英雄の笑顔、悪者の涙

【その48:「今日」を重ねて】

 デンライナーが、マーチヘアイマジンからギガンデスに変化した「モノ」を倒し、そしてそれが砂へと変わっていくのを響鬼が視認する。それと同時に、ギガンデスによって崩されたはずの瓦礫が、まるで巻き戻しをしているかのように「修復」されていくのも視界に入った。
 その光景は、ひどく幻想的でもあり、「あってはならない光景」のようにも見え、無意識の内に彼は眉を顰めた。
 そしてそれはゆりも同じだったらしい。大きく目を見開いて、驚きの表情でそれを見上げている。
「これは?」
「イマジンの暴走が止まった事によって、時間の修復が行なわれているんです」
「時間の修復? どういう意味だ?」
 不思議そうに首を傾げるゆりへ向き直ると、テディは軽く頷いて言葉を続けた。
「簡単に言えば、イマジンが及ぼした影響は、そのイマジンが倒された時点でなくなる……いえ、『なかった事になる』という意味です」
 イマジンが過去に飛んだ後に起こった出来事は、本来の時間から見れば「イレギュラー」として扱われる。その「イレギュラー」を引き起こした当人が倒される事で、時間は「その先の時間に住む人間の記憶」から修復される……というのが本来の説明なのだが、それはとても分かり難いし、それに分かってもらう必要はない。
 今はまだ、幸太郎という「特異点」の近くにいる影響もあって、イマジンの事も、そして自分達の事も覚えているが……この時間から立ち去れば、それもすぐに修復の影響によって忘れて……いや、出会わなかった事になる。
 既に、マーチヘアによって破壊されたはずの彼女の武器、ファンガイアスレイヤーの修復が始まっている事を考えても、彼女と自分達の邂逅が「なかった事」になるのは時間の問題。
 出会った事、そして彼らに助けてもらった事は、自分達だけが覚えていればいい。
 そう思うと同時に、宙を舞っていたデンライナーが静かに彼らの前へと停車した。
 しゅう、と空気の抜けるような音と共に眼前の扉が開き、そこから音也達が姿を見せ、降りる。その際わずかによろめいたのは、デンライナーで攻撃した際の揺れが、今になって三半規管を狂わせているからだろうか。
 そんな風に思いながら、ゆりは反射的に音也の体を支え、それを見やった次狼が口の端に苦い笑みを浮かべる。
「それじゃ、電車も来た事だし、俺達は戻ろうか」
 そう言うと、いつの間にか顔だけ変身を解いていたヒビキとテディは次狼達と入れ替わるようにデンライナーに足を踏み入れる。
 だが、そんな二人の腕を、次狼がぐいと掴んで引き留めた。
「……ウルフェン族は、受けた恩は必ず返す。そう、幸太郎に伝えておけ」
「わかりました。必ず」
「なら、良い」
 次狼の真剣な表情に気圧されたのか、あるいは忘れるからと高を括っているのかは定かではないが、テディはぺこりと頭を下げて言葉を返す。
 たとえ忘れられてしまう……「なかった事」になってしまう言葉であっても、「今、ここにある感情」は本物なのだから。
 そして次狼も、テディの言葉に満足したのだろう。ニヤリと笑ってその腕を離すと、デンライナーから一歩下がった。
 それが別れの合図と悟り。ヒビキは車内に乗り込んでから、くるりと彼らの方へ向き直ると、軽く口元に笑みを浮かべ、敬礼に似たポーズをとった。
「……それじゃあな。シュッ」
「お世話になりました。皆さん、お元気で」
 テディも深々と頭を下げ、扉が閉まるのを待つ。
 徐々に、しかし確実に細くなるその景色にほんの僅かな寂しさを感じながら。

 一九八六年から抜け出し、デンライナーは元の時間へ帰還すべく時間の中を走る中。
 ヒビキは「5」と番号を振られた袋の中身に着替え、天道と翔一は各々食堂車にあるコーヒーメーカーやらキッチンやらを弄って何かを作っており、そしてユウスケは妙な表情を浮かべて幸太郎の前に座っていた。
「さっきからどうした?」
「幸太郎、俺さ、なーんか忘れてるような気がするんだよなぁ」
「何を?」
「うーん…………大事な事だったような気もするんだけど……」
 どこぞの有名な彫刻に似た姿勢を取りながら唸るユウスケに、幸太郎は訝るような表情を浮かべている。
