英雄の笑顔、悪者の涙

【その13:忘れえぬ、約束の為に】

「おい、こいつを生かせ」
 まどろみの中にいた「闇の力」は、その声と強烈な血の匂いで覚醒した。
 自分の存在は、通常気取られぬように周囲に結界を張ってある。それを無視して入れる存在は、そういない。
 自分の対である「光の力」、この世界の主である「皇帝」、そして自分の部下である「ロード怪人」くらいだが……聞こえた声は、そのどれにも当たらない。
 気配は「皇帝」に似ているが、彼女はこんなに偉そうな物言いはしない。
「……あなたですか、『剣の小姓』」
「私の事などどうでも良い。さっさとこの犬を生かせ」
 ゆっくりと瞼を開けた彼の視界に入ったのは、普段ならばひたすら白い筈の女。だが、今日は……彼女が担いでいる存在が流した血の色に身を染め、普段と変わらぬ表情で立っていた。
 普段なら人間と寸分違わぬ姿の彼女が、今は本来の姿であるスフィンクスアンデッドの姿に変えた状態で。
 担がれている方は、虫の息と言う感じだろうか。
 犬の顔をした、彼の配下……ドッグロード、カニス・ファミリアーリスだ。
「イマジンに斬られた。九割方死んでいるが、貴様ならば生かせるだろう? 何しろこやつらの枢軸たる存在だ」
「ええ。ですが……これだけ深い傷です。少し、時間がかかるかも知れません」
「……最速で治せ。曲がりなりにもカミサマなどと呼ばれる存在なのだから、それくらいは簡単だろうに」
 その、「曲がりなりにも神」である彼に、どうして彼女はそんなに偉そうな態度でいられるのか。
 少々疑問に思わなくもないが、それを口に出して問いかけている暇はない。彼女も言っていたが、ファミリアーリスは「九割方死亡」と言う表現がしっくり来る程の瀕死なのだから。
「それにしても、珍しいですね」
「何が?」
「あなたが、私の放った者を助けようとするなど。まして私に助けを求めるなど、今までにありませんでした」
 軽く笑いながら、彼はファミリアーリスの傷に手をかざす。
 そこから溢れる光が、ファミリアーリスの生命力を向上させているらしい。見る間に……とは言わないが、それでも通常よりも圧倒的なスピードで、ファミリアーリスの傷が塞がっていく。
「……フン。私とて、無差別にお前達と敵対する訳ではない。味方だと判断すれば、それ相応の態度で応じる」
「今は『それ相応の態度』なのですか?」
「そうなるな。それに……」
「それに?」
「それに、そいつにはまだ、やってもらわねばならん仕事がある」
 不機嫌そうな無表情を崩さぬまま、彼女はちらりと視線をファミリアーリスに向ける。
 彼女の事を知らなければ、睨んでいるようにも見えたかもしれないその視線。しかし、「闇の力」はその視線の意味を正確に理解していた。
 ……彼女は、彼女なりに心配しているのだと。
 口調や言葉こそ刺々しいが、それは彼女なりの親愛の情なのだ。何の感情も抱いていない場合、彼女はその存在など目に入らないし、そもそも血塗れになってまで運んでなど来ない。
 真の姿でここにいるのも、相当急いでいた証拠だろう。
 彼女は基本的に、人に己の正体を知られる事を好まない。それでも、誰かに発見される可能性を省みずに、真の姿を晒してここまで、文字通り「飛んで」きたのだ。
 口では利用するかのような物言いをしているが、瞳の奥には、心配で仕方ないと言う色がありありと浮んでいた。
「素直じゃありませんね、『剣の小姓』」
「……素直な私など、不気味なだけだ。……と、以前まえのドラゴンが言っていた」
 そう呟くと、彼女はその姿をいつもの「ヒト」の姿……白刀風虎と呼ばせているそれに変える。
 先程まで血に濡れていた毛並みが変化したせいだろうか、姿を変えたにもかかわらず、彼女が血にまみれている事には変わらない。
「着替えてきてはいかがですか?」
「……いいや、このままで良い。その犬が目覚めるまでは」
「そうですか」
「何としても、最後の大勝負までには治せ。……恐らく今回の相手は『奴』。それを相手に、あの面々だけでは、正直不安だ」
 それだけ言うと、彼女は近くの木にもたれかかり……不機嫌そうにも泣き出しそうにも見える顔で、じっとファミリアーリスの傷口を見つめていた。

「……帰りたかっただけ、か」
 爆発し、完全に消滅してしまったスワローテールワームのいた場所を見つめながら、ユウスケはポツリと呟いた。
 最後に呟いた彼の姿が、どことなく自分の友人と重なったように見えたからかもしれない。
 彼の友人は、記憶をなくし、己の住む世界を忘れ、様々な世界に拒絶されながらも、自分の世界を探し続けた。
 時には拒絶される事に絶望し、そして時には帰るべき場所からも拒絶されたが……それでも、彼は彼なりに自分の世界を見つけようとしていた。
「二十年以上も帰れなかったら……あんな風になる物なのかな……」
「それは違う」
