3章『やらない善意よりやる偽善。』


「……ん、」

深く沈んでいた意識が浮上して瞼が自然と開く。
昨日確か、本を読み返して……ああいつの間にか眠ってしまったみたいだ。確かお風呂には入ったし歯も磨いたはず、で日中あれだけ眠くて仕方がなかったことのに関わらずなんだか変に目が覚めてしまって眠れなくて、それで暇つぶしに本を捲っていたらそのまま寝落ちしてしまったようだ。
確か9時半ぐらいまで起きていたような記憶はあるが……まあ、いいか。
伊藤の普段使っている布団で眠ることに気恥ずかしさを誤魔化すことも成功した、今日伊藤が午後には帰るって言っていたから午前中には荷物を自分の家に運び出さないとな。
今何時だろうか、時間を確認しようと枕元に置いていたはずの自分の携帯電話を探そうと身を起こそうとするが。
「?」
そういえば身体に妙な拘束感があることに気が付いた。何か俺の身体、特に右腕から左腰にかけて重みも感じた。
何が自分の身体に乗っかっているのか?確認しようととりあえず重いなにかを掴んで見みた。
「!、ぅっわ……?」
無機物が乗っかっているかと思い込んでいて冷たい感触が伝わってくると思っていたら、思った以上に生温い柔らかくて驚きと躊躇いが混ざった声を上げてしまう。
一瞬何か分からなくてすぐに手を放した。
(クーラーのせいか冷えてはいたけれど、人の肌の感触、だった。)
よく耳を済ますと真後ろから「グー……がっ……」といびきとも寝息とも付かない声のような呼吸音のようなものが聞こえてきた。
誰か眠っている、そう気が付いてその人物を確認しようとそっとその腕を柔く掴んで少し持ち上げて身体くるりと回しながら起き上がる。
一瞬俺の後ろで眠るのはゴンさんかと疑ったけれどすぐに打ち消した、ゴンさんは茶化すような話し方でいつもくねくねしてふざけているようなことを言ったりするけれど、きっと一線を引いている、伊藤がここにずっと暮らしているのをみると信頼している、だから俺もゴンさんを信頼する。それなら、誰がここに眠っているのか?
答えは決まってる。
「……いとう。」
鋭い黒曜石のような色の瞳の意志の堅い三白眼は閉じられ、口を大きく開けている伊藤はいつもは頼りになって強く俺を支えてくれる普段の姿とは違ってまだ幼さを感じさせるものだった。
心臓がバクバクと高鳴る。
ゴンさん以外この家でこの部屋で眠っているとするなら、伊藤しかありえない。
だけど、どこか信じられなかった。まだ帰ってこないそう思い込んでいた、だって今日の午後には帰るって行っていたのに何故か俺のとなりで眠っている。
どういうことなのか寝起きも相まってよくわからないけれど……、とりあえず何にしても予想以上に早く伊藤の顔が見れたことが嬉しい。
「おかえり、伊藤。」
触れたかったふわふわの金髪に手を伸ばして自然とそんな言葉が出てきた。

「……。」
まじまじと眠っている伊藤を見つめながらまた隣に寝転んだ。そして布団の上に置いたその腕を取って自分の頬に寄せる。
(何か、眠っているときにこう、頬を撫でるような感覚があったような気がしたが、伊藤の手だったのだろうか?)
エアコンの風が効いているなかで眠ってしまったので冷えて目を開けることは出来なかったが意識がほんの少しだけ、覚醒にまで至らないほどではあったが浮上していたとき、自分の頬を撫でるような感覚があった気がした。
気がした、だけでその後すぐ意識が深いところまで行ってしまったので確証は無かったし自分に進んで触れてくるのは一人ぐらいしか見当たらなくてその人物は絶対にここにいるわけがないと思っていたので気のせいかと考えていたが、伊藤が昨日の夜に帰ってきたのであれば納得する。……何故撫でてきたのかは分からないけど。まぁ俺も眠っている伊藤の髪を撫でているしそこのところはおあいこ、で。そう勝手に自分を納得させた。

