英雄の笑顔、悪者の涙

【その2:ろくでもない予感】

 「Bistro La Salle」。ランチタイム前であるためか、客の姿はない。
 今、店内にいるのは日下部くさかべ ひよりただ一人であった。
 店主は早めの昼休憩に出かけたし、彼女の義妹である天道てんどう 樹花じゅかは学校、兄である天道 総司そうじは、どこかその辺をぶらついている事だろう。
 兄妹で苗字が異なるのは、実兄の天道が、ひよりの実家である「日下部家」から「天道家」へ養子に入ったからだ。
 数年前まで、自分に兄がいる事など知らなかったひよりにとって、彼らの存在はとても嬉しい物だった。家族など、とうに失ったと思っただけに、余計に。
 彼らと出会えて良かったと、そんな事を思っていたその時。四つの人影が店内へと入ってきた。
「いらっしゃい」
 まず、ひよりの目に入ったのは青い鬼。次に目に入ったのは白い女。それから、天道より少し年上くらいの青年と、十代後半の青年。
「……何だ、お前」
「テディです」
 ひよりの問いかけに、青鬼はさも当たり前のようにそう名乗る。
 ひよりの方はと言うと……一瞬、何とも言えない顔をしたが、そうか、とだけ呟くと、奥の方の席を指差し……
「そこが空いてる」
「どうも」
「……テディを見ても驚かないんだな」
 驚かない事に驚いたのか、比較的若い方の……と言ってもどちらも若いのだが……青年が、不思議そうに問いかけてくる。
 そんな彼に、ひよりは水を用意しながら、いつもの調子で淡々と返した。
「別に。驚いてそいつの姿が変わるって訳じゃないだろ」
 そこに立ってるなら持って行け、と付け加え、ひよりは四人に水の入ったコップとお絞りを渡す。
「『Bistro La Salle』ですかぁ……一回来てみたかったんです。あ、俺『ひよりみランチ』」
「俺達も同じ物を頼む」
「お願いします」
 口々に言う男達……翔一、幸太郎、テディに対し、女……白刀はメニューを見ずにぽつんと一言。
「鯖味噌」
「……メニューにない物、言うな」
「そうは言うが、今日の賄いだろう? 先程厨房にあったのを見た」
 そんな彼女の言葉に、ひよりは一瞬眉を顰めたが……諦めたような溜息を一つ吐くと、黙って厨房に戻って行った。
 しばらくして、彼らの注文した品がテーブルの上に置かれる。白刀が注文した鯖味噌もきちんと置かれているのは、彼女なりの接客の心得のような物なのかもしれない。
「美味しそうですね~。それじゃあ、頂きます」
 出てきた料理に真っ先に箸をつけたのは翔一。
 そして、迷う事なくそれを口に運び……嬉しそうに、笑った。
「美味しい……まさに、生きてるって感じがしますね!」
「……何だ、それ」
 翔一に言われ、そう返しながらも、ひよりの口の端にはにかんだような笑みが浮かぶ。
 それを指摘する程、彼らも野暮ではない。出された料理を箸で綺麗に突き、黙って食事をしていた。
「……って、のんびり食事しに来た訳じゃないだろ、俺ら!」
 あらかた食べ終え、美味と言う至福の余韻から冷めたらしい。はっと我に帰った幸太郎が、そう呟いたその瞬間。
 再びドアベルが鳴り、一人の男が入ってくる。
 軽くウェーブのかかった髪、二重瞼だが、眠そうには見えない。むしろ、キリとした印象を受ける。
 その男はひよりを見つけると、シニカルな……だが、とても優しい笑顔を彼女に向けた。
 彼こそが天道総司。ひよりの兄であり、彼女の料理のファン、第一号と言っても過言ではない存在である。
「ひより」
「……来たのか」
「ああ、勿論だ。ひよりみランチを頼む」
「分かった」
 さも当然のように座席に着き、天道は人差し指を突きつけながら偉そうな態度で彼女に言う。言われた方もそれが当たり前の事のように頷き、再び厨房へと消えて行く。
 それを見送り、微笑むような顔で待っていた天道に……白刀はゆっくりと近付くと、その向かい側の席に座った。
「何だ、お前は」
「天道総司だな。私は白刀風虎と言う。ZECTの研究開発部の者だ」
「ほう? 解散したはずのZECTの人間が、青鬼を連れて、俺に何の用だ?」
「もう一度、カブトとしてのお前の力を借りたい」
 これまた当然のように彼女は言い放つ。
