第一部

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 一時こそ、生死の境をさまよっていたタツマルは、一命を取り留めていた。トオイリ家に仕える医者いわく、早くに解毒薬を飲んだことが幸いしたのだろうという。十中八九、あの場にいたマツリの処置のおかげだろう。けれど、タツマルの容態が回復したころにはマツリの姿はすでになく、代わりに町を離れていたシノが屋敷へと戻ってきていた。

「シノ、マツリは」

「あの者はすでに屋敷を出ました。七日ほど前のことです」

「そうか」

 わずかな落胆を覚えながらも、タツマルはそれ以上のことをシノに問うことはしなかった。もとより、マツリが屋敷に滞在するのは、シノが戻るまでの間という約束であったのだから取り立てて騒ぐほどのことでもない。奇妙な胸騒ぎを覚えながらも、森へ行けばまたいつでも会えると考え、タツマルはすぐに頭を切り替えた。

「まんじゅう屋の女はどうなった」

「は。町民らが捕らえて来たため、今は離れに。なんでも菓子を食べた町民からも死人が出ていると」

 自然と、目が細くなるのを感じた。肌が、ざわつく。頭の芯が、急激に冷えていくようだった。タツマルは寝巻のまま、静かに立ちあがる。「離れに行く」

 すると、シノが声をあげた。

「お待ちください、タツマル様。お言葉ですが、今回の件、あの者の仕業では――」

「シノ」

 有無を言わさぬ口調で名を呼ぶ。はっとしたように、シノが口をつぐんだ。

「おまえには、俺が節穴にでも見えるのか」

「いえ、そのようなことは、決して」

「なら後は任せた」

 言うだけ言って、タツマルはシノの返事も待たずに部屋を出る。離れへ行くまでの間、誰かとすれ違うようなことはなかった。人気のないそこには、最後に見たときよりもずっと痩せ細った女が、縮こまるようにして座っている。その目は、タツマルを捉えることで、ぎょろりと見開かれた。

「タ、タツマル様!」

 歯をカチカチと鳴らしながら、ふるえる唇で紡がれる声は、ひどくかすれている。「申し訳、申し訳ございません! あたし、あたしは」

 町民に捕らえられ、屋敷に連れて来られたという女の怯えきったようすに、タツマルは目を眇めた。老いた女は、そんなタツマルの表情の変化にもふるえあがる。しかし、タツマルは決して女を咎めようとして離れを訪れたわけではない。タツマルはその場に座りこみ、女に言った。

「俺は何もしない。仮に、あんたが俺に毒を盛っていたとしてもだ」

 おどろきに満ちた表情で、女がタツマルを見る。こけた頬を、涙が伝った。その涙を、タツマルは自分の袖で拭う。

 今回の件では町の人間も死んでいると、シノは言っていた。あるいは、女が店を続けることは難しいかもしれない。けれど、それでも、

「明日も、明後日も、俺はばあさんのまんじゅうを食う。だから、ばあさんはまんじゅうを作り続けていればいい。町で店を続けられないのなら、この屋敷に住めばいい」

 タツマルは目を細め、老いた女を見つめた。

「あんたは、てめえのつくるまんじゅうで人を殺そうとするような奴じゃねえ」

 なぜなら、タツマルが知るこの女は、屈託のない笑顔で客を見つめる。ひどくやさしく、丁寧な手つきで、まんじゅうをこしらえる。

「まんじゅう作ってるときのあんたの顔、俺は好きだぜ」

 たちまち、女はその場に泣き崩れた。そうして、涙ながらに語りだす。あの日――正しくは、その前日。女の店には見慣れぬ行商人がやって来ていた。行商人はしきりに店を訪れていたタツマルのことを女に聞き、やがてその旅づとから小さな包みを取り出して言った。これは海を越えた先にある異國の甘味料でしてぜひともタツマル様に召しあがっていただきたい――

 それから間もなくのことだった。近隣にいくつかある農村のひとつが、賊に襲われているという報せが入った。トオイリ家の当主ユキマサはすぐに村へ向かうと言い、これにシノも同行させたいとタツマルに願い出てきた。シノはトオイリの次期当主であると同時にタツマルの世話役でもあったのだが、タツマルは迷うことなくそれを承諾した。なぜなら、事態は一刻を争うものであったし、未だタツマルは病みあがりの身で元服もすませてはいない。自分の分まで頼むと言えば、シノは深く頭をさげた。

 町を守るわずかばかりの人を残してトオイリの一族が町を立つと、タツマルもまた身支度を整えた。目深に笠をかぶり、刀を携え、人目を盗んで町へと繰り出す。無力であろうとも、せめて町のようすだけは把握しておきたいという思いからの行動だった。

