英雄の笑顔、悪者の涙

【その32:復活の兆】

 どことも知れぬ森の中。
 空から射すはずの眩い光も、生い茂る木々の葉に遮られて微かにしか届かず、冷えた空気のせいか森全体を濃い霧が覆うそこで、白刀風虎は一人佇んでいた。
 ドッグロード、カニス・ファミリアーリスを「闇の力」に預けた後、彼女はずっとこの場で待っていた。ファミリアーリスの復活、そして過去へ向かった者達の帰還を。
 待っている間にも、風に乗って聞こえてくる「崩壊の音」が聞こえてくる。恐らくは過去でイマジンが暴れている事に由来する音なのだろう。それを理解していながら何も出来ない自分に対し、彼女は軽く苛立っていた。
――やはり、私は無力でちっぽけな存在だな。自分では、何も出来ん――
 そんな事を思いながら、彼女は「過去」に想いを馳せる。
 イマジンが飛んだ先ではない。それよりももっと昔……自分が本性を晒しても、誰も驚く事のなかった時代。
 決して、元に戻れない……しかし記憶から消す事も出来ない、優しくも凄惨な過去に。
「私は、あの時から何も変わってない。……しくじっては悔いる、悔いてはしくじる。その繰り返しだ」
 変わりたいと強く願うのに、変わる事は決して許されないのか。思いながら、空に振り上げた腕の先を見つめる。
 脳裏に浮かぶのは、自分と同じ「不変を強いられた存在」である白衣の変態。自分と同じ過去を共有する、唯一の存在の事。
 彼は、彼女を「愛している」と公言して憚らない。実際に誰よりも……自分自身よりも、白刀を優先させている。こちらがどれ程無体な扱いを強いようとも、それすらも「愛」だとのたまっている。そしてその態度を変える事はない。
 変えないと分っているから、冷たい態度を取っているのだが……
「我ながら、あの男に甘えている……」
 自分の、途方もない我侭を許容してくれる、あの壊れた存在に。
――間違いなく、私も壊れているのだろうが……な――
 振り上げていた腕を下ろし、彼女はゆっくりと目を伏せる。
 待ち人が戻ってきた後に起こるであろう大きな戦いを、いかに勝ち抜くか。その一点に関して計略をめぐらせ……
 何かに気付いたのか。彼女はふと閉じた瞼を再び上げると、霧の向こうで揺れる「赤い影」に視線を向けた。
 霧のせいでぼんやりとしか見えぬ影。しかしその正体を、彼女は知っている。
「……いつの間に帰ってきた、朱杖炎雀」
「ん? 今さっき」
 言いながら、霧を払うようにして彼女の前に現れたのは、赤い服を着た十三、四歳くらいの少年。「朱杖炎雀」と呼ばれた彼の手には三色の石が濡れているような淡い輝きを放っている。
「ふむ。石の回収は終わったようだな。随分と早い帰還のようだが?」
 彼の「帰還」は、白刀にとって予想外に早かったらしい。軽く首を傾げ、そんな問いを投げる。その一方で、投げられた方は微かな苦笑を浮かべ……しかし直後にはそれを消し、真剣な表情になると、彼女の問いに答えを返す。
「……実はさ、俺、『万が一』に備えて、ちょっと交渉に行こうかと思って」
「『万が一』?」
「そう。俺らが諦めた可能性。それをあの連中が選択した場合に備えてさ。密約って奴?」
 そう言った朱杖の言葉の意味を理解したのか、白刀はああ、と小さく呟いた。
 彼女にとっては「諦めた可能性」は「出来ない事」だと思っている。だが、「彼ら」ならばその「可能性」を選択し、そしてやってのけるに違いない。
 根拠はない。だが、人間と言う存在は、幾度となく彼女達の「諦めた選択肢」を選び、そして「不可能」だと諦めていた事を、「可能」に変えてきた。それを知っているが故の納得なのだろう。
「……今のままでは、勝算は限りなくゼロに近いが?」