 だがその言葉に、天道は不審気な表情を見せた。ワームは滅び、同種の異種生命体ネイティブは、人間と共存している。
 それ故、今はカブトとして戦う必要はないはずだし、そもそも先にも述べたようにZECTは解散したはず。それが今更、何の用事だというのか。
「どう言うつもりだ?」
「そうだな……ワームの生き残りがいて、それがヒトに害をなしている。そう言えば、付き合う気になるか?」
 冷静な表情を変える様子もなく言い放たれた言葉に、天道は一瞬だけ顔を顰めた。しかし次の瞬間には不敵な笑みを浮かべ……
「……面白い。良いだろう。この地上に生きる総ての者……人間からアメンボまで守るのが、俺の役目だ」
「随分と俺様な男だな」
「そうですか? こんな風にはっきり断言できるなんて、凄いと思いますよ」
 天道の言葉に、白刀の後ろで幸太郎と翔一が言葉を交わすが、それは言われた本人には聞こえていないらしい。
 とにかく、天道は心底面白そうな表情を浮べて席を立つと、厨房にいるひよりに向かって声をかけた。
「……すまないが、ひより。俺はこいつらと少し出かけてくる。食事はとっておいてくれ」
「分かった。出来るだけ早く帰って来い。僕の料理が冷める」
「ああ。勿論だ。お祖母ちゃんが言っていた。美味い料理は冷めても美味い、だが真に美味いのは作りたての時だけだ、ってな」
 人差し指を天に向け、天道総司はこの四人組と共に、「次の場所」へと向かって行った。
 ……路上に止めてあった赤い電車に、ガラにもなく突っ込みそうになりながら。

 森。そうとしか言いようのない場所にデンライナーを止め、白刀をはじめとした面々……天道、翔一、幸太郎、テディは、鬱蒼と茂る木々の合間を縫うようにして歩く。
 木ばかりで方向感覚の狂いそうになる中、平然と歩く白刀について行くと……突然に、開けた場所に到着した。
 キャンプ場という訳ではなさそうだが、何故かそこでテントを張る男を発見すると、迷う事なく白刀はその人物に声をかける。
日高ひだか 仁志ひとし
「白刀さん、何回も言ってるんですが、本名で呼ぶのはやめて下さい。俺まだ現役なんですから」
 日高と呼ばれた、翔一よりも更に年上らしい、精悍な顔立ちの男が、苦笑気味に白刀にそう言葉を返す。三十代半ばと言った所か、鍛え抜かれた無駄のない筋肉が、男を若々しく見せている。
 一見するとアウトドアを楽しんでいるようにも見えるのだが、その割には食事や釣り道具と言ったものは存在せず、この場に不釣り合いな、色とりどりのディスクが、箱一杯に入っているのが見えた。
 彼は、仲間内からはヒビキと呼ばれている。鍛えぬいたヒト……異形と戦う音撃戦士、「鬼」と呼ばれる戦士の一人である。
「……桐矢きりや 京介きょうすけの姿が見えないが」
「ああ、あいつは今、ディスクの現場の確認に行ってます。……って言うか、あいつも今じゃ立派な『角』なんですから、鬼名で呼んでやって下さい」
「……キキ、だったか」
「そうそう、漢字で書くと『喜鬼』。良い名前でしょ? ま、いずれはあいつに、『響鬼』を継いでもらえればと思っていますけど」
 子供を自慢する父親のようなその口調に、一瞬白刀の口の端も歪む。はじめてとった弟子が、可愛くて仕方ないのだろう。案外と親ばかの要素があるかもしれない。
「それにしても珍しいですね。『銀』の白刀さんが、こんな現地に来るなんて」
「『銀』?」
「階級の名だ。主に機材や変身ツールを作る『科学者』の事を指す」
 翔一の疑問に、特に表情を変える様子もなく彼女はそう答えると、思い出したように自分の懐中を探り……
「忘れる所だった。まずはこれをお前に渡しておかねばならなかったのだったな」
 言いながら彼女が手渡したのは、人の拳大くらいの大きさの、緑色の勾玉とその台座らしき石。今までは感じ取れなかったのに、彼女が懐から取り出した瞬間から、その石から放たれる妙な力を鬼であるヒビキも、そしてアギトである翔一も感じ取っていた。
 そしてその石の「正体」を知る者……幸太郎とテディは、それを見て激しく動揺する。
「おい、それ!」
「『鬼の切り札』!?」
「あれ? 白刀さん、そっちの人達も猛士たけし?」
