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きせつのもの

それは今よりすこしだけ、昔の話。

昼間から呼び出され、リボーンは不思議に思った。
呼び出したのは、現在絶賛育児中のラル・ミルチ。
開店休業中の門外顧問組織含むボンゴレと軍から育児休暇をもぎ取った彼女に任務が行くことはまずありえない。
リボーン自身何かした覚えも無く、何かがあったという報告も聞いていない。
ツナにでも何かあったか、と予想だけ立てて、リボーンはずかずかと家に上がりこむ。
「来たぞ、ラル。どーした?」
声を掛けると同時に、彼は違和感に気付いた。
部屋中に漂う、甘ったるい香り。キッチンのテーブルには、いくつかのボールや小麦粉の袋が乗っている。そしてラルは珍しい事にエプロン姿だった。
「俺に何の用だ?」
「……毒見役になれ」
きっぱり言い放ったラルに、リボーンはようやく合点がいった。
「バレンタインか」
頷いたラルは、ほんのりと頬を染めていた。それを自覚したのか、彼女はくるりと後ろを向き、エスプレッソでいいな、とぶっきらぼうに言う。
「構わないぞ」
答えて、リボーンはキッチンの椅子に腰掛けた。そしてテーブルを眺める。
泡立てかけのメレンゲと湯煎でとろけたチョコレート、小さな焼き型。ガトーショコラのページが開かれた、手書きのレシピブック。
(どっかで見た字だな)
逆さに置かれたそれをなぞってリボーンは思う。だがそれ以上に彼の思いを占めたのは、「珍しい」の一言だった。じれったい関係からなかなか進まない二人の紆余曲折に数年以上付き合って来たが、リボーンの記憶にある限り、バレンタインにラルが手作りなんて事をしでかすのは初めてだ。多忙だったせいもあるだろうが、それ以上にラル本人の性格が災いしている。
珍しく、時間があるからかもしれない。
(だがそれだけであのラルが動くか?)
気になったが、聞いても素直じゃない彼女が答えることは無いだろう。考えるのを放棄して、次に気になったのは子供だった。何だかんだあって、結局この家にいる事に馴染んだ幼い綱吉。まだ動き回るまで成長していないが、やけに大人しい。
「ツナは?」
「さっき眠ったばかりだ、しばらく起きないだろう」
エスプレッソのカップを置いてラルは答える。
リビングに置かれたベビーベッドを覗き込むと、答えどおりに赤子はすぴすぴと寝息を立てていた。のんきなもんだな。リボーンは思ったがすぐに当然だと思い直す。この子供はまだ何も知らないのだ。
リボーンが綱吉の寝顔を眺めている間に、ラルはケーキ作りに戻りレシピを元にメレンゲをあわ立てていた。
かちゃかちゃと泡だて器とボールが音を立てる。ラルの視線はやけに真剣だった。しばらくして、ふたつの小さな型に流し込まれるチョコレート色の生地を眺めながら、ふとリボーンに疑問が浮かんだ。彼はそれをそのまま口にする。
「よく焼き型とかあったな。買ったのか?」
記憶が正しければ、この家には小麦粉や砂糖はあれど、ケーキの焼き型なんていうものは無かった。
とんとん、焼き型を何度か揺らしてラルは答えた。
「レシピから材料から全て送られてきた」
誰から、という疑問はリボーンの中ですぐに解決した。
こういう真似を仕出かして、それでもラルに怒られない人間というのは極度に限られている。
手書きのレシピブックも、そういえば彼女の筆跡だった。
「…………ルーチェか」
「ああ」
菓子作りを何よりの趣味とする橙色のアルコバレーノを思い出し、リボーンは溜息を吐いた。
無駄に行動力に長けた彼女のことだ、それくらい朝飯前でやってのけるだろう。そして、彼女の押しに逆らえるアルコバレーノは非常に少ない。皆無ともいえる。
オーブンに焼き型を置いて、ラルはぽつりと呟いた。
「非日常だな」
戦場やマフィア相手に日々を送っていた彼女らしい発言に、リボーンは笑んだ。
「たまにはいいもんだぞ」

おおよそ一時間後。
リボーンの前に、粉砂糖を振りかけたガトーショコラを目の前に突き出された。
見た目に問題は無い。チョコレート色に白の降りかかるシンプルなケーキが一人分の大きさで皿に乗っている。
「いいんじゃねえか?」
「問題は味だ、不味かったら言え。処分する」
急かされて、リボーンはようやくフォークを手に取る。一口、口に運ばれるケーキの欠片をラルが刺すような視線で見ている。
しっとりした生地はチョコレートの味を濃く感じる。初めての割には上出来だろう、リボーンはそう思った。初心者でもこう作れるルーチェのレシピを流石というべきか、ラルの努力を認めてやるべきか。
彼はとりあえず、感想を素直に口にした。
「悪くないぞ」
「……そうか、」
ほっと息を吐いたラルに、リボーンはにやりと人の悪い笑みを浮かべて言う。
「つーか、愛情入ってるなら何でもカバーされるんだぞ」
途端に赤くなる反応のよさに、リボーンは笑みを深くする。もっと赤くしてやろうか、と彼は行動に移しかけたが、それは玄関のドアが開く音に遮られた。
鳥の羽音と足音がまっすぐリビングに近付く。コロネロが帰ってきたらしい。ドアが開くと同時に、彼は笑顔で帰宅を告げた。
「ただいま」
「おかえり、思ったより早かったな」
すぐ片付いた、と今日の仕事内容を答えたコロネロは、リボーンの存在に気付いて目を丸くした。
「……リボーン?何してんだコラ」
「ちゃおッス」
フォークを持った手をひらひらさせてリボーンは声を掛ける。彼の目の前にある皿に乗ったもの――食べかけのガトーショコラに気付いて、コロネロは疑問符をラルに投げかけた。
「あいつに何させてんだコラ?」
「毒見役だ」
さりげなくコロネロの分のガトーショコラを隠し持ち、淡々とラルは答える。その回答に何を思ったのか、コロネロの青い瞳がぎり、とリボーンを睨みつける。だが、睨まれた方は意にも介さない様子でガトーショコラにフォークを突き刺し、言った。
「まずまずだぞ」
「俺の分は無いのかコラ⁉」
「…………少しは考えてからモノを言え、馬鹿野郎」
短絡的思考回路、と罵ろうとして、リボーンはコロネロの持つものに気付いた。可愛らしい大きさの花束と、小さな紙袋。その意味は考えなくても分かる。
「――って、てめえも持ってんのかよ」
「今日バレンタインだろコラ」
即答するコロネロに、リボーンは声を出して笑った。コイツのまっすぐな所は非常に好ましいが、残念ながらどっかがズレている。
「そこまで分かってて、なんで分からねえんだ」
数秒後、真っ赤になったコロネロに、同じく頬を赤く染めたラルがガトーショコラを差し出した。
「Buon San Valentino.」

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