「ああ。だからこそ、今のうちに『出来る可能性』を上げる。俺らは永く生きすぎているから、どうしても『出来ない』って諦めちまうけどよ……でも、今回決めるのは俺達じゃない。『人間』だろ? ありきたりなコト言うけど、連中は『奇跡』を起こす為の努力は惜しまない。だから、俺達にとっての『奇跡』を、平然と起こす」
 ニ、と口の端を歪めて言った朱杖に対し、白刀は何か思うところがあるのか。軽く眉を顰めると、不思議そうな顔で更に問いを投げる。
「今回の『決定作業』は、『クウガの力を持つ者』でなければ出来ないだろう? 『三人のクウガ』以外にその力を持ち、なおかつこちら側へ来れる者と言えば、小野寺ユウスケくらいしか思い浮かばんが……」
「おいおい、何言ってんだよ風虎。他にもいるだろ? 鍬形の力を、欠片だけど持っている『愛された子』が、もう一人」
「……成程、『核』……いや、『無限の王』か。とは言え、彼の存在も鍬形が基本ではなかろうに」
「ゼータク言ってる場合か。とにかくそう言う訳だからちょっくら行ってくるわ」
 ひらひらと手を振り、朱杖は不敵な笑みを浮かべて短く言うと、再び霧の向こうへとその姿を消した。
 それを見届け、彼女は呆れたような深い溜息を一つ吐き出す。見目こそ子供だが、こういった交渉事……特に密約などは彼が得意とするところだ。真正面からぶつかる自分とは対照的に、裏から糸を引く事を好む。
――私には、絶対に出来ん仕事だな――
 そんな風に思った刹那。彼女の背後の霧が揺らめき、その向こうに薄らぼんやりと影を落とした。その影に、そして影の主の気配に気付いたのか。彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き……直後、微かにではあるが、口の端を吊り上げた。
 ……それが、彼女が浮かべる事が出来る、最大限の微笑みだと知る者はいるだろうか。
「フン。どうやら我々の仕事は、山積のようだな、白猫」
 陰の主がかけたその声に、普段の彼女からは考えられぬ程緩慢な動きで振り返ると、浮かべていた微笑を消し、いつも通り冷徹に見える視線を声の主に送る。
 その様子に、何か思うところでもあるのだろうか。声の主はハアと深い溜息を吐き出し、思い切り顔を顰めながら、再び声をかける。
「こんな所で、何をグズグズしている? 集合場所へ行かずとも良いのか?」
「貴様を待っていてやっただけだ、犬。貴様、集合場所がどこかも知らんだろう?」
 僅かに首を傾げながら、彼女はその言葉の通り犬の顔をした異形に向かって淡々と言葉を放つ。
 いつも以上に皮肉混じりに感じるのは、単に彼女の機嫌が悪い為なのか、それとも他の要因でもあるのか。
 何にせよ、彼女らしくない態度だと思いつつ、彼はとりあえず茶化す方向に持っていく事に決めたらしい。ニヤリと口の端を歪めてから軽く彼女の肩に手を置くと、その顔を近付け……
「フン、素直に『心配していた』と言っていれば少しは可愛げもあるだろうになぁ」
「……そんな物を私に求めるのは、あの白衣の変人だけで充分だ。これ以上変態は要らん」
 ふい、とそっぽを向きながら言葉を返す彼女。だが、よくよく見れば色の白い彼女の肌が、ほんの僅かに紅潮しているように見える。
 ……緑色の血をしたアンデッドが、どうして照れると頬の色が朱に染まるのか、正直不思議に思わなくもないのだが。
――あの白猫が、照れている?――
 自分で言っておきながら、あまりにも信じ難い光景に、彼は驚いたように目を開いた。
 白刀風虎と言う女性は、冷酷と呼んでも差し支えない程度に冷徹だ。自分の信念の元に動き、自分を貫く。その行動のせいなのかあまり他人を労わるようには見えない。