 果たして、常ならば人で賑わう大通りには、町民たちの姿はまばらだった。近くの村が賊に襲われているということで、民たちの不安が高まっているのだろう。ましてや、先日には菓子に毒が盛られていたことで人死にも出ているのだ。平静であれというほうが無理な話である。これ以上、町民の不安をあおるまいとし、タツマルは己の正体を気取られぬよう細心の注意を払って町を見回った。

 タツマルが四辻に差しかかったとき、左手のほうから男の悲鳴があがった。一瞬、町民がタツマルに気づいたのかと思ったが、そうではなかった。声の出所を見れば、道に崩れ落ちてゆく老人の姿が映る。そして、倒れた老人を見おろしてたたずむのは、その手に抜き身の刀を持った――

 タツマルの身体に、ふるえが走った。倒れた老人のかたわらにいた男が、腰を抜かして尻をつく。刀を手にした男が一歩、前へと進み出る。へたりこんだ男は恐怖のあまりか、言葉ひとつ発せずにいる。鈍色の刃が振りあげられる。気づけば、タツマルは迫りくる刃の前へと躍り出ていた。

 腰の刀を抜き、人斬りの一撃を弾く。振るわれた刀が、わずかにタツマルの頬をかすめた。笠の留めひもが切れ、タツマルの顔が暴かれる。背に庇った男の息を呑む声がしたが、かまわずタツマルは顔をあげる。また一人、町民を手にかけようとした人斬りの男をねめつけた。

「こいつらが何をした?」

 怒りにふるえる低い声が、タツマルの口からこぼれ出る。

「獲物も持たねえこいつらが、おまえに何をした?」

 しかし、人斬りはそれをせせら笑った。

「そうか。その角、おまえが霊獣との間に生まれたという鬼の子か」

「それがどうした」と、タツマルは唸る。

 男は一度、刀を降ろした。そうして、じろじろとタツマルの姿を見、やがてくつくつと笑いだす。タツマルがいぶかって眉を寄せた瞬間、再び人斬りが刀を振りかぶった。

「町の人間に毒を盛られたと、聞いていたのだがな!」

 言葉とともに、刀が振りおろされる。タツマルはその一振りを真正面から受け止め、顔を歪めた。体格差と、純粋な力の差からくる重い衝撃に、手が、腕が、ぎしりと軋む。だが、ここでタツマルが競り負ければ、背後にいる男を含めた町民たちにまで害が及ぶ。歯を食いしばって耐えるタツマルを、嘲りの目が見おろしていた。

「忌み嫌われる鬼の子が、何ゆえ民を助く? よもや、己がどう噂されているかを知らぬわけではあるまい」

 人斬りの目がタツマルの背後へと向かう。未だへたりこんでいるであろう男の小さな悲鳴があがった。それは人斬りの視線に怯えたのか、それとも、

「それがどうした」

 今一度、タツマルはその言葉を繰り返した。

「例え、鬼の子と言われようと、忌み嫌われようと、俺はカガミハラの人間だ。次期当主だ。俺はこいつらを守るために生まれた。こいつらの模範となるべくして育てられた。これ以上、おまえにこいつらを、俺の民たちを、傷つけさせやしねえ!」

 ありったけの力で、男の刃を押し返す。タツマルの中に眠っていたそれが、目を覚ます。

 守るのだと、それは言った。いかに滑稽であろうとも、自分が民を守るのだと。愛すべき民たちを守り抜いてみせるのだと。

 人斬りの凶刃を弾き、タツマルはがむしゃらにその懐へ飛びこんだ。固く握りしめていた刃が、ふいに光を帯びる。タツマルがそれを振り抜けば、辺りは一瞬で光に呑みこまれた。

 前後も不覚になる光の中、かろうじて目を開いたタツマルは、ふいにそこにそびえ立つ巨木を見る。巨木の根もとには長い身体をうねらせた巨大な影がたたずみ、そのかたわらには女のものと思しき後ろ姿があった。

 巨木の下に灯る菖蒲色の光が、タツマルをとらえるように動く。低く唸るような声を出すそれに気づいたのか、遠ざかりつつあった女がタツマルを振り返った。一瞬の、沈黙。

 ――どうしてここへ来たの。

 と、女が言う。

 ――ここへ来てはいけない。

 と、女は言う。

 そして、影となって顔も見えない女は、タツマルのよく知る声で続けるのだ。うちへお帰りおちびさん――

 こんな風にタツマルを呼ぶ女は、たった一人しかいない。光に眩む目を瞬かせながら、タツマルは口を開く。

「マツリ?」

 鼓膜を打つ自らの声で、タツマルは目を覚ました。同時に、すぐ近くで、わっと声が湧く。

「タ、タツマル様が、お目覚めになった! お目覚めになったぞ!」

「ああ、よかった! 本当によかった!」

 気づけば、タツマルはどことも知れぬ部屋の布団に寝かされていて、そのぐるりを町民たちが囲っている。タツマルの目の前で、タツマルを見て、町民たちが笑っている――タツマルは、しばし呆然とした。

