英雄の笑顔、悪者の涙

【その24:憂いて奔走】

「馬鹿な事してまったなぁ。仲間割れなんてよぉ……」
「うむ。儂もまだまだ修行が足りん」
 村から少し離れた所で、キラメキとトウキがぼやく。
 他の鬼達も、どこか落ち込んだような表情でその場に座っている。
 人に襲われたという事実もそうだが、仲間割れをしたと言う自分達の愚かさにも落ち込んでいるのだろう。ヒビキが来なければ、互いに殺しあっていたかもしれない。
 ……自身の敵は、人間やお互いではなく、魔化魍だというのに。
 そんな事を考えていたその時、少し離れた場所に座っていたヒビキに向かって、駆けて来る一人の少年がいた。
 あれだけヒビキを嫌い、憎んでいる少年……明日夢だと気付くのに、そう時間はかからなかったが……
 流石に驚いたのか、ヒビキは少しだけきょとんとした表情を見せる。
「どうした、少年?」
「……本当は、お前に頼みたくなんかないけど……」
 息を切らせ、悔しそうにその顔を歪めながら、明日夢はヒビキにそんな言葉を放つ。
 ……随分と嫌われたものだと悲しく思う反面、当然かと納得する自分もいる。
 自分が見殺しにしてしまった「たった一人の弟子」は、目の前に立つ少年にとっては「たった一人の肉親」なのだから。恨まれても仕方がない。鬼である事をやめても、ヒビキが背負った「業」が消えないように、彼の恨みもまた消えないだろう。自分で自分が許せないのに、彼が自分を許してくれるはずがない。
 そう思うヒビキの傍らで、明日夢は今にも泣き出しそうな表情で深々と頭を垂れると……吐き出すように、言葉を紡ぎだした。
「頼むよ。ひとえを助けてくれ」
「え?」
「魔化魍の呪いを受けてるんだ。もうアンタに縋るしかないんだよ!」
 半ば襟首を掴むようにしながら言う明日夢の必死さと、「魔化魍の呪い」と言う単語に反応したのか、ヒビキの表情が、普段のどこかのんびりした印象から、キリと真面目な物に変わった。
 この村では、「魔化魍の呪い」を受けた者を年に一人、生贄として出す習慣があると、以前猛士に聞いた記憶が蘇る。
 そして、その忌まわしい因習を断ち切るために、自分は鬼になるのだとも言っていた。
 魔化魍にかけられた呪いは、かけた魔化魍その物を倒さねば解決しないが、症状を緩和させる方法ならヒビキの知識の中にある。
「分かった。その場所へ案内してくれ」
「うん。こっちだ」
 力強く頷くと、明日夢はひとえのいる小屋に向かって駆け込む。
 先程見たひとえは、高温にうなされ、額にじっとりと汗をかいていた。苦しそうに呻き、彼女の掌に施された呪いの印は紅く染まり、その様は血が滴っているように見えた。
 今は彼女をカブキが介護している。ヒビキを呼べと言ったのも彼だ。
 派手だけど、子供が好きで……他人の事をおもんぱかってくれる心優しい鬼。それが、明日夢の抱くカブキへの印象。
 今回、鬼達に助けを乞うた時も、カブキが最初に承諾してくれた。
 だからかもしれない。明日夢の中でカブキと言う名の鬼は、信頼する兄貴分のようだった。
 だが……明日夢とヒビキが小屋に駆け込んだ時、その視界に入ったのは……怯えきったひとえと、その首を絞めようとしている、カブキの姿。
「カブキ!?」
 何をしているのか分からないと言った風に、明日夢は彼の名を呼ぶ。その瞬間、僅かにカブキの体が震えた。少なくとも、ヒビキにはそう見えた。見られたくなかったと、言外に言っているような……
 カブキの締め上げから解放されたひとえは、恐怖に慄いた表情のまま、ヒビキの後ろへ逃げるようにして隠れる。カブキに、並々ならぬ恐怖を抱いているように。
「……どう言う事だよ?」
 明日夢のその問いに、彼は静かに目を伏せる。まるで何かを諦めたような、残念そうな……そして、今にも泣き出しそうな、そんな表情で。