「う…ん…。」
「、温度あげないと。」

寒いのかその剥き出しの二の腕をさすり始めるのを見てやっとエアコンの温度をあげないと、と思った。そういえば伊藤が俺を抱きしめるような形になっていたのって寒かったからだろうか、それなら申し訳ないことをした。
リモコンは……、ああ伊藤の後ろにあるな。
冷えたせいか布団の中で丸くなり始めた伊藤の後ろにエアコンのリモコンが置いてある。
「……、と」
立ち上がって取りに行くのも面倒なので眠っている伊藤に覆いかぶさるように身を乗り出し片手でそっち側の布団に手を付いてもう片方でリモコンを取ろうとした。
ギリギリ取ることに成功して操作して温度をふたつ上げてミッションを達成する、そのまま戻ろうと手をこっちに戻そうとする。
「う〜〜ん”、」
「っわ、」
ほぼ同時に伊藤がごろりと寝返りをうち仰向けになった。
半端な体勢になっていてかつ俺の手首より少し上のところに伊藤の肩らへんにぶつかり不意な衝撃に驚いてズルっとシーツを滑った。
急なことで対処出来ずにそのまま下にいる伊藤の胸のところにダイブしてしまった。
慌てて起き上がろうとするより先に
「んあ”……?」
ドン、と衝撃のせいで先程よりはハッキリとした声を出した伊藤が起きてしまった。弱った、まだ寝かそうと思っていたのに。
「……おはよう、伊藤。」
「おは……ん……?」
変に取り繕うのももういいやってなってそのまま伊藤の胸の上で挨拶した。
伊藤は俺を見ながら最初はボーッとした顔をして、だんだんこの状況に違和感を覚えたのか首をかしげた。
そして
「っ、あっ悪い!俺、汗臭えからっ」
と予想外の反応。
逆に俺が驚いてしまう、慌ててふためいている伊藤を凝視してしまう。
「きのう、その風呂入ってねえから、シャワーとかも!」
文法間違いまくりだ。よほど焦っているんだとわかる。今の今まで全然匂いとか分からなかったが?俺が起き上がると伊藤も慌てて起き上がったところでTシャツの襟のところに顔を寄せて匂いを嗅いだ。
「……うん、汗の匂いするな。」
「〜〜〜悪いっ!」
感想を伝えると伊藤はその嗅がれたところを手で抑え顔を真っ赤にして部屋を飛び出していってしまった。余裕もなかったのか扉を閉めずに。
「……あ、臭いって意味で取られたか……。」
そういうつもりじゃなかったんだ、たださっきまで気にならなかったのに改めて嗅ぐとちゃんと汗の匂いがした。汗と……たぶん伊藤のにおい。布団と同じにおいしていたから、たぶん伊藤の体臭かもしれない。決して臭いとは思っていない、むしろ好ましいとも思う。
ただ落ち着くのに何故か腰辺りがもぞもぞするのは……なんでだろう。顔も熱くなるし、不思議だ。
首を傾げるがまぁそこはいいかと思考を投げた。
それより伊藤を傷つけてしまったのかもしれないのでちゃんと謝らないと。あと……早く帰ってきたのは何か事情があるんだろうか、出来たら理由を聞けたらいいなと思いながらこれから誰もいなくなる部屋の冷房をリモコンで電源を消して俺も部屋から出た。

下に降りて見るが伊藤の姿はなく、ゴンさんだけだった。
「伊藤は?」
「シャワー浴びてるわよん〜お着替え持っていってくれる?」
ああ、だから風呂場の方から水が流れる音が聞こえるのか、申し訳ないことをしたな……言葉足りなかった……。ゴンさんの言葉に頷きもう一度上に登って服を漁る。
……パンツ、持っていくべきだよな。見る限り手ぶらで行ったみたいだし同じのを履くのも嫌だろうし履かないのも気持ち悪いだろう。
普段どんなやつを履いているかどうかまでは知らないので、とりあえず、まあ目についた黒と赤のボーダーのボクサーを服と服の間に入れて持っていくことにした。別に異性の下着でも無いのだから緊張することもないのに、何故か落ち着かなかった。少し緊張もしてる。
急がないと伊藤が出てきてしまうだろう、そう自分に納得させながら早足で部屋を出て下に降りた。
「伊藤、着替え置いておくから。」
「あ、ああ。さんきゅ。」
風呂場は洗面所と繋がっている、扉越しにそう声をかけて閉めている洗濯機の上に伊藤の着替えを置いた。そのまま顔も洗ってしまおうと蛇口を捻った。
「透。」
「……ん?」
名前を呼ばれて顔を拭きながら返事をする。
「……ただいま。」
「……おかえり。」
どこかぎこちない空気のなかではあるが、その言葉にどこか安堵した。

