余命少女としにがみが、ココアを飲みながら冬に恋をする話

「──ったく。マジで、一体全体なんなわけ?」

 ──十二月二十五日。
 私こと、池渕真優は怒りつつ絶望していた。
 何に? 自分の人生そのものに、だ。
 世間はクリスマス当日。ケーキやらサンタクロースやら、どこからか聴こえてくる子どもの高い笑い声やら陽気なBGMやらで、誰もが浮かれているというのに、私ときたらこれだ。この落差、まったくもって嫌になる。おまけに私には、この悲劇を分かち合える恋人すらいない。
 ──はい、ここ重要。クリスマスです。今日。大事なことなので二回言いました。
 お仕事に学業に家事に育児に自宅警備に、普段清く正しく生きている人はもちろんのこと、学校のテスト期間以外は専らブックオフで買ってきたマンガばっか家で読み耽っていて、それ以外の時間はといえばアニメ鑑賞、たまに気が向いたら友達と遊びに出掛けるという、努力のどの字も知らない放課後はメイド喫茶でバイトしている私のような真性オタクにも、平等に訪れる聖なる日。
 一体どこまで落ち込ませれば気が済むんだ、おぅ、イエス・キリスト様?

「人生ツイてないにも程があるっつぅの……あーもーやだ、さいあく」

 ことは、数時間前に遡る。
 私は子供の頃から身体があまり丈夫な方ではなかった。それに加え、また最近になって、体調面は著しく芳しくなかった。走ってもいないのに動悸や息切れがしたり、突然胸が締め付けられるように苦しくなったり。
 ので、一旦詳しく調べてみましょうと、数日前から検査入院をする運びになったのだ。
 そして今日がその退院の日だった。検査入院を終えた私は、やっと我が家に帰れるぜ、味気ない病院食とはこれでオサラバだー! と終始清々しい気分でいた。
 けれど事態は、私の知らないところで深刻だった。
 まず、何故か私を迎えにきた父だけが医者に呼ばれ、その後に私も呼ばれた。
 診察室に入った時、何故か父は落涙していて、生まれてから一度も見たことがない父のその表情が、すべてを物語っていた。
 まさか本当に、余命宣告などされるとは思わなかった。それも、もってあと三ヶ月だなんて。そんな残酷非情な運命が、自分の身に降りかかるとは。そんなことが起きるのは、映画や小説の中だけの話だと思っていた。いや、実際そこまで思っていなくても、自分には関係ない、と割り切って生きてきた。自分が病気で死ぬことなどあるはずがないと、信じて疑わなかった。
 私はまだピチピチの女子高生なのに。まだ、たった十六年しか生きていないのに。一体私が何をしたというのだ、ほとほと納得いかないんですけど。ねぇ? 神様。

 ──「すぐにでも入院が必要な状態──心の整理が必要かと──一旦帰宅して、これからのことをご家族で──」

 医者の言葉は、途切れ途切れにしか覚えていない。というか、ショックがデカすぎてまるで頭に入ってこなかったのだ。
 そんな私のかわりに父が、切羽詰まった真剣な表情で医者の言葉に耳を傾けていた。
 そして今に至る。一旦帰宅した私は、父との会話もそこそこに、自室へと戻った。さて、これからどうするべきか。

「最期は溺れるように、か……。その前にもう、自分で死んじゃおっかな」

 命を軽んじている訳では、決してない。
 けれど、私の頭に浮かぶのは、どうしようもない死への恐怖。じわじわと、迫りくるのが嫌なのだ。ただそれだけ。
 出版社の海外事業部で働いている母は私に関心がない。日本と台湾を行ったりきたりしている母に、余命宣告されたことを伝えてもさほど悲しまないのではと思った。無論、私だって親の愛情を推し量れないほど幼くはない。けれどそうまで思うのには理由がある。
 いつも赤点ギリギリの成績である私と違って、私が生まれる少し前に死んでしまったという、歳の離れた出来の良い優秀だった兄の存在だ。母はこの兄にしか興味がないとみた。
 コンコン、と部屋のノックが鳴る。