 しかも、異形に対しては時に残酷ですらある。だからこそ、彼女が自分を心配していたと、言外にとは言え示してしまった事に驚きを隠せない。
「…………何か言いたそうだな、犬」
「いや、別に。案外と貴様も良い奴だったと、認識してやっただけだ、白猫」
「煩い黙れ。ともかく行くぞ」
「そうだな。俺の……このカニス・ファミリアーリスの仕事は終わっていない」
 ざくざくと大股で落ち葉を踏みしめて歩く彼女についていきながら、彼……ドッグロード・カニス・ファミリアーリスは、にやりと不敵に笑って森の中を抜けるのであった。

「ねえねえ、思い出した事があるんだけど」
「何だ?」
 ラモンの声に、次狼が煩わしそうに声を上げる。
 声同様、表情も物凄く煩わしげに見えるのは、力の気のせいだろうか。
「珊瑚のファンガイアを、アギトのお兄さんが倒すのって……歴史通りなのかな?」
「……さあな。だが、大きな変革が起きていない。と言う事は、恐らくはそれが正しい歴史と言う奴なんだろう。興味はないが」
 それきり、彼は口を閉ざす。ラモンもふぅん、とだけ呟いて、後は何も言わない。恐らくはこれ以上聞きたい事もないのだろうし、自分が生きているならそれで良いとも思っているのだろう。
 歴史が変わろうが狂おうが、ラモンにとってはどうでも良い。
 重要なのは、自分が生きて、マーマン族の血を絶やさない事。ただそれだけだ。
「俺達、どこに、行く?」
「何だ力、あの女が話していただろう。聞いていなかったのか?」
「……寝てた」
 おいおい、と突っ込みたくなるが、力に何を言おうと今更だ。
 諦めたように次狼は軽く息を吐き出し……一枚のカードを懐中から取り出した。
 それに描かれているのは、赤を基調に塗られた鉄塔。この国の住人なら、およそこの塔の名を知らぬ者はいないだろうと思われる程度には有名な建造物。
「東京タワー?」
「ああそうだ。このポイントが、この世界の命運を分ける……一種の特異点だ」
「それじゃ、そこに来るんだね。『彼ら』と……『敵』が」
「ああそうだ。そして……あの女の話が本当なら、幸太郎達もそこに帰ってくる」
 そこまで言って……次狼はすっと木々の合間から僅かに覗く空の青に目を向ける。
 「あの女」の言う通りなら、あと数時間程度で戻ってくるだろう。それまでに自分達は、東京タワーに向かわねばならない。
 しかし、いつから出てきたのだろうか。森全体は濃い霧に覆われ、視界が白く染まる。自身の裾を引くラモンに、すぐ横に立つ力の存在を薄く見ながらも、次狼はスンと鼻を鳴らした。
 霧その物が、妙に生臭い。薄くではあるが、腐臭、死臭、血臭……そう言った物が混在しているような、嫌な臭いが立ち込めている。それが自然発生した物でない事は、臭いからも充分に分る。
「……どうやら、余程俺達を行かせたくないらしい」
 言いながら、次狼はすっと目を細めてやれやれと首を横に振る。
 その言葉に応えるように、霧は彼らを囲むようにして黒い影を産み落とす。やがて産み落とされた影は数組の男女となって三人の前に姿を現す。ただし彼らの顔は布で隠れて見えないし、手には何やら不気味な杖が握られている。
 一見しても不気味な存在だが、更に不気味な事に彼らからは生きている者特有の臭いがしない。漂ってくるのは霧と同じ腐臭と、彼らを形作っている土塊の臭いだけだ。
「あれ? こいつら、クグツ? 何で僕達の邪魔をするのかな?」
「さあ?」
「それは本人達に聞いたらどうだ?」
「え、やだよそんなの。面倒だもん」
 にこ、と軽く笑いながら返されたラモンの言葉に、軽く頭痛を覚えつつも、次狼達は警戒心を顕わにして周囲を囲む面々を見回す。