 今更のように彼女の後ろにいた面々に気付いたのか、不思議そうな表情でヒビキは問いかける。
「違う」
「でも、今『鬼』って言ってたし、その青い人、ちょっと違和感あるけど、鬼でしょ」
「鬼ではない。結果的に、鬼に見えるだけだ」
「テディです」
 ヒビキの不思議そうな視線を一身に受けつつ、テディは直角に近い角度で頭を下げる。
 それにつられ、ヒビキもいつもの敬礼じみた挨拶ではなく、ぺこりと頭を下げた。
「あ、これはご丁寧に、ヒビキです。……それで白刀さん。この石、何に使うものなんですか?」
「本来なら、対オロチ現象用の切り札だったのだがな。お前達に渡るはずの物だったが、どこかの馬鹿の手違いで、『鬼の一族』に渡ってしまった」
 「馬鹿」の部分を強調しつつ、彼女は溜息混じりにそう答えた、刹那。がさりと木々が揺れ、その合間から一人の青年が顔を出した。
 二十代前半、斜に構えた雰囲気を持ち、軽く茶の入った髪色。手には音叉と茜色のCDのような物という、奇妙な組み合わせ。
 その彼が、ヒビキに向かって真っ直ぐに
「ヒビキさん!」
「おう、キキ。どうだった?」
「ここはハズレですね。……後ろの人達は?」
 キキ……先程の会話では、桐矢京介とも呼ばれていた青年は、溜息混じりに答えると、ヒビキの後ろに立つ「あからさまに怪しい五人組」を見つめて問う。
 だが、そんな彼を見て驚いた人物が二人。
 言わずもがな、幸太郎とテディである。
「……テディ、あれ……」
「ああ。桜井侑斗……に似ているな」
「似てるって言うか、そのものだろ。どこか人を見下し気味のトコとか」
「だか、デネブ殿がいない。やはり別人だろう……と思う」
「おーい、そこの二人」
 そんな二人に割って入ったのは、苦笑気味の表情を浮べるヒビキ。
 まるで彼ら二人を逃がさないかのように肩を抱き、幸太郎とテディの顔を交互に見ながら言葉を続ける。
「内緒話か? 俺も混ぜてくれよ」
「いや、申し訳ない。そちらの方によく似た人物を知っているので。参考までにお聞かせ願いたいのだが……」
 ヒビキの拘束の中、無理矢理京介の方に向き直りながら、テディは真剣な声で問いかける。
「あなたは突然、髪が伸びて一房だけ緑になったり、目の色も緑になったり、満面の笑みで買い物したりする事はないだろうか?」
「……ないよ」
「幸太郎、やっぱりよく似た他人だ」
「いや、それで本人でも怖いだろ」
「とにかく、だ」
 話の流れを断ち切るようにして、白刀が声を上げる。
 まるでこれ以上時間をとられる事が、気に入らないかのように。
「……桐矢京介。悪いが、日高仁志を借りたい」
「だから、俺もキキも、本名で呼ばないで下さいって」
「その前に白刀さん、ヒビキさんを借りるってどう言う事ですか?」
「……今、ウブメ如きに二人の『鬼』を割いている余裕がない。非常事態が起こっていてな。悪いがウブメは貴様に任せ、もう一つの事態にこの男を向かわせたい。なお、異論は認めん」
「それ、頼んでないですよね」
「これ以上ないくらいに平身低頭しているつもりだが?」
「どこから突っ込めば良いんですか」
 京介に、不審その物の表情を向けられつつも、いつもの口調で答える白刀。
 命令じみたその言葉に、抗えない何かを感じたのか、京介は渋々と言った風に頷くと……
「分かりました。選ばれたのが僕じゃないのは腹立たしいですが、深刻な事態に対して駄々をこねる程、子供じゃないですから」
「お、成長したなぁキキ」
「……それじゃ、もう少しウブメの場所を探ってきます」
「気をつけろよ」
 シュッと口で言いつつ、敬礼に似た独特のポーズをとって、再び森の中へと消えて行く京介を見送り……ヒビキはくるりと白刀に向き直る。
「それで? ウブメをキキに任せてまで、俺を徴集したい理由ってのを、聞いても良いですかね?」
「立ち話もなんだ。これで全員揃った。とりあえず、乗れ」
 彼女が言った瞬間。ミュージックホーンと共にデンライナーが滑るようにして虚空から現れ……
 困惑するヒビキを強引に乗せた後、全員がそれに乗り込んだのであった。
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