本丸の管理人4
ぽつりぽつりと、鶴丸さんと言葉を交わしていると、廊下の向こうから話し声が聞こえて、現れたのは本日の審神者である男性と、三日月宗近だった。審神者は私に気付くと、手を挙げて、近付いてくる。
「ここにいたのか、探していたんだよ。お取込み中かい?」
私の傍らに座る鶴丸さんを見やりながら、彼は言う。私は慌てて首を横に振って、立ち上がった。彼は、私の職務規定について知っているだろうか。北嶋さんと知り合いのようだったから、ふとした時にバレてしまうかもしれない。内心冷や汗をかきながらも、平静を装って答える。
「何かありましたか」
「ああ、ちょっと妙なもんをこいつが見つけちまってねえ」
そう言いながら、傍らの三日月宗近を示す。三日月は、私に向かって少し微笑んでから、鶴丸さんを見て、目を細めた。鶴丸さんは、しげしげと三日月宗近を見つめ返す。三日月宗近はこの本丸には居ないので、珍しいのだろう。私も許されるのであれば、この美しい姿をじっくり観察したいと思う。
「管理人さん、いっしょに来て確認してもらえるかい」
審神者の言葉に頷いて、彼の後ろを歩き出す。なぜか鶴丸さんも、私の隣を歩き出した。どうやら、付いて来るつもりらしい。縁側を歩き、広間の前を通り、玄関へと戻る。靴を履いて庭へ出て、審神者が私たちを案内したのは、少し離れたところに建つ鍛刀小屋だった。小さな小屋の入口には、本来ならしめ縄がかけられているが、今は取り払われている。中へ足を踏み入れると、湿った土の匂いがした。冷却材や玉鋼といった資材や、鍛刀のための道具などは、審神者が亡くなった際に政府が回収しているため、がらんとしている。私は仕事柄、この何も無い状態の鍛刀小屋しか見たことが無い。
「ここに、何かあるんですか」
「ああ、この奥ににね」
審神者は三日月宗近に目線を送った。三日月はすっと進み出て、鍛刀場の一番奥の壁をするりと撫でる。ある一点で手を止め、そこを押すと、がこんと音がして、壁の一部が内側へとへこんだ。途端、ごろごろと地鳴りのような音がして、地面が少し揺れる。びっくりして、辺りを見まわすが、焦っているのは私一人だけのようだ。やがて、三日月と私たちの間の地面が四角く光り、切り取られるように地面に消え、変わりに暗い穴が顔を出した。人ひとりがやっと通れるくらいの小さな穴だが、階段で地下へと降りられるようになっている。
「え、ええ!? なんですかこれ!」
「おそらく、避難用のシェルターだよ。この戦争が始まって間もない頃、本丸を襲撃されて、壊滅に追い込まれるなんてことが、度々あってね。最近じゃあめったに聞かないが、今でも攻められることを前提に、守りを固めている本丸も少なくないんだよ。優秀な本丸なら尚更狙われる可能性は高くなるからね……その様子だと、あんたは知らなかったようだね」
男は呆然とする私に言って、鶴丸さんに目を移した。
「鶴丸国永、あんたは?」
「知ってるぜ。たまに昼寝に使ってるからな。暗くて涼しくて落ち着くんだ。でも、これがどうしたってんだ? あんたが言うように、そう珍しいものでもないだろう」
「妙なもんってのは、この穴じゃない。この穴の中にあるのさ」
ついてきな、と言って、男は穴の中へと歩みを進める。その後ろを、鶴丸さんが進み、私は慌ててその後ろを追った。私の後ろから、少し離れて、三日月宗近が降りてくる。随分おかしな隊列だと、妙な気分になった。穴の中は暗いが、人が通ると自動で明かりが点くようになっているらしく、ちいさな光が足元を照らしている。階段を踏み外さないように、足元ばかり見ていた私は、目の前の鶴丸さんが止まっていることに気付かず、その背中に突っ込んだ。
「大丈夫かい?」
「す、すいません……」