 独り言のつもりで呟いた言葉に、否定を返したのは……何故か悲しげな顔をしていた天道だった。
 彼もまた、自分が手をかけたワームのいた場所に目を向け、悼む様に軽く目を伏せている。
「奴はただ……この世界での自分の帰るべき場所を、見つけられなかっただけだ」
「自分の、帰るべき場所……」
 そう言われて、ユウスケの脳裏には写真館と少女、そしてその彼女の祖父の顔が浮かぶ。
――ああ、そうか――
 思い浮かんだその光景が、自分の住まう世界ではなく、共に旅をしてきた写真館の仲間であった事に、一瞬だけ戸惑いを覚えたが……すぐに、ストンと胸の中で落ち着いた。
――いつの間にか、あの場所は俺にとっても、帰るべき場所になってたんだな――
 親友だけでなく、自分にとっても帰るべき場所。自分の世界でなくても、そこにいると安心できる場所。それが、あの写真館だったと言う訳だ。
「しかし、居たい場所に居られないのは……結構辛いものです」
「今はしんみりしてる場合じゃないだろ」
 テディの言葉を遮り、幸太郎は自分のパスを天にかざす。
 刹那、虚空からデンライナーが呼び出され、彼らの前で停車した。
 確かに、今はしんみりとしている場合ではない。
 ワームの事は哀れだし、可哀想だとも思うが、人を殺したという事実は消えない。それに、契約したイマジンだって過去に飛んでいる。
 「現在」を変えられる前に、何としてもイマジンを見つけ出し、止めなければならないのだ。
 ……先のワームが、ワームである為にも。
 イマジンの狙いは、「自分の時間を得る事」にある。手段としては、「過去を変えて、イマジンの居た時間につなげてしまう」と言う方法が手っ取り早かったのだが……未来が決定し、それが出来なくなった今、彼らはもう一つの手段を講じるのだ。
 即ち……過去の契約者に完全憑依、その体を乗っ取る事で、「自分の時間」を作るという物。
 当然、乗っ取られた側の時間は消えてしまい……契約者自身も、「いなかった事」になる。
「……帰りたい場所に帰れなかった上、存在しない事にまでされたら……流石に不幸すぎるからな」
 低く呟かれたその声は、おそらく本人以外には聞こえぬまま……静か過ぎる森の中へ、溶けて消える。
「幸太郎?」
「……いや。とにかく行くぞ、西暦一九八六年八月七日へ」
 なかなか乗り込まないのを心配したらしいテディに、幸太郎は軽く言葉を返して。
 彼は、デンライナーと共に、イマジンが飛んだとされる時間へと向かい、消えていった。
 ……そして、そんな彼らの様子を、森の影から覗く三つの人影があった。彼らはデンライナーを見送ると、影からその姿を現し、彼らが消えた青空を仰ぐ。
「ねえねえ、お兄さん達行っちゃったけど……良いの?」
「問題ない。むしろ、行ってもらわなければ……困る」
「アギト……過去に、飛ぶ。ないと……ダメ」
 最年少と思しきセーラー服を着た少年に、タキシードを着崩した青年と、燕尾服を着た大柄な青年が言葉を返す。
 大柄な青年の方は、口下手なのかブツブツと言葉をぶちきるのが特徴らしい。
「ふ~ん……そう言えばさ、あの辺りの日付って、前にも過去に向かわせた事があったよね」
「……あったっ……け?」
「あったよ。三人で今のイクサを過去に送ったじゃない。過去を変えるために」
「あぁ、あったなそんな事も。すっかり忘れていたが」
 気のない声で少年の言葉に返しつつ、タキシードの青年はゆっくりとその目を鋭くさせていく。それはまるで、何かを警戒しているかのように。
 その事に気付いたのか、燕尾服の青年が軽く首を傾げ……
「どう、した?」
「……何かいるの?」
「ああ。……不味そうな匂いが充満している」
 スン、と鼻を鳴らしながら周囲の空気を感じ取っているらしい。忌々しげにタキシードの青年がそう呟くと、少年と燕尾服の青年もやや緊張した面持ちで周囲を見回した。
「僕、水辺じゃないから嫌なんだけど」
「我侭……ダメ」
「ちぇ。ねえねえ、だったら食事しても良いかな?」
「言っただろう。不味そうだ、とな」
 まるでその声に応えるかのように。
 そこに現れたのは、女の顔をした何者か。
『鬼……じゃないね。似ている気はするけれど』
 女の顔なのに、男の声。
 それが姫と呼ばれる者だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
 彼らも、あらかじめ魔化魍と言う存在の事は聞いている。彼ら「魔族」とは、一線を画す存在であり、人間その物を糧とする異形。
 残るのは、無残な死体だという事も聞いている。
 恐らく目の前にいるのは、ウブメとか言う魔化魍の姫だろう。ワームの擬態していた物が「ウブメの童子」であった時点で、既に去ってしまった鬼達は気付くべきだったのだ。
 ……童子がいるなら姫もいる、と。残念ながら「相手はワーム」と言う先入観があった為か、彼らはそこまでの考えには到らなかったようだが。