洗面所から戻るとすでに朝食の準備が出来ていて、椅子に座る。
そのまましばらく経つと髪を雑にタオルで拭きながら伊藤がやってきて隣に座った。
ゴンさんもやってきて座って朝食をとり始める。
みんなで納豆を混ぜているなか、ゴンさんが伊藤に
「そういえばどうして連絡しなかったのん?一言いってくれればよかったのにん〜。」
と、問いかけた。
ゴンさんにも早く帰る連絡をしてなかったのか?俺にはともかくこの家の主であるゴンさんには一言伝えるべきだと思うし信頼できる大人であるゴンさんに対してそれを怠るような伊藤でもないだろう。
「あー……ちょっと携帯電話がぶっ壊れた。」
温かい白米の上に納豆をかけながら視線を合わせずそう答えた。
「ええっ!それは大変じゃないっどうするのん?」
「今日携帯ショップ行ってくる。一応直るかどうかも見てもらうつもりだが……大分破損してるから買い直しになるだろうな……。」
疲れたようにため息をつく伊藤。
携帯電話は決して安い買い物ではないだろう。壊れただけでもショックが大きいだろうにその上金までかかる。……この伊藤の疲れ具合からそれだけじゃないような気もするけど……。
「……それなら、一緒に行くか?」
と、口の中のものを飲み込んでそう聞いてみた。
伊藤のことが心配、というのもあるけれどここのところ二人では遊んでいなかったから、どうだろうかと思ってのことだった。
もし伊藤が一人でゆっくりしたいと言うのならそれはそれで構わないとも思った、随分疲れているようだったから一人になりたいのかもしれないけれど、一応聞いてみた。
俺に気遣っているようだったらやっぱりやることあったし(伊藤の部屋に置いてある俺のものの片付けとか)気にしなくていいと答えよう、そう思ってたが。
「いいのか?」
先程まで沈んで暗い瞳だったのに、俺のほうを見る伊藤の表情は驚きながらも嬉しそうだった。
……全然、さっきの俺の考えは杞憂だったみたい。誘った俺に気遣っているようではなさそうだった。
「……。」
声には出さずに頷いてみるとパアッと明るくなって笑顔になっていく伊藤の顔を間近で見てドクっ心臓がまた高鳴った。
「じゃあ11時ぐらいになったら行こうぜ!」
「……うん。」
「その後遊びに行こうぜ?最近あんまり二人では遊びに行かなかったし。なにしたいか考えておいてくれよ、俺も考える。」
体全体で楽しみだという感情を伝えてくる伊藤に俺はこれ以上なにも言えなかった。
ただ熱くなった顔を隠すように普段よりももっと下を向いてひたすら納豆ご飯をかきこんだ。

「というか……なんで透ここにいるんだ?いや、全然良いんだけど、不思議でよ。」
「私が泊まって行きなさいよって言ったのよん!」
「は?」
「だってぇ透ちゃんのお家暑そうだったしぃ……それに、」
「それに?」
「……おほほほほ!なんでもないわん!」
「なんだって言うんだよ……。」

ゴンさんと伊藤の会話は聞こえていたけれどそれに入ることは出来なかった。


「じゃあちょっと俺は話してくるからちょっと待っててくれ。」
「わかった。」
最寄り駅から2駅先の駅ビルのなかのオレンジ色が特徴な携帯ショップにやってきた。
伊藤は店員に壊れた携帯電話が直るかどうか聞くためカウンターへと向かっていったのを見送り、俺は飾られている携帯電話に目を向ける。
(……画面に指を乗せるだけで反応するのか、最新機種ってすごいな……。)
ここ最近発売されたスマートフォン、というものをいじって遊んでみた。
俺が使っている携帯電話とは違って折りたたんだりはしないし文字を入力するようなボタンもない、大きい画面がただあるだけだ、すべてこの画面内で済んでしまう、らしい。
タッチしたりスラッシュしてみたりするとそのとおりに動く文字入力も画面内をタッチすると確かに入力される、普段使っている携帯電話と全く違うので戸惑うけれど結構面白い。
(けれど、やっぱり結構な値段だな……)
スタイリッシュなデザインで格好いいなと思うがその値段はさすがは超最新型というべきか、簡単に買い換えようと即決出来る値段ではない、そもそも俺の場合は九十九さんに相談することから始めないといけない。多分これにしたいといえば良いと言ってくそうな気もするが、まだ使えるし絶対に買い替えたいと思うほどまではまだ行かない。
スマートフォンを置いて違う携帯電話も見てみることにする。
一概に携帯電話と言ってもそのデザインや色はそれぞれ結構違う。
少し前までは二つ折りではないものが主流だったみたいだけど今では大体の携帯電話は二つ折りが当たり前になっている。
スラッシュ型というものもあるが、やはり圧倒的に二つ折りタイプが多い。
そんな柄が書かれていたり、閉じていても誰から着信が来たかわかるようになっていたりそうでなかったり……とにかくいろんなデザインがあって面白い。
俺が使っているのは白を基調とした二つ折りの何の特徴もないどこにでもあるような普通の携帯電話なので異なるデザインを見ていると新鮮な気持ちになる。
見本として置かれている携帯を弄っては戻しを繰り返していると、店員話し終えたらしい伊藤が戻ってきた。
「……ただいま。」
「おかえり。……駄目、だったんだな。」
肩を落として沈んだ様子の伊藤を見て壊れた携帯電話を直せるか否かの結果を察してしまう。
伊藤は頭を掻きながら
「何となくまぁ分かってたけどよ……内部が破損してるから直すことは出来なくはねえけど、データが全部ぶっ飛んでるから全部初期設定になっちまうし、かなりの金額になるから新しく買い替えたほうが結果的にお得だってよ。」
「そうか……。」
がっくりとしている伊藤にどう声をかけていいのか分からなくて相槌しか打てなかった。
さっき伊藤に見せてもらった壊れた携帯電話は歪んでしまってバッテリーすら嵌めることも出来ないほどだった。それを考えると店員の回答は予想通りではあったが、ほんの僅かだが期待していたがやはり駄目だった。身構えていてもやっぱりショックだろう。

