本丸の管理人2
「さて。それでは、あなたのパートナーを紹介します」
北嶋さんの素の表情がのぞいていたのは、ほんの少しの間だけで、気を取り直した彼はいつもの北嶋さんだった。ちょうどいい笑顔で、少し声を張り上げる。
「こんのすけ! そこにいるのか?」
「はい、お呼びですか」
ぬっと、どこからともなく、姿を現したのは、狐だった。自分の面とは似ても似つかない、くりくりとした目にふさふさの毛並の、かわいらしい狐だ。ただ、
「しゃ、しゃべった……」
「良い反応しますね」
北嶋さんは、狐の頭をなでながら、ちょっと呆れたように笑う。
「政府が開発した、管狐型アンドロイドです。本丸と政府との通信手段で、あらゆる技術的ハッキング及び霊的な妨害、呪詛等防ぐ仕様になっています。審神者と政府の間で交わされる情報のほとんどは軍事機密ですから。人工知能を組み込んでありますので、人になつきますし、審神者次第でいろいろと役に立つようにもなります」
北嶋さんの手が喉元を撫でると、気持ちよさそうに目を細める姿は、単なるかわいらしい小動物にしか見えない。私もおそるおそる近づき、そっと尻尾にふれてみる。
「ふ、ふわふわだ……!」
「お褒めいただきありがとうございます」
「どういたしまして……」
「今回は通常のお仕事と併せて、毎日審神者を受け入れていただくという任務がありますからね。審神者のサポートは基本的にこんのすけにまかせて大丈夫ですし、あなたのサポート役でもあるので、何かわからないことがあったら聞いてください。呼びかければすぐにうちの課とつながるようにもなっていますから」
「わかりました。よろしくね、こんのすけ」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。早速やることが山積みですので、がんばりましょう」
小さな手を差し出され、そっと握手をした。ゆらりと、ふわふわの尻尾が揺れた。
北嶋さんは明日の朝、代理の審神者とこちらへ来ると言い置いて、帰っていった。私はこんのすけに連れられ、本丸内をぐるりと見て回る。刀剣男士の数が少ないからだろう、今まで派遣されてきたどの本丸よりも、こじんまりとしていた。
「本丸は、刀剣男士が増える度に増築を繰り返すのですよ。この本丸は、一度も手を入れたことがありませんが」
先導するこんのすけが言う。彼は審神者が生きていた頃からここに居たらしい。勝手知ったる様子で、本丸内を案内してくれる。
先ほど通された広間の他にも、大小ふすまで区切れる部屋が多数。大きなお風呂、勝手口へ続く土間と台所。裏手にある馬小屋や物干し場。広い畑。基本的には、どこの本丸にもある、見慣れたはずの光景だが、今まで見てきたどことも違う。
「ねえ、こんのすけ」
長い縁側を歩いている途中、耐え切れなくなって、前を歩くこんのすけを呼び止めた。
「この本丸は、なんだか空家みたいだね」
うっすらと埃がたまった廊下の隅。まったく使われた形跡のない、台所や風呂。皆が集うはずの広間には、座布団もなければ机もない。無駄に広い畑は耕された形跡もなく周囲と同化し、夏の暑さで生い茂る雑草にほとんど埋まっている。
誰もいないまま、何年も放置された空家みたいだ。こんな本丸、見たことが無い。感じたことの無い雰囲気が、どこか不気味で、なんだか初めてこの仕事を任された時のような、頼りない気持ちになる。
こんのすけも立ち止まり、ちらりと振り返る。随分と高くなった太陽が庭を白く光らせるから、屋敷の中はなんだか薄暗い。蝉の声が響く。風が、ちりんと風鈴を鳴らす。怖いくらい、静かだった。
「そうですか。審神者様はここで20年間、お勤めしておりましたが」
そう、とだけ答え、前に向き直ったこんのすけの後ろを、また歩き出す。この狐は、この本丸しか知らないのだから、私の感じる違和感も、感じなくて当然だろう。先ほどの、北嶋さんの話を思い出し、前方で揺れるふわふわの尻尾に問いかける。
「ねえ、ここの刀剣男士はみんな、普段刀の姿で居るんだよね。どうしてだか知ってる?」
「どうして、と申されましても。刀剣男士は日本刀という道具。人の姿は、あくまで戦闘のための仮の姿。だから、本丸に帰ってくれば、本来の刀の姿に戻す。自然なことだと思いますが」
こんのすけのはさらりと答えたが、私はすんなりと飲み込むことが出来なかった。
ぽつりぽつりと、疑問をこぼす。食事はどうしていたのか、とか、お風呂は、とか。こんのすけは、律儀に、淡々と、ひとつひとつ説明してくれる。食事や風呂といった、人間のような習慣は無かったこと。毎日全員の手入れを行い、刀の姿に戻してしまえば、そういった行為は不要であったこと。
