英雄の笑顔、悪者の涙

【その8:ちゃんと和解は済んでます】

 戦いを終えた天道達の前に、黒衣の青年がその姿を現した。
 美青年、と呼べる部類にあると思う。醸し出す雰囲気は清浄で、どこか人間離れしているようにさえ思える。
――人間では、ないのか?――
 そう思いながら、天道は油断なくその男に向かって身構える。他の面々もまた、警戒したようにその青年を見つめる中、最初に口を開いたのは誰よりも殺気の篭った視線を送っていた白刀だった。
「……貴様か『審判ジャッジ』。相も変わらず苦界に生きる身とは、ご苦労な事だな」
「お久し振りですね、『皇帝の下僕』」
 穏やかな笑顔で、「審判」と呼ばれた青年は白刀に向かって声をかける。その場にいるのに、そして話をしているのに、その青年の存在その物に現実味がない。
 翔一は、この青年を知っている。
 それはかつて、アギトを滅ぼそうとした者。「闇の力」と呼ばれる、人間を愛して止まない、「神」とも呼べる強大な力を持つ存在。
 アギトと人の共存の可能性を見出し、それ故に深い眠りに就いたはずの彼が、何故ここにいるのだろうか。そんな不信感を露にしながら、翔一は睨んでいるようにも、泣きそうにも見える表情で青年を見つめた。
 そして、そんな正体を知らないヒビキ達でさえも、白刀の発した「審判」と言う単語に反応し、身構える。
 ……彼女の言葉を信じるならば、彼は鬼をも敵視しているはずだ。ヒトの姿をしているからと言って、油断して良いはずがない。
 ……疑わなければならないのは、正直、悲しい事ではあるけれど。
「何の用だ? 邪魔するならこちらも全力で貴様を止めにかからねばならんのだが」
「いいえ。今回は、あなた方にお願いがあってきました」
 ゆっくりと首を横に振り、「審判」……「闇の力」は白刀の問いを否定する。
 その顔には、どこか悲しげな……半ば現状を諦めたような表情が浮かんでいる。
――曲りなりのも「神」と呼ばれる者であるのに、何故そんなにも悲しそうな顔をしているのだろう――
 ふと疑問に思うが、テディは黙ってその青年を見つめる。何となく、声を出せるような雰囲気ではない。
 何にせよ、彼に敵対心はないらしい事が伝わったのか。ヒビキ達はその警戒を解き、不思議そうな表情で青年を見やる。
 彼の言う「願い」とは何なのか。彼自身の手でどうにか出来る事ではないのか。
「私が放った者の一部が、虫によって成り代わられています」
「……あの、それってどう言う意味ですか?」
「アンノウンとやらに擬態したワームまで出てきた、と言う事だろう」
「その通りです、光を支配する者」
 翔一の問いに答えたのは、「闇の力」ではなく天道。そしてその言葉を「闇の力」が肯定する。
 童子に擬態したワームとやらだけでも厄介なのに、今度はそれを狙っているはずのアンノウンまでワームに成り代わられている……
 一体どれだけ厄介な事になれば気が済むのだろうと、幸太郎は思うのだが、そこはあえて置いておく事にした。
 突っ込んだ所で事実が変わる訳でもないし、何より先程のシカダワームのような例もある。……より強い者に擬態しようとする例が。
 それを考えると、あながちありえない話でもないような気がするのだから不思議だ。
「それで?」
「……あなた方の要求を受け入れましょう。人間に害を為さない限り、私は他の種族、ヒトの力を超えた者に危害は加えません」
 冷たく放たれる白刀の言葉に、青年は気を悪くした様子もなく淡々とした口調で答える。
 ……だがその言葉は即ち、鬼の存在を認めると言う事に他ならない。
 それに気付き、ヒビキは嬉しそうにその青年に向かって頭を下げた。
「約束しますよ。俺達は絶対に、人間の害にはならない。人間を守るために、鍛えてるんですから」
「その言葉、信じましょう」