慌てて距離をとり、面白がっているような鶴丸さんの声に、恥ずかしくなって俯く。ぼんやりと、足元しか見えないが、きっと彼は笑っているに違いない。
「三日月、明かりを」
そう、男が声をかけると、ぱちりと天井の照明が点いた。一瞬、眩しくて、目がちかちかする。慣れてくると、部屋の全貌が見渡せた。何の変哲もない、四畳半ほどの狭い部屋だ。目立った家具などはなく、奥半分は畳が敷かれている。入って正面の壁と、右側の壁はふすまで仕切られていて、その奥がどうなっているのかはわからない。畳の上にはぽつんと、細長い木の箱が置かれていた。特に何も書かれておらず、中に何が入っているのかはわからない。
「そこの押入れの奥から見つけた物だよ。この子が、奥から気配がすると言って聞かなくてね。勝手に探させてもらった」
男は草履を脱いで畳に上がると、箱の傍らに腰をおろし、蓋を開けた。中身も細長く、白い布で包まれて、箱にぴったりおさまっている。慎重な手つきで中身を取り出し、自らの節くれだった手の上にのせ、そっと白い布をめくると、一振の刀が現れた。
「これは……」
「三日月宗近」
後ろから、声が上がる。私は思わず、後方に立つ三日月を見た。彼はにっこりと笑う。
「だと思うぞ。恐らくな」
「これが、三日月宗近……?」
私は改めて、その刀を見つめた。鞘も、柄も無い、生まれたままの姿をした刀剣は、細身で優美な反りを持ってはいたが、表面がすすけ、濁っていた。おまけに、刃こぼれが酷く、何か切れそうには見えない。私にはとてもこれが三日月宗近には見えず、首をひねった。
「私も信じられないが、同じ三日月宗近が言うんだから、あながち勘違いとも言い切れないと思ってね」
男は、ため息交じりに言った。
「こいつは、顕現に失敗した後に残ったものだろう。何が起こったか、正確にはわからない。三日月宗近の姿には近づいたが、降ろすことは叶わなかったってとこかねえ。それで、未練がましく、こんな状態で仕舞い込んでいたんだろう」
「……主は、鍛刀があまり得意では無かったからなあ」
ぽつりと、傍らで鶴丸さんが零した。遠い過去を見るように、ぼうっとした瞳が、曇った刀を見るともなしに見ている。
「よく誰かが本丸に来て、そのことで主を罵っていた。それこそ、三日月宗近の名前は何度も出てきたぞ。待望の刀だっただろうに。主もかわいそうになあ」
この本丸の刀剣男士が少ない理由が、そんなところにあったとは。優秀な審神者だと聞いていた。恐らく、北嶋さんも知らなかったのだろう。
刀剣男士を顕現出来ないというのは、審神者としてあってはならないことだ。本来であれば、職を辞して、現世に帰ることも有りうるだろう。しかし、この本丸の審神者は、他の本丸とは違ったやり方を貫いてまで少数で結果を出し続け、政府相手にそれをひた隠しにしてきた。どうしてだろう、と思う。そうまでして、審神者でありたかったのか。それとも、そうあらねば、ならなかったのか。
周囲から、一目を置かれるような成績を残しても、罵られなければならなかった彼女の状況が、どのようなものだったのかはわからない。けれど、あと一歩で手が届きそうだった物を、諦めきれない未練は、痛いほど伝わってくる。もう無理だとわかっていても、目の前の鉄の塊を、溶かしてしまうことなど出来なかったに違いない。
「……悔しかったのでしょうね」
「そうだったとしても、こんな中途半端な状態のもの、残しておいちゃあいけなかった。何が起こっていても不思議じゃない」
私の感傷を遮るように、ぴしゃりと男は言って、曇った刀をまた慎重に白い布で覆った。
「さて、管理人さん。こいつはどうする?」
私は、もちろんその問いに対する答えを持っていない。とりあえず、北嶋さんに報告する旨を伝え、四人で部屋を出る。
