英雄の笑顔、悪者の涙

【その33:壊れモノに要注意】

 西暦一九八六年。
 翔一の感じた「感覚」と、テディからの連絡によってマーチヘアイマジンがいる立体駐車場の前で、ヒビキと幸太郎は相手を待ち伏せすべく、近くの物陰に身を潜めていた。
 ヒビキは未だ警察の制服を着用しているのだが、それがこの状況では反って様になっている。端から見れば、凶悪犯を追い詰める刑事に見える事だろう。隣に立つ幸太郎は、さしずめ駆け出しの新米刑事といった所か。
 到着直後あたりに、一度大きな音がした後は、特に何も起こっていない。
 そう、「何も」起こっていないのだ。
 立体駐車場と言う事は、近くには当然それを所有するビルなどの建物がある。そして、大きな音が聞こえれば、思わずその音源を確かめようとするのが人間の性だ。危機回避能力の一端と言っても良いだろう。
 ……だが、マーチヘアが起こしたらしい「音」が聞こえても、野次馬どころか近所の建物から顔を覗かせようとする気配すらない。
 誰一人として今の「音」に気付いていなかったのか、それとも……この近所には「誰もいない」のか。
「……妙に静かだな」
「少年もそう思うか。……よし、ならちょっと様子を見てきてもらうとしますかね」
「……はぁ!? アンタ、俺に行かせる気かよ!?」
「いやいや、少年に行って貰おうなんて思ってないって。行ってもらうのは、こいつら」
 心底嫌そうな表情と共に上がった抗議の声に苦笑を返しつつ、ヒビキは銃の代わりに腰から下げているディスクアニマルを見せる。
「何だ、そいつらか……」
「そ。それじゃ、頼んだぞ!」
 安堵したように言った幸太郎に敬礼じみたポーズで返すと、すぐさまヒビキはディスクのうち三枚程を宙に投げ、空いている方の手で音角を鳴らす。
 キィンという澄み切った音に反応し、ディスクアニマル達は、それぞれモチーフになった動物の形に姿を変えると、窓の隙間や排気口等から「静か過ぎるビル」の中へと潜入して行った。
――俺の取り越し苦労なら良いんだけどなぁ――
 そんな風に思いながらも、ヒビキは無意識の内に自身の首の後ろをさする。翔一のような「本能」を持っている訳ではないが、長年戦いの中に身を置いている為なのか、「危険な気配」に関しては敏感に出来ているらしい。外れて欲しい予感ほど当たってしまう。
 はぁと深い溜息を吐き出して、ディスクアニマルの帰りとマーチヘア達の動きを大人しく待とうと心に決めた瞬間。
 ポン、と何者かがヒビキの肩を叩いた。
「ん? どうした、少年?」
 叩いたのが幸太郎だと思ったらしい。何かあったのかと思い、ヒビキはきょとんとした表情で振り返る。
 だが、その先にいたのは幸太郎ではなく……先程休憩した喫茶店に居た、バイオリンケースを持った青年、音也と、ザンキに似た青年、次狼だった。
 その顔には、何故かあからさまな不審を浮かべている。
「おいお前、ここで何をしている?」
「何って聞かれると困るんだけどなぁ……うーん、強いて言うなら、張り込みかな?」
 カリカリと頬を掻きつつ、ヒビキは音也の放った問いに困ったように返す。
 実際、イマジンが出てこないかどうかを見張っているのだから、張り込みという言い方は間違っていない。
 それに、今の格好は先も述べたように警察官。張り込みだとすれば、かなりあからさまではあるが、ありえない事ではない。
――納得してくれないかなぁ――
 心の内で呟きつつも、ヒビキは真っ直ぐに音也の顔を見つめる。だが、彼の方は微塵も納得していないらしく、疑わしげな表情を殺しもせず、今度は幸太郎の方へと視線を向けた。
「そんなガキを連れてか?」
「あー、それは……」
「俺はこの辺から建物が見たかっただけ。……変な音もしてたし、気になったんだよ」
 ヒビキに代わって幸太郎は当たり障りのない回答を返す。それでも彼らの疑惑は晴れないらしく、音也と次狼はジトッと冷たい視線を送り続けている。
 とは言え、いつまでもこのままでいる訳にも行かない。いつマーチヘアがここに現れ、戦いになるとも知れないし、何より加勢が必要な事態かもしれないのだ。出来る事なら巻き込むような事はしたくない。
 それなのに、彼らはどうやら疑惑が晴れない限りヒビキ達を留め置くつもりなのだろう。ヒビキの肩を掴んだまま、音也は軽く左目を細め、問いを重ねた。
「そうか。なら次の質問だ。……さっき、何を投げ込んだ?」
 どうやら、ディスクアニマルを投げ込んだ所を見られていたらしい。
 あれは危険な物ではないし、他人に知られて困る事でもないが……一般人に説明するのは、非常に難しい。ヒビキ自身ですら、「そういう物だ」と言う認識しかないのだから。
「危険な物じゃないんだけど……ラジコンみたいな物かな」
