英雄の笑顔、悪者の涙

【その1:いきなりクライマックス!?】

 一人の青年が、街中を歩いている。
 それは、ごく当たり前に見る光景だ。
 青年の「普通でない点」を挙げるとしたら、常にその少し後ろに青い鬼のような姿をした異形を連れている事と、他人よりもちょっと……いや、かなり運が悪いくらいだろうか。
 しかし周囲の人間はそれらを気にする様子もなく、これまたごく普通にすれ違っている。
 例えそれまで看板を塗っていたペンキ工が手を滑らせ、持っていたペンキ缶が青年の頭上めがけて落下しようと、そしてそれを青鬼がどこからか取り出したビニール傘で防ごうと、だ。少なくとも周囲を歩いている人間達にとって、それは「然程珍しくもない光景」なのだろう。
 ……青年の名は、野上のがみ 幸太郎こうたろう。野上 良太郎りょうたろうの孫であり、この時間における「電王」でもある。祖父の若かりし頃の時間に向かう事が多くなった事が、ここ最近の悩みの種らしい。
 そんな幸太郎の後ろを歩くのは、彼の相棒。名前をテディと言う。厳密にはイマジンとは異なるのだが、姿形だけで判断すれば、イマジン以外の何者でもないし、「未来の人間のエネルギー体」という意味では、イマジンと似たような物。実際に「派遣イマジン」などと呼ばれ、同一視されているので本人もあまり気にしていない。
「じいちゃんとの待ち合わせ場所、この辺だったよな?」
 幸太郎の背後にそびえ立つ赤い鉄塔は、かつて電波塔としての役目を担っていたと聞く。しかし時代の流れと共にその役目を終え、今ではただのランドマークと化していた。
 まだ幸太郎が「電王」になる前、祖父が少しだけ寂しそうにこの塔を見上げながら教えてくれたのを覚えている。
 その時はそんな物か程度にしか思っていなかったが、今にして思えばこの鉄塔も「人の記憶」に残る役目を帯びていたのだろう。ある意味において、この塔も「特異点」なのかもしれない。
 そんな事を思いつつも、待ち合わせ相手の姿が見えない事で、自分が場所を間違えてしまったのではないかという不安に駆られた幸太郎は、隣に立つテディに向かって確認する。
 幸太郎が遭遇する不運の一つに、「待ち合わせ場所の変更が知らされないまま、待ちぼうけを喰らう」事がある。すれ違いだったり携帯の電池が切れていたり、あるいは相手がうっかり連絡をし忘れたりと、原因は様々だが。
「間違いない。時間もぴったりだ」
「……いないじゃん、じいちゃん」
 本来ならいるはずの祖父の姿を軽く探しつつも、幸太郎は溜息混じりに苦情を申し立てる。
 テディに言っても仕方のない事なのだが、何となく彼に愚痴ってしまうのだから仕方ない。
「どこかで、小規模な事故に遭ってるんじゃないだろうか」
「……ありうる。じいちゃんならありうる」
 軽く頭を押さえながら、幸太郎は呻くようにテディの言葉に同意する。
 良太郎の運の悪さは半端ではない。時間通りに目的地に着く事の方が稀なぐらいだ。自分の運の悪さも半端ではないが、祖父のそれには敵わない、と心底思う。
 だから幸太郎は、祖父と待ち合わせる時は本来の予定の一時間前の時間を指定する。大体において、それ位の誤差で到着するからだ。
「正直、よくあの年まで生きていられた物だと感心している」
「……テディ、それ、じいちゃんの前では絶対言うなよ。絶対凹むから」
 テディの言わんとしている事は、充分に理解できる。何しろ彼らを見舞う「不運」は、命を落としてもおかしくないレベルのものが、それなりの頻度で襲い掛かってくるからだ。
 それを彼らは、「運勢最悪ゾーンに突入した」などと呼び、普段以上の警戒を余儀なくされる。一般的に見て、「運勢最悪」などという可愛らしい言葉では片付けられない気がしなくもないのだが、それが「当たり前」になってしまっている彼らから見れば、その程度でしかない。
 もしかすると、今日から祖父は「運勢最悪ゾーン」に突入しているのかもしれない。最近はまあまあマシレベルの不運にしか見舞われていなかったし、充分にありうる事だ。