来た時と同様、三日月宗近が壁を押した。ごろごろと音が響いて、穴がふさがっていく。音がやむと、そこにはもう何も無くて、穴が有ったなんて信じられなかった。
「……会ってみたかったなあ。この本丸の三日月に」
鶴丸さんが、穴があったはずの地面を眺めながら呟いた。三日月宗近になるかもしれなかったもの。なりそこなったもの。今も、三日月宗近と呼べるかもしれない「何か」が、この地面の下に埋まっている。
「ここに眠っている俺も、きっとお前に会いたかっただろうなあ」
三日月宗近が、やさしく言った。鶴丸さんは、顔を上げて、笑みを返した。
「あんたのところの鶴丸国永は、どんなやつなんだい?」
「そうだなあ。しっかり者で、いつも他人のことばかり気にかけているような奴だった」
だった、という言葉に、鶴丸さんが首を傾げる。三日月は鷹揚に笑った。
「俺の主は、とうに審神者を引退した身でな。本丸は他の者の手に渡り、鶴丸とも長いこと会っていない。今は、俺だけが主の刀だ」
私は、驚いて審神者に目を移す。彼はまったく、おしゃべりなじいさんだねえと呆れたように言って、ふいに、ぴくりと肩を震わせた。
「三日月、残念だけど、お喋りはここまでだ。あの子たちが遡行軍を発見した。私の指示なんか必要ないかもしれないが、一応今は主だからね。見守ってやらないと」
「見守る、って、どうやってですか?」
私は、思わず問いかける。審神者は少し笑って言った。
「あんたと話してる間も、私にはあの子たちの動きが視えてるのさ。どこに居たって何をしているかわかる。審神者と刀剣男士は、そういうものなんだよ」
審神者は来た時と同じように、美しい姿勢で鍛刀小屋を出て行った。その後を、三日月宗近が追う。寄り添うように歩く二人の後ろ姿は、小屋の出口が切り取った、一枚の絵みたいで、私はしばらく動けずに、その光景をぼんやりと眺めていた。
全ての刀が帰還して、順番に手入れを済ませると、臨時の審神者は帰っていった。私はそれを見送って、今日の仕事は終了だ。
見送りには、鶴丸さんも来て、三日月宗近と少し言葉を交わしていた。鶴丸さんは、お昼休みに話をした時みたいに自然に笑って、楽しそうにしている。私と審神者は、そんな二人を眺めながら少し話をした。
「この本丸の奴らは、まるで「物」みたいにおとなしいが、あの子はちょっと毛色が違うね」
その目は慈愛に満ちていて、子どもを見守る親のようだった。きっとこの人は、どんな刀剣男士に対してもそうなんだろうなと、なんとなく思う。私はそうですね、と相槌を打つ。
「初めて会った時は、なんだか近寄りがたい感じがしましたけど、今日話をしてみたら、だいぶ印象が変わりました」
「そうかいそうかい。個体差はあれど、鶴丸国永ってのは、明るいやつが多い印象だからねえ。何があったか知らないが、そういう部分を押し殺して生活していたんだとしたら、しんどかっただろうよ」
人の身体を持ちながら、物として過ごすことを望まれたこの本丸の刀剣男士たちには、戦いを望む心しか無いのかと思っていた。だけど、それはきっと間違いで、みんな鶴丸さんみたいに、心をどこかに置き忘れてきてしまっただけなのだ。それはなんでもないきっかけで動き出す。間抜けな女が本棚の本をひっくり返したり、会ったことのない刀剣男士と言葉を交わしたり、そんな、ちょっとしたことで。新しい主の元で、そういう未来が、彼らにもあるのかもしれないと思うと、楽しみだなと、他人事ながら思った。私は、審神者に寄り添って歩く三日月宗近の姿を思い出しながら言う。
「あなたの三日月宗近は、とても自由な感じがして、素敵ですね」
審神者は驚いたように私を見た。狐面越しに、視線がぶつかる。ほんの数秒、見つめ合った後、審神者はどこか皮肉めいた、苦い笑みを浮かべた。