「みたいな物って何だ? 大体、リモコンを持っているようには見えないが? ……っておい次狼」
「…………何だ?」
「何をさっきから鼻をひくつかせている? そうしていると本当に犬っころみたいだぞ」
 眉を顰めた音也に言われ、次狼の方は犬と呼ばれる事を不快に思っているのか、僅かに顔を顰めるが……彼の投げた言葉を無視し、音也の言う通りしきりに鼻をひくつかせている。
 まるで、何かを嗅ぎ取ろうとしているかのように。
「……土煙と、埃と……それとこれは……」
 呟くように次狼が言った刹那。
 ドゴッという派手な音と共に、彼らの前のコンクリート壁が壊れ、そこから青い影が飛び出す。
「テディ!?」
 その影の正体が、何者かによって吹き飛ばされたらしいテディだと、真っ先に気付いたのは幸太郎。一瞬遅れでヒビキも気付いたらしく、ちらりとテディに向けて心配そうな視線を送った後、今度は怪訝そうな表情に変えて彼が飛んできた場所……駐車場の中へと視線を送った。
「俺は無事だ、幸太郎。それより……あなたは大丈夫ですか? 咄嗟だったので、庇いきれたかどうか……」
 パラパラと体に纏わりつく灰色の欠片を振り落としながらも、心底心配そうにテディが誰かに声をかける。よく見れば、彼の腕の中には髪の長い女性がすっぽりと納まっていた。
 どうやら彼女を庇って、ここまで吹き飛ばされたらしいが……
「私は大丈夫だ。それよりも、あいつ……」
「ゆり!?」
「……音也? それに、次狼……あんたもいるのか」
 どうやら、テディの腕の中にいた女性は音也と次狼の顔見知りらしい。驚いたように目を見開いて音也と次狼の二人を見やる。
 その視線に、複雑な感情があるように感じるのは、テディの気のせいだろうか。
「久し振りだ。ますます良い女になった。……とゆっくり挨拶をしたい所だが……」
「ちょっとやばそうなのが来てるぞ、少年!」
「何だって?」
 次狼の言葉を継ぐように、ヒビキが言う。その声に含まれる緊張感をはっきりと感じ取った幸太郎と音也も、また二人と同じ様に視線を壁に開いた穴の向こうへ送った。
 そこから現れたのは、神父だか牧師だか、とにかく教会にいそうな格好の男性。頬はこけ、眼鏡の奥で鈍く光るぎょろりとした目。雰囲気もどこか不気味な印象を抱かせ、我知らずのうちに幸太郎は一歩だけその場から下がった。左手の甲には何か刺青のような物が入っている。細かい部分は見えないが、何かがバラに囲まれているらしい。
 だが、ヒビキと幸太郎、そしてテディにとっては、その刺青よりも何よりも……相手の顔に問題があった。眼鏡をかけてこそいるが、その顔は間違いなく……
「童子!?」
 そう。目の前に居る存在は、魔化魍の童子と同じ顔をしていた。
 とは言え、同じなのは顔とその身の持つ邪悪さだけ。少なくともこんな格好をした童子は見た事がないし、あれが童子なら姫もどこかに居るはずだ。しかしその気配はない。新種の童子かとも思えるが、その割には違和感を覚える。
 眼鏡をかけている事と洋装である事も違和感の正体であろうが、それだけではない。強いて言うなら、目の前の男からはそれまでの「人生」を感じる事ができる。
 最初からその形を与えられた童子の持つ無垢な悪意とは違う。目の前の存在には過去があり、それ故に様々な物を交えて形成された悪意が、違和感の最大の原因だろう。
「あなた方が何者なのかも、童子と言うのが何の事なのかも分りませんが、邪魔をするなら……殺します」
「おいおい、随分と物騒な奴だな。何なんだ、お前は?」
「その紋章……ちっ。よりによってチェックメイトフォーの一人、ビショップのお出ましとはな」
 真剣な声で問うた音也に答えたのは、神経質そうな目の前の男本人ではなく、次狼。その表情は、忌々しげであると同時に、心の片隅で恐怖を抱いているらしいのが分る。
 そんな彼に、ビショップと呼ばれた男はちらりと視線を向け……
「吠えるしか能のないウルフェン族の生き残りですか。まったく。ルークの仕事は雑で困ります」
 早口にまくし立てると同時に、ビショップは左手をこちらに掲げ……
「避けろ、幸太郎!」
 その掌に、うっすらと青い光が生まれたのと、テディの声が鼓膜を叩いたのはほぼ同時。テディの声に反応するように、四人は方々へ散り、直後生まれた青い光線をかわした。
「うわぁ、流石に危ないな、これ」
「イマジンだけでも厄介だって言うのに、何なんだよ、こいつ……!」
 眉を顰め、抉れた地面を見ながらも緊張した声で言うヒビキに、ちぃと軽く舌打ちをして毒づく幸太郎。
 そしてその一方では、音也が何やらごそごそしている。どこから取り出したのかは不明だが、何やらナックルの様な物を手に構えているのが、幸太郎の視界の端に映った。
