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「幸せホルモンって知ってます?」

ここ数日徹夜続きの我々はあまり思考が回っていない。そんな青年から出た言葉が理解できなかった。

「え?危ない薬の話?」
「幸せホルモン体験しましょ。」

答えになっていない答えに眉間の皺が濃くなるのを感じた。ため息混じりで眉間を少し揉みほぐしながら、もう一度よく考えてみるがさっぽりわからない。
私の椅子の横に立って見下ろしてくると思ったら両手を広げて圧をかけてきた。

「こわっ私今恐怖でなんにも幸せになってない…。」
「立ってください。」

喉の奥で空気の飲み込む音が不気味に聞こえた。
ゆっくり立ち上がると彼は両手を広げて私を包み込んだ。
さっぱりわからん。

「これが言ってた“幸せホルモン”ってやつなの?」
「そうです。」

食い気味で返答してくるも、やっぱりよくわからん。

「人と触れ合うとこによってなんたらホルモンが……そう、サンダーなんたら…」
(サンダーは絶対に違う。)

天然ボケなのか計算ボケなのか。
彼の事が全く理解出来なかった。

それに私だって疲れている。彼の奇行に付き合ってる程余裕があるわけではない。
彼の胸に両掌を当て離れるように力を込めた。

掌から心音が伝わってくる。

こんなにも伝わってくるのは強く押し当てているから?それとも少し早い鼓動のせい?それにしても他人の心音は意外にも安心感をもたらしてる気もしてきた。後それに程よい重圧感もあって、ん?いや、だんだん重くなってきたな。
重みを感じた次の瞬間、ワトソンくんの膝が力なく折れて全体重を支える羽目になった。体格差があるわけでは無いので押し倒れされるまではなかった。

「重いよ、ワトソンく……えぇ、」

辛うじて見える顔は穏やかに目を瞑っていて規則的な呼吸音が聞こえる。眠ってるぢゃないか。
なんか腹立って来たがここ数日の無茶を思い出し、深いため息で気持ちを抑え込んだ。

力の抜けた成人男性を引き摺りながら、自身のベッドへ投げた。少し乱暴に扱えば目が覚めるだろうと思ったが、全く変わらない規則正しい吐息が聞こえる。
ベッドで気持ちよさそうに眠る姿を見ていたら、さっき吐き出した溜め息を吸い込んでしまった。腹の虫の居所が悪くなってきた。
眠っている彼の鼻を摘んでやると、ふがふがと眠りにくそうな声を出して眉間に皺を寄せていた。ふふ、少し落ち着いた。

口元を抑えていた手が強い力によってベッドへ引き摺り込まれた。
所謂腕枕の状態で引き摺り込んだ本人と目が合う。さっきの仕返しなんだったら謝ろうと潔く自分の悪戯を認めてみたが、なんだか様子がおかしい。

回されている腕が首へホールドされる。少し息苦しさを感じるがそんな事より、空いてる方の手で私の頬を撫でてくる。そういう仕返しなのか?

「ふふっワトソンさんだ。」

なにも返事をしてやれる余裕も元気もない。
もう疲れちゃったな寝ちゃおっかな、と全て諦めてそのまま現実逃避しようと目を瞑った。

「  。」

不意に耳元で柔らかい物が当たると、何が聞こえたがほんのり温かく心地いい睡魔から逃げられなかった。


***


自分の胸辺りに重みと体半分が異常に温かいなと思って身じろいすると、

「おはよう。」

違和感の根源から声が聞こえて状況がなんとなくわかってきた。
痺れる右腕にはサラサラの黒髪をヘッドロックしているからで、体半分が温かいのはそれだけ体を密着させているからで。

(ワトソンさんを腕枕してお目覚めなんて、まだまだ夢の中だな。)

頭の中の混乱を夢オチと無理矢理軌道修正して落ち着こうとしていたら、巻き付く腕に“トントン”と指先で小突かれ解放を要求された。
そんな事されるとこれが夢ぢゃないことを自覚させられる。

痺れていることなどお構いなしに勢いなく解放する。起き上がり頭の整理が追いつかず、ズルズル後ろへ下がって壁に背もたれた。

「どういう状況…」

ベッドの蓋に座り襟を整える。その仕草が官能的で見惚れていたのもあるが、どう考えてもこんな状況ありえない、自分がなにかしたのが原因なんだろう。
(ベルさんの顔が、怖くて見れない。)

頭をガシガシと掻きむしるが、まっったくなにも思い出せない。寝てしまう前の記憶が大量の資料を揃えて片付けしているところまでだ。
どうしてベルさんのベッドにいるのかも、どうしてベルさんを腕枕していたのかも、思い出せない。

こちらをみる事なく部屋を出て行こうとする。もう僕なんかの近くに居たくもないからだろう。
これが最後になるならどんな事があったのか把握して納得して離れたい。呼び止めようとした名前を呼ぼうとしたが、その必要がなかった。
扉を開けながら何か思い出したように、うわ言を呟くように口を開いた。

「幸せホルモンとやらはよくわからなかったけど、寝付きはまあ良かったと思ったよ。」

予想だにしない返事が来て、
頭が回転せずに、
思ったことが口から溢れていた。

「また、してもいいんですか?」
「たまになら、ね。」

そう言い残して部屋から出た。扉の向こうでは飛び跳ねたのだろう、床の軋む音が聞こえた。

(私から伝えることはないがきっかけ位は作ってあげよう。だからあの時寝ぼけながら口にした言葉は君から私に告げてくれ。)
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