 特異点である幸太郎と関わっている以上、イマジンに関する事はまだ忘れにくくなっているはずだ。
 特異点には、時間の影響を受け難い以外にも、そう言った「周囲への影響力」もあるらしい。
 もしかするとその「周囲への影響力」とやらのせいで、自分は不運体質なのではなかろうか、と思う事さえある。
 ハナと言う「不運ではない例」がいる以上、そんな事もないのだろうが。
 そんな事を考えている内に、デンライナーは本来の時間に帰還したらしい。列車は人気の少ない、どこかの郊外らしき場所に停車しその扉を開いた。
「何と言うか、妙に長い旅だったなー」
 少し離れた場所に見える赤い骨格の電波塔を見つめながら、ヒビキは「3」の袋の時と似たような黒いコートの裾をはためかせる。以前の服装との相違と言えば、彼が律儀にもかけているサングラスと黒革のグローブくらいだろうか。
 実際の時間はそれ程経っていないのかもしれないが、彼ら自身は数日単位の「長い時間」を経験している。元の世界が妙に懐かしく思えるのは、仕方のない事なのかもしれない。
 そもそも、「イマジンと契約したワームを倒す事」から始まった旅。その目的が叶った後が、長かったのだが、いざ終わってみると少しだけ寂しい物がある。
「……随分と暑そうな格好だな」
「いや、そうでもないぞ青年。……動き辛くはあるが、案外これが暑くない」
 天道の呆れの混じった声に、ヒビキはカラッと笑いながら言う。
 本来ならごく普通にいい人に見えるはずの笑みなのだが、何故だろうか。今のヒビキの格好を見ていると、妙に悪人らしく見えてしまう。
 やはりサングラスと黒ずくめと言う組み合わせは、悪人の代表的なイメージと言う事なのだろうか。
 そんな風に、傍で見ていて幸太郎は思う。同時に思い出すのは、今のヒビキとは対照的な「白」を纏った女……白刀の姿。
 テディも同じ存在を思い出したらしく、ああ、と何かを思い出したように口を開く。
「そう言えば白刀さんですが、ファミリアさんの治療は間に合ったのでしょうか?」
 確かに。今の今まで失念していたが、あの犬のアンノウン……カニス・ファミリアーリスの名を持つ彼は、無事なのだろうか。
 確か、イマジンの不意打ちに合い、大怪我……と言う言葉では生温い程の重傷を負っていた。それを救うために、白刀は自分達と別行動を取ったと言うのに。
「ファミリアさんと言えば、なんですけど」
 先程のテディと同じように、今度は翔一が何かを思い出したらしく、ぽんと掌を一つ叩くと、軽くその首を傾げ……
「思い返すと、帽子のイマジンの方はいませんでしたよね」
「あ。そうだ、それだよ。俺が今まで引っかかってたの。倒されたって言ってたけど、誰が倒したんだろうって思ってさ」
 言われ、ユウスケも思い出したように掌を叩く。
 ファミリアーリスに重傷を負わせたのは、あのニンジン色のウサギ、マーチヘアイマジンではなく、メジャーを持った帽子、マッドハッターイマジンイマジンだった。
 しかし、先程まで自分達がいた「過去」に存在したのは、マーチヘアのみで、マッドハッターは存在していなかった。暴走する直前のマーチヘアの言葉を信じるなら、マッドハッターは何者かに倒されたらしいが、誰が、いつ倒したと言うのだろうか。分かっているのは、マーチヘアが漏らした「ピンクの戦士」と「特異点の小娘」と言う曖昧な単語だけ。
 しかしあの場には、「ピンクの戦士」と表現できるような者も、「小娘」と称されるような者も見当たらなかった。
 首をひねり、考えてはみるものの、これと言って思い当たる節はない。
 いや、ユウスケには「ピンクの戦士」の心当たりが、そして幸太郎には「特異点の小娘」の心当たりがそれぞれにあるのだが、仮に彼らがあの場にいたとして、自分達に声をかけないのは考えにくい。
 すれ違っただけという可能性もあるのだが、どうもしっくりこない部分がある。
「音也とかいう奴の仲間が倒した可能性はないのか?」
「ないとは言い切れない。けど、それならそれで歴史に何かしらの影響があるはずだ。でも、そんな様子はない」