疑問が途切れ、こんのすけが黙り、廊下はまたしんと静かになる。いつの間にか、足が止まっていた。
ぼうと、床板を見るともなしに見つめていると、先ほど目にした彼らの姿が浮かぶ。
戦い、傷つき、手入れされ、また戦って。それを延々とくり返す。それはもしかしたら、刀としては一番自然な形なのかもしれない。
でも、あの姿を見て、本当に道具だなどと、思えるものだろうか。
私は、普段の刀剣男士を知らない。私が目にしてきたのは、主を失い、次の主に引きつがれるまでの、わずかな時間の彼らの姿だけだ。直接言葉を交わしたこともない。
でも、そんな私でもわかる。主を失い、途方に暮れるもの。悲しみ、落ち込んで、臥せってしまうもの。荒ぶって、他の誰かに当たるものもいれば、ただ静かに、主を悼むものもいる。彼らには、心があるのだ。間違いなく。そして、彼らにその心を与えたのは、彼らを呼んだ審神者ではないのか。
なんだか息苦しさを覚えて、自分が物思いにふけっていたことに気付く。はっとして、こんのすけを見れば、様子を窺うように、真っ黒な瞳がこちらを見上げていた。ごめんなさい、と零すと、不思議そうに首を傾げる。
「ご気分でも悪いのですか?」
悪いか悪くないかで言えば悪い気もしたが、大丈夫だと伝える。仕事で来ているのだということを思い出し、余計な考えは頭の隅に追いやる。
いつの間にか、本丸の一番奥にたどり着いていたらしい。薄暗い廊下の奥に不意に現れたのは、ドアノブのついた一枚の扉。四角いすりガラスがはめこまれた飾り窓が愛らしいが、この古めかしい日本家屋には不釣合いで、不思議な感じがする。
こんのすけに促され、そっとドアノブを回し、押し開ける。鈍い音を立てて扉が開いた。とたん、押し込められていた空気と埃が舞い上がり、思わず目を閉じて、咳き込んでしまう。
「大丈夫ですか」
「う、うん、へーき……」
埃が落ち着いてきたのを見計らい、そっと目を開けると、そこはこじんまりとした洋間だった。思わず後ろを振り返ると、もちろん純和風の屋敷で、混乱する。まるで、日本家屋に無理やり洋風の建物を増設したような、不自然なつくりだ。戸惑いながら視線を戻す。ぐいと大きく扉を開き、そっと中へ足を踏み入れた。
高い位置にある窓から差し込んだ光が、埃をきらきらときらめかせ、一人掛けのソファの上に落ちる。その向かい側に置かれた小さな机の上には、まるで今まで誰かが座っていたかのように、本が開かれたまま置かれていて、花が一輪、しおりのように載っている。
部屋の右手側にロフト。その下には小さな簡易キッチンがあり、食器や、日持ちのしそうな食材が無造作に並べられた戸棚からは、この本丸で初めて生活感のようなものを感じられた。
何より目を奪われるのは、壁一面、天井まで届く本棚を埋め尽くす、書物や書類。床にしかれた毛足の長いラグの上にも、本棚に入りきらない書物が積み上げられていて、そのほとんどは隠れてしまっている。
「すごい」
思わず口を着いた感嘆の言葉。良く見たくて、面を頭の上に押し上げる。圧倒される私の様子に、こんのすけはどこか誇らしげに言う。
「ここは、審神者様の執務室兼居住スペースです。彼女は、由緒正しい能力系の一家のお生まれで、ご両親もその道で知らぬ人はいないほどの人物だと聞いております。しかし、親譲りの才能に溺れず、常に戦いのことを考え、歴史や、戦について、学び続けておられました」
こんのすけが、ひょいとテーブルの上に飛び乗ると、内蔵されていたパソコンが起動され、スクリーンが浮かび上がった。本人認証画面に表示されたのは、家族写真だった。線の細い、優しそうな男性が、3歳くらいの男の子を抱き上げていて、その傍らには、髪の長い、目鼻立ちのくっきりした女性が寄り添っている。三人とも、幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「この女の人が、審神者?」
「はい。これはまだ、着任される前なので、20代の頃のお写真ですね」
「そう……」
刀剣男士を刀として扱い、多くの敵を倒し、優秀な戦績を治めていた審神者。才能を持ち、努力家でもあった人。思い描いていたような厳しい姿はそこには無く、ただ美しく、穏やかな人に見える。
いっしょに写っているのは、きっと家族なのだろう。部屋を見回しても、他に写真は見当たらない。古い写真を使い続けていたということは、新たに写真を撮れる環境では無かったということか。家族を現世に残し、審神者になったのかもしれないと思う。