「本当に、そうなら良いんだが。私は、あの子から戦うことを奪ってよかったのかと、今でも考える時があるよ。戦うことは、刀剣の本懐だ。今日、ここの刀剣男士たちの、出陣していく生き生きとした様を見て、改めて思った。あの子は、三日月は、私が引退すると言った時も、私の傍を離れたがらなくてね。他の者に引き継ぐくらいなら刀解してくれの一点張りだったから、仕方なく私が折れて、こうやって傍に置いてるんだが……時々、これでよかったのかと思うこともある」
審神者は、また三日月宗近へと視線を戻した。自分を嘲るような口ぶりに反して、その横顔は優しい。大切なものを、見つめる目だと思った。悩む間もなく、口から言葉が零れ落ちる。
「……三日月宗近は、きっとあなたの傍に居られて、幸せです。少なくとも、私には、そう見えます」
それに、あなたも、と言うと、彼はひとつ瞬きをしてから、豪快に声を上げて笑った。次にこちらを向いた時には、初対面の時と同じ、少し厳しさを感じさせるような、強い意志のある顔に戻っていた。
「まったく、こんなに若い人に慰められてるようじゃ、私もまだまだだね」
私は、生意気なことを言ってしまったことを慌てて詫びたが、彼は少しも気にしていないことを伝えるように、私の肩をぽんぽんと叩いた。
「ありがとう。あんたみたいな人が管理人なのは、ここの本丸の奴らにとっても、良いことなのかもしれないね。次の審神者が決まるまで、あの鶴丸国永にも、他の奴らにも、どうか目をかけてやってくれ」
退勤時間少し前に、こんのすけを通して、北嶋さんから連絡があった。帰る前に、こちらに寄ってほしいという。
ちょうどいい、シェルターに在った三日月宗近と思われる刀について、ついでに直接報告しようと、私は来た時と同様、巫女装束にビジネスバックという奇妙な出で立ちで、北嶋さんの部署を目指した。
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「ここにいたのか、探していたんだよ。お取込み中かい?」
私の傍らに座る鶴丸さんを見やりながら、彼は言う。私は慌てて首を横に振って、立ち上がった。彼は、私の職務規定について知っているだろうか。北嶋さんと知り合いのようだったから、ふとした時にバレてしまうかもしれない。内心冷や汗をかきながらも、平静を装って答える。
「何かありましたか」
「ああ、ちょっと妙なもんをこいつが見つけちまってねえ」
そう言いながら、傍らの三日月宗近を示す。三日月は、私に向かって少し微笑んでから、鶴丸さんを見て、目を細めた。鶴丸さんは、しげしげと三日月宗近を見つめ返す。三日月宗近はこの本丸には居ないので、珍しいのだろう。私も許されるのであれば、この美しい姿をじっくり観察したいと思う。
「管理人さん、いっしょに来て確認してもらえるかい」
審神者の言葉に頷いて、彼の後ろを歩き出す。なぜか鶴丸さんも、私の隣を歩き出した。どうやら、付いて来るつもりらしい。縁側を歩き、広間の前を通り、玄関へと戻る。靴を履いて庭へ出て、審神者が私たちを案内したのは、少し離れたところに建つ鍛刀小屋だった。小さな小屋の入口には、本来ならしめ縄がかけられているが、今は取り払われている。中へ足を踏み入れると、湿った土の匂いがした。冷却材や玉鋼といった資材や、鍛刀のための道具などは、審神者が亡くなった際に政府が回収しているため、がらんとしている。私は仕事柄、この何も無い状態の鍛刀小屋しか見たことが無い。
「ここに、何かあるんですか」
「ああ、この奥ににね」
