英雄の笑顔、悪者の涙

【その12:ヲレハ、カエリタカッタダケナノニ】

 「彼」は、「ここ」に来る事を望んでなどいなかった。
 そうであるにも拘らず、「彼」が自覚した時には、「ここ」にいた。
 ……怖かった。「彼」の知る顔はどこにもなく、周囲を見回しても見知らぬ景色。
 偶に見かけた同族と思しき存在も、自分を見るやいきなり攻撃を仕掛けてきた。
――早すぎる――
――何故、ここにいる――
――死んでしまえ――
 「同族」からすらもそう罵られ、殺されかけた。
 自分が何をしたのか、彼らの癇に障るような事でもしたのか。
 逃げ回りながら、「彼」は悲しみを知った。ワームとして、知らなくても良い感情だった筈なのに。
 それまでの「彼」はただ、人間を殺し、そして擬態し、世界をワームの物にするという、「群れの本能」に従って生きてきた。
 それなのに、「彼」は群れからはぐれてしまったらしい。
 そうだと分ったのは、知覚したその日、人間に擬態して新聞の日付を見た瞬間だった。
 昭和六十一年八月七日。西暦に直せば、一九八六年。
 その瞬間、「彼」は自分の身に起こった出来事を、正確に把握してしまった。最初に感じたのは、「絶望」。そして、次に感じたのは「郷愁」。
 帰れない。
 帰る事など出来ない。
 それでも……帰りたい。
 嘆き、悲しみ、それでも「彼」は様々な存在に擬態した。
 ……生きてさえいれば、いつか帰るチャンスが来るかもしれない。そう、生きてさえいれば。
 そして数年前から、「強い者」……童子と呼ばれるソレに、彼は擬態するようになった。
 鬼にさえ気をつけていれば、死ぬ事は殆どない。それなのに……最近になって、アンノウンと呼ばれる者達が、自分達を狩っていると噂で聞いた。
 怖かった。
 死ぬ事もそうだが、二度と帰れないかもしれない事の方が、もっと怖かった。
 だから、だったのだろうか。自分の目の前に、砂の異形が二体も現れたのに……どちらに対しても、「アンノウンから守ってくれ」と願ったのは。
 その願いは完了してしまった。
 アンノウンよりも、更に絶望的な面々を残して。

「……帰りたい」
 ポツリと、童子に擬態したワームが呟く。
 その声を聞きとめたのか、ユウスケはきつく拳を握り締めながら、未だ擬態を解かぬワームに、睨むような視線を送った。
 彼が契約したから、ファミリアーリスは深手を負ったのだ。白刀が彼の主とやらの元まで運んでいるとは言え、危険な状態。実際に手を下したのはイマジンだとしても、ユウスケとしては、目の前の存在を許す事は出来そうになかった。
 そのワームの言葉が、「帰りたい」。意味が、分らなかった。
「帰るって……宇宙にって事か?」
 ワームは、地球外生命体だと聞いている。
 だから、ワームの帰る場所は宇宙のどこかだ。それ以外に考えられない。
 しかし、「帰りたい」という言葉と、「アンノウンから身を守れ」と言う願いが、どう関係するのかが分らない。
 宇宙に帰りたいのなら、スペースシャトルなり何なりを乗っ取るとかしてしまえば良い。
 しかし、そうではないとなると……
「帰りたいと、願った」
 ゆらりと、童子はその頬の涙を拭うこともせず立ち上がった。
 その姿を、本来のワームの物に戻し、その横には幻影の童子の顔が浮べて。
「ネイティブではなくワームか」
 相手を見て、天道が珍しく顔を顰める。
 一九八六年と言う年代を考ええると、相手がネイティブだと考えるのが妥当だ。何故なら、一九九九年以前には、ワームは存在しなかった筈なのだから。
 しかし、今目の前にいるのは角がある「ネイティブ」ではなく、角がない「ワーム」だ。
 だとしたら、目の前の存在は何者なのか。
「お前は……」
『ただ、元の世界に帰りたいだけなのに……どうして殺そうとするんだ!?』
 天道が誰何の声を上げるよりも先に、ワームの方が悲痛な声でそう声を放つ。
 「元の世界に帰りたい」と。
 その意味が分らず、ますます面々の表情は曇る。ただ一人、ユウスケを除いて。
