3章『やらない善意よりやる偽善。』

「……そういや、昨日透はゴンさんの家にいたのか?」

車で2時間ほど公共機関などを使えば3、4時間ほどかかる距離。県外の田舎の結構大きな家が今俺がいる場所だ。
昨日透と電話していて、まさか早く帰ってきてほしいと少し甘えた口調で言うものだからそれに浮ついていたら片言で捲し立てられ、待ったをかけようと名前を呼ぼうとしたら強制的に切られ、無情なツー…ツー…という無機質な音しか聞こえなくなって俺も仕方なく電源ボタンで切った。
言われたことを心のなかで繰り返しているうちにいつの間にか眠りにつき、起きてぼーっと顔を洗ってタオルで拭いていると昨日そういえば、と気付いたことがあって思うがままに口に出していた。
昨日あのとき普通に俺が飯の時間になっても下に降りてこないときと同じようにゴンさんの声が聞こえてきたから何も違和感もなかったが、呼ばれている対象が俺ではなく透であることに気が付いて首を傾げた。
ゴンさんが自分自身の部屋やもう一つの部屋に人を入れることを許可するとは考えにくいし、物置部屋にいるようになんて言うわけがない、消去法として透は俺の部屋にいた、という考えでいいのだろうか?まあ透だからいいけどな。ただ疑問に感じただけだ。透なら俺の部屋を荒らすようなことしないだろう、信頼出来るし何の問題は無いな。
うんうんと内心頷いていると
「おいっ、早く代われよっ!邪魔!!」
「……。」
不愉快な声が聞こえてきた。
さっきまで透のことを思い出せていい気分だったのがスッと冷める。
声の主を視界に入れることもなく無言で洗面所を後にした、後ろからなにかぶつくさ言っているが聞こうとするだけ無駄な時間になるので無視して台所へ足をすすめる。
長い廊下を進んで台所に近づくにつれ味噌や魚の良い匂いが漂ってくる。ひょい、と台所に入ればせかせかと動いている人とのんびりと鍋をかき混ぜている人がいた、そのうちの1人が俺に気付く。
「おはよう、鈴芽くん。」
「……はようございます、なにか手伝えることありますか。」
「別にいいのに。いつも手伝ってくれてるじゃない?ゆっくりしてなよ。」
「いや、飯作ってもらっちゃってるんで。」
忙しなく動いているのが父の妹……俺から見て叔母にあたる女性がサバサバとした口調で話しかけてきた。ゆっくりしてて、と言われても俺と直接血の繋がりがあるはずの家族と一緒にいるほうが居心地が悪い。それならこうして手伝っている方がまだましだ。
両親の俺と兄の態度の差を昔から見ていたであろう叔母さんはそれを察してじゃあまたお皿運んでね、といつも通り指示された。4日目ともなるとさすがに場所を覚えてしまった。
「鈴芽くん良い子ねぇ、顔もうちのお爺さんそっくりで男らしくて優しいのね。瓜二つだわぁ女の子にモテるでしょう〜。」
「そうだと良かったんすけどね。」
のんびりとした口調で話すこの人は父親の母親……祖母である、俺の知る限り昔からかなりのマイペースで俺が生まれたころに亡くなった祖父にべた惚れだったようで小さい頃からことある事に祖父の惚気話を聞かされていた。
正直、3年前の小6までは祖父に良く似ているということを言われるのが嫌で仕方が無かったが、今となっては最早どうでもいいことになっていた。ここに来た初日は中学以降初めて来たものだから背格好までいよいよ祖父に近付いた俺を見た祖母は大興奮して大変だったが、4日目となるとさすがに落ち着いたものの何かと祖父の話を混ぜてくる、まぁそのぐらいなら受け流せる。適当な相槌を打ちながら皿と箸を今家にいる人間分広間へと持っていく。
広間へ着いてみると顔を洗い終えた兄もすでにおり「まだ眠い」とごねていて父と母がそれを甘やかしており「ご飯がきたら起こすからまだ眠ってていいわよ」とか「あとでアイス買ってやるからな」とかほざいている。……小6までは兄がああして可愛がられているのが羨ましかったが、もうすぐ20になる兄が未だああしているのを見ていると暑いのに薄ら寒さを感じる。
彼ら以外にもちらほらと人がいるけれど、誰も俺へ視線を向けようとしないし手伝おうという気もないようだ。それは俺だからそういう態度だからではなく誰がやっていてもこの男性陣は気を遣う素振りすら見せず、ただ座ってにたにたとやらしく笑いながら何か話している、きっと碌でもない話だろう。
内心ため息をついて手伝いを続行する。