 そんな彼の姿を、ひとえが恐る恐ると言った風に指差し……そして、告げる。明日夢にとっても、そしてヒビキにとっても驚愕の真実を。
「この人が……殺したんです。この人が」
「お、おい。ちょっ、ちょっと。どう言う事なんだよ? 聞かせてくれよ?」
 彼女の言葉に驚いたように、ヒビキは不審そうな声でカブキに問う。
 もしも、彼女の言った事が本当なら。先程聞いた、「村人を殺した鬼」と言うのはカブキだと言う事になる。しかし……見間違いである可能性も高いし、何よりカブキの口からそれを肯定する言葉は出ていない。
 例えこの小屋に入ってきた際、自身の後ろにいる少女の首をへし折ろうとしていたように見えても、それは何かの見間違いかもしれない。
 心の中で信じたい気持ちと、得体の知れない恐怖を感じつつ、明日夢とヒビキは真っ直ぐにカブキに視線を向けると……彼は、苦笑にも哄笑にも聞こえる、何とも言えない笑い声を上げた。相変わらず、何かを諦めたような表情のままで。
「ふふっ……ははははは」
 そうして一通り笑い終えると、軽く一つ溜息を吐いて……カブキは言葉を紡ぐ。それは今まで聞いた事のないような、暗く絶望に満ちた声。
「バレたか。村の奴等に、もっと鬼を憎むように仕向けたかったんだ。俺の思惑通り、馬鹿な鬼共は仲間割れをしやがって。お前さえ来なければ、あいつらは潰し合っていただろうな」
 心底苛立ったように言いながら、カブキはヒビキの視線を受け止める。
 ヒビキに返す視線に、怒りと蔑み、そして……ほんの僅かな安堵の色を交えて。
「……わかんないな。何が狙いなのか」
「狙い? 鬼を倒すのが俺の狙いだよ。そう言う約束で、俺は魔化魍になった」
 それは、その場にいた人物にとって衝撃の事実。
 「鬼」であるカブキが、人間に絶望して対極に位置するはずの「魔化魍」になったと言うことが。
 何より、彼はずっと言っていた。「人間を守るのが鬼の仕事だ」と。それなのに……
「魔化魍? お前が?」
「嘘だ! だって……あの時……魔化魍と戦って、村を助けたじゃないか」
「戦ってた? ああ、あいつの事か」
 そう言って、カブキは明日夢達の背後に視線を向ける。その視線をたどるように、彼らもゆっくりと振り返ると……ちょうど、煙のようなものが何かの形を作っているところだった。
 やがてその煙は、緋色の鎧を纏った異形と化す。
「紹介してやるよ。俺の可愛い仲間だ」
 それは、最初にカブキと出会った時に彼が戦っていた魔化魍だった。
「全部芝居だったんだよ。俺がこいつに村を襲わせた」
 美人局つつもたせと呼ばれる詐欺がある。美女が男を誘惑し、手を出そうとした瞬間に別の男が乱入、「俺の女に手を出すとは」と難癖をつけ、金品を巻き上げるという手口だ。勿論、女は後からやってきた男と共犯。最初から金品目当てに誘惑をするのである。
 カブキが働いたのは、それと似たような物だ。最初に魔化魍をけしかけ、それを倒すと見せかけて謝礼を要求する……そうだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「何で……? 何でそんな事を!?」
「……嫌気が差したんだよ。大人の人間共の愚かさによぉ。いくらあいつ等の為を思って働いてやっても、奴等は俺を『鬼』と言うだけで見下しやがる。馬鹿にしやがる」
 理解は出来ても、未だ信じられないと言った様子で問いかける明日夢に、カブキは瞳に深い絶望の色を宿してそう答えた。
 人間を守るのが鬼の役目。
 ずっと彼はそう言い続けてきた。それは、紛れもないカブキの本心であったに違いない。だが……同時に、皆を騙すための嘘でもあったのだ。
 いくら人を守っても……自分が「鬼」である以上、化物と同じ扱いを受ける。人間をやめた愚か者と言う札を貼られ、どこへ行っても受け入れてくれる存在はない。