 そんな風に思い、祖父に対して情けなさと同情と応援が入り混じった、奇妙な感情を抱いたまさにその瞬間。
 聞き覚えのある音色が、幸太郎の鼓膜を叩いた。
 ……時の列車デンライナーのミュージックホーンが。
「デンライナー?」
「…………ひょっとして、また昔のじいちゃんに何かあったのか?」
 こういう事にはもう慣れたのか、幸太郎はうんざりしたように呟く。自分の頭上から駆け下りてくる、赤い車体の列車を見つめながら。
 この列車が自分の前に現れる時は、往々にして自身の祖父の若かりし頃……現在の自分と同い年くらいの彼に、重大すぎる事件が起こっているものだ。イマジンが四人も「憑いて」いながら、何故そんな事件に巻き込まれるのかと、疑問に思わなくもないが。
 しかし、それなら彼がこの場にいない事も、ある程度の説明がつく。良太郎も幸太郎も「特異点」だが、過去に何かが起きれば、それなりの影響は被るのだ。時間による「記憶の改竄」の影響を受けにくいだけで。
 実際、祖父は一度「若返って」いる。過去に起きた事件の影響で、生年月日が本来の物よりも「後」にずれ込んだせいだ。
「…………はあ。行くぞ、テディ」
「ああ」
 諦めたような溜息を一つ吐き出すと、幸太郎は開いた扉を目の前にして、さも当たり前のようにテディを引き連れその車体に乗り込む。
 呆れはするが、この状況も流石に慣れた。
 恐らくはいつものように、オーナーが隅で炒飯辺りをぱくつき、ナオミがハイテンションでコーヒーを勧めてくるだろう。更に言えば、祖父に憑いているイマジンが喧しくこちらに構ってくるのだろう。……とても厄介な事件を背負って。
 そう予想しながら、食堂車に足を踏み入れた瞬間。
 そこにあったのは予想していた喧騒からは全くもってかけ離れた、見覚えのない白銀髪の女だった。
 服装も白を基調としており、全体的に白っぽい印象を受ける。美女の部類に入るのだが、不機嫌そうに眉を顰めているせいか、あまりお近付きにはなりたくない。
「……は?」
「お初にお目にかかる。私はこの列車の元オーナー。白刀しらと 風虎ふうこと呼ばれている」
 予想していた者達はおらず、代わりにいるのは見知らぬ女。
 その事実に素っ頓狂な声を挙げた幸太郎に、女は深々と一礼しつつ己の名を告げる。だが、あまりにも予想外の事過ぎて、思考が追いつかない。
 「当たり前の光景」だと思っていたものが覆されると、こうも混乱を招く物なのか。
 思いながらも呆然と白刀を見やる幸太郎に、彼女はゆっくりと頭を上げると、彼らを車内に促しながらも言葉を紡いだ。
「野上幸太郎、そしてテディ。お前達の力を借りたい」
「……待て。何故、オーナーやナオミさんがいない?」
「降ろした。今回は、流石に危険なのでな。浮かれ気分でこの列車に乗られては困るのだ」
 ようやく我に返ったらしいテディの言葉に、白刀は実に端的に、そして眉間にあった皺を二、三本ほど増やして答えを返した。
 どうやらナオミの事を言っているらしい。確かに彼女には緊張感と言う物が足りない気がしなくもないが、それはそれで彼女の個性だ。どんなに深刻な状態でも、彼女の存在が深刻さを緩和し、自分達の緊張を解してくれている……と思っている。
「それに、今回の事は、現オーナーも承知している」
「……じゃあ、じいちゃんのイマジン達は?」
「野上良太郎とその『月の子』達は、別件で動いている。『皇帝の愛娘』……桜井ハナも、それとはまた別に動いてもらっている。しかし、こちらにも『電王』が不可欠なのだ」
 そう言うや否や、デンライナーはゆっくりと時の中へ向かって駆け出していく。それに気付き、幸太郎の目に剣呑な光が灯った。
「……発車したって事は、俺達に拒否権はなしって訳?」
「随分と乱暴な言い分だ」
「デンライナーを動かしたのは『連中』に見つかると厄介だからだ。拉致や強制の意味はない。だが、現時点で動ける『時の守人』はお前達しかいないのも事実だ」
 幸太郎とテディの批難の声にすらも、淡々と答える白刀に思わず二人は眉を顰める。