朝食をとり片付けを終え、少し休んだあとに祖父の墓参りに行ってきた。帰ってもまだ午前中で昼食にするのも早い、自由にしていていいと言われたが透に連絡しにくい今、特にやることもなく暇だったので祖母に許可を貰って大きな庭の草むしりをし始めた。
午前中だがすでに暑い。しかも雲ひとつ見えない晴天のため直に肌が焼かれていく感じ。合間合間自主的に休憩しながらやろうと決めた。まあどうせ暇つぶしだしな、普段業者に頼んでるみたいだし完璧にやらなくても大丈夫、気楽にやろう。

「ほら!いいだろう?羨ましいだろう?!まあお前の分は無いけど!」
水分補給のため一旦草むしりを辞め、汗を拭いながら台所へと行こうとすると声をかけられた。
そういえばあの3人の姿が見えないと思ったら車出して父にアイスを買ってもらったらしい、兄はわざわざ俺の目の前にやってきて自慢してくる。
「あっそ……。」
心底どうでもいい。今ほしいのは甘ったるいアイスよりも水分である、麦茶もしくは冷えたきゅうりでも可。きゅうりに味噌をつけて齧り付きてぇ、あるかな。
羨ましがるとでも思ったのに俺の反応が特に何の感情もないことに兄は悔しそうにする。
……正直これが俺より年上で兄だと思えないほどに見苦しい。兄からすれば俺は4つも離れている年下だ、それからそのぐらいのことでマウントを取ろうとする程度の低さに嫌気が指す。俺もよくこいつのこと羨ましいと思ったな。幼い自分を恥じるレベルだ。
つかアイスなんていつでもどこでも買えるし。まあほしいものあったら自分で買うから別に羨むこともないな。
「ママっパパっあいつ本当生意気!!」
「本当ねぇ……誰に似たのかしら……。」
「俺の父さんだろう、血も涙もないところとかよく似ている。」
二十歳にもなる大人、しかも男がパパママ呼びすることに俺はドン引きなんだが。そこは良いのか、良いんだなぁ……。
こういう会話は割と昔から聞いていることだけども、生産性のない会話だよな。無駄でしか無い。
昔の俺は家族の輪に入れようとしないこの人達の物言いに傷ついて、荒れていた中学3年間はビビっていたのか静かだったのに久しぶりに顔を合わせたらまたこういうことを言い始めてきた。初日から今日までずっと無視してきたのだが。