 その事実に、カブキは耐える事が出来なくなったのだろうか。彼はその暗い瞳のまま、掠れる様な低い声で、冷たい告白を明日夢に送る。
「そんな腐った人間共に復讐するために、俺は魔化魍になった」
 魔化魍になった。
 その一言に、明日夢は我知らず「嘘だ」と繰り返す。だが、そんな彼の衝撃すらも、もはやカブキの「闇」を払う事は出来ないらしい。
 低く、彼自身が呼んだ魔化魍に、たった一つの命令を下す。
 無慈悲で、絶望に満ちた命令を。
「やれ」
 カブキの言葉に答えるように、魔化魍は三人に向かって襲い掛かる。だが、真っ先に我に返ったヒビキが、明日夢とひとえを庇うようにその行く手を遮り、押さえ込む。
 やめたとは言え、彼もまた元は鬼。魔化魍の動きを抑え込む事は、本当は造作もない事なのだ。
 普段は、彼の心に根を張る、弟子を死なせたと言う自責の念が邪魔をしているだけで。
 そんなヒビキをよそに、明日夢はただこちらを見ているカブキに掴みかかる。信じられなかった。優しくて、誰よりも人間を思っていると信じていたカブキが、実は魔化魍と通じていたなどと。だが、背後で戦う気配は紛れもない現実。それが理解できると同時に、彼の嘆きが怒声となって飛び出たのかもしれない。
「どう言う事なんだよカブキぃっ!」
「……俺は魔化魍だ! 人間は嫌いだ。分かったか!」
 明日夢にそう告げると、カブキは彼を軽く放り投げ……その姿を、呼んだ魔化魍と共に消した。
 ……カブキと言う男が、魔化魍と通じていたと、村人や鬼に知れ渡るまで、そう時間はかからなかった。

「どうします、ヒビキさん? このままじゃ……」
 カブキの裏切りが発覚した直後。
 ユウスケは困ったように自身の隣に立つ現代の鬼に向かって問いかけた。
 それでなくとも、村人の持つ「鬼への不信感」は大きかったのだ。そこに、カブキの裏切り。しかも、魔化魍についたと言う最悪の状況まで付属している。
 幸運な事にユウスケの知る「鬼から変じる魔化魍」……牛鬼ギュウキと呼ばれるそれになっていないらしいのは救いかも知れないが、村人にとってはカブキが「魔化魍側の鬼」であると言う事実さえあれば充分だ。
 村人が完全に鬼を信用できなくなり、鬼達もまた、この村を救えないと言って去っていくのは火を見るより明らか。
 ひょっとすると、人の良いトドロキやイブキ辺りは残ろうとするかもしれないが……それでも、オロチは一人や二人程度で勝てる程甘くないであろう事は、容易に想像できる。
 自分達にできる事は、なにひとつとしてないのかもしれない。自分達がしゃしゃり出ても、村人に追い返されるだけ、と言う気がする。
 だからと言って、このまま放っておけば、この村は永遠に毎年誰かを犠牲にして行かなければならないのも事実。それは、ヒビキにとって……そして、他の面々にとっても許せない事である。
「……なあ青年。俺達の行動は、どこまでが許される?」
「どこまでって言うと?」
「例えばこの時代で、誰かと会って話すとか……」
 その言葉で、ヒビキが何を言い出そうとしているのか理解したらしい。軽くその眉を顰めると幸太郎は半ば睨むような目でヒビキを見つめながら、答えではなく逆に問いを返した。
「……つまり、先回りして連中を連れ戻すって事か?」
「そう。……それは、許容範囲なのかな?」
 幸太郎の目を真っ直ぐに見つめ返し、ヒビキは再度彼に問う。
 そんな幸太郎の横ではテディが困ったように二人を交互に見つめ、ヒビキの後ろでは彼を後押しするように翔一達が幸太郎の反応をうかがっている。
 そんな彼らの様子に、幸太郎は深い溜息を一つ吐き出し……
「……『電王』としての立場で言うなら、それは勧められない」
「少年……」
