英雄の笑顔、悪者の涙

【その22:ライバル、再見】

 ニシキを埋蔵金話で釣った後。カブキ達が向かったのは、人気の少ない農家だった。現代なら、「悠々自適に暮らしたい」と願う人が好みそうな、素朴な家だが、おそらくこの時代から見ればごく普通の家なのだろう。自給自足をしているのか、家の前に広がる畑は広大とは言い難い。
 その畑を耕し、作物を育てているのは、この時代にしては珍しい短髪の男。年はトウキと同じくらいだろうか。畑仕事をしているだけでは決して身につかないであろう鍛えられ方をしているのが分る。
 そんな彼の脇には、赤子を背負った彼の妻らしき女性の姿もある。
「よ、ハバタキ」
 にかっと笑いながら、軽く片手を挙げて声をかけるカブキに、ハバタキと呼ばれた男は、ちらりと冷たい視線を送る。
 カブキ達が彼に話しかけたと言う事は、彼もまた鬼なのだろう。しかし、ハバタキはカブキ達を歓迎していないらしい。
 どこかよそよそしい、棘を含む空気を孕んでいる。
 物陰に隠れながら彼らを観察していたヒビキですら分るのだ。恐らくカブキ達も気付いているに違いない。それでもめげないのか、カブキは更に言葉を続ける。
「お前の力が必要だ。一緒に魔化魍を倒すのを手伝ってくれ」
「……断る」
「何ぃ?」
「帰ってくれ! 今の俺はもう鬼じゃねぇ。百姓として一生懸命生きてんだよ。女房と約束したんだ。一緒ンなる時に。もう二度と鬼の力は使わないって」
 断られると思っていなかったのだろう。ギロリと睨みつける様に言ったカブキに対し、怯んだ様子もなくハバタキはきっぱりと言い放つと、その視線を彼の妻とその背に負われた赤子に向ける。
 愛情と絶対の信頼。仲間に向けるそれとは、明らかに違う感情を含んだ優しい目を。
 現代でも、妻を娶り子まで成せる鬼はそうそういない。出会い自体が少ない事もあるが、大体が鬼だと分ると厄介者として扱われ、忌み嫌われる事が多い。仮に理解してもらえたとしても、家に帰る日など殆どなく、時に「鬼の恋人」と言うだけで魔化魍達に狙われ、最終的に破局するカップルも少なくないと聞く。
 猛士に属する者と夫婦になる鬼も多いが、そう言う夫婦は大体が「金」と「角」のコンビだ。
 だが、ハバタキは違う。恐らく彼女はごく一般的な女性であり、それも稀有な事に結婚、出産までした存在だ。彼が鬼に戻りたくないと思うのも無理はない。
「見てくれよ俺の手。もう武器を握る手じゃない。鍬を握る手なんだ! 早く帰ってくれ!」
 自分の、土に塗れた両手を鬼達に見せつけ、怒鳴るように……だが、どこか寂しそうにそう言うと、ハバタキはギロリと彼らを睨みつけた。
 仕方ないと言わんばかりに、面々は軽く溜息を吐き……名残惜しそうにしながらも、その場を立ち去っていく。
 彼らも分かっているのだ。ハバタキが鬼として戦わない理由が。
 何故なら彼には「最も守りたい人」がいる。不特定多数の人間よりも、優先すべき「家族」と言う者達が。
 ハバタキが鬼として戦うような事になれば、怪我をするだろう。下手をすれば死ぬかもしれない。今回の敵は、その「死ぬかもしれない」可能性が高い相手らしい。
 もしも彼が死んでしまったなら……大切に思う彼の家族を、誰が守っていく? 誰が養っていく?
