英雄の笑顔、悪者の涙

【その29:休みながらもイマジン探し】

 西暦一九八六年八月七日。
 未だ、日本と言う国が経済成長を続け、有形無形関わらず、欲しい物は金で買えると思っていた時代。
 その時代に、マーチヘアイマジンは現れた。契約者の体を通って。
「へぇー。ここがバブル絶頂期の日本かぁ。おお、まだドイツが東と西に分かれているし、ロシアじゃなくてソビエト連邦になっている。面白いね。面白いから紅茶を飲もう。ねえ、マッドハッター!」
 近くにあった世界地図を眺めながら、彼は自分の相棒に向かって声をかけた。
 否、かけたつもりだった。
 だが……振り向いた先に、目的の人物はいない。それどころか、乗っ取ろうと思っていた契約者の姿もない。
「……あり?」
 相手がワームである事を、すっかり忘れていた。さっさと憑依して乗っ取ってしまえば良かったのだが、どうやら放置している間にあっさりと自我を取り戻し、自分の姿を見てクロックアップだか何だかで逃げたらしい。
――相手を人間の感覚で放置していたのがマズかったかなぁ? 臆病なくせに、その辺の抜かりはない奴――
 チィ、と軽く舌打ちをしながら、マーチヘアはきょろきょろと周囲を見まわす。やはり、マッドハッターはいない。一緒に通ってきたのだから、一緒に現れると思ったのに。
 それを奇妙に思わなくもないのだが、いない者を探してもしょうがない。
――ああ、なんてつまらないんだろう――
 いらり、と奇妙な苛立ちが彼の胸を占める。自分を知る者が誰もいない。それがこんなにもつまらない事だとは、思っても見なかった。
「つまらない、つまらないなぁ。マッドハッターがいないのはつまらない。よし、今日はつまらない記念日だ!」
 だばだばと紅茶を垂れ流しつつ、苛立ちを隠すようにわざと明るくそう言った彼は、そのままぴょんと大きく飛び跳ね……そして、その周囲の建物を破壊し始めたのである。

「いらっしゃい」
 この時代に到着した翔一達は……まず、近くにあった喫茶店に入った。
 「現代」ほどではないが、この時間は夏真っ盛り。濃い色をしている警官の制服を着ているヒビキには、閉口したくもなる状況だったらしい。
 いかに普段鍛えているとは言え、着慣れない服でこの暑さ。流石に眩暈の一つや二つ、起こしてもおかしくはない。
「あー涼しい……生き返るね~」
「おっさんかよ」
「おっさん呼ばわりは否定したいが、少年に比べたら年上です」
 幸太郎のツッコミに対して、ヒビキは特に気にした様子もなくのほほんと声を返す。シュッと言う、普段の敬礼じみたポーズ付きで。
 それを見ながら、軽く呆れたように溜息を吐き……幸太郎は外を見やる。
 ここから見える範囲では、少なくともイマジンが暴れている様子はない。探すのは、もっと街中か……
 思いながらも、外でゆらりと立つ陽炎を見ると、その気も失せると言う物だ。先にも述べたが、夏真っ盛りではある物の、現代に比べればそれなりにマシである。
 マシではあるのだが……それでも、暑い。デンライナーの中で留守番をさせているテディが、少し羨ましかった。
 この暑い中、彼に変装させるのは流石に気の毒だろう。色々と。
 などと思いつつ、幸太郎がふと窓の外から扉へと視線を向けた刹那。カラン、とドアベルが鳴り、そこに一人の青年が入ってきた。
 片手にバイオリンケースを持ち、何故だか妙に疲れた顔をしている。二十代前半だろうか、仕草がいちいち気障ったらしく見える。
 その後ろには、彼らにとって妙に見覚えのある顔の青年が立っている。そう、先程オロチと戦った時にいた……トウキと同じ顔だ。
 しかし、彼がこの時代まで生きているはずがない。生きていたら相当な年齢。流石にお亡くなりになっているだろう。
 となると、ヒビキの脳裏に浮ぶのは、弦の使い手だった、今は亡き鬼。
「……ザンキさん……!?」
――いや、違うか――
 自分で驚いたように呟きながら、同時に心の中で否定する。
 トウキが生きていたら相当な年齢だと思うのと同時に、この時間ならザンキもまだ相当若いはず。子供と言っても過言ではない。
 恐らくは「他人の空似」と言う奴なのだろう。世の中には同じ顔の人間が三人いると言う。
 一方で、ユウスケはもう一人の……バイオリンケースを持っている方の青年に、妙な感覚を抱いていた。
 こちらの方も、見た事があるようなないような。
 いつか巡った世界で、何やらうだうだと自分の友人に向かって言っていたような気もするのだが、どうにも思い出せない。
――うーん、どこで見たんだっけなぁ?――