審神者は三日月宗近に目線を送った。三日月はすっと進み出て、鍛刀場の一番奥の壁をするりと撫でる。ある一点で手を止め、そこを押すと、がこんと音がして、壁の一部が内側へとへこんだ。途端、ごろごろと地鳴りのような音がして、地面が少し揺れる。びっくりして、辺りを見まわすが、焦っているのは私一人だけのようだ。やがて、三日月と私たちの間の地面が四角く光り、切り取られるように地面に消え、変わりに暗い穴が顔を出した。人ひとりがやっと通れるくらいの小さな穴だが、階段で地下へと降りられるようになっている。
「え、ええ!? なんですかこれ!」
「おそらく、避難用のシェルターだよ。この戦争が始まって間もない頃、本丸を襲撃されて、壊滅に追い込まれるなんてことが、度々あってね。最近じゃあめったに聞かないが、今でも攻められることを前提に、守りを固めている本丸も少なくないんだよ。優秀な本丸なら尚更狙われる可能性は高くなるからね……その様子だと、あんたは知らなかったようだね」
男は呆然とする私に言って、鶴丸さんに目を移した。
「鶴丸国永、あんたは?」
「知ってるぜ。たまに昼寝に使ってるからな。暗くて涼しくて落ち着くんだ。でも、これがどうしたってんだ? あんたが言うように、そう珍しいものでもないだろう」
「妙なもんってのは、この穴じゃない。この穴の中にあるのさ」
ついてきな、と言って、男は穴の中へと歩みを進める。その後ろを、鶴丸さんが進み、私は慌ててその後ろを追った。私の後ろから、少し離れて、三日月宗近が降りてくる。随分おかしな隊列だと、妙な気分になった。穴の中は暗いが、人が通ると自動で明かりが点くようになっているらしく、ちいさな光が足元を照らしている。階段を踏み外さないように、足元ばかり見ていた私は、目の前の鶴丸さんが止まっていることに気付かず、その背中に突っ込んだ。
「大丈夫かい?」
「す、すいません……」
慌てて距離をとり、面白がっているような鶴丸さんの声に、恥ずかしくなって俯く。ぼんやりと、足元しか見えないが、きっと彼は笑っているに違いない。
「三日月、明かりを」
そう、男が声をかけると、ぱちりと天井の照明が点いた。一瞬、眩しくて、目がちかちかする。慣れてくると、部屋の全貌が見渡せた。何の変哲もない、四畳半ほどの狭い部屋だ。目立った家具などはなく、奥半分は畳が敷かれている。入って正面の壁と、右側の壁はふすまで仕切られていて、その奥がどうなっているのかはわからない。畳の上にはぽつんと、細長い木の箱が置かれていた。特に何も書かれておらず、中に何が入っているのかはわからない。
「そこの押入れの奥から見つけた物だよ。この子が、奥から気配がすると言って聞かなくてね。勝手に探させてもらった」
男は草履を脱いで畳に上がると、箱の傍らに腰をおろし、蓋を開けた。中身も細長く、白い布で包まれて、箱にぴったりおさまっている。慎重な手つきで中身を取り出し、自らの節くれだった手の上にのせ、そっと白い布をめくると、一振の刀が現れた。
「これは……」
「三日月宗近」
後ろから、声が上がる。私は思わず、後方に立つ三日月を見た。彼はにっこりと笑う。
「だと思うぞ。恐らくな」
「これが、三日月宗近……?」
私は改めて、その刀を見つめた。鞘も、柄も無い、生まれたままの姿をした刀剣は、細身で優美な反りを持ってはいたが、表面がすすけ、濁っていた。おまけに、刃こぼれが酷く、何か切れそうには見えない。私にはとてもこれが三日月宗近には見えず、首をひねった。
「私も信じられないが、同じ三日月宗近が言うんだから、あながち勘違いとも言い切れないと思ってね」
男は、ため息交じりに言った。
「こいつは、顕現に失敗した後に残ったものだろう。何が起こったか、正確にはわからない。三日月宗近の姿には近づいたが、降ろすことは叶わなかったってとこかねえ。それで、未練がましく、こんな状態で仕舞い込んでいたんだろう」