「ここは、どこだ」

「汚くて申し訳ねえが、おらの家でさあ」

 半ばひとりごつようなタツマルの言葉に答えたのは、枕もとに膝をついていた男だった。髪の薄い頭をかき、男は恥ずかしそうに笑う。見覚えのある顔だった。

「タツマル様が倒れたもんで、急いで担ぎこみやして」

「そうか。おまえ、さっきの」

 人斬りに襲われていた男だと気づいて、タツマルは男のようすをつぶさに見る。

「怪我はねえのか」

「へい、おかげさまで」

 黄ばんだ歯を見せて、にかりと笑った男の身体には、たしかに怪我らしきものは見当たらない。自然と、タツマルの口から吐息がもれた。けれど、すぐに表情を引きしめる。

「……もう一人は」

 タツマルの問いかけで、とたんに部屋の中は静まり返った。そのようすで、タツマルはすべてを察した。「そうか」と呟き、歯を食いしばる。タツマルが通りがかったとき、凶刃の餌食になっていた老人。あの老人は、助からなかったのだ。

「すまねえ」

 守れなかった。助けられなかった。その事実に、打ちのめされそうだった。しかし、生き残った男はゆるゆるとかぶりを振る。

「謝らねえでくだせえ。謝らなきゃなんねえのは、おらたちのほうでさあ」

 男が、深く頭を垂れた。そして、言ったのだ。自分たちはずっとタツマルのことを勘違いしていたと。カガミハラの家が犯した禁忌を恥じていたと。ゆえにこそ、その禁忌の証であるタツマルを忌み、避け、時には憎んだと。そして、何よりもタツマルの存在そのものを恐れていたと。

「けど、タツマル様は、おらたちが思ってたようなお方じゃなかった。まだ元服もすまされてねえのに、人斬りから、こんなおらを助けてくだすった」

 顔をあげて、男がタツマルを見る。目には涙が溜まっていた。

「これまでの数々の無礼、どうか許してくだせえ……!」

 床に手をつき、頭をさげる。それに倣うようにして、周りの町民たちもまた頭をさげた。タツマルの目頭が、つんと痛んだ。着物の袖で目をこすり、布団の上で身体を起こす。床につき、そろえられた町民たちの手は、かすかにふるえていた。自然と、目が細くなる。

「顔をあげろ。俺は当然のことをしたまでなんだ。礼を言われるようなことじゃねえ」

「タツマル様……」

「おまえらが無事なら、俺はそれでいいんだ」

 町民の一人が、嗚咽をあげる。「泣くな」と、タツマルが言えば、ますますその嗚咽は大きくなった。申し訳ねえ、申し訳ねえ、と町民たちが繰り返す。民の咽頭が咽頭を呼ぶ中で、タツマルは背筋を伸ばした。そうして、改めて人斬りから救った男を見る。

「もうひとつ、聞きたい。あの人斬りはどうなった」

 この男が無事であることから、タツマルは人斬りを退けることができたのだろうことは想像に難くない。だが、その末路まではわからない。タツマルの問いかけに対して、男は涙を拭いながら答えた。

「おらにも、何が起こったのか、わからねえんです。ただ、気づいたときには、あの人斬りは黒焦げになってやして」

 それはきっと、タツマルの父親が死んだときと同じような状況だったのだろう。タツマルは霊獣がもつ力の詳しくを知らないが、それでも確信できた。人と龍の間に生まれたタツマルにもまた、霊獣の力は備わっている。いかずちに撃たれてタツマルの父親が命を落としたように、あの人斬りもまたいかずちに撃たれて命を落とした。ほかでもない、タツマルの力によって。

 握ったこぶしが、ほんの少しだけ、ふるえた。しかして、タツマルは恐れるわけにはいかなかった。悔いるわけにはいかなかった。タツマルがここで恐れ悔いることは、民を守り抜いたことが誤りであったとすることになる。これが、守るということなのだ。

 マツリも言っていた。蜂の仲間には、ミツバチを襲うものもいるのだと。ミツバチを守るには、その蜂を駆除しなくてはならないのだと。そこに、ためらいはないのだと。例えその蜂が人を死に至らしめるほどに強力な毒をもっていたとしても、下手を打てば自身の命さえ危ぶまれるとしても。