 キッパリと言い放った幸太郎に、ヒビキはあからさまに落ち込んだように目を伏せる。
 勿論、分っている。自分達の行動が、過去を変え、その先の未来をも変える事になるかもしれない可能性が大きい事を。
 そもそもはそれを止める為の旅なのだから。
 そんな彼を見て、幸太郎は再び溜息を吐き……その顔に苦笑を浮かべると、更に言葉を続けた。
「でも、俺個人……野上幸太郎としての意見は、あんたらと同じだ。あいつらの力がないと、オロチって奴は倒せないんだろうし、それに……」
「それに、何だ?」
「どうせ何言ったって、あんたらはあいつらを連れ戻すつもりなんだろ? そういう奴は止められないって事は、祖父ちゃん達と行動して嫌という程思い知らされてる」
 その言葉に、ヒビキの顔に喜色が浮く。端で聞いていた翔一達も、どこかほっとしたような表情で幸太郎を見やった。
「ただ、こっちに逃げ込んできた『蜂』の事もある。誰か一人は、残らないといけないけどな」
 その一言で、明日夢を狙っていた蜂の存在を思い出し……面々は手分けして、鬼の説得と村にいる明日夢の護衛を行う事にしたのであった。

「何だぁ、おみゃあさん?」
 後ろ髪を引かれる思いで村を後にしたキラメキの前に、一人の青年がその姿を見せた。
 年齢は自分より少し上だろうか。髪が短い所を見ると、僧侶かとも思ったが、出で立ちからしてそれはない。
 それに……鬼としての勘だが、この青年は人間とは少し違う。鬼と同じようでいて、僅かに違う「何か」だと直感できた。
 とは言え、魔化魍のような禍々しさもないが。
「本当に、良いんですか?」
「何を?」
「あなた、言いましたよね。皆の居場所を守るって。それがあなた達の仕事だって」
 青年に真っ直ぐ見つめられ、キラメキはふとその顔を背ける。
 自身の名以上に、青年の方が煌いて見える。確固たる信念に裏打ちされた意志があるように感じられた。
 どうして彼が、「皆の居場所を守る」と言った事を知っているのだろうと疑問に思わなくもないが……ひょっとすると目の前の青年は、自分の「村人を救いたい」と言う気持ちが生んだ幻なのかも知れない。そう思うと、何故か急に楽になって……仲間の前では、決して吐かなかった言葉を紡ぐ。
「……ほんなこと言っても……カブキの言い分も分かるんだよ」
 そう、分かるのだ。感謝して欲しくて鬼になった訳ではないが、守っても守っても、人間は自分が「鬼」であるだけで邪険に扱う。恐怖と嫌悪の混ざった眼差しを向け、蛇蝎の如く忌み嫌う。
 それが、不満でないと言ったら嘘になる。むしろそんな視線を向けられれば、噛み付くように怒鳴り散らす事だってしょっちゅうだ。
「それに、俺は正直言って……怖え」
「……人に拒絶されるのが、ですか?」
「違う。人に拒絶されて……人に絶望しそうになる、俺自身が怖え」
 青年に答え、キラメキはじっと自分の手を見る。
 人を守るために、魔化魍の血に濡れた手。それを見て、恐怖する人間。その時の目は、魔化魍を相手にする時よりも恐怖したし……それ以上に、そんな人間に向かって鬼の力を振るいそうになる自分が、一番怖かった。
「……そうやって、逃げるんですか?」
「逃げる?」
「人に拒絶されるのが怖くて、それで人を見殺しにする……それは、逃げです。でもそれってきっと、いつか逃げてる自分が嫌になって、美味しい物も、美味しいって感じられなくなる事だと思うんです。……そんなのは、嫌じゃないですか? 少なくとも、俺は……嫌でした」
 静かに青年はそう言うと、くるりとキラメキに背を向け、歩き出す。
 ……自分が出て行った、村の方向へと。
「どこに行く気やか?」
「戻ります。俺、皆の居場所を、守りたいですから」
 最後に飛び切りの笑顔を向け。青年はさっさと村の方へと駆け出していく。