その姿に、そっと手を合わせた。この部屋でひとり、戦っていたのか。自分が呼んだ神様に囲まれながら、誰とも心を通わせようとはせずに。それは、一体どんな気持ちだろう。私には、想像することも出来なかった。
「誰だ」
ふいに声をかけられて、飛び上がる。反射的に振り返ると、扉の外の暗がりから、誰かがこちらを見ていた。暗がりにぼうと浮かぶ、白い影。真っ直ぐにこちらを射抜く視線に、背筋が凍る。いつからそこに居たのかもわからない。突然現れた何かに、心臓が早鐘を打つ。
思わず後ずさると、本棚に背中がぶつかった。その拍子に、ばさりと頭上から紙の束が落ちてくる。
「え?」
一瞬の後、それを契機としたように、無理矢理詰め込まれていた物たちが、ばさばさと雨のように降り注いだ。口から情けない悲鳴が漏れ、とっさに頭をかばうようにうずくまる。重い書物がいくつか地面をたたき、重なっていた書類が雪崩を起こす。痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じる。一瞬のようで、とても長い数秒。予想していたような痛みは、やってこなかった。恐る恐る目を開ける。辺りには降り積もった埃が舞い上がって、もうもうと立ち込めている。頭上から、咳き込む音が聞こえ、私は顔をあげた。
「大丈夫か?」
一瞬、呼吸が止まり、声が出なかった。私を庇うように立つ、それが、あまりにきれいで。
透けるような、真っ白い髪、真っ白の服、真っ白な肌。不思議そうに、私を見る、黄金の瞳。
平安時代、五条国永の手によって打たれた、この世に現存する数少ない彼の在銘太刀。鶴丸国永。
真っ白な神様は、背を丸めて、手を本棚につき、私を書類の雪崩から守ってくれたようだった。
呆けたように、動きを止めた私の答えを待たず、彼はゆっくりと身を起こした。黄金の装飾が、陽の光を受けてきらめく。ほっそりとした手が、白い衣をはたくと、もうもうと埃があがった。彼はまたむせて、わずらわしそうに顔の前で手を振る。その拍子に、こめかみからたらりと、赤い血が一筋、流れ落ちた。固まっていた私の声帯から、ひねりつぶされたような悲鳴が漏れる。
「血!ケガしてる! どうしよう、どうしよう……救急箱! こんのすけ、救急箱ってある!?」
慌てて管狐を振り返るが、管狐は至って冷静に言った。
「刀剣男士のケガは薬では治りませんよ」
「あ……そ……でも、じゃあどうすれば……」
ショックで身体に力が入らず、ぺたんと床に座り込む。刀剣男士にケガをさせてしまった。こんな美しい人の顔に、傷をつけてしまった。一体どうやって償えばいいのか。手が震え、泣きたくなってくる。途方に暮れて、鶴丸国永を見やると、彼は眉間に皺を寄せて、困ったように私を見ていた。ぐいと、儚げな容姿からは想像もつかない、荒っぽい仕草で血を拭う。
「……こんのすけ、こいつは誰だ」
「鶴丸国永。こちらは、本日より本丸の管理人となった方ですよ。北嶋から話を聞いていませんか?」
「管理人? いや、聞いてない……そういや今日何か知らせがあると言ってたな……」
様子のおかしい私を無視して、こんのすけに話しかけた鶴丸国永は、再度私を見た。黄金の目が、品定めをするようについと細められて、私は今更ながらに、自分が面をしていなかったことを思い出す。蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れず、呼吸がしづらい。射抜かれるような視線の圧力に、冷や汗が頬を滑り落ちた。震える身体を叱咤し、両手で面を下すと、とたん、彼と私の間に幕がかかったように距離を感じ、いくらか楽に呼吸が出来るようになる。
無意識に詰めていた息を吐き出し、黄金の瞳から引きはがすように目を離し、その場に平伏した。
「ケガをさせてしまい、本当に、本当に申し訳ございません。助けていただき、ありがとうございました」
声も身体も情けないくらいに震える。とりあえず謝らなければと、思わずこんな体制になってしまったが、ここからどうしていいのかがまったくわからない。
永遠にも思われた数秒が過ぎて、頭上で、ため息が聞こえた。すとんと、腰を下ろす気配がして、ふわりと白檀のような香りが鼻先を掠めた。さっきよりずっと近くから、声をかけられる。
「いいから、顔を上げてくれ。そんなこと、しなくていい」
恐る恐る、顔を上げると、思っていたよりもずっと近い距離で目が合い、驚く。こんなに近くで刀剣男士の姿を見たのは初めてだ。美しくて、眩しくて、なんだか怖いのに、目が離せない。陶器のようになめらかで、どこか作り物めいた白い肌。こちらをじっと観察するように見つめてくる、丸い瞳を縁どる長い睫まで白色だと気付く。掠れたような血の跡がなかったら、夏の日差しに溶けて消えてしまいそうな、真昼の夢のような、そういう美しさだ。