「それはどうも。あんたらに似ているって言われるより何倍もまし。」
「なっ……!」

ポロッと本音が漏れた。
ちゃんと血の繋がりがあるはずだが、俺は確かにこの人達と全く似てない、外面的にも内面的にも。
父も叔母も母親似のようで祖母とよく似た二重で丸顔だし、母も目鼻立ちの深い少し濃いめ顔をして、兄は二重で鼻も高く父と母のいいところを受け継がれたような顔をしているので顔だけ見れば整っているほうだろう。……それ故両親から甘やかされ過ぎてすっかり太ましくなっているので、その体格にばかり目がいき顔まで見ない人のほうが多いだろうけれど。
そんな中俺は写真でしか見たことのない祖父と良く似た顔だ。
傍から見て本当に血が繋がっているのか疑問に感じられてしまうほどに。
睨んでいないのに睨んでいるだろと怒られ、兄がしたいたずらをすべて俺のせいにして俺の言うことを聞くことなく泣くまで責められ怒られたこともあった、そしていつも兄の顔と俺の顔を比べるようなことばかり言ってくる。俺に直接言うのではなく3人が会話しているなかで少し離れたところにいる俺に聞こえるように大きな声で。どれだけ傷ついたかもう覚えてない。
俺は俺の顔が嫌いでしかたがなくて、可愛がられている兄が羨ましくて仕方がなかった。
だけど、透があのとき俺を怖がることなくみんなと同じように接してくれて透の両親も俺のことを穏やかに受け入れてくれた。そんな普通の子と同じような扱いをしてくれたのが、どれだけ救われたことか。
「ここまで育てた恩義を忘れたのかっ!?」
「育てられた覚えねーっすけど。」
「しつけしたでしょ!?可愛くもないあんたに金だって出してやってんのにっ」
恩義とかしつけとかよく分かんねーな。
教えられてもないことをやれって言われそれが出来なかったときに皆で散々罵って指差して笑ってくるのがこの人たちの言う「しつけ」なのだろうか。箸の持ち方すら教えくれなかったくせに。
透や透の父さん母さんのおかげで直せたけれど。
「はいはい。」
割と本気でこいつらのことどうでもいい。
俺から生んでくれって頼んだ訳ではない、どんな顔か分からなくてもあんたらが産むと決めたのだから俺が独り立ちするぐらいの世話はしてくれよ、と思ったがここでそれを指摘したところで母はヒステリックになるだけだろう。それにつられて兄も父も騒がしくなるのも目に見えた。
適当に返事をして早足でこいつらよりも先に台所へ向かった。

「ふぅ……こんなもんかね。」

水分補給してまた草むしり再開して、叔母におひるよーと呼ばれ中断し昼食をとって(冷麦だった。)今度は麦茶を入れたコップを持っていき縁側に置いていつでも水分をとれるようにしてまた熱心に草を毟っていた。草だけではなく根っこごと抜くのは結構難しく力を入れなすぎると抜けないし力を入れすぎると途中でブチッと切れてしまう。現在午後3時、そろそろやめよう。
滴る汗を肩にかけていた濡れタオルで拭って残っていた麦茶を一気に飲み、雑草を放り込んだ袋を隅の方に纏めて置いて(あとでどこに置いておけばいいのか祖母に聞こう。)少し遠回りにはなるが縁側からそのまま入らず玄関へと歩みを進める、俺の靴で庭に来た。祖母の普段使っているサンダルではサイズが合わないからだ。
明日の朝に地元へ戻るし、少しでも遅れたらあいつらに文句言われるからな。
少しのミスを犯しただけでいつも俺の方を観察しているのかってぐらいどこからか現れて鬼の首を取ったかのように突っ込んできて笑い者にしようとするものだからこっちも隙を見せないよう必死だ。
少し重い古い扉を開け家の中に入る。

「あらぁ、草むしりありがとうねぇ。」
丁度玄関に花を生けようとしていた祖母が俺を出迎えた。タイミング良いな。
「いえ、毟ったやつとりあえず庭の隅の方に纏めておいて置いたんすけど、どっか移動させますか?」
「そのままで良いわよぉ、明日庭の手入れをする方が来てくれるしいっしょにやってもらっちゃうわ。それよりも暑かったでしょ?お風呂沸かしたから入っておいで。」
そう言われてハッとなった。恐る恐る着ていたTシャツの臭いを嗅ぐ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。」
「はぁい、ゆっくりしてねぇ。」
邪気無く朗らかに笑ってそう言ってくれたので少しだけ警戒を解いた。つい今までの扱いを警戒して家族や親族に対して疑り深くなってしまう。祖父を心底惚れていることがこちらにただ漏れな祖母ぐらい信頼しても良いだろう、そう言い聞かせてその厚意に甘えることにした。

俺の失敗はきっと、着替えを取りに一旦使わせてもらってる部屋で一瞬だけだし良いか、と携帯電話を置きっぱなしにしてしまったことだろう。やっぱり俺の頭の出来、悪いや。爪が甘いって言うのか?
あいつらがそんな俺の隙を見逃すほど優しくねえの、わかってた癖に。

