3章『やらない善意よりやる偽善。』

1時過ぎで昼食の時間から少しずれていたからかそこまで並ばずに頼むことが出来た。
だが店内ではすでに食べ終えて話に夢中になっている同世代ぐらいの人たちでいっぱいで家で食べるべきだったか、と少し後悔した。
「透、こっちだ。」
先に頼んでいた伊藤が手を振って誘導してくれる、飲み物をこぼさないようにしながらも急ごうとするとその途中のテーブル席で中学生ぐらいの男女4人グループがいて、そのなかの大はしゃぎしていた男の子の手をぶつかってきた。
「、と……。」
急に真横から予備動作もなく避けきれなかったが少しぶつかった程度で飲み物も揺れたがこぼれてはいないのでホッとする。
「ってー!まじ最悪!超いてえんだけどっ!!」
「馬鹿じゃん、受ける!」
「えー?だいじょーぶ?」
痛がるまだ声変わりしていないのか少し高めだが男の子の声と間の抜けた話し方の女の子の声が聞こえた。彼らは複数でいるため誰がどの声かわからないが、多分手がぶつかった子も何か発している。
「ごめん、大丈夫ですか?」
ぶつかられた感じからあまり強くは打ってはいなさそうだが、痛そうな声だったので心配になりそう声をかけた。
「大丈夫じゃねえからこうなってるっ……!っあ、ななって、んすよ、」
手を抑えて痛がっている男の子がこちらを振り返って威勢よく怒鳴ってきた、と思いきや俺の顔を見るとその目は見開かれ尻すぼみになってしまった。
どうしたのだろうか?他の子たちも何故か俺の方を凝視して呆気に取られたような表情を浮かべ静かになってしまっている。時折「え、やば。」「は?やばくない?」などと言う声が聞こえてくるが……、何がやばいんだろう。気になるが、伊藤を待たせてる。
特に問題が無さそうなら伊藤のところへ向かおうと思うんだが……どうするべきだろう?とりあえずもう一度聞いてみて大丈夫そうなら行っちゃおうかな。
自分の中で結論づけて口を開く。
と、同時にずしっと肩に重みを感じる。
「お前ら俺の連れに何か用か?」
「伊藤。」
伊藤の腕が肩乗って俺の顔の真横に伊藤の顔がある。
なるほど重いわけだ。心のなかで納得した。
「何かあったのか?」
「いや、ちょっと……」
手がぶつかってしまって、と続けようとしたがその前に
「いえ!俺らが悪かったです!すいませんっした!!」
「ごめんなさい、この席どうぞ!」
『それでは!』と声を揃え、何を言われたのか理解する前にバタバタと慌ただしく席を立ち外へ出て行ってしまった。
一体、なんだったんだろうか。
「なんだありゃ?」
「……さあ……。」
心底分からずお互い首を傾げる。
……最近の中学生は落ち着きがない、で済ましていいかな。