 ヒビキの言葉に暖かく微笑む青年。
 鬼に対する敵意など微塵もないらしい事がはっきりと分かったのが、微笑ましかった。
 ……もっとも、ワームに関係する状況は、全く微笑ましくなどないのだが。
「それで? その決定は、『裁判官アンノウン』にも伝わっているのだろうな?」
「はい。伝達はしてあります。しかし……」
「擬態した連中には伝わってないって事か」
「ええ。彼らを放っておく事は、私が愛する子供達を傷つける事に他ならない。私は、それが許せない」
 悲しそうにその目を伏せ、青年は幸太郎の言葉に頷くと、深々と頭を下げた。
 ……カミサマであるはずの彼が、人間に……ましてかつて、その命を狙った者に対して頭を下げた事に、一瞬だけ白刀は驚いたような表情を作ったが……すぐにいつもの冷たい顔に戻ると、フンと小さく鼻で笑い、これまたいつもと同じ冷たい声で言葉を紡いだ。
「頭を上げろ『審判』。連中は倒す。その為に動いている。……貴様が気に病む事でもあるまい」
「……ありがとう、誇り高き『剣の小姓ページ・オブ・ソード』」
 白刀の言葉に安心したのか、青年は顔を上げてふわりと穏やかに笑うと……まるでその姿が幻であったかのようにその姿を消した。
 一瞬、狐狸の類に化かされたのかとも思ったが、今まで青年のいた場所の草は、踏まれたように倒れているのを見ると、幻ではなかったらしい。
 白昼夢のような、あまりにも現実味のないその空気に圧倒されるが……最初にその空気を壊したのは、翔一だった。
「……いなくなっちゃいましたね」
「また眠りに就いたのだろう。ともあれ、これでアンノウンと戦う必要がなくなったのは大きな戦果だ」
 白刀がそう、嬉しそうに呟いたその瞬間。
 再び、がさりと草を踏みしめる音がした。
 ……無論、ヒビキ達ではない。音のした方向を、全員が一斉に振り返ると、そこには……童子の姿。
 茶色を基調としていた先程の連中とは異なり、服の基本色は白。左目の下辺りに白っぽいペイントがされている。
「あれは……ウブメの童子?」
「ウブメ? 違う種類の魔化魍か?」
「ああ。だけど何で……」
 不思議そうに呟くヒビキ。だが、その刹那。幸太郎は気付いた。その童子の体から零れる、大量の白い砂に。
 それは即ち、イマジンと契約している証。そこまで考えが及ぶと同時に、幸太郎の体は考えるよりも先に童子へ向かって駆け出していた。
「テディ、あいつを捕まえるぞ!」
「え? 幸太郎君!?」
「あいつがイマジンと契約したって奴だ!」
 翔一の慌てたような疑問の声に、幸太郎は端的にそう答えるとベルトとパスをセットし、童子へと肉薄する。
 ……通常なら、そこで逆に襲い掛かるのが童子だ。思い、ヒビキも音角を構えて幸太郎を追うように駆け出したのだが……
『ひ、ひぃぃっ!』
 ウブメの童子……イマジンの契約者らしいそいつは、怯えたような悲鳴を上げると、大きく後ろへと飛び退った。
 心底、彼らの存在を恐れているかのように。
 ぶんぶんと首を横に振り、がたがたと震えながらも、的確に幸太郎達との距離を開け……
『嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない。…………までは……』
 最後は何を言っているのか聞き取れないくらいの呟きを残すと同時に、その姿がぶれて、消える。
「クロックアップ……ワームか」
「畜生、追わないと厄介な事に……」
「それはダメだよぉん」
 声と同時に、幸太郎に向けて空を切る音が響く。それに気付き、反射的に後ろに飛び、飛んできた「何か」をかわす。
 幸太郎と言う目標を見失った「それ」は、近くの木の幹にさくりと軽い音を立てて突き刺さる。
「ありゃりゃ。かわされちった。こういう時は紅茶を飲もう」
