象牙の塔シリーズ② 進藤先生は今日もゴキゲン

とある閑静な地に広大なキャンパスを有する、名門・エカテリナ学院大学部。およそ100年の歴史を持ち、戦前は華族や財閥の令嬢が集う優雅な学舎(まなびや)であった。
今では共学となり、俗世の話題に上るような「偏差値」とは無縁の地味な校風へとは変わったものの、ロマネスク様式のホールだとか、ロココ調のテラスであるとか、その往年の栄華を物語るような過去の遺物が気楽な学生たちを見守っていた。

そんな呑気なエカテリナキャンパスでは、あくせくと単位稼ぎに神経を尖らせる学生が居るわけではなく、就職率を意識して厳しく学生を律するようなスタッフが居るわけでもなく、そして学生の反応に期待する教授陣が居るわけでもなかった。
そんなお気楽な教員を代表するかのような非常勤講師…それが進藤規幸(しんどう・のりゆき)だった。

進藤は非常勤講師であるがゆえに、学内に個人の研究室を持たなかったが、自由に使える研究室のカギを持っていた。
「さてと、戸田が戻るまで何して遊ぶかな~」
出講日には当然のような顔をして、この個人研究室に入り込む進藤だが、この部屋のれっきとした持ち主は別にいる。
学内でもその明晰さ、有能さは一目置かれる戸田准教授がその人だった。
だが、進藤はそんなコトも気にしない。まるで戸田のモノは自分のモノ…
とでも言った様子で当然な態度で部屋を荒らす。その根拠は、二人の特殊な関係にあった…。
二人は、なんと、恋人同士だったのだ。

いつものように手持ちぶさたな進藤は、勝手にその当たりの書籍や書類や資料を手当たり次第に触り倒す。しかし、その行動の裏には明確な意図があり、そのまた背後にはやや甘ったるい感情が隠れている。
進藤は、愛する戸田の身辺に怪しい影が無いか、気になってならないのだ。
進藤が熱愛する戸田は、大学一の優秀さで、おまけに美形で、人格も優れ、学生、教員問わずに人望を集めている。その人望が憧憬にそして敬愛に、やがて戸田を1人の男として愛情を抱く人間が現れてもなんら不思議はない。
だが、戸田の素晴らしさは認めても、それを他の人間が自分を差し置いて愛でるなどとは以ての外と、進藤は不埒な奴らを戸田から遠ざけようと目を光らせているのだった。
実際、過去に何度か学生から戸田への思い詰めたラブレターをこの部屋で発見した事もある。真面目な戸田のことであるから、学生相手に不適切な考えを抱く事もあるまいが、それでも進藤は不愉快になる。
「戸田は、俺のものだぞ」
誰彼構わずにそう言ってしまえたら…。
とんでもない発想が過ぎるが、実現は不可能でも進藤の想いはそれほどまでに真剣だった。
そんな進藤が、いつもの机の引き出しから見慣れないものを発見した。
「なんだ、コレ?」
古いボール紙で出来た箱で、大きさはA4サイズほど。大した重要性は感じないが、この古さと引き出しの奥、それでいて見慣れないもの…という事実が何かしら進藤に引っかかった。
「俺の知らない箱…?」
引き出しを開けただけでも戸田は咎める。決して声を荒げたり暴力的になるわけではないが、それでも気を悪くするのは目に見えている。
「俺と戸田の間に、隠し事もないだろ」
自分自身にそう言い訳すると、進藤はその箱を思い切って開いた。
「…手紙?…」
進藤が驚くのは無理もなかった。その箱に入っていたのは…。
高校時代、互いの気持ちを確かめ合う仲でありながら、進藤の転校によって二人は離ればなれになってしまった。
そのきっかけとなったのが、とある事件だった。それはありきたりの高校生同士の傷害事件だった。
事件に巻き込まれた進藤は、戸田への想いを残して、転校して行った。
箱の中にあったのは、その当時の、事件に関する新聞記事の切り抜きだった。
「こんなもの…」
未成年同士の事件であったため、記事に名前など出ていない。だが身近な人間には、それがどんな事件で、誰が関与したのか特定できなくもない。
戸田が何を思ってこれらの記事を集め、保存していたのかは知らない。しかし二人の間には、今でもこの事件が棘のように刺さっているのだと進藤は胸が痛んだ。
その切り抜き記事の下に、一通の封筒があった。
「…俺からの…」
それは、進藤が戸田に送った稚拙なラブレターだった。

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