 天道の仮説に、幸太郎は軽く頭を振って言葉を返す。
 特異点である幸太郎は、時間の影響を受けにくいと言う話は聞いている。それはつまり、もたらされた「影響」をいち早く感知できる事を指す。しかし幸太郎は、今、この場に違和感を抱いていない。
「考えられる可能性は二つある。一つはあの時代で倒されることが『決まっていた』場合。これは『イマジンがその時代の人間に倒されることが歴史』だから、影響らしい影響は出ない」
「つまり、『そうなるべくしてなった』って場合ですね」
 納得したように頷く翔一に、幸太郎の方はやや苦い顔で首を縦に振る。
 仮に、本当に「マッドハッターが西暦一九八六年の住人に倒される事」が「歴史」だったとすれば、マッドハッターが過去へ飛ぶことは「決定事項」でもあった訳だ。
 と言う事は、ファミリアーリスが重傷を負った事も必然であり、あの「童子に擬態したワーム」が「こちら」に来る事もまた……と、考え出すと限がない。最終的に落ち着く結論も、「イマジンが生まれる事も決定していた」という事になってしまうのだから。
「それじゃあ、もう一つの可能性は?」
「ああ。もう一つは『カブトの世界』のような、『違う世界』にイマジンが飛んでいた場合」
 純粋に疑問に思ったらしいユウスケの問いに、幸太郎は沈みかけた思考を浮上させてもう一つの可能性を口に出す。
「成程。お祖母ちゃんは言っていた。鍋が変われば味も変わる。だが、食べ比べなければその違いは分からないってな」
「……すまん、青年。その例えはよく分からないんだが」
「俺達は『この世界』という鍋の中にいる。だからどんな料理が出来て、どんな味なのかが分かっている。だが、あの帽子が『違う世界』と言う鍋に移動していた場合、俺達はその世界の変化は分からない」
 天道の説明を受けても、ヒビキは分かったような分からないような微妙な表情を浮かべて唸る。
 いや、言いたい事は何となくだが分かる。彼の言う通り、仮にマッドハッターが「違う世界」へ行ってしまったのだとすれば、変化はこの世界で起こらない。一見すると何も起こっていないのと同じだ。
 だが、それならば何故マーチヘアはマッドハッターが「倒された」と言う事を知っていたのだろうか。それこそ、見ていなければ分からない事象のはずなのに。
「確かに、気にはなる。でも、どっちにしても、確認する為には、チケットが必要になるから、今は無理だ」
 ゆるく頭を振り、半ば自分に言い聞かせるようにして幸太郎がそう言うと、他の面々もそれ以上は何も言えないらしく、口を閉じた。
 ただ、彼らも納得できないと言った風ではあったが。
「ま、まあとにかくさ。ここにいてもしょうがないんだし、元の山に戻るべきじゃ……?」
 はは、と乾いた笑いをあげながら、場をとりなそうとユウスケが口を開いた。が、その言葉も何故か途中で途切れた。
 そして他の面々がその理由に気付くのに、そう時間はかからなかった。
「え?」
 ゆらり、と空気が歪んだような感覚。それを感知した直後、真横に存在していた喫茶店の入り口付近にすぅっと銀の幕が下りる。そしてその幕が消えた後には……外装はそのままの喫茶店。しかしそこに掲げられた看板には……「光寫眞館」の文字があった。
 銀の幕の存在は、自分達が「カブトの世界」へ移動した折に見ているので知っている。あれは恐らく、「世界と世界をつないだ時の揺らぎ」だ。
 それが現れたと言う事は、一時的にこの世界が「違う世界」とつながったという事。そしてその結果、今度は自分達ではなく、写真館が移動してきた事になる。
「ほう?」
「光写真館……って事は、士や夏海ちゃんもこの世界に来たって事か!?」
 軽く驚く一同とは対照的に、いち早くその正体に気付いたユウスケが、どこか嬉しげな声で言う。
「ん? この建物の事、知ってるのか青年?」
「あ、はい。……元々、俺が居候していたところなんで」
「……そう言えば小野寺さんって、『違う世界の人』なんですよね」
「すっかり忘れてた」