 今までこんな風に淡々と、表情も変えずに物事を語る人物がいなかった事もあって、余計に奇異に思えたのかもしれない。デンライナーのオーナーもある意味淡々と物を言うが、彼の方がどこか茶目っ気や遊び心があった。
「話を聞くだけでも損はない。聞いた上で、嫌なら元の時間に帰す。手伝ってもらえればありがたい事は確かだがな」
「……良いだろう」
「良いのか、幸太郎?」
「少なくとも、このデンライナーは本物みたいだし、あんたが元オーナーって話も本当みたいだ」
 信用した訳じゃないけどな、と付け足す幸太郎に、初めて彼女は口の端に笑みを浮かべ、「感謝する」と短く返した。
「それで? 俺達は何をすれば良い?」
「説明は、全員を揃えてからにしたい。同じ話を何度もするのは、面倒なのでな」
 今度ははっきりと、不敵な笑みを浮かべると、白刀は一枚のチケットを懐中から取り出す。
「この時間に行って、三人程拾う。話はそれからだ。多少驚くような事があるかも知れんが、それはご愛嬌だ」
 それだけ言うと、彼女はこれ以上幸太郎に語る事はないのか、さっさと操縦席の方へと歩き去っていく。
 その後姿を見送り、完全に食堂車からその気配が消えたのを確認すると、テディはすっと幸太郎の方へ向き直り……心配そうな視線を送って幸太郎に問うた。
「……幸太郎、本当にこのままついて行って良いのか?」
「あの女が何を企んでいるにしろ、デンライナーが動いている以上は、ついて行くしかないだろ」
「それはそうだが……信用できない」
「俺だって信用していない。だから、いざって時は変身してでもあの女を止める」
「分かった。……幸太郎を信じよう」
 納得したのかどうか、良く分からない表情でテディは頷き、席につく。
 幸太郎もまた……操縦席の方を睨みつけながら、じっと大人しく座っていた。

 よく晴れた、ある日の昼下がり。
 津上つがみ 翔一しょういち……本名、沢木さわき 哲也てつやは、いつもの通り店の厨房で鍋を振るっていた。
 かつては記憶を失い、持っていた手紙の宛名、即ち「津上翔一」を、便宜上自分の名前として使っていた。その後紆余曲折を経て、記憶を取り戻したのではあるが、結局の所慣れてしまった「津上翔一」の名を使い続け、そしてそれで通用してしまっている。
 アンノウンと呼ばれる異形との戦いから数年。今ではすっかり自身の店、「AGITΩアギト」も軌道に乗り、それなりに常連も付いて、平和を実感していた。
「しょーいち君、まだ?」
「はいはーい、今、出来たよー」
 人の良さそうな笑顔を浮かべながら、彼を呼んだ黒髪の女性、風谷かざたに 真魚まなに向かって自身の料理を差し出す。
 彼女は自身が「アギト」である事を知る数少ない人物であり、気の置けない仲の「親友」でもある。
「……どう? 新作なんだけど」
「うん、おいしい。しょーいち君、また腕を上げたね」
「いやぁ。それ程でも……」
 ペシペシと自身の腕を叩きながら言う真魚の誉め言葉に、翔一の笑みが更に深くなる。どうやら彼女の言葉に照れているらしい。
 最近は近所にある「Bistro La Salle」も人気があり、この近辺でお客を取り合っているような状態だ。
 常連客の一人であるジャーナリストの青年が「どっちも美味いから、甲乙つけられない」というような事を言っていた記憶もある。
 だが、彼にはその店と勝負をする気などない。美味しい料理は人を幸せにするのだから、そういう店が沢山あるのは良い事だとさえ思う。
 それでも、飽きられるのは嫌だ。だからこそ、こうやって新メニューを考案し、やってくる全ての客に、幸せそうな顔を見せて欲しいと、翔一は思っている。
 今まさに、真魚が浮かべているような表情を。
 そんな風に考えたその時。
 カラン、とドアベルが鳴り、客の来店を告げられた。
「あ、いらっしゃ……」
 「いらっしゃいませ」と言いたかったのだが、視線の先に現れた存在を見て、思わず翔一はその言葉を飲み込んでしまっていた。
 入ってきたのは三人。一人は十代後半くらいの青年、もう一人は二十代前半くらいの女性。
 ……そこまでは良い。だが問題は「もう一人」だ。
「初めまして」