「……あれ。」

祖母が沸かしてくれた少し熱めの風呂に入り、今日洗濯した寝間着として使っているシャツを着て部屋に置いたはずの携帯電話を見ようとしたのだが。
「?」
鞄近くに置いていたはずの俺の携帯電話が見当たらない。ポタポタ垂れてくる水滴を拭いながら鞄の中をかき回してみるが、見つからない。
確かに置いていたはず。さすがに数十分前のことを忘れるほど衰えている脳みそでもないはず。
それなら、どこだ?
「あら鈴芽くん、お風呂あがったの?近所の方がキウイくれたからたべない?皮剥いたの冷蔵庫のなかにあるからさ。」
「……どもっす。なんで風呂入ったの知ってるんですか?」
首を傾げながらあさっていると部屋の前を通りかかった洗濯物を持った叔母が俺に声をかけてきた。果物がどうたらとか本当はどうでもいいが、とりあえず礼を言いながら疑問に感じたことを聞いてみた。
風呂に入っていることを知っているのが、何か疑問だった。別に叔母は祖母と大体いるのだから違和感はないはずなのだが。なんとなく、気になった。
「?兄さんが外で草むしりしていて鈴芽くんのためにお風呂を沸かしてやってくれないかって母さんに頼んだのを見てたからよ。」
「……あー……。」
叔母が俺の疑問に対して首を傾げながら答えてくれた。それに納得したし、携帯電話の安否もすぐに察した。無事ではないだろうな……。
「……父たちは今どこに?」
「広間のほうにいるんじゃないかな?鈴芽くんのこと待ってるって言ってたわよ。」
「わかりました。」
待ってる、ねぇ。
明らかな挑発行為だな。
頷いてゆっくり歩いて叔母の前を通り過ぎて階段を下る。俺の雰囲気に違和感を持って再度首を傾げる叔母のことなんて見ていなかった。自分のなかにゆらりと巡る暗い炎が灯り腹の中を焦がす怒りを抑えることに必死だった。


「いやさぁ、鈴芽がこんなとこに携帯電話置くからさ踏み潰しちまったわ。」
「がさつに無造作に置くあんたが悪いのよ?あんたのせいで綺羅くんの足傷ついたじゃない。」

広間に入ってすぐに無残に壊された俺の携帯電話が目に入る。
ああ、綺羅っていうのは肥えた兄の名前だ。久しぶりに聞いたな、どうでもいいけど。
少し踏んだぐらいでこれだけ内蔵バッテリーが見えるほど壊れないだろう、多分踵で思いっきり何度も踏み付けたのだろう。
踏んで壊しておいてその上で俺に謝れっていう神経が信じられねえ。
父は近くでそれにうんうんと頷いている。そもそも俺は携帯電話を自分の荷物近くに置いてた。持ってきたのはこいつらのうちの誰かだろう。予想するとするなら多分祖母に俺のことを気遣うようなことを言ってわざわざ風呂を沸かすように頼んだ父だろうか。そんな予想当たっても当たらなくてもどうでもいいか。中学から家に寄りつかない俺に連絡が来たこともないのにそんな気遣いしてくるわけねえだろ。
遠巻きに親戚がこちらをにたにたと嫌な笑みでじっとりと観察している。
集団で1人を責めている図はそんなに楽しいものだろうか。俺は小室が叶野を責め立てているのを見るだけで胸くその悪い気持ちになったからその楽しさは一生理解できないだろうし、そんなのを理解する気もない。
ほざいてくる奴らを無視して屈んで壊された携帯電話を拾おうと手を伸ばす。
「あ、ごめーん」
そんな甘ったれて妙に高い声とともに屈む俺に影がかかり、その丸くてブヨブヨした足が俺の手に近づいてきた。
巨体を片足で支えるのは難しそうでバランスを取りながら片脚を少し高く上げ踏もうとしている足を落とすスピードはかなりゆっくりしていて普通に携帯電話を取ってその足から避けることも出来た。
「!?うぎゃんっ!」
「綺羅くん!?」
携帯電話を拾おうとした手と逆の手でそのむちむちして食べごろの鳥のような太ももを掴んで思いっきり引っ張った。
バランスを崩した兄は無様に床に転がった。
俺はスッと立ち上がってその醜くまるまると肥えた身体を見下ろす。
「太ってんだからバランス崩すようなことすんなよ。」
情けない兄の姿を見てつい嗤いながらそう声をかけてみると顔を真っ赤にした。
「お前が掴んだんだろっ」
「だって踏まれそうだったからなぁ。つか痩せろよ、すげえ腹に問わず全身肉まみれじゃん。」
誰が好んで踏まれようとするのだろうか、まぁ避けれたのに態と転けさせたんだけどな。そこは言わなきゃわかんねえだろ。
悪びれず本当のことをいう俺に「うわああああ、鈴芽がいじめるぅう」と大号泣する兄を見て父と母は俺を攻め立てようとする。
「謝りなさいよ!かわいいかわいい綺羅くんに!」
「嫌に決まってんだろ。」
「何いってんだ!お前が悪いんだから謝りなさい!」
「携帯電話を壊したのは何も悪くねえんだ?へぇ。」
「当たり前だろう!お前と綺羅とでは立場が違うんだ、弁えなさい!」
「あー無理無理。……つーか、」
ずっと前もこういう似たような会話をしたことを思い出す、そのときは俺もまだ身体も小さかったしどれだけこいつが悪い子として俺は何もしてなかったとしても謝っていたが、今回はそっちを煽るようなことをいうだけでいつまでも謝らない俺に対しどこか焦っている様のこいつらが少し面白かったが。
もういらねえかな。飽きた。