「……主は、鍛刀があまり得意では無かったからなあ」
ぽつりと、傍らで鶴丸さんが零した。遠い過去を見るように、ぼうっとした瞳が、曇った刀を見るともなしに見ている。
「よく誰かが本丸に来て、そのことで主を罵っていた。それこそ、三日月宗近の名前は何度も出てきたぞ。待望の刀だっただろうに。主もかわいそうになあ」
この本丸の刀剣男士が少ない理由が、そんなところにあったとは。優秀な審神者だと聞いていた。恐らく、北嶋さんも知らなかったのだろう。
刀剣男士を顕現出来ないというのは、審神者としてあってはならないことだ。本来であれば、職を辞して、現世に帰ることも有りうるだろう。しかし、この本丸の審神者は、他の本丸とは違ったやり方を貫いてまで少数で結果を出し続け、政府相手にそれをひた隠しにしてきた。どうしてだろう、と思う。そうまでして、審神者でありたかったのか。それとも、そうあらねば、ならなかったのか。
周囲から、一目を置かれるような成績を残しても、罵られなければならなかった彼女の状況が、どのようなものだったのかはわからない。けれど、あと一歩で手が届きそうだった物を、諦めきれない未練は、痛いほど伝わってくる。もう無理だとわかっていても、目の前の鉄の塊を、溶かしてしまうことなど出来なかったに違いない。
「……悔しかったのでしょうね」
「そうだったとしても、こんな中途半端な状態のもの、残しておいちゃあいけなかった。何が起こっていても不思議じゃない」
私の感傷を遮るように、ぴしゃりと男は言って、曇った刀をまた慎重に白い布で覆った。
「さて、管理人さん。こいつはどうする?」
私は、もちろんその問いに対する答えを持っていない。とりあえず、北嶋さんに報告する旨を伝え、四人で部屋を出る。
来た時と同様、三日月宗近が壁を押した。ごろごろと音が響いて、穴がふさがっていく。音がやむと、そこにはもう何も無くて、穴が有ったなんて信じられなかった。
「……会ってみたかったなあ。この本丸の三日月に」
鶴丸さんが、穴があったはずの地面を眺めながら呟いた。三日月宗近になるかもしれなかったもの。なりそこなったもの。今も、三日月宗近と呼べるかもしれない「何か」が、この地面の下に埋まっている。
「ここに眠っている俺も、きっとお前に会いたかっただろうなあ」
三日月宗近が、やさしく言った。鶴丸さんは、顔を上げて、笑みを返した。
「あんたのところの鶴丸国永は、どんなやつなんだい?」
「そうだなあ。しっかり者で、いつも他人のことばかり気にかけているような奴だった」
だった、という言葉に、鶴丸さんが首を傾げる。三日月は鷹揚に笑った。
「俺の主は、とうに審神者を引退した身でな。本丸は他の者の手に渡り、鶴丸とも長いこと会っていない。今は、俺だけが主の刀だ」
私は、驚いて審神者に目を移す。彼はまったく、おしゃべりなじいさんだねえと呆れたように言って、ふいに、ぴくりと肩を震わせた。
「三日月、残念だけど、お喋りはここまでだ。あの子たちが遡行軍を発見した。私の指示なんか必要ないかもしれないが、一応今は主だからね。見守ってやらないと」
「見守る、って、どうやってですか?」
私は、思わず問いかける。審神者は少し笑って言った。
「あんたと話してる間も、私にはあの子たちの動きが視えてるのさ。どこに居たって何をしているかわかる。審神者と刀剣男士は、そういうものなんだよ」
審神者は来た時と同じように、美しい姿勢で鍛刀小屋を出て行った。その後を、三日月宗近が追う。寄り添うように歩く二人の後ろ姿は、小屋の出口が切り取った、一枚の絵みたいで、私はしばらく動けずに、その光景をぼんやりと眺めていた。
全ての刀が帰還して、順番に手入れを済ませると、臨時の審神者は帰っていった。私はそれを見送って、今日の仕事は終了だ。