「まあ、せっかく譲ってくれたしな。俺が取った席カウンターだったしこっちのほうが落ち着けるだろ。」
彼らの行動原理がよく分からないままだが、とにかく席を譲ってくれたのでそこに座って昼食を取ることにした。
伊藤は最初に座っていたところから移動してきて漸く昼食をとることが出来た。
この間頼んだやつも美味しかったが、来たからには前回とは違うものも食べてみたいので今日は焼き肉バーガーを頼んでみた。パンに挟んでいるのはハンバーグにレタス、そして焼き肉(豚肉だった)だ。
「どうだ、それ?」
「……ご飯が欲しくなる味の濃さだな、美味いけど。」
焼肉にかかる甘いタレでも結構な味の濃さだが、ハンバーグにかかっているソースも甘みが強いのが拍車がかかりレタスとパンだけでは中和されず、白米が欲しくなった。
さすがに米類はファーストフードにはないので代わりにポテトを頬張る。
「そんなに味濃いのか。……あ、これ確かに結構うまいな。くそ食べにくいけど。」
「やっぱり食べにくいよな。」
伊藤が食べているのはこの間俺が食べたダブルバーガーだ。
美味かったか?と聞かれたので食べにくいけど美味しいと答えた。
伊藤も同じ感想だった。
どうしても挟んでいるものの量やサイズが他のやつと比べると大きいので齧り付くと具が後ろから飛び出てくる。
俺と違って伊藤は飛び出た具をそのままに前から食べていく。伊藤が悪戦苦闘しているのを見ながら俺も自分のものを食べ進める。味が濃いのでポテトを摘んだりコーラを飲んだりしながら。
ある程度食べ終えて、後はポテトと飲み物のみとなった。
「ポテトしなしなになっちまったなぁ……。」
「……伊藤はカリカリのほうが好きなのか?」
「どっちかと言うとな。やっぱり出来たてが1番好きだな。」
「へぇ。」
鷲尾もほぼ伊藤と同じようなことを話してたな、ハンバーガーよりもポテトを先に食べ終えていたし。伊藤と違ってしなしなしてるのは許せないようだった。
俺は特にこだわりは無いし特にどっちが好きとか嫌いとかはないから、絶対にこっちがいいとかは無い、どっちも芋の味だし。
「……。」
「どうした?腹いっぱいになったか?」
聞くかどうするか迷ってつい目の前の顔を凝視してしまったところ、視線に気づいて伊藤は首を傾げた。……突っ込んでいって良いのか分からないけれど……でもやっぱり気になった、から聞いてみることにした。
「伊藤の携帯電話、なんで壊れたんだ?」
ちょっと落とすだけでそんなに歪むほど破損してしまうもの、だろうか?
そんな疑問が伊藤に壊れた携帯電話を見せてもらったときからずっと浮かんで消えなかった。
伊藤は『携帯電話が壊れた』とは言ったがその『理由』は話してなかった、落としたのなら落とした、水没したのなら水没したってそう伊藤の性格上あっさりと答えてくれそうなのに今回は壊れた事実だけ伝えただけでその理由までは進んで話そうとしない、壊れた理由を言わなかった訳は『誰かに簡単には言いにくい理由で壊れた』と、推測してしまってもおかしくない。
「……。」
「……ごめん、どうしても気になって。言いたくないなら言わなくてもいいから。」
無言になってしまう伊藤に両手を振ってその答えを言葉にすることを拒否しても良い旨を伝える。
踏み込んだことを聞いたという自覚は一応ある、それなら聞かなくてもいいんじゃないかとも思ったが、聞かないでそれでいつまでもモヤモヤして後々衝突することになってしまったら嫌だ、そう思い直して聞くことにした。勿論無理強いするつもりは無い。伊藤が言いたくないことなら言わなくても構わない。
「……いや、別に言いたくない訳では無いんだ。ただ聞いててあまり気持ちいいものじゃねえのと、愚痴っぽくなっちまうかも。」
居心地悪そうに目を反らす伊藤。
でもそれを言うなら俺はどのくらい伊藤にとって全く聞いていて楽しいことではないことも愚痴っぽいことも話したのだろう。
でもそれを嫌な顔せず真剣に聞いてくれたじゃないか。
本気で怒ってくれたし心配してくれたじゃないか。
面倒だって切り捨てることも適当に聞いて誤魔化すことだって出来たのに、それをしなかったじゃないか。

「……伊藤の話なら何でも聞くし聞きたいって思ってる。
俺だと頼りないかもしれないけれど、何か重たいものを持ってるなら背負わせてほしい。」

俺は伊藤と違って頼りにならないとは思うけれど。
それでも、一人で抱え込むよりは幾分かはましになると思うから。

「透は昔も今も……頼りになるヤツだ。聞いてくれるか、俺の話。愚痴が大半だけど。」
「うん。」

肯定する意を唱えてかつ首を縦に振って話を聞きたいと伝えた。
伊藤は簡潔に話してくれた。

「前も少し話したと思うんだが、俺家族と仲良くねえんだ。3つ上の兄貴とは特に。
でそいつに俺の携帯電話を勝手に持って行った挙げ句何度も踏みつけたみてえで、壊された。
両親も兄をかばって俺を下げ落とすようなこと言ってきて、腹が立って前日に透に帰ってきてほしいと言われたのを思い出してそのまま勢いのままに帰ってきた。」