 クグツと呼んだそれは、童子や姫を生み出す存在だ。一人でも充分に厄介だが、それが男女のペア……おまけに数組も存在しているとなると、非常に面倒な存在となる。
 敗北するとは思わないが、戦いの最中に童子や姫を生み出されたら色々と面倒だ。
 舌打ちを一つ鳴らした後、次狼がギロリと睨んだ瞬間。自分達を囲むクグツの向こうで、別の影が揺らめき……
「フン。御方が眠る神聖なこの森に、穢れ、濁った臭いを撒き散らしおって!」
 「影」は瞬時に形をとると、一直線に男のクグツの一体を捕え、そのまま地面に向かって勢い良く叩きつけ……そして次の瞬間、クグツは大地に「突き刺さった」。
「何……?」
 何が起こったのか、三人には理解できなかったらしい。
 地面から足だけを生やし、ピクリとも動かなくなったそのクグツと、それを行った異形を、ぽかんとした表情で交互に眺める。
 一方でクグツ達の方は、現れた存在を敵と認識したらしい。手駒を増やすべく、持っていた「童子や姫を生み出す杖」を振り上げ……
「させると思うか、傀儡共」
 今度は女の声が響く。直後、ひゅるりと空気を裂く様な音が鳴り、クグツ達の持っていた杖は彼らを囲っていた霧と共にすっぱりと切り払われた。
 その声でようやく何が起こったのかを理解したらしい。次狼は口元に苦い笑みを浮かべると、声がした方……自身の鼻の利かぬ風下に目を向け、声をかけた。
「久し振りだな、白刀風虎。風下からの登場とは、相変わらずいけ好かん女だ」
「使える者をここで失うつもりもない。しかし……コーヒーで買収されるなど、安い魔狼だな」
 そう言いながら次狼の横に立つのは白い女、白刀。そしてクグツを地面に突き刺したのは犬の顔をした異形、ファミリアーリス。
 集合する際に会うだろうとは思っていたが、まさかこの森……しかもこのような状況下で会うとは次狼も、そして白刀も思っていなかったらしい。互いの顔には苦笑が浮かんでいる。
「それだけの価値のあるコーヒーだった。俺は美味いコーヒーには見合った対価を払う」
「うん。僕も美味しかったと思うよ」
「俺も。美味かった。また……飲みたい」
「オイ貴様ら……仲良く談笑している場合なのか? いい加減さっさと手伝え! この魔物共がっ!」
 中央で穏やかな空気を撒き散らし始めた面々に、一人でクグツをひたすら埋めていたファミリアーリスが怒鳴るように声を荒げる。
 どうやら彼は、基本的に貧乏くじを引くタイプらしい。そう言えば最初に出会った時も同じような事を怒鳴っていたと思い出しながらも、白刀は素早く周囲に目を走らせた。
 その横では、攻撃態勢に入った次狼達が、クグツを引き裂くべくその身を構えている。
「犬如きに大きな顔をされては堪らんからな。手伝ってやる」
「上から目線で偉そうに言うな、狼男が」
 次狼の馬鹿にしたような声に、ファミリアーリスが忌々しげに言葉を返す。
 そんな二人に、ラモンは呆れたような視線を送り、力は関心がないのかきょとんとした顔を見せている。そして白刀は、深い溜息を吐き出すと……
「無駄に高いプライドをかけていがみ合っている所に悪いが、見た事のない型の姫がいるぞ」
 彼女の言葉に反応してなのか、立ち尽くすクグツ達の向こうへ目を向ける面々。そしてその視線の先には、修道服を纏った女の姿があった。
 顔は女型のクグツや姫と同じ物。ただし、修道服を着た姫やクグツなど聞いた事がない。魔化魍は基本的に、「和風」を好む。明らかに洋風な修道服など、着るはずもないのだが、実際目の前にいる以上、やはり敵なのだろう。
 そう認識すると、彼らは真っ直ぐにその「修道服の姫」を睨み付け、攻撃態勢に入るのであった。
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