「この面のせいか、急に見えづらくなったのは」
ほぼ思考停止に陥っていると、急に狐の面に手をかけられ、驚いてまた身を引く。本棚に思い切り後頭部をぶつけたが、もう物は落ち切ってしまったらしく、今度は何も降ってはこなかった。鈍い痛みに、頭を抑えながら、必死で顔をそむけた。刀剣男士にケガを負わせ、規定を破って顔を見られ、面の効果を見透かされたとあっては、大失態もいいところだ。もう二度と、この仕事に呼んでもらえなくなるかもしれない。
「取ったらだめなのか?」
「だ、ダメです」
鶴丸国永は、そむけた私の顔を覗き込むように身を寄せる。彼の香りと体温が近くなる。これ以上逃げ場の無い私は、じっと身を固くすることしかできない。
「どうして」
「ど……しょ、職務規定で……」
「……ふーん」
少しの沈黙の後、彼は興味が失せたのか、あっさりと私から離れた。ほっとして、身体から力を抜く。鶴丸国永は優雅な所作で立ち上がると、こんのすけに向き合った。
「で、俺たちの新しい主は決まったのか」
「まだ正式には決まっていませんが、明日から日替わりで臨時の審神者がやってくることになりました。出陣できますよ」
そのケガも、手入れしてもらえばいいでしょう、というこんのすけの言葉に、安堵のため息が漏れる。しかし、明日までこのままなのかと思うと、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自責の念にかられながら彼のことをちらりと伺い、その表情にぞくりと背筋が寒くなる。彼は、ケガのことなどまったく気にしている様子もなく笑っていた。美しい少年のような顔に、鬼神のような笑みが浮かぶ。その様はどこか不気味で、アンバランスで、言い知れぬ凄味を感じさせた。
「やっと戦場に戻れるんだな! ここ数日、退屈で死んでしまうかと思ったぜ」
ひらりと、白い衣を翻し、部屋を出ていく。彼は、出口のところで一度だけ振り返り、部屋の中央に浮かんだ写真を見て、眩しそうに目を細めた。
「……初めて見たな。主のこんな顔」
小さく、零れ落ちた言葉に、なぜか胸の奥が鈍く痛む。彼が去ってからも、私はしばらくそこを動くことが出来なかった。ぼんやりと、落とした目線の先には、開かれた本の上に置かれたのと同じ、数本の花が散らばっていた。
鶴丸国永と顔を突き合わせて話をしたことを報告すべきだろうかとこんのすけに尋ねると、すでに北嶋さんには報告済みだと言われて驚いた。管狐は自分の職務に大変忠実らしく、私の一挙一動は記録され、何かあればリアルタイムで情報が送信されるらしい。私は複雑な気持ちのまま、北嶋さんの部署へ繋いでもらう。
「一日目から困りますよ」
かわいらしい狐から、呆れたような北嶋さんの声が聞こえる。私は何も言い返せず、申し訳ありませんと、見えているのかはわからないが、頭を下げた。仕事のことは大体わかっているから、なんて言っていたのは誰だったか。私だ。情けなくて、言葉も出ない。
北嶋さんはそんな私の様子を察したのか、少し優しい声でフォローしてくれた。
「鶴丸国永に、このことをきちんと伝えていなかった私にも責任はあります。あなたはよその鶴丸国永を見たことがあるでしょう? ああいう性格なので、審神者の生前から、おとなしくしていることが出来ず、よく彼女とも衝突していました」
私は、これまで目にしてきた鶴丸国永を思い浮かべたが、今日出会った鶴丸国永とは、似ても似つかないような気がした。個体差はあれど、あんなに静かで、あんなに冷めた目をした鶴丸国永を、私は知らないと思った。ぼうっと彼のことを思い浮かべていると、ますます私が落ち込んでいると思ったのか、北嶋さんは慌てて言い募る。
「あなたはこれまでの実績をお持ちですし、今回は通常の本丸では無かったことも考慮して、特に罰則等ありませんから、安心してください。ただ、今後は十分気を付けてくださいね。その狐面も、一度見透かされては効果が薄いと思いますので……」
はい、とうなだれつつ、最後の言葉が気になり、恐る恐る聞いてみた。
「これまでも、面の効果がばれた事例って合ったんですか?」
「……まあ人間ですから、誰にでもミスはあります。怖い話ならいくらでもありますけど、聞きたいですか?」
私は、今後もこの仕事を続けたいと思っているので、あえて聞くのはやめておいた。そして、今後はより一層注意深く仕事に取り組もうと、心に誓った。
