、足が落とされるが、ハルムは動かなかった。風がさらに砂と共に巻き上がり、巨人の足は弾き飛ばされる。
バランスを失った巨人は、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。地面が大きく揺れ、ハルムは風を止める。
巻き上げられた石たちが雨のようにバラバラと降ってくる。
「――楽しかった〜!」
両腕をばっと上げ、ハルムはくるりと一回転し、ゲルダの肩に戻ってきた。
「見てたでしょ、私ってすごい!」
髪をちょいちょいと引っ張り、自慢げに言うハルムに、ゲルダはそうだね、とさらりと返した。冷たい反応にハルムは頬を一度大きく膨らませたが、すぐにまた新しい、面白そうなものを見つけ、指差す。
「何か言っているわ」
倒れた巨人は身動きしなかった。あんなに暴れていた巨人が、けろりと大人しくなってしまった。ゲルダはそっと巨人の近くに近寄った。
足の裏から顔に行くまで、かなりの距離があった。体は地面にのめり込んでおり、相当な勢いで倒れたことが分かる。
赤く、爛々と輝いていた目は、光を失っていた。
ゲルダが巨人の頬に手をつき、カンテラで照らすと、巨人が突然叫んだ。
耳が壊れてしまいそうなほどの叫びに加え、巨人の手がゲルダに向かって伸びてくる。
ハルムがゲルダの髪を引っ張り、ゲルダは思いっきり走って逃げる。
巨人は顔を手で覆い、叫んでいた。
ハルムが気を利かせて風で耳を包んでくれた。そして、聞こえてきたのは、言葉だった。
『眩しい』
そして、巨人は再び立ち上がった。
『眩しい――っ』
巨人の雄叫びが、谷に響き渡った。
ゲルダはケープのフードを被り、ハルムと共に谷を歩いた。本当にこの先に森があるのかと疑ってしまうほど、乾いた土地だった。むき出しになった岩肌に当たれば、すぐさま皮膚を切り裂いてしまいそうだ。カンテラを頼りに、エルフの森に向かって歩いていく。
「ハルム、エルフというのは、本当になんでも知っているの」
白い息を吐きながら、ゲルダは自分の肩に座っているハルムに聞く。
「夜の国のことなら。夜の国の女王の次に力を持つとされているわ。魔法が使える、唯一の種族なの。魔法は使えるけれど、体は弱く、だから森でひっそり暮らして、滅多に外には出てこないと言われているわ。この巨人の谷は、エルフを外敵から守るためのものだと言われてるのよ」
ゲルダはもう一度辺りを見回してみる。しかし、巨人と思えるものはなく、ただ岩山があるだけだった。
最初こそ警戒していたが、何もいないと分かると、ゲルダはほっとしてハルムに話しかけた。
「巨人なんていないじゃない」
大きな岩が巨人に見えるから、そう呼ばれているだけなのだろう。ゲルダが言うと、ハルムは自分を馬鹿にしたように笑った。
「本当かしら。一つ教えてあげるけれど、私達風の妖精は、面白いことが大好きなの。それから、おしゃべりも。私は今、ゲルダを見ていて楽しいわ」
くすくすと笑うハルムに、ゲルダはむっとして、地面に転がっていた小石を蹴った。
蹴った石はころころと勢いよく飛んでいき、かつんと岩山にぶつかった。
「じゃあ、見つかったら、私達はここから追い出されてしまうことになるってこと」
「そうね。だから、用心しておいたほうがいいわ」
ハルムはぱっとゲルダの肩から飛び立ち、くるりと一回転した。
そして、先程小石が当たった岩山を指差す。
ゲルダは首をかしげて、カンテラを掲げながら振り返った。
地鳴りがしたかと思いきや、目の前の岩山が動き出す。ボロボロと岩肌から小さな小石や砂が滑り落ち、砂埃が勢いよく舞った。