「あんたらこそ誰に物言ってんだよ、あ”あ?」
「ひ、」
父の胸ぐらを掴んで力任せに引っ張り睨みつけた。
おいおい、こんぐらいで悲鳴上げるのかよ。心のなかで呆れながらも睨むのは辞めない。
これを見ていた母はビビって兄の後ろに隠れてしまう、うん。良い肉の盾になりそうだしその判断は間違っていない。脂肪だけはあるからそれなりに耐久力はあるだろ。兄は俺らから目を離せないようで母に盾にされていることに気付いていない。

「てめえらも見てんじゃねえ、殺すぞ。」

野次馬の目で見てくる親戚共にも睨みを効かせればそそくさと目を逸らした。腰抜けどもが。
視線もなくなったし、目の前の父に戻すとビクッと肩が震えた。

「で?あんたは俺が来ねえと外面悪いから来てくれって言っていたくせに何嫌がらせしてんだよ、気に食わねえなら無視すりゃいいだろうが?」
「っ、や、その綺羅が……。」
「俺と違って可愛がっているはずの息子のせいにすんのかよ?おい。」
「そっそうではなくてっ……!」

話になりもしない。
俺の問い詰め方も怯えさせるようにしてるから余計なのかもしれないが。少し凄んだだけで自分の意思でやったことを息子のせいにしている地点で冷めた。
どうでもいい。
やられっぱなしってのが気に食わなくて自分たちの方が未だに俺の優位に立てていると思われているのがムカついて少し脅してしまいたかっただけで痛め付けたいわけではない。……まぁ、ちょっと殴りてえとは思ったけれども。

「相変わらず情けねえな、あんたら。」

パッとお高そうな悪趣味な花柄のよくわからない色をしたポロシャツから手を離して少し力を入れて肩を押せば目の前の男はバランスを崩し呆気なく尻もちをついた。こんな弱っちい奴らにビビっていた俺が情けなくも懐かしい。

「いいか、もうあんたらに俺は何の期待してねえ。どうでもいい、年に何回かしか会わねえからまあいいかと思ってこうして来てやったけど、無視するなら我慢できたがこんな扱いをされる我慢しねえで来なけりゃ良かった。」

何とか真っ暗な画面が付かないか電源ボタンを押したりしてみたり振ったりしてみたが、やはり駄目そうだ。
(クソ、買い直しかよ。)
カチカチと弄って復旧を試みながら床に転がっている奴らにそう言い放った。

「親に向かってなんてこと……!」
「ふーん。自分のことを俺の親って胸張って言えるほど親らしいことをしたって思ってんのか。すげえな。」

諦めてGパンのポケットの中にしまい込む。
女は甲高い声でそう言ったけれど、それに対して攻め立てたいとか呆れとかそういう感情は何もなくただ思ったことを何も考えずに言ってみると女は黙り込んだ、ふーん自覚はあったのか。無いかと思ってた。