 言いながら姿を現したのは、ウサギだろうか。にんじん色の毛並みに、左手にティーカップ、右手にティーポットを持っている。顔は奇妙な笑みの形に歪んでおり、右腿には「March」の文字が入っている。
 ぴょんぴょんと跳ね回るその姿に、愛らしさは微塵も感じられない。ふざけた仕草に妙な苛立ちを覚えつつも、幸太郎は相手をきつく睨みつけ……
「イマジン!」
「え!? あのウサギがですか?」
「イマジンは大体、あんな感じです」
 翔一の驚愕の声に答えながら、テディは素早く幸太郎の隣に立つ。それはいつでも、彼のサポートに入れるようにと言う彼なりの配慮なのだろう。
 相手は恐らく、マーチヘアイマジンと言った所か。ソーサーによる攻撃以外にも、色々とトリッキーな攻撃をして来そうな雰囲気がある。
「契約者殺されちゃあ、困っちゃうんだよねぇ」
 言うが早いか、マーチヘアは口を更に歪めると、幸太郎めがけて再びソーサーを投げ、襲い掛かる。だが、投げられたソーサーは、間に入ったテディが、どこから用意したのか分らない白いテーブルクロスを投網のように投げる事で地面へと叩き落とし、一方で幸太郎がクロスの影から距離を詰め、相手の腹に蹴りを放った。
「幸太郎、怪我はないか?」
「ああお前のフォローのお陰でな、テディ。……それじゃ、もう一回行くぞ」
「ああ」
 ベルトから、再びこの森に似つかわしくない明るい音楽が流れ、幸太郎はパスをベルトにセタッチする。
『STRIKE FORM』
 電子音と共に、再び電王へと変身した幸太郎は、マチェーテディへと変じた相棒を、一気に振りぬく。
 それを何とかかわしたマーチヘアは、幸太郎を見てぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。
「あるぇ~? 電王? 変な電王だ。そんな話は聞いていないけどなあ?」
 そう言うと……マーチヘアは、にんまりと更に口を歪め、もう一度手元のソーサーを手裏剣の様にして投げつける。
 幸太郎はそれをマチェーテディで弾き、再度距離を詰めようとするが……それよりも早く、マーチヘアが木の上に飛び乗ってしまう。
「やだなぁもう。ティータイムは大事だよ? と言う訳で、紅茶、飲む?」
 言いながら、相手はティーポットを持っているカップではなく下に立つ幸太郎達に向けて傾ける。
 その仕草に妙な予感がして、それをギリギリでかわすと……紅茶の触れた地面が、ジュワリと音を立てて溶けた。
「あ、避けちゃった。僕の紅茶は、強酸性の、特性紅茶なのに。あーあ、勿体ない。勿体ないから紅茶を飲もう」
「強酸性の紅茶か」
「そんな物を飲んだら、胃が爛れちゃいますよ」
「俺は紅茶より緑茶の方が好きだなぁ」
「って言うかその前に飲めるか。あんな物」
 天道と翔一、そしてヒビキの言葉に、律儀に突っ込みながらも幸太郎は緊張した面持ちで相手を見やる。
 天道達にとって、イマジンを見るのは、テディを除いては初めてだ。しかし悪意あるイマジンと言うのは、こんなにも凶悪なものなのか。
 ふざけているように見えるが、攻撃は邪悪その物。今まで出会ってきた「敵」は、「真面目に邪悪」だった事が多いだけに、「ふざけた邪悪」である相手はそれだけに底知れぬ何かを感じさせる。
「余所見をしていて良いのか? ウサギ」
 いつの間に相手の後ろに回りこんでいたのか、白刀は高く飛び上がりながらそう声をかけると同時に、どこから持ってきたのか分らない剣らしき物で勢い良く斬りかかる。
 が、相手はそれをギリギリの距離でかわして木からぴょんと飛び降りると、今度は彼女の落下線上に向けてソーサーを投げつけた。
 自分の向かう先に飛んでくるそれを、彼女は忌々しそうに見つめ……即座に持っていた剣を木の幹に突き立てると、逆上がりの要領で上に伸び上がり、ソーサーから逃れる。とは言え、完全にはかわしきれなかったらしく、彼女の白銀色の髪が幾筋かはらりと宙を舞う。