――あいつ、何を……?――
 不思議に思った、まさにその瞬間。音也がそれを、空いている方の手に軽く押し当て……
『レ・ジ・イ』
「変身!」
『フィ・ス・ト・オ・ン』
 低い、この時代としては恐らく最先端の技術であろう電子音が響く。そう認識した次の瞬間、音也の体を白い鎧が包んだ。
 仮面の部分にある金の意匠は十字架だろうか。胸の部分には太陽の様な模様が描かれている。
「イクサ……成程、人間が作った、我々に対抗する為のシステムですか。しかし、そんな物で倒される私ではありません」
「どうかな? 確かに普通の奴なら無理かもしれないが、何しろ俺は天才だからな」
 言うと同時に、音也が相手に向かって拳を突き出す。しかし、ビショップの方は何の感慨も無さそうにその目を向けると、軽くその拳をかわした。
「残念ながら、その程度の速さでは、私を捉えられません。それに……今日はあなたの相手などしている暇はないのです」
 そう言ってビショップが向けた視線の先に居たのは……次狼。
 その視線を受け、彼は一瞬だけその体を震わせた。
「無垢なファンガイア以外の種は、絶滅して然るべき存在だ。消えなさい」
「くっ……!」
「何だかよくわかんないけど、そう言うのは、見過ごせないなぁ」
 再び、今度は確実に次狼に向かって掌を向けたビショップに、ヒビキが真剣な声でそう言葉を紡ぐ。その瞬間、建物の奥から何かの鳴き声に似た音声が聞こえ……三つの小さな影が、ビショップめがけて襲い掛かる。
 それが、ヒビキが先程放ったディスクアニマルだと気付くと、今度は幸太郎がその腰にベルトを巻きつけ……
「…………テディ!」
「ああ」
 短い呼びかけに、やはり短く答え、テディは紳士的な態度でゆりを放すと、まるで幸太郎の執事であるかのように、半歩だけ彼の後ろに立ち……
「変身!」
『STRIKE FORM』
 イクサよりも流暢な電子音と、明るいメロディーが流れ、幸太郎の身を青い鎧が包む。それと同時にテディの体も剣の様な姿……マチェーテディへと変化した。
「馬鹿な。それも人間の作ったシステムだと言うのか!?」
「悪いけど、俺は俺の仕事があるんだ。そこをどいてもらうぞ」
 驚愕の声を上げたビショップとは対照的に、冷静な声で幸太郎はテディを構、小さく次の指示を出した。
 この状況下では、絶対に使いそうにない指示を。
「……テディ、カウント。十……いや、七で良い」
「あ、ああ。七、六、五、四……」
 幸太郎の言葉を不審に思いながらも、テディは困惑の混じった……しかし正確なカウントを刻み始める。
 余程の実力差があるなら……それでもあまり使おうとしないが、幸太郎はカウントダウンを使う。その秒数の中で倒せると言う自負もあるし、相手へのプレッシャーにもなるからだ。
 しかし、今回の相手はかなり手強い。少なくともテディはそう認識している。だからこそ、幸太郎のカウントダウンの指示は不思議なのだが……
 そこまで考えた瞬間、彼らの頭上で派手な爆音が轟いた。
「何だ!?」
「三、二、一……」
 突然の轟音に驚いたのか、幸太郎とテディを除く全員が、音の方に視線を向ける。
 屋上から上がる黒煙。そしてそれから逃れるようにして落ちてくるオレンジ色の物体。しかしそんな事は気にせず、テディはカウントを続け、幸太郎は大きくマチェーテディを振りかぶり、落下してきたオレンジ色の物体……マーチヘアイマジンに斬りかかった。
「〇」
 マーチヘアの着地と重なって宣言されるカウントゼロ。幸太郎の手には、何かを斬った時特有の鈍い感触こそあった物の、トドメまでには至っていないだろう。現に、ゴロゴロと元気に……と言うと語弊はあるが、地面に転がるマーチヘアイマジンに大きな傷はない。
 ……長い耳の先は、半ばから斬られてなくなってはいたが。
「痛い~!! 痛い痛い! 何なんだよこれ。本当に何なんだよぉ!」
 半泣きの状態で身を起こし、怒鳴り散らすマーチヘア。そしてそれと同時に、別の二つの影が、やはり屋上から軽い足音を立てて降り立った。
 赤いカブトと青いクウガの二人が。
 屋上でマーチヘアが放ったソーサーによる大爆発の直前、カブト……天道はクロックアップで爆発をかわし、ユウスケは青……ドラゴンフォームに変わる事で跳躍力を強化、ここまで飛び降りたらしい。
「……な。七で丁度だっただろ?」
「成程、彼らが来るまでのカウントだったのか」
 自慢げに言った幸太郎に、テディは納得したような声を上げ……そして再び、ビショップとマーチヘアの方に向き直ったのである。
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