「今度から行くとしても俺1人で電車とか使っていくから。」
「いや、それはっ」
「あんだよ、行ってやるって言ってるだけ感謝しろよ。」

どうせもう帰ってしまった親戚たちに自分たちは仲の良い家族ですが次男は反抗期中なので大変ですとそう見せたいだけだろ。睨んでみると黙り込む男。俺の倍は生きているくせしてなんて情けないのだろうか。
俺だけ来ないとなるとなにか問題がある家族と思われるのが嫌だからお盆と年末年始だけ俺に来るよう言ったんだろ。ただでさえ去年までの3年間俺が来なかったから余計に。
今まで、ゴンさんに迷惑をかけてしまったらとか思っていたから我慢して一緒に来てやったが、この数日で俺をいかに見下していたのがよくわかった。
それにこうして脅して俺に恐怖を覚えているぐらいだ、こいつらは俺が家に帰ってくることは全く望んでいないだろう。むしろこのままいなくなってほしいぐらいか。まあどうせ高校卒業したらいなくなってくれって言われているしな。嫌がらせするならこいつらの家に戻るのが一番だろうけれど、そこまで性格悪くはなれねえし……こいつらに費やす時間がそもそも勿体ない。

「どうしたの?え、なにこの静けさ。というか兄さんたちはなんで床に転がってんのよ。」

静まり返る空間を裂くかのようなサバサバとした女性だが少し低い声がはいってきた。
振り向くと不思議そうに首をかしげている叔母がいた。
「……なんでも。何か滑ったみたいっすね。」
誰も口を開こうとしないので適当にそう言ってみる、素直にありのままを伝えるか少し迷ったが、どうせこいつら言い訳するだろうから面倒だった。
「そうなの?」
「そっす、俺ちょっと上行ってます。」
未だ納得していなさそうな叔母を流して横を通り過ぎ、さっき使った階段をまた登った。

扉を閉めれば俺1人の空間となる。
「……はーーーー……。」
深く息を吐いて寝っ転がる、畳の独特のでも何だか懐かしい気持ちにさせる不思議な匂いが鼻をつく。
頭を抑え目を閉じる。
……つかれた。
久しぶりにこういうことをしたせいか。
ずっとあいつらに言い返してみたいと思ってたのに実際のところ思った以上に気分が晴れない。
無意識にポケットに閉まった携帯電話を開いてもさっきあいつらによって壊されたせいで何の反応を見せてくれなくてさらに気分が滅入る。
まだ夕飯まで時間があるから、透に電話したかったのに。少しでも声を聞けば落ち着けると思ったのに……。
「……、透。」
名前を呼んでみる。予想以上に女々しい声になってしまった自分に気持ち悪さを感じるより先に自分が思った以上に憔悴している自分に気が付いて驚いてしまった。
もう、声だけではきっと満足出来ない。
会いたい。
会って、話したい。
何でも良いから、酷いぐらいくだらないことを話して笑い合いたい。