合間合間に本当あいつらうぜえ、うるさかった、と眉を寄せ心底鬱陶しげに話すのを見るとかなりストレスが溜まっていたようだ。ストローを苛立ちを解消させようとしているのかガジガジと噛みまくってボロボロになっている。飲みにくそう。

「……帰ってきて正解だったと思う。」

『早く帰ってきてほしい』なんて本来言う気が無くついポロッと零れ出てしまったもので、俺としてはそんなことを言ってしまう自分の女々しさに悶える羽目になって後悔しまくってゴロンゴロンと身体を回しながら呻いていたけれど。でも、伊藤はその言葉を思い出して居心地の悪いところからさっさと出て行く決断ができたようだったから……結果として良かった、かな。恥ずかしいけれど。

……いや、それより。
なんで伊藤が家族からそんな扱いをされないといけないんだ?
聞いた瞬間はいまいち脳が伊藤がされたことがピンと来なくて、徐々に訪れるモヤモヤとしたものがハッキリしてきてそれが何故血のつながっている伊藤に対しそんなことをするのか、という苛立ちに変わっていく。
「……なんで伊藤が。」
「まぁ俺は父の祖父に顔とか性格がよく似てるみてえで、それこそ物心ついたときからもうこういう扱いだったんだよ。かなり厳しくされたんだとよ。」
「……そこに伊藤は関係無いよな。」
「そうなんだよな。祖父に似てても血の繋がった、一応俺末っ子なのにな。
ガキの頃はもうかなり傷ついたわ、今はもう鬱陶しくて面倒だけど最早嫌いもクソもねえけどな。」
伊藤はそう言い切って残ったポテトをまとめてザーッと口の中に入れて咀嚼した。
……伊藤の家族に対してこういうのもあれなんだが、正直ありえない。テーブルの下でぐっと握りこぶしを作って自分の中から湧き上がる衝動に耐える。
伊藤に兄がいることに驚いた。てっきり俺と同じようでひとりっ子だと思い込んでいたから。そして妙に両親の影が薄かったのも気になった、まるでいないかのような空気のようだった。むしろゴンさんが伊藤の保護者感があるほどだった。
だが伊藤の言葉で納得した、今の伊藤にとって両親も兄もすでに『どうでもいいもの』存在なのだと。
だから鬱陶しいとか面倒くさいという感想はあっても嫌いになるほどの執着もすでに無い、ということなんだろう。記憶のない俺にすら親友と言ってくれるぐらい情深い伊藤をこんな風に冷めさせるほど酷い扱いをしてきたのか、伊藤の家族は。
今現在目の前にいる伊藤は苛立っていてもその顔は傷ついているようには見えないので多分虫にまとわりつかれてうざいぐらいの感覚なのかもしれない、あるいは諦観か。すでに家族のことは割り切れているみたいだ。
……そこまで来るまで伊藤はどのくらい傷付いたんだろう。
どれほど、傷つけられてきたんだろう。
本当は家に行って問い詰めたいぐらいだけど、伊藤はすでにその痛みから乗り越えている。今も俺に話してすっきりしたのかもう平気そうにしてる。
今俺が怒ったところで、伊藤の迷惑になっても力にはなれなさそうだ。
……昔の俺はその傷ついていた子ども頃の伊藤の力になれたのだろうか……。
だけど力になれていたら良いとも思うのに、それはそれで何故か心臓がもやもやするような感覚に襲われる、なんなんだろうか、これ。

「……あとさ、もう一つ。これは愚痴っつうか、あー悩み、か?そういうのもあるんだけど。」
「?なんだ?」

思い出したようにそう切り出す伊藤に首を傾げ続きを促す。
普段俺に相談することは今日の飯は何にするかとか品物を買うか否か迷っているときぐらいだったから少し珍しく思う。
眉を下げ視線を彷徨わせて居心地が悪そう……というよりはどうしていいのか分からず困惑しているように見えた。