「まさか、このワーム……俺と同じように、『こことは別の世界』から来たんじゃ?」
 その言葉に、ようやく天道も納得する。それならば、目の前の「ワーム」が一九九九年以前の記憶を持っている事も、「帰りたい」と言う台詞も、辻褄が合う。
 ユウスケがそうであったように、何らかの要因でこの世界に迷い込み、そして今まで人目を忍んで生きてきたのだろう。
 そう、その場にいた全員が思った刹那。幻影の童子の顔に笑みが浮く。
 しかしそれは邪悪に歪んだ笑みではなく、遥か昔に思いを馳せているような、笑み。だが、その顔は泣き笑いのようにも見えて……彼の悲しみの深さを垣間見た気がした。
 帰りたい。だけど、帰る事は出来ない。何故なら、帰る方法を知らないから。
 ワームである以上、いつZECTに見つかり、殺されるか。
 童子に擬態している以上、いつ鬼に見つかり、殺されるか。
 そして人間を殺す以上、いつアンノウンに見つかり、殺されるか。
 常に「死」への恐怖と戦い、彼はそれでも「帰りたい」と願ったのだ。
「……だからこいつは、イマジンに望んだのか」
「『アンノウンから、守ってくれ』と。殺されてしまっては、戻るも何もないから」
 軽く目を伏せながら、幸太郎とテディは吐き出すように言葉を紡ぐ。
 目の前のワームは、ほんの僅か……それこそ一生に一度、あるかないかの可能性を信じ、帰れるように。そうしなければ、底のない絶望に囚われてしまうから。
 それは、強くて……そしてある意味、最も残酷な決断だったに違いない。僅かに見えた可能性が、次々と潰されていく様を見なければならないのだ。
 それでも、帰ろうとした執念は、いっそ尊敬に値する。
『生き残る為に……帰る可能性を高める為に、強い者に擬態した。それが偶々童子だった』
「だけど、そのせいで、アンノウンに狙われたんですね。人間を殺してしまうから」
『そうだよ、アギト。ワームであれ童子であれ、人間を殺す事には変わらない。だから、アンノウンも鬼も、そしてカブトも僕を狙う!! こちらはただの従僕なのに!!』
 今までの悲しそうな顔は一体どこへ消えたのか。
 怒鳴るように言い切ると、ワームの背に揚羽の羽が大きく広がった。
 スワローテールワームとでも呼ぶべきか。
 「彼」は勢い良くその羽を羽ばたかせると、キラキラとその鱗粉を撒き散らし……
『爆ぜろ』
 低く呟かれた声と共に、その鱗粉のひとつひとつが、小規模な爆発を起こした。
 爆竹程度、と言えば良いだろうか。大きなダメージには到らないが、数が無数にあるせいで、全てをかわしきる事は出来ない。
「おっとっと……随分と厄介な力を持ってるみたいだな……!」
 驚き、それでも体勢を立て直しながらヒビキが言った瞬間。
 周囲の木々が、そして山から見える街並みが、まるで「最初から存在していない」かのように、すぅっと消えていくのが見て取れた。
「建物が……消えた!?」
「まずいな、過去でイマジンが暴れてるんだ。さっさとイマジンを追わないと、更に時間が……歴史その物が変わるぞ!」
 驚く翔一に言葉を返しながら、幸太郎はギリ、と奥歯を噛み締める。
 イマジンを追う必要がある。それは、先にも述べた通り、過去が変われば今も未来も変わり、歴史その物が狂う。
 それを防ぐのは電王である幸太郎の仕事だ。しかし、だからと言って目の前のワームを放置しておく訳にも行かない。
「……ワーム相手なら、俺が出るべきだろうな」
 そう言って皆の前に出たのは……天道。既に彼の手の中には、赤い甲虫の様な機械が握られており、腰には銀のベルトが巻きつけられていた。
「変身。キャストオフ」
『Henshin』
『Cast Off』
『Change Beetle』
 電子音が聞こえたと同時に、彼の姿が変わる。一瞬だけ、銀の蛹を連想させる鎧が覆うが、それもすぐに弾けとび、下から赤いカブトが姿を見せる。
「え……えええっ!?」
 そんな天道を見て驚きの声を上げたのが……ユウスケ。
 目を見開き、信じられないと言わんばかりの表情でその戦いを食い入るように見つめている。