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北嶋さんの素の表情がのぞいていたのは、ほんの少しの間だけで、気を取り直した彼はいつもの北嶋さんだった。ちょうどいい笑顔で、少し声を張り上げる。
「こんのすけ! そこにいるのか?」
「はい、お呼びですか」
ぬっと、どこからともなく、姿を現したのは、狐だった。自分の面とは似ても似つかない、くりくりとした目にふさふさの毛並の、かわいらしい狐だ。ただ、
「しゃ、しゃべった……」
「良い反応しますね」
北嶋さんは、狐の頭をなでながら、ちょっと呆れたように笑う。
「政府が開発した、管狐型アンドロイドです。本丸と政府との通信手段で、あらゆる技術的ハッキング及び霊的な妨害、呪詛等防ぐ仕様になっています。審神者と政府の間で交わされる情報のほとんどは軍事機密ですから。人工知能を組み込んでありますので、人になつきますし、審神者次第でいろいろと役に立つようにもなります」
北嶋さんの手が喉元を撫でると、気持ちよさそうに目を細める姿は、単なるかわいらしい小動物にしか見えない。私もおそるおそる近づき、そっと尻尾にふれてみる。
「ふ、ふわふわだ……!」
「お褒めいただきありがとうございます」
「どういたしまして……」
「今回は通常のお仕事と併せて、毎日審神者を受け入れていただくという任務がありますからね。審神者のサポートは基本的にこんのすけにまかせて大丈夫ですし、あなたのサポート役でもあるので、何かわからないことがあったら聞いてください。呼びかければすぐにうちの課とつながるようにもなっていますから」
「わかりました。よろしくね、こんのすけ」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。早速やることが山積みですので、がんばりましょう」
小さな手を差し出され、そっと握手をした。ゆらりと、ふわふわの尻尾が揺れた。
北嶋さんは明日の朝、代理の審神者とこちらへ来ると言い置いて、帰っていった。私はこんのすけに連れられ、本丸内をぐるりと見て回る。刀剣男士の数が少ないからだろう、今まで派遣されてきたどの本丸よりも、こじんまりとしていた。
「本丸は、刀剣男士が増える度に増築を繰り返すのですよ。この本丸は、一度も手を入れたことがありませんが」
先導するこんのすけが言う。彼は審神者が生きていた頃からここに居たらしい。勝手知ったる様子で、本丸内を案内してくれる。
先ほど通された広間の他にも、大小ふすまで区切れる部屋が多数。大きなお風呂、勝手口へ続く土間と台所。裏手にある馬小屋や物干し場。広い畑。基本的には、どこの本丸にもある、見慣れたはずの光景だが、今まで見てきたどことも違う。
「ねえ、こんのすけ」
長い縁側を歩いている途中、耐え切れなくなって、前を歩くこんのすけを呼び止めた。
「この本丸は、なんだか空家みたいだね」
うっすらと埃がたまった廊下の隅。まったく使われた形跡のない、台所や風呂。皆が集うはずの広間には、座布団もなければ机もない。無駄に広い畑は耕された形跡もなく周囲と同化し、夏の暑さで生い茂る雑草にほとんど埋まっている。
誰もいないまま、何年も放置された空家みたいだ。こんな本丸、見たことが無い。感じたことの無い雰囲気が、どこか不気味で、なんだか初めてこの仕事を任された時のような、頼りない気持ちになる。
こんのすけも立ち止まり、ちらりと振り返る。随分と高くなった太陽が庭を白く光らせるから、屋敷の中はなんだか薄暗い。蝉の声が響く。風が、ちりんと風鈴を鳴らす。怖いくらい、静かだった。
「そうですか。審神者様はここで20年間、お勤めしておりましたが」
そう、とだけ答え、前に向き直ったこんのすけの後ろを、また歩き出す。この狐は、この本丸しか知らないのだから、私の感じる違和感も、感じなくて当然だろう。先ほどの、北嶋さんの話を思い出し、前方で揺れるふわふわの尻尾に問いかける。
「ねえ、ここの刀剣男士はみんな、普段刀の姿で居るんだよね。どうしてだか知ってる?」
「どうして、と申されましても。刀剣男士は日本刀という道具。人の姿は、あくまで戦闘のための仮の姿。だから、本丸に帰ってくれば、本来の刀の姿に戻す。自然なことだと思いますが」
こんのすけのはさらりと答えたが、私はすんなりと飲み込むことが出来なかった。
ぽつりぽつりと、疑問をこぼす。食事はどうしていたのか、とか、お風呂は、とか。こんのすけは、律儀に、淡々と、ひとつひとつ説明してくれる。食事や風呂といった、人間のような習慣は無かったこと。毎日全員の手入れを行い、刀の姿に戻してしまえば、そういった行為は不要であったこと。