「……俺は……また、逃げるのか……?」
 一人呟くキラメキのその問いには……誰も答えてはくれなかった。

「出てきたらどうだ?」
 村を出てから、ずっと後をつけて来る気配に、一人になったハバタキは立ち止まって声をかける。現れたのは、二十代前半位のやや垂れ目気味の青年。
 彼も、声をかけられるのを待っていたのだろうか。軽く一つだけ呆れたような溜息を吐き出すと……
「ハバタキとか言ったな。この程度の事で諦めるとは情けない。お前は、人間に拒絶されるのが怖いだけだ」
「……そうかもしれないな」
 唐突に、かつ容赦ない青年の言葉を投げられる。彼にそれを指摘される謂れはないのないだが、ハバタキはその言葉を否定できないでいた。
 妻子のある身ゆえに、余計に痛感しているのだろう。自身が否定される恐ろしさを。だが、そんな彼を、青年は呆れたような……どこか侮蔑すら混じった視線を向けて、更に言葉を紡ぎ出す。
 ハバタキが、心の奥底で思っていた言葉を。
「大切な者を失う辛さは、お前にも分かると思ったが……」
「そうだな。だが、今のあの村は……」
「俺なら、例え世界の全てを敵に回しても、守るべき者を守る。人間からアメンボまで、全ての命を。他人がどう言おうが関係ない。俺は俺の道を歩く」
 天に人差し指を突き出し、青年はハバタキに……そして彼自身に言い聞かせるようにして、そう言い放った。その仕草は堂々としていて……確たる信念を持っている事をハバタキに痛感させる。
 だが、自分もかつては彼と同じような想いを持っていたはずではなかったのか。
 「人を守る」という確たる信念を持って鬼となり、知り合った女性と連れ合い、愛する者を守る為に、この旅に参加したのではなかったのか。何を敵に回しても、大切な者を守ると誓って。
 それに比べ……今の自分は何と情けないのだろう。青年の言う通りだ。
 他人にどう思われようが関係ない。自身が守りたいと願ったのだ、その我を通すくらいの度量は、この広い世界は持ち合わせているはず。
 それに……今戻ったら、自分を送り出した妻に、どんな顔をすれば良いのか。
 後悔と自責の念に駆られた毎日を、過ごす事になるのではないのか。そんな顔で過ごして、彼の妻や子供を幸せにできるのだろうか。
「……そう、だな。思い出した」
「フン。死んでいた目が、生き返ったな」
 不遜な態度で言う青年に、ハバタキは苦笑を返し……そしてふと、思い出したように問いかける。
「……何者なんだ、君は?」
「俺は……天の道を往き、総てを司る男だ」
 それだけ告げると、青年は自身の役目は終わったと言わんばかりに、村の方へと引き返していく。
――天を舞う鬼である自分の前で、「天の道を往く」とは、随分出来すぎた話じゃないか――
 そう心の中でのみ呟いて……ハバタキもまた、村への道を駆けるように辿り始めた。

「戻れよ」
「はぁ? 何や、お前?」
 唐突に声をかけられ、振り返ったニシキの視界に入ったのは、十六、七位の青年。髪色が微かに茶色いが、潮風に当たってそうなったと言う感じではない。
 村に戻れと言う意味なのだろうが、彼の纏う空気は村人のそれとは違う。もっと洗練された……鬼と同じく、戦う者特有の物だが、鬼のように鍛えている訳でもなさそうに見える。
 随分と不思議な雰囲気を纏う奴だと思いつつ、ニシキは彼をじろじろと見やる。一体、どこからついてきたのだろうか。金目の物は持っていなさそうだが……
「金の為って言う、アンタの主義にケチをつけるつもりはない。けど、魔化魍を何とかできるのは、アンタら『鬼』だけなんだろ? 俺じゃ……俺達じゃ、どうにも出来ないんだよ」
 彼はやはり、自分をあのどうしようもない村へと戻したいらしい。冗談ではない。
