最後のチャイムはテープを切って

 それからももはいつもと同じように振る舞った。島に塾などなく、明は放課後、教員を使って勉強していた。ももは図書室に逃げ、明の帰りを待った。
 後藤先生のように島に住んでいる教員もいれば、毎日フェリーで出勤している教員もいる。時間が合えば、教員をフェリー乗り場まで送って帰る日もあった。日が短くなり、夕暮れの中フェリーに乗り込む先生を見ていると、かつて小学校の教員たちを見送った日を思い出す。閉校に伴って島の外の学校に転勤となった先生たちは、今、どこの小学校で何年生を教えているのだろう。前島先生に当たった子供は楽しい生活を過ごしていることだろう。
 この時間も残りわずかになっていく。
 夏休み同様に冬休みは例年と同じように家で過ごし、三学期。
 二学期中はずっと半袖で元気をアピールしていた明も、風邪を引かないようについに冬服に変わった。小学校と同じく、詰め襟の制服だった。
 音楽の時間に、中学校の先生から卒業式で歌う曲を渡された。
 小学校は当たり前のように『旅立ちの日に』を歌ったが、中学校は例年と違う曲にしたと説明された。
 男性の音楽の先生はピアノも歌も上手で、先生の弾き語りを聴いた時に、ももの心が大きく揺さぶられた。
 単純に、いい曲だな、と思った。
 脳裏に浮かぶ、学校生活の全て。卒業式で歌うと泣いてしまうかも、とももは顔を歪めて言うと、明は俺も、と返した。
「それで、今年の卒業式なんだけど」
 先生はピアノの椅子から立ち上がり黒板の前に立った。
「閉校式も同時にするから、歌は閉校式の方で歌うことになった。この学校の大先輩たちである島の人たちも歌うんだ。で、塩飽と清水は、一番を歌うことになる。先生たちと他の人たちは二番から合流する」
「ええーーーーーーっ!? もうそれ、ソロじゃんっ!」
 歌が苦手な明は顔を真っ赤にしていた。
「何を言ってるんだ。今までもずっとソロだっただろ」
「そりゃそうだけどっ、俺しかいねーもん! もしかして二部?」
「いや、斉唱。分けては歌わないことにした。ただ、明はオクターブ下げて歌うから、目立つな」
 うぇー、と吐きそうな声を出す明に「島の外に出たらもっと歌う機会があるだろうから頑張れ」と先生は励ました。
 明の声はすっかり声変わりも終わり、男性の声になっていた。明の高めの声がいつの間にか低くなっているものだから、ももは明の歌声を聞くたびにどぎまぎしていた。自分も高い声は少し出にくくなっていたが、先生の指導のおかげで、恥ずかしくない程度には歌えるようになった。毎回先生の演奏に熱が入っていて、毎回泣きそうになっていた。
 夜になると、どこからか歌がももの部屋に聞こえてきた。地域の人が集まって歌っているのだろう。母も店の中で歌っていた。
 その間に明は私立と公立の受験を終わらせた。明の本命は私立のほうだというのは前から本人から聞いていた。ももはお守りなどといったものは渡さなかった。ただ、頑張って、とだけ言った。
 放課後、明だけが後藤先生から呼ばれた時は、私立の結果発表だろうとももはすぐに分かった。
 教室に帰ってきた明の顔を見た瞬間、ももも、笑ったが、上手く笑えていた自信はなかった。


 体育館にはたくさんの垂れ幕が張られ、島の住民全員が座れるのではないかというほどのパイプ椅子が並べられた。来賓席も多く、長机もたくさん出した。白布を被せると、厳かな雰囲気が出る。この準備には、もちろん、ももと明も準備に手伝わされた。
 卒業証書授与式と閉校式の式次第が手書きで書かれている。あれは国語の先生が書いたものだった。日の丸と校章、校旗が壇上に出され、いよいよ卒業式という雰囲気になる。
 冬場は凍てつくような寒さだった体育館だが、午後の練習が始まると温かい日差しが窓から差し込み、暑いと感じる日もあった。本番は午前中だから寒いから、出だしは声が出ないかもしれない、と教えてくれた。
 卒業式の卒業生式辞はももが担当し、閉校式の生徒の別れの言葉は明が担当した。原稿のチェックは国語の先生と、後藤先生がした。校旗返還は小学校でもやった時と同じく、ももと明二人で校旗を持ち、市長に渡すことになった。


 当日、ももの父が島に帰ってきた。
 保護者席は二人しかいないから特別には設けられず、地域来賓席の最前列に指定されていた。思っていた通り、島民ほぼ全ての人が集まった。小学校の閉校式を思い出す。
 国家斉唱、校歌斉唱、校長式辞、卒業証書授与、ももによる卒業生式辞、来賓祝辞などが流れるように終わっていく。二人しかいないから、卒業証書は一人ずつ渡された。後藤先生がいつになく真剣な声で、ももと明の名前を呼んだ。後藤先生がかっこいいと思えた瞬間だった。
 そして閉校式。
 明による別れの言葉は、とにかく学校が楽しかった、というものだった。
 この学校を出ても、自分たちはもっと成長する、と誓った。
 自分たち、と言った。それには、ももも含まれていた。
 教頭先生の合図で、生徒、教職員、保護者、地域住民全員が起立する。明とももは回れ右で地域の方々と向かい合う。
 音楽の先生が静かにピアノに座り、鍵盤に手を置いた。
 ピアノからチャイムが聞こえてくる。
 何度もこの学校で鳴り続けたチャイムだった。
 ももは大きく息を吸う。


   チャイムが鳴った
   最後の授業の終りを告げて
   そうしていつものあいさつをしたけれど


 明が続けて歌う。


   誰もがみんな
   一瞬だまって顔見合わせた
   ぼくたちの思い出が遠い空へと返る


 声を出すと、春の空気が胸に流れてくる。
 ももと明は息を合わせて歌う。


   はじめてとびばこがとべた日のこと
   雪の日まっ白にそまった校庭
   ささいなことでけんかして
   体育館のかげで泣いたこと

   今 卒業のとき
   胸にこみあげるものがあるけれど
   まっすぐ顔をあげて
   さよならの向こうには何かがきっと待っている


 チャイムが鳴り、教職員と、地域の皆が二番から合流する。
 皆、それぞれの学校生活を思い出し、学校と別れようとしている。歌声が体育館を震わせた。
 ハンカチを手にして歌っている人もいた。
 ピアノによる最後のチャイムが鳴り終わり、その余韻と共に、教頭先生が静かに、閉校式の終わりを告げた。
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