最後のチャイムはテープを切って

 島の小さな花火大会には行かなかった。明からも誘いがなかったし、ももからも誘わなかった。小学生の頃は毎年二人で行っていたが、中学生になってから行かなくなった。ももの部屋からでも花火は見れたが、なんだか寂しくなってカーテンで隠していた。どん、どん、と響いてくる音を聞きながら寝てしまった。
 花火大会が終わると、すぐに二学期が始まる。始業式はいつものように体育館で行われ、残暑厳しい中、まただらだらと汗を流しながら校長先生の話を聞いた。学校生活も徐々に少なくなっていきました。希望する進路に向かって励みましょう。そんな内容だった気がする。
 授業が始まると、夏休みはどうでしたか、と全ての教員から聞かれた。
 ももは「まあまあでした」と答え、明は「いつもと同じだった」と答えた。二つ以上の教科を掛け持ちしている教員が多く、授業中に余計な雑談をすることも多い。ゆるい授業の雰囲気は、ももも明も好きだった。一斉授業と言っても、ほぼ個別に近いような授業だった。
 十月からは、稀に、よその島の学校とリモート授業をすることがあった。これは島の連携事業のうちの一つだと後藤先生から説明された。夏休みのうちから教員たちが準備をしていたらしく、教員の力の入った授業を受けることができた。白木島よりも規模の大きな島の学校は生徒もそれなりにいて、交流しながら授業をするのもまあまあ面白かった。複数の島の学校がリモート授業に参加し、かなりの人数でリモート授業をすることもあった。その時はいつものようなゆるい授業と言うわけにもいかず、大勢する授業の雰囲気を知ることができた。高校に行けばこんな感じなのかなと思ったが、それでも高校に行く気持ちにはならなかった。
 遅めの時期にあった修学旅行は、そのリモート授業をした中学校との合同修学旅行となった。実際に会ってみて初めて分かったのだが、かつて、小学校が一緒だった友人がいた。ももに「あきくんと付き合ってるの」と聞いてきた女の子だ。彼女はクラスメイトの男子とずっと一緒にいて、どうも見るからに付き合っているようだった。一方、ももは、バスの中でも新幹線の中でもホテルで同室だった女子と一緒にいて、明も仲良くなった男子と一緒にいた。ももと明が一緒に過ごす時間はほとんどなかった。
 他の学校との関わりが増えて、最初は楽しかったから良かったのだが、ももは明と二人きりの時間が減ったように思えて、少しだけ寂しさを感じていた。とは言え、修学旅行が終わると、またいつもの三人だけの教室が戻ってくる。明と、ももと、教員一人で静かに学習を進める。授業の最初には中学一年生から二年生までの復習の時間が設けられ、教員たちはももと明の学力向上のために尽くした。
 ももと明は机を向かい合わせにして、二つの机の間に先生が座ってプリントの進み具合を見る。高校に行かないとはいえ、ここまでしてくれているのだから、頑張ろうとは思うものの、ももは集中できなかった。
 明が目の前にいて課題に取り組んでいる。いつもへらへらしている野球バカが、真剣な顔をして取り組んでいる。その表情をもう少しよく見たかったが、まじまじと見ることはできず、ちらちらと見ては、プリントに視線を落とす。
「塩飽さん、ここ、間違ってる」
 女性の国語の先生が漢字に赤を入れたので、ももは口をへの字にした。
「先生、これ、難易度高いと思いますよ。五十問とか多い!」
「そんなことないよ。清水君は今のところ満点じゃない」
「あっ! 比べた! うわー、最悪! 先生、よくないですよ、そういうの!」
「はいはい、ごめんね。ほら、あと五分。頑張れ頑張れ」
 ももと教員が雑談をしていても、明はずっとプリント課題に集中していた。そんな明を見て、ももは、やっぱり、と思った。


 最近、明は後藤先生とのキャッチボールをすることがなくなった。もうよその学校の三年生は引退試合を終えて、部活には出ていないから俺もやめた、と言っていたが、本当のところは分からない。
 帰ってもすることがないので放課後だらだらと教室で宿題と自習をして過ごしたあと、二人で黙って自転車を押して帰る。二学期になっても変わらなかった。ももは明の背中を見る。この三年間のうちに、明の背はももよりもずっと高くなった。白い半袖のシャツから伸びる日焼けした腕が、妙に男らしくて、ももは斜め左を見る。海は変わらずそこにあった。
 ふと、明が足を止めたので、ももも足を止めた。
「どうしたの?」
「なあ、塩飽。時間ある?」
「なに、あるけど」
「ちょっと」
 明がちょいちょいと指さしたのは、島の公共グラウンドだった。誰でもいつでも使ってよいことになっている場所で、高いフェンスも設置されている。
 明は鞄の中から、ボールとグローブを取り出した。
「え、今からするの? もう暗くなってるよ、見えないよ」
「いいんだよ。取れなくてもいいからさ。塩飽も投げろとは言ってないだろ。付き合ってくれよ」
 そう言われると、ももは頷くしかなかった。
 明はグラウンドに入ると、ももとだいぶ距離を取った。
 ボールを取るくらいならできるが、小学生以来だった。久しぶりのグローブ。しかも明が使っているやつ。手を入れるのに、少し躊躇した。
 遠くから明がいくぞー、と叫ぶ。慌ててグローブの中に手を突っ込んだ。
 大きく振りかぶって、明は叫んだ。
「俺なー! 高校受かったら、寮に入ることにしたー!」
 どきん、とした。
 空高くボールが飛び、弧を描く。ももは足を細かく動かして、ボールの落下地点に向かった。
 ぼすんとグローブの中にボールが落ちてくる。
「へ、へえーー! そっかあーーー!!」
 自棄だった。思いっきり投げたボールはすぐに地面を転がった。
「塩飽はーー!?」
「島に残るーー!!」
「そっかあーー!! おばちゃん喜ぶなーー!!」
 別に母のためではない。自分のためだ。そうは思っても、言わなかった。
 ももはグローブの中のボールをぎゅっと握った。
「あんたは野球ーーー!?!?」
「そうに決まってるだろーー! 島じゃできねーもん〜〜〜!!」
「この野球バカーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
 ももはボールを投げて、グローブを取った。
 日が暮れ、もうボールは見えない。
 明が走って駆け寄ってくる。
「俺、やっぱり島から出ない方が良かった?」
「聞かないで、バカ」
「そっか。ごめんな」
「何で謝るの」
 ももはグローブを明の胸に押し付け、自転車にまたがって、明から逃げた。
 明がなぜ自分に謝ってきたのか分からず、帰って制服のまま布団の中に入り、声を殺して泣いた。
 夕飯の時間を過ぎて、ようやくももは布団から這い出た。キッチンに行くと、母がもものために塩むすびを用意してくれていた。塩むすびがいつもよりしょっぱく感じた。
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