 彼の住む小屋を見れば、楽な暮らしが出来ているようには見えない。女子供だけでは、やがて飢えて路傍に骸を晒す事が目に見えている。
 だからこそ、彼は戦う事を拒絶しているのだ。
 ……例え本心では、人間を守りたいと思っていても。
 ハバタキは自らの理解者を得た。だが、理解者と鬼の両方を得る事は難しい。どちらか一方を取れと言われた時……ハバタキは理解者を取った。
 その気持ちを、天道はそれなりに理解出来る。
 ハバタキの選択は、全ての鬼に蔑まれようとも、大切な存在を守る為の物。そして天道もまた、大切な者を守る為に全てを敵に回す事が出来る。例えその相手が、かつての仲間であろうとも。
 思いながら、次の仲間の元へと向かう鬼達を追う。とは言え、流石にこれ以上の心当たりはないのか、その足取りは先程までに比べると随分と鈍い。
 それでも止まらないのは、やはりある程度使命感のような物を抱いているからなのだろうか。
 水のせせらぎと、葉摺れの音がさわさわとこだます綺麗な場所に差し掛かったところで、ふいに鬼の一行を追いかけるような足音が届いた。
 ……敵意は感じられない。だが、この状況で追ってくる人間などいないはず。
 不思議に思いつつも、全員が……ヒビキ達だけでなく、鬼の一行もその音のした方を振り向く。
 そこにいたのは、先程カブキの誘いを断ったはずのハバタキ。妻との約束故、「鬼の力は使わない」と言い放っていた彼が、彼の武器らしき錫杖を持って、カブキ達の側に駆け寄った。
「お前、何で……!?」
「鬼の力は使わんのではなかったのか?」
「言っておくぞ。俺に死ぬ気はない」
 驚いたようなカブキとトウキの問いに、吹っ切れたような顔でハバタキははっきりとそう言い放つ。
「女房との新しい約束だ。……絶対に生きて帰る。オロチを倒し、村人の平和を守る」
「ハバタキさん……」
「そうだぁ! 皆の居場所を守る! それが鬼の仕事だがや!」
 ハバタキの決意に後押しされるようにキラメキが宣言し……それに答えるように、鬼達は一つ、力強く頷いた。
 ……これで、集まった鬼は六人。充分な戦力と言えよう。
「うーん、現代でも有るかないかって位に勢揃いだなぁ」
 並び立つ面々を見つめながら、ヒビキが小さく呟く。
 基本的に彼ら鬼は個人で戦う事が多い。それは、一人でも充分に戦える程度に鍛えているからと言うのもあるのだが、根本的な問題として、鬼のなり手が少ない事が挙げられる。
 あまりにも鬼の人数が少ない為に、一箇所に五人も六人も派遣できないと言うのが正直な所だ。色々と忍耐を要するだけに、なり手が少ないのが要因だろう。
 稀に強大な敵……「オロチ現象」や「元凶」とも呼べる「洋館に住む男女」を相手取る時は集合するが、それも滅多にない。
 全国からとは言え、これだけの数の鬼を揃え、共闘するのはなかなか凄まじい光景と言える。
 そう、半ば感心したようにヒビキが思った刹那。彼の耳に、この静かな森に似つかわしくない剣戟の音が届いた。
 慌ててその音がした方に視線を向けると、そこにはこの沢で育ったらしい巨蟹……魔化魍バケガニと戦う、一人の鬼の姿があった。
「……おい、あの鬼が振り回してる剣みたいな武器……ギターか?」
 思わずヒビキの肩に手をかけつつ、眉を顰めて問う幸太郎。
 確かに、鬼の振るう武器はギターにしか見えない。それを剣を扱うように振り回しながら、その濃い緑色をした鬼はバケガニに向かって勢い良く立ち向かっていく。
「おお、あれは轟鬼だな。振り回してるのは……烈雷だな。少年の言う通り、ギターみたいな物だ」
「また知り合いですか? って言うかやっぱギターなんだ」
「俺の知ってるのと同じ顔ならって条件が付くけどな」
 苦笑気味に呟いたユウスケの声も気にせず、ヒビキは黙ってその様子を見つめる。
 ヒビキが知る轟鬼同様、荒削りだがまだまだ伸びる余地のある戦い方。バケガニの相手は慣れていないようだが、鍛えれば更に良い鬼になるだろう。
 だが、足場が悪い事もあり、苦戦しているように見える。