……はやく、帰りたい。

『出来る限りでいいから、
早く帰ってきて。』
昨日の透の電話越しの声が頭のなかで再生された。
『帰りたい』
『帰ってきて』

「かえろう。」

俺の意志はもう帰りたいと言う気持ちになっていて、透も俺に帰ってきてほしいと望んでいる。
なら、帰ってもいいだろ。
そう決めた後の行動は早かった。素早く荷物を纏め終えて時計を確認する、古い暗めの茶色の木で作られた時計はもうすぐ夕方5時になることを表していた。
今から出るとなると多分9時か10時ぐらいになってしまう覚悟が必要だが……そんな覚悟、とっくにできてる。
階段を下れば叔母が怒鳴っている声が聞こえてくる、何かあいつらが余計なことを言ったんだろう。
「……ばーか。」
黙って俺が適当に言ったことを理由にすれば良かったのに。
思わず、声が出てしまうがそれは叔母の声にかき消されて俺にしか聞こえない言葉となった。
長い廊下を渡っていると祖母がこちらに歩いてくる。そして俺の大荷物に目を見開かれる。
「あ、すいません。俺帰ります。」
「どうして?なにかあったのかしら?」
「早く会いたい人がい、て……。」
いや、間違っていない。会いたくて仕方のない親友に会いに帰ろうと思っているから、その言葉は間違っていない、だが勘違いされそうな言葉になってしまった。
「ええ、あら、そうなのっそれなら仕方ないわ!」
「いえ!そういう意味じゃっ!」
「良いの良いの!照れなくて!そうよねっそういうお年頃よね!懐かしいわぁ、」
「ちげえ!」
話を聞かず盛り上がっている祖母に思わず強めにいつもの口調で否定するが、祖母はさすが祖父の顔にべた惚れという強者であるが故か俺の言葉に何の怯えもなくただただ乙女のように身をくねらせキャッキャッとはしゃいでいる。いつもののんびりした姿はどこへ行った!
(ああもう!この人説明しても無駄だっ!)
「っ帰ります!」
「あ、急がないとバス出ちゃうわよ、駅までのバスが17時半が最終なのよ。」
「まじか!」
「鈴芽く」
「数日間ありがとうございました!また来ます!」

バス停までそれなりに距離があるのを記憶している、すでに17時回っていてこうして話している間も時間は流れている。祖母に教えてもらった時間に間に合うか正直微妙だが、もうあいつらと一緒に痛くない、最悪野宿することも含めて覚悟はしているが……透に、会いたいから。だから、駆け出す足を止めることは出来なかった。


「あーーー……、」
気の抜けたような後悔するような悲鳴が木霊する、もちろん俺のものである。
案の定、というべきか。やっぱり間に合わなかった。
バスの後ろ姿が無常にも俺から遠ざかっていく。
夕方とはいえ8月真っ只中、走れば当然汗をかく。汗を手の甲で拭う、ここから歩いて駅までどのくらいかかるだろうか……。
絶望的な気持ちになりながらも戻るという選択肢は俺には無い。
「……よし。」
車で30分の道、1時間はかかることは必須だろうが、それでも歩いていくことを決めてその足を1歩進める。
「そこのおにいさーん、乗ってかない?」
もう一方の足を動かそうとしたところで俺の真隣に車が止まりそう低めトーンで女性が軟派な口調でそう声をかけてくる、誰だ?と思ったが聞き慣れているような声に不思議に思いながら隣を見る。
「歩いていくのはしんどいよー?」
白い車の窓から顔を出していたのは俺が出るとき父たちに何か怒っていたはずの叔母で、何故か笑顔でそう言ってくれた。

「お母さんから鈴芽くんが1人で帰ったって聞いて焦ったよ、バスの時間がないと聞いて駆け出していったって言ってたから、念の為様子を見に来て正解だったね。」
「……すいません、急に帰るって言った上送ってもらっちゃって。」