「父親の妹……俺から見て叔母に当たる人なんだけど。その人が何があったのか知って両親と兄を怒ってくれてよ、しかもしっかり弁償代ふんだくって俺に渡してくれた。
今まで味方になれなくてごめんって謝られて、何かあったら連絡してほしいって。そう言ってアドレスと携帯番号が書かれたメモをくれたんだ。」
「……良かったな。」
まともな人がいることにホッとしてそう声をかけた。今まで味方になれなくて、の部分が引っかかったけれどちゃんと伊藤たちのことを客観的に見れる人がいるだけ大分ましだ、と思ってそう言った俺に伊藤は浮かない表情。益々困った顔になってしまった。どうしたんだろう?
「良いこと、なんだろうけど。それは頭ではわかってる。だけど俺、よく分かんねえ。だって、親族には俺の味方なんていないんだってそう割り切って今まで何とかしてきたから。」
テーブルに肘を付いて両の手で忙しなく顔を触れている、主に頬から鼻の脇を擦るようにして落ち着かない様子を俺はただ見ていた。
はっきり目に見えて、伊藤は困惑していた。今まで、少なくとも5月に伊藤と出会って始めて見た。
「血の繋がりのある人間とはきっと相性が悪いんだって。だけど俺には透がいて、ゴンさんがいて。今は叶野たちみてえにくだらないことで笑い合うことの出来る友達も出来て話をちゃんと聞いてくれる先生たちもいる、だから仕方ない。親族といる場所が居心地が悪い分それが以外のところはきっと『良い』んだって、そう思ってきたのに。」
「……。」
「分かんねえんだよ、いきなり信頼してほしい、味方になりたいなんて言われても。
俺には受け取れないものなんだって、そう言い聞かせて諦めていたものが突然目の前に来られても。欲しいときに来てくれなかったくせに……そう責めたくなる。でも、嘘は言っているようには見えなくて……、表立って言えない自分の秘密を俺に話してくれるぐらい叔母さんも覚悟して信頼して欲しいって言ってくれたのは確かに嬉しいのにっあいつの妹って地点で信じられるか分かんねえって疑う自分が嫌だ。だけど、どうしていいのか分かんねえ、分かんねえんだよ……。」
伊藤は早口できっと頭の中がぐちゃぐちゃなのか話があちらこちらに飛んだり戻ったりして少しだけ混乱した。きっと話してる本人も混乱してる。でも、何となくではあるけれど……伊藤の考えていることが分かる気もする。
俺もそうだったから。
希望を持つってそのぐらい誰かに期待するってことだから。
その『誰か』が他人なのか自分なのかはたまた無機物なのかなんなのかは人それぞれになるけれど、何かに期待して何かを信じるってことが希望を持つってことだ。
伊藤は、たぶん……身内の誰かが自分の味方になるっていう希望を諦めきたんだと思う。
希望という期待をしなければ、すべてを諦めてしまえば少しだけ気が楽になるから。
そうすることで自分を守ろうとしてた、俺も伊藤と会うまで周囲の人間すべて諦めてた。どうせ俺の声なんて届かないんだって、どうせ俺の存在なんて誰も求めてなんかいないんだと。それなら自分が何かを求める気にもならなかった。
……伊藤と俺は全く共通点がないと思っていたけれど違うみたい。好みも嫌いなものも興味あるものも噛み合わなくて性格も反対だと思ってた。伊藤と『俺』は違う人間で大体のものの好みも嫌いなものも違うけれど、ほんの僅かだけど似てる。少なくとも『今の俺』からみるとそう感じた。
この相談は昔の俺でもない今の俺に対してしているということが、こう言うと不謹慎だが嬉しかった。伊藤が頼ってくれるのが嬉しい。
だけど……伊藤が望むような、その不安を取り除けられるかな……。