「真優。父さんな、色々考えたんだが……やっぱり、入院はするべきだと思うんだ。少しでも娘に……真優に、生きててほしい」

 そしてこの父親だ。入院? そんなのしたら、あとは死ぬだけ。病院のかたいベッドの上で最期を迎えるなんて、私は絶対嫌だ。

「……考えとく」

 口には出さないものの、私にはわかる。両親揃って、一番は兄だ。私は密かにいつも心の中で兄貴と呼んでいる。私は妹か弟が欲しかった。

◆◆◆

 その日の深夜。
 私は、住んでいるマンションの最上階である七階にやってきていた。屋上は閉鎖されているが、踊り場からでも飛べそうだと思った。
 身をわずかに乗り出し、遥か地面のアスファルトを見下ろす。
 ────世界から私がいなくなって、それで世界はどうなるのだろう。なにか変わるのだろうか。それとも、ただ流れていくだけで、特になにも変わらないのだろうか。そんな、どうしようもない疑問が胸を締めつけた。もし後者だとしたのならば私は、悲しくて、哀しい。一体どうすればいいのだろう。永遠に思えるほど、とても切ない感覚が私を飲み込んでいく。このまま、すべてが凍りついてしまえばいいとさえ思った。息ができないほどに、私の存在は希薄で、世界から切り離されているように感じられた。
 そして──その雪の降りしきる中で、私は、君に出会った。
 その瞬間、凍りついていたはずの私の世界は動き出し、同時に微かな温もりが灯ったような気が、したのだ。

「──この高さから落ちて、確実にあの世へいけるかな……」

 失敗したら先は悲惨だ。万が一にも、失敗だけは許されない。見る前に飛べというが、その言葉は多分、少なくともこんな時に使う言葉じゃあない気がする。私は逡巡する。

「う、寒っ……」

 そして、ハッと我に返った時、寒くてたまらないことに気がついた。そりゃそうだ。私が着ていたのは冬用のコートだが、その下は下着すら身に着けていない、薄いパジャマ一枚だけだったから。
 自殺は頓挫したということにして、もう帰ろうか……そう思った時、斜め後ろから、声がした。

「ほんで、死ぬん?」

 驚いて、バッと振り返った。こんなところに、それもこんな時間に、自分以外に人がいるだなんて。まさかと思ったからだ。
 そしてその声の主は、驚くべきことに、宙に浮かんでいた。
 全身真っ黒い服というか、衣装のようなものを着て、ちかちか輝くはちみつ色の瞳が印象的な男の子だった。私と同い年くらい? こんなありえない状況でも私は、ついさっき死のうとしていたくらいだから、少しのことでは動揺しないようになっていた。彼はトン、としなやかに踊り場に着地すると、静かに名乗った。

「俺はしにがみや。おまえの魂を回収しにきた」
「私の魂……」
「せや。おまえは今まさに、自殺しようとしたな。それは俺、すなわちしにがみにとっては大問題や。本来の死期が決まってるゆうのに自ら命を絶とうとするやなんて、こっちの仕事、増やさんとってくれや」

 うん。なんか、言ってることはなんとなくわかるんだけど……。なんで関西弁なの?
 そりゃそうだ。関西弁のしにがみなんて、聞いたことがない。普通しにがみって言ったらもっと、黒衣装だけじゃなくて、大きな鎌とか持ってて〜って、どうでもいいわ!

「……しにがみが、私の魂攫いに来たってわけね。私が自殺する前に。いいよ、すぐ連れて行けば? ていうか、連れて行くがいい」
「それがそういうわけにもいかへんねんな〜。こっとにも色々都合があって、俺の任務は、本来の死期に魂を冥府へ導くことで、その時点まで死にたくならへんようにすることなんよ」
「死にたくならへんようにする……?」

 関西弁なんて、初めて喋ったわ。

「つーまーり〜、俺がおまえの自殺を止めに来たっちゅうわけや」
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