 そしてヒビキ達と同じように、轟鬼の戦う音を聞きつけたらしい。森の入り口にいたはずのキラメキ、ニシキ、そしてハバタキの三人が轟鬼の側に駆け寄り、音角を鳴らし、その額に当て……鬼の姿へと、その身を変じた。
 金のしゃちほこに似た頭部、全体的に金色のイメージが強く、手に持つ武器はシンバルのように見える。まさに「煌く鬼」の名に相応しい外観を持った鬼だと、翔一は感動したようにその姿を見つめる。
 そして「西鬼」。彼は黄色と黒で彩られた、虎を連想させる姿へと変わる。持っている武器は三節棍のように見えるが、恐らくはトライアングルになるのだろう。使い勝手の良さそうな武器だと、ユウスケと幸太郎は感心する。
 最後に控えしは茶色い、両肩に翼を持つ「羽撃鬼」。どことなく鷹を連想させ、錫杖のような武器はフルートか。天から大切な者を守る鬼なのだろうと、天道は冷静に観察する。
 それにしても、ここまで楽器を武器に出来る戦士も珍しい。鬼は基本、音で魔化魍を清めると言うが、ここまで多彩だとちょっとしたアンサンブルだ。
 ユウスケは、かつて「響鬼の世界」と呼ばれる場所で、ラッパ、ギター、そして太鼓を扱う鬼を見た事があるが……まさか、ここで、しかも戦国時代真っ只中に、トライアングルやシンバル、フルートまであるとは思わなかった。
「……うーん、随分と派手だなぁ……」
 彼らを見て、ポツリと漏らすヒビキ。
 それもそうだろう。彼の知る鬼達は、基本的に黒や焦げ茶と言った、暗い色を基調としている者が多い。にもかかわらず、この時代の鬼達は随分と明るい色の戦士に変じている。
 羽撃鬼の茶色すら、自分達よりも随分明るめの色だ。
 見慣れた轟鬼の色だけが、ヒビキには少しだけ嬉しい。
 などと思っている間に。助太刀に入った三人の鬼達による華麗な連携によって、瞬く間にバケガニは爆発、その場で土へと還っていく。
 それを見届けると、四人の鬼は変身を解いたのだが……
「ヒビキさん、あの人達、服を着ていますが?」
「不公平だ……」
 テディの声に、心底落ち込んだようにヒビキが返す。
 そう。変身の度に服を失うヒビキと異なり、この時代の鬼達は、皆変身を解いてもきちんと元の服を着ているのだ。
 着ている服ごと鍛えているのか、それとも長い鬼の歴史の間で、服を犠牲にしない方法と言うのが失われていったのか……はたまた、自分達の時代の服が、鬼の変身機構に合わないのかは定かではないか、この上ない不公平感を抱いてヒビキはがくりと項垂れる。
 自分は服が消えてしまうから、白刀の残した奇妙な格好を強要されていると言うのに。
「いやぁ、助かったっす。でも、丁度良かった。俺も、ヒビキさんに言われて、皆さんに合流しようと思ってたところでしたから」
 にこにこと、ヒビキの知る人物と同じ顔をしたトドロキと言うらしい青年が、礼を言いながらも集まっていた鬼達に向かって言葉を放つ。
 しかし……問題はその言葉の中身。聞き慣れすぎた名に、思わず一行はその名の持ち主……ヒビキへと顔を向けた。
「いつの間に頼んだ?」
「いや……いやいや、俺じゃないよ、青年。だって、皆と一緒にいたでしょ、ね? だからその疑いの視線はやめてって」
「……だよなぁ……」
「じゃあ、ヒビキさんが知っている人達みたいに、この時代にも『ヒビキ』って名前の鬼の人がいるのかも知れませんね」
「津上さんの言う通りだとしたら、凄い偶然ですね」
 思わず漏れたテディの言葉に、周囲の面々もうんうんと頷き……再び、集った鬼達の後を追うのであった。

 あれからどれ程歩いただろうか。既に日は傾きかけ、流石に歩きつかれたのか、ユウスケと幸太郎はその場にへたりと座り込んでいた。
 いつの間にか鬼達の姿は見えなくなっており、完全に離されたらしいと気付くが、分っていてもこれ以上足は動いてくれそうにない。改めて、鬼の鍛えられた体力に感心する。
「……疲れた」
「俺もだ、幸太郎」
「何だ何だ、青年に少年! この程度で疲れるなんて。鍛え方が足りないぞ?」
「あんたと一緒にしないでくれ、頼むから」