「ちょっと待て、その剣どっから出したんだよ本当に!?」
「どこ? 鞄からに決まっているだろう、野上幸太郎」
「手品師もびっくりの、不思議鞄ですね」
 幸太郎と翔一に突っ込まれつつも、白刀はさも当たり前と言わんばかりの表情で答えを返すと、軽やかな足音を立てて大地に降り立つ。
「日高仁志、貸してやる。私が持っていても使えん」
 そう言うと、彼女はぽんとその剣をヒビキに向かって投げ……
「って言うかこれ、装甲声刃じゃないですか、白刀さん!」
「だから先にも聞いただろう? 音撃鼓と音撃増幅剣、どちらが良い、と」
「装甲声刃の元名が、音撃増幅剣だって事、すっかり忘れてましたよ」
 苦々しく呟きながら、ヒビキはその剣……装甲声刃を軽く持ち上げる。
 彼女が渡してきたのは、鬼の中でもごく一部しか扱えぬ「声」で清める為の武器。剣の形をとってはいるが、実際はスピーカーの様な機能を持っている。近距離かつ一度きりの必殺技しか使えぬ「音撃鼓」に比べ、自身の声と体力が保つ限り幾度でも扱えるのがこの「音撃増幅剣」である装甲声刃だ。
 そしてその機能故に、決して小さい物ではない。
 幸太郎ではないが、本当に一体あの鞄のどこに入っていたのだろうと思う。
 鬼ならば、呪術的な力で音撃道具を圧縮して持ち運びができるのだが、生憎と白刀は鬼ではない。呪術の使える人間がいない訳でもないのだが、彼女のやった事は、呪術とは異なるような気がする。
「剣なんか振り回して、危ないんだ~。うーん、この状況はちょっと不利かもね。時間稼ぎも終わったし、一旦帰ってお茶会にしよう」
「ほう? 逃げおおせると思うか、このイカレウサギが」
「うん、逃げれるんだ……にょぉぉぉんっ」
 きつい白刀の視線すら気にした風でもなく。マーチヘアはびろーんと顔の皮を伸ばして舌を出すと、持っていたティーポットを地面に叩きつけ……
 瞬間、湯気なのか大地が溶ける際に反応する何かなのか、よく分らない白煙が濛々と上がり……煙が引いた頃には、既にマーチヘアの姿は跡形もなく消えていた。
「くそ、折角イマジンを見つけたのに……手がかりはゼロ、振り出しか」
「……そうでもない」
 変身を解き、吐き捨てるように言う幸太郎に返したのは、相変わらず何の感情も無さそうな表情の白刀。彼女は言うと同時に、ピイと指笛を吹き、どこからか取り出した赤いディスクを宙に放り投げた。
 すると……投げられたそれは変形し、まるで鳥のような形になって相手……マーチヘアと契約したウブメの童子を空から追いかける。
「何ですか、あれ!?」
「『隠』のサポート用の存在、ディスクアニマルだ」
 翔一の驚きにも淡々と答え、彼女はスタスタとその後を追うように歩き始める。
 そう言えば、ヒビキと出会った時、彼もまた似たようなディスクを大量に持っていたような気がする。
 あれは、ひょっとすると魔化魍の居場所を探るための「目」……いや、「耳」だったのではないだろうか。
「アカネダカですか」
「既にルリオオカミも追わせている。すぐに居場所はつかめる」
「いつの間に」
 苦笑気味にヒビキが問いかける。
 ウブメの童子が現れてから立ち去るまでの時間は、かなり短い物だった。ましてそいつが、イマジンと契約していると知れてからは、更に。
 その短時間で彼女はディスクアニマルの一つ、ルリオオカミを放ったと言うのだから、なかなか侮れない。
 つくづく、彼女が敵でなくて良かったと、ヒビキが思ったその瞬間。
 彼らの頭上から、何者かが落ちてきたのであった。
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