見送りには、鶴丸さんも来て、三日月宗近と少し言葉を交わしていた。鶴丸さんは、お昼休みに話をした時みたいに自然に笑って、楽しそうにしている。私と審神者は、そんな二人を眺めながら少し話をした。
「この本丸の奴らは、まるで「物」みたいにおとなしいが、あの子はちょっと毛色が違うね」
その目は慈愛に満ちていて、子どもを見守る親のようだった。きっとこの人は、どんな刀剣男士に対してもそうなんだろうなと、なんとなく思う。私はそうですね、と相槌を打つ。
「初めて会った時は、なんだか近寄りがたい感じがしましたけど、今日話をしてみたら、だいぶ印象が変わりました」
「そうかいそうかい。個体差はあれど、鶴丸国永ってのは、明るいやつが多い印象だからねえ。何があったか知らないが、そういう部分を押し殺して生活していたんだとしたら、しんどかっただろうよ」
人の身体を持ちながら、物として過ごすことを望まれたこの本丸の刀剣男士たちには、戦いを望む心しか無いのかと思っていた。だけど、それはきっと間違いで、みんな鶴丸さんみたいに、心をどこかに置き忘れてきてしまっただけなのだ。それはなんでもないきっかけで動き出す。間抜けな女が本棚の本をひっくり返したり、会ったことのない刀剣男士と言葉を交わしたり、そんな、ちょっとしたことで。新しい主の元で、そういう未来が、彼らにもあるのかもしれないと思うと、楽しみだなと、他人事ながら思った。私は、審神者に寄り添って歩く三日月宗近の姿を思い出しながら言う。
「あなたの三日月宗近は、とても自由な感じがして、素敵ですね」
審神者は驚いたように私を見た。狐面越しに、視線がぶつかる。ほんの数秒、見つめ合った後、審神者はどこか皮肉めいた、苦い笑みを浮かべた。
「本当に、そうなら良いんだが。私は、あの子から戦うことを奪ってよかったのかと、今でも考える時があるよ。戦うことは、刀剣の本懐だ。今日、ここの刀剣男士たちの、出陣していく生き生きとした様を見て、改めて思った。あの子は、三日月は、私が引退すると言った時も、私の傍を離れたがらなくてね。他の者に引き継ぐくらいなら刀解してくれの一点張りだったから、仕方なく私が折れて、こうやって傍に置いてるんだが……時々、これでよかったのかと思うこともある」
審神者は、また三日月宗近へと視線を戻した。自分を嘲るような口ぶりに反して、その横顔は優しい。大切なものを、見つめる目だと思った。悩む間もなく、口から言葉が零れ落ちる。
「……三日月宗近は、きっとあなたの傍に居られて、幸せです。少なくとも、私には、そう見えます」
それに、あなたも、と言うと、彼はひとつ瞬きをしてから、豪快に声を上げて笑った。次にこちらを向いた時には、初対面の時と同じ、少し厳しさを感じさせるような、強い意志のある顔に戻っていた。
「まったく、こんなに若い人に慰められてるようじゃ、私もまだまだだね」
私は、生意気なことを言ってしまったことを慌てて詫びたが、彼は少しも気にしていないことを伝えるように、私の肩をぽんぽんと叩いた。
「ありがとう。あんたみたいな人が管理人なのは、ここの本丸の奴らにとっても、良いことなのかもしれないね。次の審神者が決まるまで、あの鶴丸国永にも、他の奴らにも、どうか目をかけてやってくれ」
退勤時間少し前に、こんのすけを通して、北嶋さんから連絡があった。帰る前に、こちらに寄ってほしいという。
ちょうどいい、シェルターに在った三日月宗近と思われる刀について、ついでに直接報告しようと、私は来た時と同様、巫女装束にビジネスバックという奇妙な出で立ちで、北嶋さんの部署を目指した。
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