疑問が途切れ、こんのすけが黙り、廊下はまたしんと静かになる。いつの間にか、足が止まっていた。
ぼうと、床板を見るともなしに見つめていると、先ほど目にした彼らの姿が浮かぶ。
戦い、傷つき、手入れされ、また戦って。それを延々とくり返す。それはもしかしたら、刀としては一番自然な形なのかもしれない。
でも、あの姿を見て、本当に道具だなどと、思えるものだろうか。
私は、普段の刀剣男士を知らない。私が目にしてきたのは、主を失い、次の主に引きつがれるまでの、わずかな時間の彼らの姿だけだ。直接言葉を交わしたこともない。
でも、そんな私でもわかる。主を失い、途方に暮れるもの。悲しみ、落ち込んで、臥せってしまうもの。荒ぶって、他の誰かに当たるものもいれば、ただ静かに、主を悼むものもいる。彼らには、心があるのだ。間違いなく。そして、彼らにその心を与えたのは、彼らを呼んだ審神者ではないのか。
なんだか息苦しさを覚えて、自分が物思いにふけっていたことに気付く。はっとして、こんのすけを見れば、様子を窺うように、真っ黒な瞳がこちらを見上げていた。ごめんなさい、と零すと、不思議そうに首を傾げる。
「ご気分でも悪いのですか?」
悪いか悪くないかで言えば悪い気もしたが、大丈夫だと伝える。仕事で来ているのだということを思い出し、余計な考えは頭の隅に追いやる。
いつの間にか、本丸の一番奥にたどり着いていたらしい。薄暗い廊下の奥に不意に現れたのは、ドアノブのついた一枚の扉。四角いすりガラスがはめこまれた飾り窓が愛らしいが、この古めかしい日本家屋には不釣合いで、不思議な感じがする。
こんのすけに促され、そっとドアノブを回し、押し開ける。鈍い音を立てて扉が開いた。とたん、押し込められていた空気と埃が舞い上がり、思わず目を閉じて、咳き込んでしまう。
「大丈夫ですか」
「う、うん、へーき……」
埃が落ち着いてきたのを見計らい、そっと目を開けると、そこはこじんまりとした洋間だった。思わず後ろを振り返ると、もちろん純和風の屋敷で、混乱する。まるで、日本家屋に無理やり洋風の建物を増設したような、不自然なつくりだ。戸惑いながら視線を戻す。ぐいと大きく扉を開き、そっと中へ足を踏み入れた。
高い位置にある窓から差し込んだ光が、埃をきらきらときらめかせ、一人掛けのソファの上に落ちる。その向かい側に置かれた小さな机の上には、まるで今まで誰かが座っていたかのように、本が開かれたまま置かれていて、花が一輪、しおりのように載っている。
部屋の右手側にロフト。その下には小さな簡易キッチンがあり、食器や、日持ちのしそうな食材が無造作に並べられた戸棚からは、この本丸で初めて生活感のようなものを感じられた。
何より目を奪われるのは、壁一面、天井まで届く本棚を埋め尽くす、書物や書類。床にしかれた毛足の長いラグの上にも、本棚に入りきらない書物が積み上げられていて、そのほとんどは隠れてしまっている。
「すごい」
思わず口を着いた感嘆の言葉。良く見たくて、面を頭の上に押し上げる。圧倒される私の様子に、こんのすけはどこか誇らしげに言う。
「ここは、審神者様の執務室兼居住スペースです。彼女は、由緒正しい能力系の一家のお生まれで、ご両親もその道で知らぬ人はいないほどの人物だと聞いております。しかし、親譲りの才能に溺れず、常に戦いのことを考え、歴史や、戦について、学び続けておられました」
こんのすけが、ひょいとテーブルの上に飛び乗ると、内蔵されていたパソコンが起動され、スクリーンが浮かび上がった。本人認証画面に表示されたのは、家族写真だった。線の細い、優しそうな男性が、3歳くらいの男の子を抱き上げていて、その傍らには、髪の長い、目鼻立ちのくっきりした女性が寄り添っている。三人とも、幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「この女の人が、審神者?」
「はい。これはまだ、着任される前なので、20代の頃のお写真ですね」
「そう……」
刀剣男士を刀として扱い、多くの敵を倒し、優秀な戦績を治めていた審神者。才能を持ち、努力家でもあった人。思い描いていたような厳しい姿はそこには無く、ただ美しく、穏やかな人に見える。
いっしょに写っているのは、きっと家族なのだろう。部屋を見回しても、他に写真は見当たらない。古い写真を使い続けていたということは、新たに写真を撮れる環境では無かったということか。家族を現世に残し、審神者になったのかもしれないと思う。