 呆れたような声で言ってくるヒビキに対し、心底疲れきったように返す幸太郎。そんな彼に同意するように、ユウスケもこくりと頷き……
「『この』ヒビキさんは……何でこんなにやる気満々なんだ……」
 がくりと項垂れながらも、「響鬼の世界」にいた「ヒビキ」……白いスーツを着た、どこかちゃらんぽらんな印象の男を思い出す。
 違うと分かっていても、ついつい比較してしまう。
 「あの」ヒビキさんのように、「この」ヒビキさんも鬼の力に飲まれてしまうのではないかと、不安になる時もあるのだが……どうやら、杞憂らしい。
――何となく、この人なら気合で乗り切りそうな気がする――
 そう思い、この日何度目かの溜息を吐いた瞬間。ユウスケの視界の端に、金色の鎧めいた物が映った。
 それが、自分達が追っていた者……ザビーであると気付くと同時に、彼はどこにそんな体力があったのかと思える程機敏な動きで、その場から後ろに向かって飛び退る。
 ユウスケのその大げさな反応に、何かあると感じ取ったのか、ヒビキ達も彼の視線をなぞり、その先にいる「蜂」に目を留めた。
 だが、相手の方はこちらに気付いていないのか、ゆっくりとした動作で少し離れたところにいる少年に向けてその拳を固め、振り上げる。
 少年が危ないと思ったのと、ヒビキが動いたのはほぼ同時。
 この時代に似つかわしくない、横文字の電子音が彼の鼓膜を叩くが、一瞬だけヒビキの方が早かったらしい。
 少年の体を庇うようにして抱え込むと、そのまま「蜂」との距離をとるようにして前へと飛ぶ。
 そこで初めてヒビキ達の存在に気付いたらしい。ザビーは一瞬だけ驚いたように顔を上げたが、すぐに忌々しそうに軽く舌打ちをし……
「気付かれたか。だがいずれ、その子供は殺す! 俺の目的の為に」
 そう捨て台詞を吐くと、ザビーは迷う事なくクロックアップしてその場を立ち去る。後に残るのは草の倒れた痕跡と、先程ザビーが振り下ろした拳の焦げ痕のみ。既に彼の存在の気配は、翔一の「直感」をもってしても、微塵も感じられない。
 逃がしてしまった事は残念だが、どうやら相手の狙いはこの目の前にいる少年らしい。それだけ分かれば、後は彼につくだけだ。そうすれば、いずれはザビーが現れる。
「ふぅ。間一髪だったな。……大丈夫か、少年?」
 思いながら、ヒビキは自身の腕の中にいる少年へ声をかける。そして初めて……その顔を見て思わず息を呑んだ。
 ……それは、彼のかつての弟子候補の一人、安達明日夢の出会った頃に瓜二つの少年だったからだ。
「……あ、明日夢?」
――イブキやトドロキだけじゃなくて、明日夢までこの時代にいるなんて――
 驚きと同じ位の嬉しさと、ほんの僅か、懐かしさの入り混じった感情がヒビキの胸の内に宿る。
 弟子のキキは、彼の事情を知る数少ない「友人」である為か、今でも時折明日夢と会っているらしい。近況として、どこぞの医者の助手を勤めていると聞いている。
 そんなヒビキの嬉しさとは対照的に。呆然とこちらを見つめていた明日夢の顔が、瞬時に険しくなっていく。
 まるで、ヒビキに助けられた事が悔しいかのように。嫌悪とか憎悪とか、そう言った色をその瞳に湛えながら、「明日夢」は噛み付くように怒鳴りつけた。
「何で……何で今更助けるんだよ! あの時は……あの時は兄さんを殺したくせに!」
「え?」
「離せよ!」
 状況と彼の言葉の意味を理解できず、困惑の表情を浮かべるヒビキの腕を払い除けると、明日夢はなおもその目を吊り上げて吠える。
 周囲にいる天道や翔一、テディにすら気付いていないかのように。
「お前にだけは……猛士兄さんを殺したお前にだけは、絶対に頼りたくないんだ!」
 それだけ言うと、彼は微かに涙で潤んだ瞳でヒビキを睨みつけると、彼の住む村があるらしい方向へと駆け出していった。
 後に残るは、呆然とするヒビキと……何が起こったのかわかっていない翔一達であった。
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