「そう言えば、小野寺さんは天道さんの変身って、見てないんですよね。カブトって言うらしいですよ」
「天道さんが……カブト?」
 ユウスケの驚愕を、変身した事に対するものだと思ったのか、翔一はにこやかな笑顔で解説をしてくれる。
 だが……ユウスケが驚いた所はそこではない。
 「天道総司がカブトであった事」に驚いたのだ。
 ユウスケの知るカブトは、クロックアップシステムの暴走により、世界から切り離されてしまった存在であり、天道の事では決してない。
――五代さん達と同じ……俺の知らない人間が、俺の知ってる戦士に変身するなんて――
 心の内で思いながら、ユウスケはちらりとヒビキ達にも視線を向ける。
――ひょっとして、ヒビキさん達も変身できるのか? それこそ……俺が知ってるアギトと、響鬼に――
 心の内でそんな事を思うが、ユウスケがそれを言葉にするよりも先に、ワームの方が動いた。
『……光を支配せし太陽の神か』
「ほう? その呼び名を知っているとは。人気者は辛いな」
 仮面の下で目を細めて天道が言う。同時に、スワローテールは周囲に己の鱗粉を撒き散らすのが見て取れる。
 彼の言葉を聞きながら、ユウスケはやはり天道と友人は似ていると思ったのだが、そこはあえて口には出さずに見つめる。何から言葉にすれば良いのか、もはや分らなくなってしまっていると言うのが正しいだろうか。
『Clock Up』
「やっぱり、速い!」
 天道がクロックアップで高速の世界へ突入すると同時に、翔一の感嘆の声が漏れる。
 スワローテールの撒いた鱗粉がカブトの存在を感知して爆ぜるのだが、その時には既にカブトは別の場に存在しているらしい。ただ、次から次へと鱗粉は爆ぜ、同時にスワローテールの体も方々へ吹き飛んでいた。
『Clock Over』
『ぐぅっ!』
 天道が通常世界に回帰すると同時に、スワローテールは低い呻き声と共に大地に叩き落される。
 周囲に撒かれていた鱗粉は、一瞬遅れるようにしてから、連続で小さく爆ぜる。
「人に害を為さなければ、生き残る事ができただろうが……ある意味、哀れな性だな」
 言いながら、彼はゼクターのボタンを押す。
 その音を聞きながら、スワローテールはひぃと小さく悲鳴をあげ……
『嫌だ……死にたくない、死んだら終わる、帰れなくなる!!』
「お祖母ちゃんが言っていた。信じれば、流れは自分に向かうってな。お前は本当に、信じていたのか?」
 怯え、ジリジリと後ずさるスワローテールに、天道は追い詰めるように歩を進めながらそう告げる。
 自分の世界に帰りたい。そう願い続ける事は、決して悪い事ではない。その思いがあったからこそ、今まで生きていられたと言うのもあるだろう。
 だが……彼は、「帰りたい」願うだけだった。「絶対に帰れる」と一度でも本気で信じた事があっただろうか。「絶対に帰る」と決め、その為の行動を起こした事があっただろうか。
 ……答えは、否。
 帰りたいと願いながらも、それでも心のどこかで諦めていた。決して帰る事など出来ないと。
 その事に、今更ながら気付いたのだろう。「彼」は思わず愕然とする
――帰りたいと願ったけど、帰る努力はしたか?――
――本当に、心の底から帰りたかったか?――
 答えの出ない問いを、「彼」が己に向かって投げた瞬間。
 天道の爪先は、完全にスワローテールを捉えていた。

 どこで間違ったのだろう。
 蹴りこまれた力の奔流を感じながら、スワローテールはぼんやりとそんな事を考えていた。
 帰れると信じなかった事だろうか。
 それとも、童子などに擬態した事?
 カブトに見つかった事かも知れない。
 いや、それを言うならイマジンと契約した事だって……
 それとも……そもそも、自分の存在その物が過ちだったのか。
 そんな、詮無き事を考えながら、彼は小さく呟く。
『僕はただ……自分の世界に帰りたかった、だけなのに……』
 と。
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