 首を軽く捻りながら考え込むが、どうにも思い出せない。よく似た他人を見たと言う可能性も否定できないだけに、余計に頭がこんがらがっているのかも知れない。
 そんな彼らに気付いていないのか、マスターはにこ、と嬉しそうに笑って……
「あれ、次狼ちゃん久し振り。どうしたの、最近は顔出さなかったけど」
「まあ、色々あってな」
 マスターの言葉から察するに、ザンキに似た方、次狼と呼ばれた男はしばらく離れていた元常連か何かなのだろう。随分と親しい印象を持った。
 だが……翔一には、本能的に理解できる。その男が、人間ではない事が。
「何だ、犬っころ。俺の後をつけやがって。美女なら大歓迎だが、男につけられても、嬉しくも何ともない。と言うかむしろ気色悪いぐらいだ。見ろ、この鳥肌を」
「フン。久し振りにこの店に顔を出そうと思ったら貴様がいた、それだけだ。それから音也、何度も言っているが、俺は狼だ。……ああ、そうか。貴様の頭では狼と犬の区別もつかなかったな、すまん、忘れていた」
 何故だろう。二人の男の間に、バチバチと火花が散っているように見えたのは。
 それにも拘らず、随分と仲が良さそうにも見える。親友と言うよりは、悪友とか腐れ縁と言う関係に当たる存在が、こう言った会話をするような気がする。
 微笑ましく思いながら、その二人をヒビキが見つめた……刹那。
 次狼と呼ばれていた男が、渋い顔で窓の外に視線を送る。それとほぼ同時に、翔一も眉根を寄せて同じ方向を見やった。
「どうした?」
「この感覚……さっきのウサギだと思います」
 天道に問われ、小声で翔一が答える。
 感じ取れたのはマーチヘアイマジンの気配。だが、そのすぐ近くに、もっと別の……今まで感じた事のない、奇妙な気配も感知できた。
 本能的に、その気配が自分の……いや、自分達の敵である事も、何となくだが理解できる。
 真剣なその表情に、何かを感じ取ったのだろう。ヒビキ達は無言で頷くと、カウンターにお代を置いてその場から駆け出していった。

 デンライナーで留守番を任されていたテディは、幸太郎の不運から来るであろう怪我を心配しながらも、一足先に暴れているマーチヘアイマジンを発見、どこかの駐車場らしき建物の中で、そのにんじん色の派手な存在を追跡していた。
 しかし……おかしい。
 一緒に飛んだはずのマッドハッターイマジンの姿が見えない。
 どこかに隠れていて、自分は誘い込まれているのかも、と思わなくもないのだが、それにしてはマーチヘアの様子が妙だ。
「マッドハッター!? どこ行っちゃったのかな~? 僕はここだよ、マッドハッター」
 風に乗ってそんな言葉まで聞こえてくるところをみると、はぐれてしまったと考えるのが妥当な所か。
――どちらにしろ、これ以上イマジンを放っておく訳にはいかないか――
 そう、テディが思った刹那。
 マーチヘアの進路上に、一人の女性が姿を見せた。
 長い髪が風にたなびき、気の強そうな印象の目。手に、銀色の棒の様な物を持っているように見える。そんな彼女の姿を見止めたらしいマーチヘアが、ケタケタと笑いながら彼女に向かってソーサーを投げる。
「危ない!」
 距離的に、助けに入るのには間に合わないと瞬時に悟り、テディは声を張り上げてそう怒鳴る。が……次の瞬間、聞こえたのはソーサーによって彼女の皮膚が裂かれる音ではなく、逆にソーサーが何か……彼女の手にある、銀の棒が伸びた鞭状の物によって叩き落とされた音だった。
 一瞬、何が起こったのかわからなかったのだろう。マーチヘアは笑うのをやめて、目の前にいる女性をまじまじと見つめる。
 そんなマーチヘアに、女性は真っ直ぐに視線を向けながら言葉を紡ぐ。
「神は、過ちを犯した。それは、お前達ファンガイアを生んだと言う過ち」
 ひゅ、と鞭で空を切りながら、彼女はギロリとマーチヘアとテディを交互に睨みつける。
 ファンガイア、と言うのが何者なのか良く分らないが、どうやらイマジンである自分達を敵として認識しているらしい。
 無論、テディに敵意はないが……いかんせん、見た目が「青鬼」。彼女が敵視する理由も、不本意ながら理解できる。
「追っていた奴とは違うみたいだが……ファンガイアは許さない。絶対に!」
「ふぁんがい? 何ソレ何ソレ? 訳がわかんないやっ! 分らない記念に紅茶の用意だっ!」
 キャハハと甲高い声をあげ、またしてもマーチヘアはソーサーを女性に向けて投げ、ついでと言わんばかりにテディにも投げ飛ばす。