 金もない、感謝もない、物もない。あるのは恨みと負け犬根性だけ。そんな貧乏を絵に描いたような村人を助けて何の得があると言うのか。
 「金があれば何でも出来る」を信条にしている身としては、「骨折り損のくたびれ儲け」は真っ平御免なのである。
 埋蔵金だって、きっとカブキの作り話だ。自分達鬼を集め、そして共倒れさせる為の。
――そりゃあ、ひょっとしたら埋まっているかもしれんけど、かなりの望み薄や。そんな博打はせぇへん。俺の念願はそんなんとは違うんや――
「……ま、お前が何者でも構へんわ。今回の一件、金出ぇへんし、付き合う義理も義務もないわ」
「義務ならあるだろ」
「んあ?」
「アンタ、鬼なんだろ? だったら魔化魍を倒す義務を背負ってる。背負うと分っていて、鬼になったはずだ」
「アホか。そんなどこの義賊や。慈善事業ちゃうねんぞ」
 ハンと鼻で笑うニシキの言葉に、青年がきつく眉を顰める。
 何を思われようと、何をするにもこの世の中は金がいる。確かに魔化魍を倒すのは鬼である自分に課せられた義務かも知れないが、何もオロチなどと言う強大な魔化魍と戦わずとも良い。バケガニやヤマビコ、ツチグモなどを細々と相手にしつつ、適当な成金辺りから金を巻き上げていれば、充分に義務を果たした事になるはずだ。
 そんなニシキの考えが伝わったのか、青年は一つ大きな溜息を吐き出すと、何の感情も抱いていない……まるで路傍の石を見るかのような視線を彼に送って、言葉を紡いだ。
「……分かった。もう止めない。最初から他人に頼ろうとしてたのが間違いなんだ」
「……ちょぉ待て、まさかお前!?」
「俺達だけでも、オロチって奴を止める。……電王としての俺の義務もあるしな」
 困惑するニシキをよそに、青年はくるりと踵を返すと、そのままスタスタと歩き出す。
 その背は、もはやニシキに何の期待も抱いていない事を物語っている。
「何や、俺を連れ戻しに来たんちゃうんかい……」
 一人ごちつつも、ニシキは村とは反対方向を向き…………その足が、止まる。チラチラとどこか寂しそうに振り返っては、先程の青年の背を見つめ……
「……あぁぁぁ、あかん! オロチの事が気になって何を盗もうか考えられへん!」
 そう言うと、彼は再び村へと歩き出す。
 自身への言い訳のように、何度も何度も、埋蔵金の夢が見たいから行くのであって、決してあの青年が気になったからじゃないと呟きながら……

「戻って下さい」
「あなたは?」
 イブキの眼前に、僅かに背の低い印象を持つ青年が姿を見せる。鬼とは異なる力を持っているのは、何となく分かる。それが果たして「鍛えた結果の力」なのかは分からないが。
「このままじゃ、あの村は永遠に魔化魍の犠牲になります」
「……分かってます。僕にだって、そんな事くらい」
 青年の言葉に俯きながら、それでもイブキは言葉を捜す。自分だって、出来る事ならあの村を守りたい。オロチというあの強大な魔化魍を倒し、人々に安寧をもたらしたい。だが……村人の心に根付く不信感、そしてカブキの裏切りが、その思いに影を落としていた。
 何の為に鬼になったのかを思い出せないくらい、打ちのめされたと言って良いだろう。
「分ってるなら、戻って下さい! 戻って、皆の笑顔を守って下さい!」
「笑顔を……?」
 青年に言われ、はっとしたようにイブキは顔を上げる。
 皆が笑顔でいられる世の中にしたい。その為に、自身は鬼の力を用いて大名になり、そうなるように努めてきたのではなかったのか。
 青年の言葉によって初心を思い出し、イブキはこちらを真っ直ぐに見つめる青年の視線を受け止める。
 今、ここで帰ったら……あの村にはきっと、永遠に笑顔なんか訪れない。勝ち目のない戦をする気はないが、だからと言って本当に大切な物を放り出してまで戦線を放棄したら、それは……「負け」以上の「敗北」だ。