 そのとき、タツマルはふいに夢のことを思い出した。光の世界にたたずむ巨木と、身をうねらせる獣と、一人の女。影となった女の言葉がよみがえる。どうしてここへ来たの、ここへ来てはいけない、うちへお帰りおちびさん――

 なぜか。どうしようもないほどの嫌な予感が、タツマルを襲った。

 町の近くにある村が襲われたのは、なぜだ。トオイリが留守にしている今を狙ったかのように辻斬りが現れたのは、なぜだ。あの辻斬りが、タツマルのことをよく知っていたのは、なぜだ。そもそも、タツマルに毒を盛るよう仕向けたという行商人の正体は何だ。

 にわかに、外が騒がしくなる。タツマルの背筋にしびれるような感覚が走った。弾かれたように布団を抜け出した瞬間、荒々しい音をたてて戸が開かれる。

「タツマル様は、おいでか!」

 声を大きくして飛びこんで来たのは、町を離れていたはずのシノ。急ぎ駆け戻ったのであろう。返り血のついた戦装束に身を包んだままのその姿を見て、タツマルの胸騒ぎは大きくなる。

「シノ、俺はここにいる」

 タツマルは声をあげた。シノは駆け寄るなり、外にとめていた馬にタツマルを乗せ、その後ろに自らも跨った。手綱を握り、馬を走らせる。この間、シノは何も言わなかった。ただ、様々な思いがない交ぜになったような顔で、唇を噛みしめている。

 東の空が、いやに赤い。その理由を、タツマルはすぐに知ることとなった。

「冗談、だろ」

 燃えていた、町外れの森が。夜毎タツマルの通っていた森が、夕陽のように、赤く。

「マツリ!」

 馬の背から飛び降り、炎に包まれた森へと駆けた。けれど、そのまま炎の中へと飛びこみかけたところを、シノの腕に捕らえられる。

「放せ!」

「なりませぬ!」シノが一喝した。「マツリに救われた命、ここで絶やすおつもりですか!」

 頭にのぼっていた血が、さっと引いていく。タツマルの身体から力が抜け、シノの拘束もまた弱くなる。タツマルは、シノの腕から放れ、地に膝をついた。

「村を襲った賊どもの残党が吐きました。霊獣の世へ続く森を、町ごと焼き払えとの命を受けていたと」

 感情を押し殺したような、静か過ぎる声でシノが言う。

「誰にだ」と、タツマルは問うた。

 けれど、シノは答えない。タツマルは強く歯を噛み、背後に立つシノを睨んだ。

「答えろ、シノ!」

 刹那の沈黙。シノは、タツマルの視線から逃れようとするかのように目を伏せ、唇をきつく結んでいた。やがて、かすかにふるえる唇が答えを紡ぐ。「この國の、領主です」

 東雲の領主が、霊獣という存在に対して、ひどく懐疑的であるとタツマルが知ったのは、そのときのことだった。真に霊獣は存在するのか、存在するのならばそれらは真に強大な力をもつのか――

 霊獣が姿を消した人の世に生きる者ならば、それらは抱いて当然の疑問であっただろう。だが、人の世に霊獣の姿がなくとも、霊獣の血を引く者はいる。標的となったのは、タツマルだった。これまで、タツマルの周りで立て続けに起こった事件は、すべて、この國の領主が企んだことだったのだ。

 タツマルはもはや消し止めることもできぬほどに火の手が広がってしまった森を見つめ、こぶしを握りしめた。今なら、わかる。マツリはすべてを予期していた。だからこそマツリはタツマルにミツバチたちを託し、民を守ることを説き――その身を以って示した。決して周囲に不安を与えぬよう、笑顔を保ちながら。気づけば、タツマルの口からはひとつの疑問がこぼれていた。

「おまえは、俺が憎かったのか」

 返る答えなどないと知りながら、ただタツマルは言葉を続けた。「そうでないなら、おまえは俺を愛おしく思っていたのか」

 シノが町を立ち、マツリがカガミハラの家を訪れたその日。タツマルがマツリに聞きたくとも、答えを知ることすら恐ろしくて聞けなかったこと。

「おまえは死にたかったのか、それとも殺されたかったのか」

 目頭は燃えるように熱く、唇は凍えているかのようにふるえていた。

 森は、三日三晩燃え続けた。奇しくも町への被害はなかったが、反して焼け落ちた森には何も残らず、マツリがそこで暮らしていたという痕跡さえをも消し去っていた。
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