 礼儀正しく、ぺこりとお辞儀をするその「もう一人」に、翔一の様子を不審に思って扉の方を覗きこんだ真魚の目も、意図せず点になる。
 ……その姿は、いっそあからさまな程に人間ではない。「青い鬼」と表現するのが、一番しっくり来るような姿形をしていた。
 翔一達のような「人間の進化した姿」の一つである「アギト」と呼ばれる者ではなさそうだし、一方でアギトやそうなる可能性のある者を殲滅していた「アンノウン」と呼ばれる者でもない事は、翔一の本能が教えている。仮に彼がアギトだとしても、その姿のまま出歩く者はあまりいない。
「えーっと……三名様、ですね」
 害意や敵意の類は感じられないので、ごく普通の客と同じと判断し、翔一は空いている席へと案内する。
 店内も真魚以外の客がいなかったのが幸いしているのか、パニックにはならないが……唯一の客である真魚も、きょとんとした表情のまま、その青鬼に視線を向け、青鬼もまたその視線に気付いたのか彼女へ視線を向けた。
 刹那。彼はぴたりと足を止め、心底不思議そうに首を傾げて呟いた。
「……ナオミさん?」
 それは、誰かの名前だろうか。青鬼は瞬きもせずにまじまじと真魚を見つめる。……彼に、瞼があるのかは疑問だが。
 見つめられている方も、それはそれで居た堪れない。思わず翔一に助けを求めるような視線を送ってしまう。
 それに気付いたのだろうか、青鬼は何を思ったのか。はっと息を呑み、深く頭を下げると、そのままの姿勢で言葉をつむいだ。
「ああ、失礼。とてもよく似た人物を知っているもので」
 いっそ恭しささえ感じさせる態度で言った青鬼に、緊張は解れ、逆に笑みが零れてしまう。
 態度や声音から、やはり悪い者ではなさそうだと判断し、真魚はいいえ、とにこやかな笑みを返した。
「テディ。確かにナオミちゃんに似てるけど、どう考えたって別人だろ。テンションとか、服装とか」
「確かにそうだが……幸太郎、ここまでそっくりなら、血縁関係などを疑うだろう?」
 幸太郎と呼ばれた青年と、テディと呼ばれた青鬼は、そんな言葉を交わしている。余程そのナオミという女性は、真魚に似ているのだろうなあ、とぼんやりと思った時、唐突に最後の一人……真っ白な服装の女性が、口を開いた。
「津上翔一。お前に話がある」
「はい、何ですか?」
「ロード怪人……いや、お前達が言う所の、アンノウンが現れた」
「え!?」
 自身の名を呼ばれた事よりも、アンノウンという単語に大きく反応し、今まで翔一の表情がきゅっと引き締まる。同時に真魚の表情もどことなく沈痛な色が浮かんだ。
 アンノウン。「人類の進化の可能性」であるアギトの力を危惧し、人間を守るために「闇の力」と呼ばれる青年が放った異形。
 かつての翔一は、アギトの力でアンノウンと戦い、人間との共存の可能性を見せ、解決した。いや、したはずだった。
 それなのに、どうして今また「アンノウン」の単語が出てくるのだろう。彼らはもはや、人間の前には現れないはずではなかったのか。
 思いつつ、翔一はゆっくりと青鬼……テディの方に顔を向け……
「えーっと……その人、とか?」
「残念ながら、お前が知るのと同じ『闇の力』由来のアンノウンだ。アギトであるお前の力が必要になるやも知れん」
 重大な事をのはずなのに、淡々とした口調で女性は言い放つ。
 普通に考えれば、そんな口調で話されても信じられないだけなのだが……彼女の放つ雰囲気が、それが真実であると告げている。
「下手を打てば、過去が変わる恐れもある。……出来れば、ここではない場所で話したいのだが」
「……真魚ちゃん、ごめん」
「うん、気をつけてね、しょーいち君」
 心配げに見やる彼女に力強く頷き、津上翔一はエプロンを外すと、ドアの札を「CLOSED」に返す。そして……
「あ、そうだ真魚ちゃん」
「何?」
「お鍋の火、あと三分したら消しといてくれる?」
 いつもの、何を考えてるのか分からない……と言うか、何も考えていなさそうな、底抜けの笑顔を彼女に向け、そう言い放ったのであった。
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