その姿に、そっと手を合わせた。この部屋でひとり、戦っていたのか。自分が呼んだ神様に囲まれながら、誰とも心を通わせようとはせずに。それは、一体どんな気持ちだろう。私には、想像することも出来なかった。
「誰だ」
ふいに声をかけられて、飛び上がる。反射的に振り返ると、扉の外の暗がりから、誰かがこちらを見ていた。暗がりにぼうと浮かぶ、白い影。真っ直ぐにこちらを射抜く視線に、背筋が凍る。いつからそこに居たのかもわからない。突然現れた何かに、心臓が早鐘を打つ。
思わず後ずさると、本棚に背中がぶつかった。その拍子に、ばさりと頭上から紙の束が落ちてくる。
「え?」
一瞬の後、それを契機としたように、無理矢理詰め込まれていた物たちが、ばさばさと雨のように降り注いだ。口から情けない悲鳴が漏れ、とっさに頭をかばうようにうずくまる。重い書物がいくつか地面をたたき、重なっていた書類が雪崩を起こす。痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じる。一瞬のようで、とても長い数秒。予想していたような痛みは、やってこなかった。恐る恐る目を開ける。辺りには降り積もった埃が舞い上がって、もうもうと立ち込めている。頭上から、咳き込む音が聞こえ、私は顔をあげた。
「大丈夫か?」
一瞬、呼吸が止まり、声が出なかった。私を庇うように立つ、それが、あまりにきれいで。
透けるような、真っ白い髪、真っ白の服、真っ白な肌。不思議そうに、私を見る、黄金の瞳。
平安時代、五条国永の手によって打たれた、この世に現存する数少ない彼の在銘太刀。鶴丸国永。
真っ白な神様は、背を丸めて、手を本棚につき、私を書類の雪崩から守ってくれたようだった。
呆けたように、動きを止めた私の答えを待たず、彼はゆっくりと身を起こした。黄金の装飾が、陽の光を受けてきらめく。ほっそりとした手が、白い衣をはたくと、もうもうと埃があがった。彼はまたむせて、わずらわしそうに顔の前で手を振る。その拍子に、こめかみからたらりと、赤い血が一筋、流れ落ちた。固まっていた私の声帯から、ひねりつぶされたような悲鳴が漏れる。
「血!ケガしてる! どうしよう、どうしよう……救急箱! こんのすけ、救急箱ってある!?」
慌てて管狐を振り返るが、管狐は至って冷静に言った。
「刀剣男士のケガは薬では治りませんよ」
「あ……そ……でも、じゃあどうすれば……」
ショックで身体に力が入らず、ぺたんと床に座り込む。刀剣男士にケガをさせてしまった。こんな美しい人の顔に、傷をつけてしまった。一体どうやって償えばいいのか。手が震え、泣きたくなってくる。途方に暮れて、鶴丸国永を見やると、彼は眉間に皺を寄せて、困ったように私を見ていた。ぐいと、儚げな容姿からは想像もつかない、荒っぽい仕草で血を拭う。
「……こんのすけ、こいつは誰だ」
「鶴丸国永。こちらは、本日より本丸の管理人となった方ですよ。北嶋から話を聞いていませんか?」
「管理人? いや、聞いてない……そういや今日何か知らせがあると言ってたな……」
様子のおかしい私を無視して、こんのすけに話しかけた鶴丸国永は、再度私を見た。黄金の目が、品定めをするようについと細められて、私は今更ながらに、自分が面をしていなかったことを思い出す。蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れず、呼吸がしづらい。射抜かれるような視線の圧力に、冷や汗が頬を滑り落ちた。震える身体を叱咤し、両手で面を下すと、とたん、彼と私の間に幕がかかったように距離を感じ、いくらか楽に呼吸が出来るようになる。
無意識に詰めていた息を吐き出し、黄金の瞳から引きはがすように目を離し、その場に平伏した。
「ケガをさせてしまい、本当に、本当に申し訳ございません。助けていただき、ありがとうございました」
声も身体も情けないくらいに震える。とりあえず謝らなければと、思わずこんな体制になってしまったが、ここからどうしていいのかがまったくわからない。
永遠にも思われた数秒が過ぎて、頭上で、ため息が聞こえた。すとんと、腰を下ろす気配がして、ふわりと白檀のような香りが鼻先を掠めた。さっきよりずっと近くから、声をかけられる。
「いいから、顔を上げてくれ。そんなこと、しなくていい」
恐る恐る、顔を上げると、思っていたよりもずっと近い距離で目が合い、驚く。こんなに近くで刀剣男士の姿を見たのは初めてだ。美しくて、眩しくて、なんだか怖いのに、目が離せない。陶器のようになめらかで、どこか作り物めいた白い肌。こちらをじっと観察するように見つめてくる、丸い瞳を縁どる長い睫まで白色だと気付く。掠れたような血の跡がなかったら、夏の日差しに溶けて消えてしまいそうな、真昼の夢のような、そういう美しさだ。