「俺、皆の笑顔を守りたい。だけど、俺じゃ……俺の力じゃ、魔化魍を倒す事は出来ないんです。魔化魍を倒せるのは、鬼だけのはずです。あなた達しか、あの村の笑顔を守れないんです」
 下から覗き込むような青年の視線に、イブキはフ、と笑い……
「そうですね。僕はどうやら、一番大切な事を忘れていたみたいです」
 思い出させてくれて、ありがとう。そう呟くと、イブキは元来た道を駆け足で戻っていく。
 村人の……皆の笑顔を、守るために。

「突然失礼。どうか、あの村に戻って下さい」
「何?」
「魔化魍は、あなたの敵でしょう」
 一陣の疾風と共に現れたその「青鬼」は、トウキに向かってぴっと指を立てながらそんな事を言う。
 見目は「鬼」だが、自分達とは全く異なる雰囲気を持つ相手の登場に困惑しながらも、トウキは一瞬だけ考え……
「確かに、儂の敵は魔化魍だ。だが……」
「では、なぜ戦わないのです? 魔化魍の強さと凶悪さを知りながら、村の人に帰れと言われ、仲間だと思っていた者が裏切った……それくらいで、あなたは戦いを放棄するんですか?」
 戦意喪失するには充分な理由が重なっていると思うのだが、目の前の青鬼はそう思っていないらしい。
 淡々と、そしてずずいとトウキに詰め寄るようにしながら、言葉を紡いでいく。
「私のようなヒトでない者がヒトに怯えられ、忌み嫌われるのは、残念ながら至極当然の事です。未来永劫、それはきっと変わらないでしょう。……ですが、私は私を受け入れてくれるヒトがいる事を知っている。そして、その人物が私にとってかけがえのない存在である事も」
「だが、儂には分からん。今の人間に、守る価値があるのか」
 相手の言葉に、トウキは軽く目を伏せ、本心を言の葉に乗せて吐き出す。
 どれ程手を差し伸べても、それを払われる度にトウキの心も痛む。
 そんなトウキに、相手は軽く首を傾けてトウキの顔を覗き込むと、そのまま言葉を紡いだ。
「……あなたを理解しようとしてくれる方も、あの村にはいたはずです。その方まで、あなたは見捨てるのですか?」
 言われ、思い出すのは自分に縋ってきた少年。そして暴走する村人を叱咤した村長。
 もしもここで自分が見捨てたら、あの少年は大切な人を失う事になる。村長も自責の念に駆られながら、毎年の贄を差し出す事になるのかもしれない。
 そう思うと、奇妙な焦燥感に駆られる。ほんの一時、それも人生から見れば瞬き程の時間のかかわりであるにもかかわらず、気にかかって仕方がない。
「今こそ、戦いの時です。そして……戦って、その後で答えを見出せば良い。オロチを倒してからでも、答えを見つけるには充分な時間があるはずです。…………では、私はこれで。失礼します」
 それだけ言うと、鬼はやって来た時と同様に、一陣の風を残して霞の如く掻き消えた。
 ……今のは、一体何者だったのだろうか。幻影にしては、妙に現実的だったし、先程の風はまだ自分の法衣を少しはためかせている。
 人でもない、鬼でもない。「鬼」の姿をした「何者か」。
 もしかすると、これは己に課せられた試練なのではないか。大半の人間には蔑まれ忌み嫌われようと、それは「全て」ではない。ほんの僅かでも、自分を理解しようと歩み寄ってくれる存在がいる。そんな彼らを失望させて、果たして自分は仏の道へ到れるのか。
 そこまで思った時、トウキははっと顔を上げる。
「そうか、ワシは……仏に会ったのか」
 先程会った「鬼」は、「鬼の姿をした仏」だったのではないかと。
 仏の声を聞いた。……「戦いの時だ」。

 小屋の外、黄色い和服姿のヒビキは、この時代の明日夢と、自身が「おやっさん」と呼ぶ人物と同じ顔の男性、立花藤兵衛との会話に耳を傾けていた。