「……まーこうなったら仕方ねえな、半分覚悟してたことだし。このまま機種変するわ。何か良い携帯あったか?」

はぁ、と深くため息を吐いて何とか切り替えようとしているのだろう。元気は無さそうだったが前向きに考えようとする伊藤に水を差すようなことは出来ない。
さっきまでずっと携帯電話を見ていた俺に何かめぼしいものはあったかそう聞いてくる。
「うーん……、」
特に何も考えずに取って開いては閉めて戻すを繰り返していたので、悩んでしまう。たぶんそこまで本気で考えることではないとは思うが。
そう思いながらふと目に入ったものが気になった。
「?」
ここは携帯ショップで、販売してるのは携帯電話……だけだよな?
なんでデジタルカメラがここに立てかけられているんだろうか?
不思議そうにそれを見ている俺に気づいた伊藤が同じところに視線を向けて、俺の反応に納得したように
「ああ、それデジカメみてえだよな。でもそれもちゃんと携帯電話なんだぜ。画質が他の携帯電話に比べていいらしいぞ。」
「へぇ……。」
そう言われてデジカメのようなそれを持ってみた、裏返すと確かに見慣れた表面だった。
裏側のカメラ機能のためのレンズが他の携帯電話に比べてかなり強調されている、だからデジタルカメラに見えたのか、なるほど。
二つ折りになっている携帯電話を開いてみると妙に画面の下らへんの空洞になっているが……強度は大丈夫なのか?
「……不良品?」
「いや、違う違う。それ画面のところが回転済んだよ、やってみ。」
「……おお」
伊藤に説明されたどおり上の部分を掴んで恐る恐る反対側に向けるとしっかり回転してカチッと音を立てて裏返った。
「これで自撮りしやすくなるんだよ。」
「……ああ、そっかこっちから見えるもんな。」
なるほど。
確かに携帯電話にはカメラ機能が付いているが、俺にはほぼほぼ使わない機能だったので盲点だった。よく写真撮っているひといるもんな、カメラと携帯電話を一体化させてしまおうという発想が凄い。
くるくる回しながら感心する。
「それにするわ。」
「?これでいいのか。」
もっと考えて時間をかけて選んでもいいのに。
そう言外に伝えるが、伊藤はあっさりと

「これがいい、これから先透といっぱい写真撮るからそれなら高画質がいいだろ。」

と笑いながらそう言うから俺は何も言えなくなった。

「付き合ってくれてありがとな。」
「……どういたしまして。」
俺は特に何もしてないがそうお礼を言ってくれるならば、とそう返した。
本当にあの携帯電話(色はさすがに俺が弄ってた真っピンクではなく黒いやつ)を契約してしまった。一応すぐに使える状態になってはいるがあまり充電がないのであまりいじることは出来ないみたいで何か調べたりすることがあるときは俺の携帯からしてほしいとお願いされそれに頷いた。
携帯電話選び自体はすぐに終わったが、新規として契約していたので少し時間がかかってしまい携帯ショップを出る頃には午後1時過ぎになってしまった。

「腹減ったな、ワックに行こうぜ。確か1階にあったよな。」
「うん。」
ファストフード店のなかでもかなり安価で買え味も良い、学生の味方ワクドナルド……略して『ワック』である。
この間鷲尾とも行ったが他にも種類はあるし何度行っても良い。
手頃な価格なのはやっぱりありがたいしな。
そう思いながらエスカレーターを使って1階へと降りていった。
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