「本当だ。美味しくなさそう」
「……人、形……?」
 軽く眉を顰めて言った少年に対し、燕尾服の青年の方は不思議そうな顔で言葉を放つ。
 童子や姫に対して、人形と言う表現は、ある意味正しい。何故なら、彼らは悪意ある「何者か」によって作られた、魔化魍を育てる為だけに生み出された人造人間のような物だからだ。
 故に、本来彼らに感情や個性、自我はない。単純に「我が子を育てる」と言う刷り込まれた本能に従っているだけなのだ。
「子孫も残せそうにないし、やっつけちゃって良いかな?」
「好きにしろ」
「そう。じゃあ、りき、お願い」
「分っ……た」
「……結局は人任せか、ラモン」
 少年……ラモンの言葉に、こくりと頷く燕尾服の青年、力。そしてその様子を呆れ顔で見ているタキシードの青年の名は次狼じろうと呼ばれている。
 そんな彼らの様子に、何か不穏な物を感じたのだろうか。姫はその姿を妖姫に変えると、先手必勝と言わんばかりに、もっともひ弱そうなラモンめがけて飛び掛る。
 だが……
「ダメ」
 短くそう呟いた力が間に入り、思い切り妖姫の顔面を殴り飛ばす。
 思いがけないその攻撃に、妖姫は近くの木に叩きつけられぐぅと低く呻く。
『何……!?』
「凄いね。力に殴られて、吹っ飛ぶだけなんて」
「ああ。普通なら顔面骨折か、下手すれば顔そのものが吹き飛んでいるだろうな」
「物、騒。俺……非力。この格好だと……片手で、林檎、一度に五個しか……潰せない」
「それだけ潰せれば充分だ。……お前の一族ではどうなのか知らんが」
「って言うか、よくそれだけ掌に入るね」
 睨む妖姫を無視し、トントンと進む会話に苛立ったのだろうか。彼女はもう一度、今度は力に向かって、文字通り飛び掛る。
 飛翔能力があるらしく、相手はひらりと宙を舞う。大地と言う抵抗がない分、減速する事なく妖姫の体は力めがけて突き進んでくる。その手を手刀の形にしている所をみると、どうやら勢いに任せて力を刺し貫くつもりらしい。
「……む……?」
 その狙いに気付いているのか。力は僅かに眉を顰めると……大きくその場で吠えた。
 その瞬間、彼の体がいびつに歪む。今まで人間と同じ格好だったのが、紫色の体色を持つ、図体の大きな異形へと変わったのだ。
 例えて言うならば、フランケンシュタインだろうか。いかつい体つきに、顔には大きな傷跡のような物がある。
「フン、ふんがぁぁぁっ!」
 丸太のような腕、とはよく比喩表現で使われる言葉だが、彼の腕はまさに丸太のように太い。それを前に突き出し、彼に突っ込んでくる妖姫を止めようとしているのが見て取れた。
「フランケン族である力だからこそ出来る技だな。俺には無理だ」
「僕も無理だよ。その前に撃ち落とすかな」
 かわせば良いのに、と思わなくもないが、力が属するフランケン族は、強大な腕力と防御力を持ってはいるが、その分スピードは他の種族に劣る。
 必然的に、真っ向から戦うと言うスタイルが遺伝子レベルで組み込まれているらしい。少なくとも、力の頭の中には、「避ける」と言う文字は浮ばなかった。むしろ、「止める」の文字だけが浮んだと言っても良い。
 そして……ガツンと、音が鳴った。
 次の瞬間には、相手の皮膚を貫けずに止まってしまった妖姫を、抱きしめるようにして立つ紫の異形が視界に入る。
 妖姫が苦しげに呻くのも無視して、力は抱きしめる腕を徐々に強めていく。それは、最も単純で凶悪な攻撃の一つ。ミシミシと、妖姫の体が彼女の声に代わって悲鳴をあげるが、力の方は全く聞こえていないのか、それとも聞こえていて止めるつもりがないのか。
 ミシ、と言う音はやがてピキに変わり、そしていつしかそれがゴキに変わり……最後には、ゴキリと言う音を立て、妖姫はあっさりとその身を木の葉へと変えてしまった。
「……ベアハグで一撃って」
「抱きつかれたくない相手だな。男に抱きつかれても気色悪いだけだが」
 呆れたような二人が声を上げるが、力はそれが聞こえていないらしい。つまらなそうに小首を傾げ、人間の姿に戻ると……不思議そうに、その舞い散った木の葉を眺めた。
「……どうした?」
「……多分、気の……せい」
 不審に思ったらしい次狼に、力は無表情で首を横に振る。
「とにかく、もう少しこの山で時間を潰す。その上で……『あの場所』へ向かうぞ」
「キバのお兄ちゃんもいないのに、僕達が向かう理由、あるのかなぁ……?」
「でも……約束、した」
「そう。俺達はあいつらと『約束』を交わした。だから行く。誇り高きウルフェン族の名に恥じぬようにな」
 そう言うと、次狼は既に虚空へと消えたデンライナーへと視線を向け……そして、思うのだった。
――今度は、俺達がお前達を助ける番だ、幸太郎――
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