「……それなら、わかるまでそのままにしておけばいい。」

少し考えて伊藤が満足の行く答えを導けないかもしれない返答になってしまった。
決して投げやりになったわけじゃない。考えた結果、そんな結論に行き着いた。
「分からないまま、で良いってことか?」
「……とりあえず分からないままでも良いと思うよ。だって伊藤も急に思いも寄らないことを言われて驚いたんだよな、それで戸惑ってしまってるんだよな。」
伊藤は俺の言葉に少し考え込むような仕草をした後すぐに頷いてその目で続きを促してくるように真剣に一直線に見つめてくる。
一息ついて自分を落ち着かせながら、声が震えないようにしながらも俺が考えた答えを伝える。
「その叔母さんは伊藤にすぐにでも答えを急かしてくる訳ではない、んだよな?」
「ああ、いつでもいいし気が向いたらでも理由はなんでもいいからって言われたな……。」
確認のために聞いたけれど、首を縦に振られて内心ホッとする。
話を聞く限り叔母さんは伊藤に好意的なようだったからついちゃんと伊藤を待っててくれているという前提が勝手に自分のなかで出来上がっていた。伊藤が頷いてくれて安心した。きっと、その叔母はちゃんと伊藤のことを考えてくれていると半分確信できた。
「諦めてきたものを急に受け入れるなんて難しいことだ。柔軟に受け入れられるのはきっと一部の人間だけだと思う。……俺も、九十九さんとさえちゃんと向き合えるようになるのにだいぶ時間かかってしまった。」
「でも透はもう受け入れられたじゃねえか。」
「俺は俺のペースがあるように伊藤には伊藤のペースがあるから。……分からないことをそのままにし続けるのは良くないとは思うけど。」
「?言ってること矛盾してないか?」
分からないままでも良いと言ったのに分からないままにし続けるのは良くないと言われたら、矛盾しているようにしか思えない、確かに言葉通りに受け取られたら伊藤の指摘通り『矛盾』してるってことになるけど、俺が言いたいことは少し違う。少し考えて良い例えは無いかと思案する。
「……例えばさ、勉強していて何か躓いたりすることってあるだろ?それで焦って根詰めて問題に向き合っているときほど解けなかったりしてさらに焦って躍起になる、のはあまり良くないことだと思う。」
これを悪循環と呼ぶ。急いては事を仕損じる、とも言えるか。
突然脈絡のないことを言われて伊藤は少し戸惑ったようだったが、勉強という学生にとって身近なものの例えだったおかげか考えやすかったみたいで顎に手をやって考えてくれた。
「あー……あるな。そんときは眠ったり休憩したりしたあとだと何か解けるようになったりするよな。」
「それと同じだよ、問題を先延ばしにするのは悪いことではないしむしろ推奨されることだけど……その『問題』を故意に忘れたり嫌だからって無かったことにしようとする、そのままずっと分からないままで終えようとするのは、きっと自分にとって良くない。勉強をわからないままで終わらすのも心にもやもやが残る一方だ。
……そしてたぶん、誰かと向き合うのも同じ。」
これは俺の経験談。
怖いから、良くわからないから、それで逃げて逃げ続けてそのうち辛いからって自分の感情すら無かったことにしようとして。ただ生きていることを罪だと盲目的に信じて、自分のしたいことも罰だと思い込まされて自分も思い込んで。
……結果として、心が限界を迎えて立てなくなってしまうほど苦しくなった。
そこで伊藤と出会えたのは、運が良かった。そして伊藤が俺に優しくしてくれて、生きてほしいって叫んでくれて、ようやく少しずつ動けるようになったんだよ。

「休憩しても良いし目を逸らしても良いし逃げても良い。でも、分からないままを続けてなかったことにしようとするように振る舞うのだけは辞めろ。……それこそ1番後悔する、から。」