「この面のせいか、急に見えづらくなったのは」
ほぼ思考停止に陥っていると、急に狐の面に手をかけられ、驚いてまた身を引く。本棚に思い切り後頭部をぶつけたが、もう物は落ち切ってしまったらしく、今度は何も降ってはこなかった。鈍い痛みに、頭を抑えながら、必死で顔をそむけた。刀剣男士にケガを負わせ、規定を破って顔を見られ、面の効果を見透かされたとあっては、大失態もいいところだ。もう二度と、この仕事に呼んでもらえなくなるかもしれない。
「取ったらだめなのか?」
「だ、ダメです」
鶴丸国永は、そむけた私の顔を覗き込むように身を寄せる。彼の香りと体温が近くなる。これ以上逃げ場の無い私は、じっと身を固くすることしかできない。
「どうして」
「ど……しょ、職務規定で……」
「……ふーん」
少しの沈黙の後、彼は興味が失せたのか、あっさりと私から離れた。ほっとして、身体から力を抜く。鶴丸国永は優雅な所作で立ち上がると、こんのすけに向き合った。
「で、俺たちの新しい主は決まったのか」
「まだ正式には決まっていませんが、明日から日替わりで臨時の審神者がやってくることになりました。出陣できますよ」
そのケガも、手入れしてもらえばいいでしょう、というこんのすけの言葉に、安堵のため息が漏れる。しかし、明日までこのままなのかと思うと、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自責の念にかられながら彼のことをちらりと伺い、その表情にぞくりと背筋が寒くなる。彼は、ケガのことなどまったく気にしている様子もなく笑っていた。美しい少年のような顔に、鬼神のような笑みが浮かぶ。その様はどこか不気味で、アンバランスで、言い知れぬ凄味を感じさせた。
「やっと戦場に戻れるんだな! ここ数日、退屈で死んでしまうかと思ったぜ」
ひらりと、白い衣を翻し、部屋を出ていく。彼は、出口のところで一度だけ振り返り、部屋の中央に浮かんだ写真を見て、眩しそうに目を細めた。
「……初めて見たな。主のこんな顔」
小さく、零れ落ちた言葉に、なぜか胸の奥が鈍く痛む。彼が去ってからも、私はしばらくそこを動くことが出来なかった。ぼんやりと、落とした目線の先には、開かれた本の上に置かれたのと同じ、数本の花が散らばっていた。
鶴丸国永と顔を突き合わせて話をしたことを報告すべきだろうかとこんのすけに尋ねると、すでに北嶋さんには報告済みだと言われて驚いた。管狐は自分の職務に大変忠実らしく、私の一挙一動は記録され、何かあればリアルタイムで情報が送信されるらしい。私は複雑な気持ちのまま、北嶋さんの部署へ繋いでもらう。
「一日目から困りますよ」
かわいらしい狐から、呆れたような北嶋さんの声が聞こえる。私は何も言い返せず、申し訳ありませんと、見えているのかはわからないが、頭を下げた。仕事のことは大体わかっているから、なんて言っていたのは誰だったか。私だ。情けなくて、言葉も出ない。
北嶋さんはそんな私の様子を察したのか、少し優しい声でフォローしてくれた。
「鶴丸国永に、このことをきちんと伝えていなかった私にも責任はあります。あなたはよその鶴丸国永を見たことがあるでしょう? ああいう性格なので、審神者の生前から、おとなしくしていることが出来ず、よく彼女とも衝突していました」
私は、これまで目にしてきた鶴丸国永を思い浮かべたが、今日出会った鶴丸国永とは、似ても似つかないような気がした。個体差はあれど、あんなに静かで、あんなに冷めた目をした鶴丸国永を、私は知らないと思った。ぼうっと彼のことを思い浮かべていると、ますます私が落ち込んでいると思ったのか、北嶋さんは慌てて言い募る。
「あなたはこれまでの実績をお持ちですし、今回は通常の本丸では無かったことも考慮して、特に罰則等ありませんから、安心してください。ただ、今後は十分気を付けてくださいね。その狐面も、一度見透かされては効果が薄いと思いますので……」
はい、とうなだれつつ、最後の言葉が気になり、恐る恐る聞いてみた。
「これまでも、面の効果がばれた事例って合ったんですか?」
「……まあ人間ですから、誰にでもミスはあります。怖い話ならいくらでもありますけど、聞きたいですか?」
私は、今後もこの仕事を続けたいと思っているので、あえて聞くのはやめておいた。そして、今後はより一層注意深く仕事に取り組もうと、心に誓った。
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