 村人は、完全に少女……「ひとえ」と呼ばれていた子を生贄に差し出す事で、自身の身を守る決意を固めており、鬼達はカブキとやらの裏切りと、村人のエゴを目の当たりにして絶望したのか、この場から立ち去ってしまった。
 鬼達は幸太郎達が手分けして説得にかかっているが、ヒビキはこの時代の明日夢の身を守る為、この場に残った。
「でもさ、この時代で……俺に何ができると思う?」
 苦笑混じりのヒビキの呟きは、彼の肩に乗っている、機械の蠍に向けられたものらしい。答えなど返ってこないと知りつつも、彼はそう問いかけずにはいられなかった。
 人間は鬼を……異形を拒絶し、排除する。
 いかに守ろうと思っても、その心ない拒絶の言葉が鬼達の心を殺し、ついにはカブキと呼ばれていた男のように、魔化魍として生きて行こうと決意させるまでに至ってしまう。
 一体、どうしてそんな事になってしまうのだろう。
「俺はさ、感謝されたい訳じゃない。『守ってやってる』と思ってる訳でもないけど……でもさ」
 言って、その意味を理解できているのかは分からない。だがそれでも、自分に懐いている紫の蠍に向かってヒビキはぼやく様に小さな声をぽつりと落とす。
 彼にしては非常に珍しい泣き言を。
「やっぱり、キツイよなぁ……この時代は」
 落とされた言葉を把握しているのかいないのか。紫の蠍は、その視線をヒビキに向けた。
 機械であるはずのその眼差しは……どこか慰めてくれているように、ヒビキには見えた。
――こいつ、人間より余程良い奴なのかもしれないな――
 そう思った瞬間、小屋の中にいた明日夢のぼやきが聞こえた。やはり鬼は、人間とは違うのだろうかと。
「人と鬼の間には、まだまだ埋められない溝がある。それは多分、人間の『愚かさ』のせいかもしれない」
 小屋の中で、落ち込む明日夢に向かって放たれた藤兵衛の言葉に、ヒビキは軽く俯く。
 確かにこの時代の人間は、自分が暮らす時代よりもずっと、鬼に対する偏見が強い。それはここに来てすぐに実感したし、見ていても充分すぎる位伝わった。
 果たして本当に、人を守る意味はあるのだろうかと……カブキが悩み、そして裏切った心境も分かる自分が、ヒビキには何より悲しかった。
 そんな中、小屋の中では藤兵衛が明日夢の脇に置かれていた物に気付いたらしい。
「それは?」
「うん。多分、猛士兄さんの物だと思うんだけど……」
 布に包まれたそれを不思議そうに見やり、彼は明日夢からそっと受け取る。
 布を外したそこにあったのは、鈍い光を放つ一振りの太刀。どこか装甲声刃に似た雰囲気を持ち、刀身には「響鬼」の銘が彫ってあるのが見える。
「成程。どうやら先生だったヒビキの為に、猛士が作った刀のようだなぁ……」
 しみじみと呟く藤兵衛を、不思議そうに見やる明日夢。そして外にいるヒビキもまた、その剣に視線を注いだ。
 この時代の「ヒビキ」の弟子、明日夢の兄である「猛士」の打った剣。見た目に未熟だと分かるが……同時に、とても良い剣だとも思えた。
「未熟な剣だ。ヒビキに渡せなかったんだろう。だが……魂が、籠ってる。猛士がどれだけヒビキを敬愛していたかが、良く分かる」
 しみじみとそう呟く藤兵衛の顔は、自分が知る同じ顔……「猛士」関東支部支部長、立花勢地郎と同じ、優しく穏やかな物だった。
――そうか。この時代でも、おやっさんは鬼に対して理解がある人物なんだな――
 そうヒビキの心に、温かい物が込み上げてきた瞬間。村人達のざわめきが、彼の耳に届いた。
 少女を生贄に捧げると言う、無慈悲な宣告に似た声が。そしてそれは、明日夢の耳にも届いたらしい。はっとしたようにその顔を上げると、手元にある「兄が作った刀」をじっと見つめ……
 意を決したように、それを抱えて飛び出して行った。
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