怖くても辛くても苦しくても、立ち止まって泣いて嘆いて苦しんでも、それでもそれを無かったことにしないで。
その向き合うときが1番辛いと思っていても何もせず終わらせず後々辛かったと言えるようになったほうが、きっと心に靄がかかることはない。
真剣な目で俺は伊藤の目を見てそういった、伊藤も真面目な顔で俺の話を聞いていた。
眉間に皺を寄せ何か思うことがあったのが苦々しい表情を浮かべる伊藤。固くなってしまった空気。
「……というのは俺のおすすめ。伊藤は伊藤なりの行動をしてみると良い。」
「えっいや今断言してたよな?」
つい熱が入って命令口調になってしまった自分を恥じながらそう言うと伊藤に突っ込まれてしまった、恥ずかしいな。
「まあこれは俺の経験上の話。この話を聞いたからと言って伊藤もこの通りに動けという強制力はない。」
「いや、そうだろうけどよ。でも妙に説得力があるしそうしたほうが良いんかなって思わされる……。」
「参考程度に受け取ってくれ。自分の考える最善に向かっていけ。」
えー……という伊藤の気の抜けた声につい笑ってしまう。
あれだけ偉そうに言っておきながら急に方向を変えてきた俺に対して混乱して呆れられてしまうのは仕方ない。俺も支離滅裂なことを言ってるな、という自覚は一応ある。
確かに逃げ続けて無かったことにはしないほうが良いと断言したけど、俺に言われたからってそうすることも無いとも思う。
俺にとっての最善が伊藤にとっての最善とは限らないしな。
難しい顔のままの伊藤に口下手で上手く伝えたいことを伝えられなくて申し訳無さが出てくる。
「伊藤がどう選択するのかどうなるのか分からないけど。
でも最善な結果になっても最悪な結果になったとしても俺はとなりにいるよ。」
だから、思う存分悩んで迷って逃げて休んでも良い。
立ち向かってもいいし無かったことにしてもいい。
俺はこうしたほうが良いとは言ったが、伊藤自身がそうしたいと言うのなら俺はそれを否定する気は毛頭ない。どちらにしても俺は伊藤から離れることはない、と言いたかった。
……。
「まあ……俺がいたところ何になるっていう話だが。」
「なんでそこで卑屈になるんだよ。」
「……自意識過剰かな、て。」
伊藤のように頼りになるわけでもなく叶野のようにその場を和ませること出来ないし、鷲尾のように喝を入れたり湖越のようにアドバイスが出来る訳でもない、本当に文字通り隣にいるしか出来ない俺が何いってんだ、という心の底からそんな言葉が湧き上がって自信が少しなくなってしまった。
こうしたほうがいいって断言したくせに伊藤なりに最善を尽くせと言ったり隣にいるって言いながらも何も出来ないと卑屈になって……情緒不安定がすぎるな、自分。
「……まあ、もう少し気楽に考えてみる。信頼してほしいって言われたからってこんな混乱することもねえよな。」
「……そうか。」
話し始めたときより幾分もすっきりしたようでいつも通りの落ち着いた口調でそう言った伊藤の表情はすでに通常時と同じで安心する。……結局俺がいなくても解決したような……。
「どんなことになっても透がいてくれんなら、もっと自分勝手に考えてみるかな。とりあえず今日は叔母さんの連絡先を登録するだけにするわ。ありがとな。」
ネガティブになりそうなところを察したかのようにゆるやかに口角を上げ微笑みながらそう言われて
思考に入り込みそうになっていたところで油断しきっていたときにそう言われて何の心構えがなかった俺は
「……どいたま。」
としか返せなかった。



「そういや、透は飲み物何にしたんだ?」
「……コーラ。」
「やっぱりハンバーガーと来たらコーラだよなぁ。王道の組み合わせだよなぁ。俺もコーラにした。」
「そうか、それなら誤って俺のを飲んでしまっても混乱しないな。この前鷲尾が俺のを間違って飲んじゃって大変なことになったから。」
この間はカウンター席だったからなおさら間違いやすかったし、同じものならもし誤って飲んでもああはならないだろう。
炭酸が苦手だって聞いていたから苦しかっただろうな、あんなに咳き込んで顔まで真っ赤になっていたし。

「……ふーん。」

伊藤はすでにポテトも食べ終えているのに、俺はまだ残っていたので夢中で食べていたので伊藤が面白くなさそうな、不貞腐れたような声でつまらなさそうな表情を浮かべていたことに気付かなかった。

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