 しかし、女性の方はそれを手の中の武器で叩き落とし、テディは預かっていたドレイクゼクターで撃ち落す。本来なら幸太郎が持っているべきなのだが、銃撃を得意とするのはテディであって幸太郎ではない。テディが彼の傍にいない上、相手がワームではなくイマジンだと言うならクロックアップの必要もない。
――護身用にと渡されたのが、功を奏したな――
 心の中で苦笑気味に思いつつ、テディは自身に向いたソーサーを全て落とした後、女性に向けられているソーサーも落とす。
 殆どは女性自身の手で落とされているが、いくつかは彼女の死角を縫って彼女の体を裂くべく飛んでいる。
 パリンパリンとソーサーの砕け散る音の後、マーチヘアはさして不快そうな様子も見せず、ただただ笑う。
「なはは~ん。お姉さん格好良いねぇ。ソーサーが落とされた記念に紅茶を飲もう」
「ふざけるな!」
 パチパチと手を叩き、馬鹿にしたような態度を示すマーチヘアに怒りを覚えたのか、彼女は鋭くそう言葉を放つと、手元の鞭状の武器を振るう。
 だが、それをマーチヘアは軽々とかわすと、彼曰く強酸性の紅茶を彼女めがけて思い切りぶちまけようと構えた。
 それに気付いたテディの方が、少しだけ早かったらしい。
「させません!」
 その言葉と共に、彼はマーチヘアの懐に入り込むと、ティーポットを持っている右手を思い切り蹴り上げ、ヒットアンドアウェイの要領で女性と共にすぐさま相手との距離をとる。
 蹴り上げられたティーポットの中身は、空中で派手にぶちまけられ、真下にいたマーチヘアを襲う。
「熱っ! 熱ぅ! 紅茶熱ぅっ!」
「自業自得です。と言うか、酸による痛みよりも、温度による被害の方が大きいとは、どう言う事ですか」
 人間で言うならば、「軽く眉を顰めた状態」と言う表情だろうか。呆れたような、心底不思議そうな、何とも表現しがたい声で、テディは熱さでジタバタと暴れているマーチヘアに向かって問う。
 ……答えてくれるとは、思っていないが。
「お前……ファンガイアの癖に、私を助けたのか?」
「私はファンガイアではありません。テディです」
「ファンガイアじゃない、だと? じゃあ、何者なんだ?」
「今は、詳しい事は言えません。ただ、あなたの敵ではないとだけ認識して頂ければ」
 ぺこりと頭を下げながら、自分の後ろで訝る女性に挨拶を返す。
 いつもならもう少しゆっくりかつ丁寧に挨拶をするところだが、今はそう言う訳にも行かない。目の前にいるマーチヘアを、倒さなければならないのだから。
「……もぉっ! 何なんだよぉ!! マッドハッターはいないし、紅茶は熱いし。あ、でもこれ以上温くなると茶葉が開かないか」
 落ちてきたティーポットを上手に受け取りながら、にんじん色のウサギはその体を少しだけ紅茶色に染めつつも、まるで何事もなかったかのようにそこに立つ。
 やはり、紅茶も相手の一部と言う事なのだろうか。全くもって厄介な相手だと、テディは心の中でのみ苦笑した。
 彼の周囲のコンクリートは、じゅうじゅうと音を立てて溶けているというのに、彼自身は酸にやられた気配がない。平然とその紅茶を飲んでいた事、そして垂れ流しても手が焼け爛れていた雰囲気もなかった事を考えれば、酸に強いであろう事は容易に予測できた。
 ……と言うか、手に引っ被っていたのだから、紅茶が熱い事ぐらいは予測できそうなものだが。
「……無神経なのでしょうか?」
「何サラッと失礼な事言ってるの、青鬼ちゃん!? 流石にそれは頭に来たなぁ。他にも色々頭に来た。……頭に来た記念日だ。今日は紅茶を飲まないで……この時間を、徹底的に壊しちゃおう!」
 ポツリと漏らしたテディの言葉に対し、マーチヘアはむぅと唸りながら言葉を返す。その宣言にも似た言葉の直後、マーチヘアを中心に、空気がビリと震える。
 元々どこか螺子の外れている様子のあるイマジンだったが、今はそれに輪をかけて螺子がぶっ飛んでいる。目には狂気の色が宿っているのが見て取れる。視界に自分達が入っているのだろうが、おそらくは「見えていない」だろう。そう言った相手は、どこまでも暴走する。宣言通り、この時間を破壊してまわるつもりだろう。
 舌打ちをしたい気分に駆られながらも、テディは嫌な物を感じ取ったのか、後ろに立つ女性を、所謂「お姫様抱っこ」のポーズで抱え……
「ちょっと! 何やってるんだ、降ろせ!」
「申し訳ない。少しだけ我慢して下さい!」
 テディが言った、その瞬間。
 マーチヘアの周辺三百六十度余す所なく、彼の持つソーサーが放たれ……轟音が、その場に響き渡った。
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