 一緒に戦ってきたせいですっかり忘れていたが、元々ユウスケはこちら側に「飛ばされてきた」存在だった。目の前に現れた建物は、彼が身を寄せていた物らしい。それを理解したと同時に、写真館の戸が開く。そして中からは黒髪の女性……この店の看板娘である光 夏海が、不思議そうな表情を浮かべてその姿を見せた。
 いつも通りの、可愛らしいがどこか色彩センスのずれた服装に対し、その顔に浮かんでいる表情は晴れやかとは言い難い。
 ユウスケが見慣れた、「光夏海」のはずなのだが……何故だろうか、少しだけ、彼女に元気がない……有体に言えば、落ち込んでいるように見える気がするのは。
「……夏海ちゃん?」
「あ……ユウスケ?」
「どうしたの? 何て言うか……落ち込んでる?」
「そ、そんな事ありません! ちょっと驚いただけです」
「そう? なら良いんだけど……」
 ユウスケに声をかけられ、彼の姿を確認すると、夏海は信じられないと言わんばかりの表情で彼を見つめる。
 とはいえ、二人ともその表情の中にも微かな安堵の色が見受けられる。恐らく、互いに無事であった事に対する安心が、無意識の内に彼らの顔に現れたのだろう。
 顔見知りが無事であるのは、それだけで安心できることなのだから、当然と言えば当然なのだが。
「……それより、士君は……?」
「え? 一緒じゃないの?」
 きょと、と周囲を見回しつつ、彼女はユウスケの周囲に視線を送る。一方でユウスケもまた、写真館の中へ視線を向け、何者かを探すような仕草を取った。
 往々にしてこの写真館にいるはずの友人の姿は、写真館の中にはない。無論、自分と一緒にいるはずもない。
「夏海ちゃんと栄次郎さんだけがここに? どうして?」
「……分かりません。あの時、ユウスケが消えてしまって、その後士君は五代さん達と一緒にいなくなってしまって。……その後、私も色々あったんです。……色々」
 低く沈んだその声に、そして様子に。本当に「色々」あったのだろうと察する。
 夏海からすれば自分が消え、そして友人である門矢 士が別行動をとって姿を消した。その直後、何かが……自分には予想もつかないような出来事が起こり、そしてこの世界に来たのだろう。
 彼女が無事と言う事は、命にかかわるような事ではなかったのだろうが……しかし、気分を沈ませるには十分すぎる出来事があったのだろう。普段それ程ネガティブになる事のない彼女が、こうして落ち込んでいるのが証拠だ。
 何と声をかけて良いのか分からず、ユウスケの顔に困惑の色が浮かび……しかし次の瞬間。その場にいた全員の肌に、ざらりとした感覚が襲い掛かった。
「何だ、これは……」
 唐突に生まれた不快感と違和感に、面々を代表するように天道が渋面で呟きを落とす。同時にその違和感の根源を探すように視線を巡らせ……そして気付いた。ここに到着した際にも眺めた、赤い電波塔……東京タワーと呼ばれるそこから、とてつもなく奇異な感覚が生まれ、広がっていっている事に。
 強いて言うなら銀の幕を通った時の感覚に近い。だが、今感じているそれは、それの時の空気をもっと湿らせ、重苦しくしたような、得も言えない不快感を齎している。「変わる」感覚と言うよりも、「作り変えられる」感覚。目に見えない何かによって、世界が、そして自分自身が浸食されていくような。
「これ……危険な気がします。それも、凄く」
「青年と同意見だ。なんて言うか……オロチが起こった時の数倍は禍々しいな」
 真顔で言った翔一に、同じく真顔でヒビキが返す。
 夏海にもこの感覚が分かるのか、寒そうに二の腕をさすって東京タワーを睨み付けていた。
「……お祖母ちゃんは言っていた。不快は元から絶てってな」
「それは多分、あんたの祖母ちゃんじゃなくても言うだろうな。……実際、祖父ちゃんのイマジンも言ってそうだし」
「確かに。彼なら、『湧き出す舟虫は、巣穴から叩かないとね』と言いそうだ」
 天道の言葉に、幸太郎は祖父に憑いた水色のイマジンの姿を思い出す。それがテディにも伝わったのか、そのイマジンの口調を真似て言う。
 それが合図になったのか。全員……夏海を含めた六人が、弾かれたように駆けだした。
 不快の元、東京タワーへと。
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