ゲルダは一瞬、目の前で何が起こったのか分からなかった。驚いて身動きできない自分をハルムは笑って見ている。
満天の星空の下、岩が立ち上がった。岩のくぼみに、二つの目が赤く輝いていた。
ばらばらと砂と石を落としながら岩の腕が振り上げられ、そのままゲルダに向かって落とされる。
ゲルダははっとして、岩の手から逃れるように走った。全力で走った。
背後から衝撃音と飛び散る砂が襲いかかってくる。フード越しにこつこつと頭に石が当たっているのが分かる。ゲルダは砂を吸わないように腕で口を覆った。
「もっと別の道はなかったの!?」
振り向くと、巨人はまだ自分を追ってきている。巨人が歩くたびに地面が大きく揺れ、ゲルダはつまづきそうになる。しかし、このままこけてしまえば、巨人の足に潰されてしまう。
「だって、ちょうど、巨人の谷に出てしまったんだもの! ほら、ほら、逃げて」
危機的状況であるのに、ハルムは楽しんでいる。
けらけら笑いながら飛び散ってくる石をちょこちょこと避けている。
ゲルダは走りながら後ろを振り向くと、巨人がしゃがんでいるのを目の当たりにした。
何をしているのかと思って見れば、巨人は脇にあった岩をぐっと掴み、その手の力で岩を小さく砕いた。
砕いた石を掴み、それをそのままゲルダに向かって投げようとする。
「え、ちょっと! ハルム、笑ってないで私を助けて!」
「どうやって?」
笑ってくるハルムに苛立ちを覚えながらもゲルダは叫んだ。
「風の盾でも作ってみてよ!」
「分かった、流れ星が消えるほどの速さで」
ハルムがゲルダの前に躍り出るのと、巨人が砕いた岩を投げ飛ばすのは、同時だった。
ゲルダはカンテラを持つ手で顔を覆う。
ごっと風が砂を巻き上げる音が聞こえてくる。
「――!」
ハルムが楽しそうに何かを言っているが、竜巻の音にかき消され、ゲルダは聞き取れなかった。
「何!?」
風の向こうで、巨人は自分を踏み潰そうと片足を上げている。
そのまま、足が落とされるが、ハルムは動かなかった。風がさらに砂と共に巻き上がり、巨人の足は弾き飛ばされる。
バランスを失った巨人は、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。地面が大きく揺れ、ハルムは風を止める。
巻き上げられた石たちが雨のようにバラバラと降ってくる。
「――楽しかった〜!」
両腕をばっと上げ、ハルムはくるりと一回転し、ゲルダの肩に戻ってきた。
「見てたでしょ、私ってすごい!」
髪をちょいちょいと引っ張り、自慢げに言うハルムに、ゲルダはそうだね、とさらりと返した。冷たい反応にハルムは頬を一度大きく膨らませたが、すぐにまた新しい、面白そうなものを見つけ、指差す。
「何か言っているわ」
倒れた巨人は身動きしなかった。あんなに暴れていた巨人が、けろりと大人しくなってしまった。ゲルダはそっと巨人の近くに近寄った。
足の裏から顔に行くまで、かなりの距離があった。体は地面にのめり込んでおり、相当な勢いで倒れたことが分かる。
赤く、爛々と輝いていた目は、光を失っていた。
ゲルダが巨人の頬に手をつき、カンテラで照らすと、巨人が突然叫んだ。
耳が壊れてしまいそうなほどの叫びに加え、巨人の手がゲルダに向かって伸びてくる。
ハルムがゲルダの髪を引っ張り、ゲルダは思いっきり走って逃げる。
巨人は顔を手で覆い、叫んでいた。
ハルムが気を利かせて風で耳を包んでくれた。そして、聞こえてきたのは、言葉だった。
『眩しい』
そして、巨人は再び立ち上がった。
『眩しい――っ』
巨人の雄叫びが、谷に響き渡った。