クーラーが効いて冷えている車内のおかげで少し冷静を取り戻して考えてみると急に帰るって言うのは祖母に迷惑をかける行為だったと反省する、その上バスに間に合わず結局叔母の厚意で車で送ってもらっている。……情けねえな。
肩を落として謝罪する。
それに叔母は罰が悪そうに「あー……、」となんだか落ち着かない様子を見せた後
「ううん、えっと……謝るのはこっちの方だよ。うん。」
「?」
何に謝っているのか分からない俺に決意したようにさっきとは違ってはっきりと
「聞いたよ、さっき兄さんたちに携帯電話を壊されたんでしょ?」と、言われた。
「……別にあんたが謝ることねえっすよ。」
気遣っているとかではなく。
俺の携帯電話を壊したのはあいつらでそのことを知らなかった叔母が謝ることではない。
そう思ってのことだったが、叔母は「それだけじゃないの」と必死な形相で続けたので静かに聴くことにする。……少し前だったら多分別にいいどうでもいいって切り捨ててたかもしれない。でも透だって今の透からしたら未知であるその、つくも?っていうやつと向き合ったということを聞いたら、俺もこのままあいつらと同じ血のはいっている親戚を蔑ろにするわけには行かないと思った。あいつらと違って叔母は話が通じそうだし、まあいいかと思えた。
「聞いてくれてありがとうね。私が謝りたいのは……鈴芽くんが今まで兄さんたちから受けた扱いを見ていたのに、それを鈴芽くんの反抗期だと片付けてしまったことなの。」
「……。」
予想外のことで謝罪されて驚いてしまった。目を見開いて無言になってしまった俺を重く受け止めて苦々しくさらに言葉を続けた。
「今更、て思われても仕方ないのは分かってる。私、いくつも引っかかっていたところを見ていたのに、兄さんとお義姉さんに『お前には子どもがいないから親の気持ちなんて分からないんだから口出しするな』そう言われちゃって……何も言えなかった、私には子どもがいないから……兄さんたちが言うように鈴芽くんは反抗期なんだ、って思うようにしてた。
……だけど、綺羅くんがさっき全部話してくれたよ、生意気な態度をとってくるあいつにお仕置きに携帯電話を壊したんだって。」
あ、やっぱりアイツ馬鹿だな。
実兄と思いたくないほどに、本当に俺あいつと同じ血が流れているんだろうか……。たぶん、俺の思わぬ反撃に遭って先程は驚きとこけさせられた痛みに集中していたが、俺がいなくなってきっと徐々に怒りが沸いてきたんだろう。父と母が隠そうとしたことも全部ぶちまけた可能性が高い。それできっと叔母の怒りを買ったんだろう、と予想出来た。
「鈴芽くん、これ受け取って。」
「……?え、これ……。」
車を止め俺に茶色い封筒を手渡される、何かと思って中身を取り出してみるとそこには諭吉が五人入っていた。
「兄さんたちに強制的に払わせたの。これで新しい携帯電話買いなよ。」
「……ありがとう、ございます。」
「礼は言わなくていいよ、壊されたのだから当然弁償してもらわないとね。」
にっと口角を上げた叔母はきっとかなりのやり手なのだろう。そういえばキャリアウーマンと言っていたな……納得である。
「これだけで罪滅ぼしになったとは思ってないよ。……本当は鈴芽くんがあの家が居心地悪いって言うなら私の家来ないかって提案してたんだけど。」
「いや、それは大丈夫です。」
きっと透に出会う前なら魅力的な提案だったのかもしれないが、今あそこから離れたくない。
ゴンさんがいる嫌がらせのない安心できる家に友達がいる学校、それに……。
「そうだよね、大事な人がいるんだもんねぇ……。」
しみじみと呟かれる。
「いやっ親友っす!」
祖母から聞いたのだろうと想像がついた、あの祖母なら絶対にバラすだろうな!
「親友ねぇ……。」
「ちげえから!透は男だ!」
にやにやしながらバックミラー越しから俺を見てくるものだからその『大事な人』と言ってしまった親友が同性であることを明かした。
「あら?私同性愛に偏見は無いわよ?というか私がそうだしね。」
「えっ」
思わぬ回答に驚いてつい叔母を凝視してしまう。間抜け面を晒す俺はよほどおかしかったのか吹き出すようにしばらく笑われた。
「兄さんたちには内緒ね?まあお父さんもお母さんもこのこと知ってるんだけどねっ」
笑いが漸く止んだころ、口元に人差し指を置きながらそうお願いされた。普段あの人達の家におらず話をするほどの仲でもないのでそこは安心してもらって構わないが……。
「……俺に教えて良いんすか?」
あの父では偏見の目で見てくるのは必須だ、同性愛であることを隠すのは正しい判断だと思う。だが、俺はあの人の子どもだ。叔母自身の実の両親(俺から見て祖父母)に打ち明けるのは理解出来ても3年ぶりに会った、何よりあの父の息子である俺に平然と普通に打ち明けてくれたが不安に思わないのだろうか。
俺の疑問に叔母は少し言い淀んで、間を置いた後
「……本当は、ちょっとだけ不安だよ。でも私さ、鈴芽くんと仲良くなりたい。今日すぐに本当の意味で信頼してほしいとは言えないけれど……私のことを利用したい意味でも良いからさ、鈴芽くんにとって少しでも私は裏切らない安全な人間だと思っていて欲しい。」
「……。」
「押し付ける気はないから安心してね、鈴芽くんがばらしたいならそうしても構わないから。」
そう笑って叔母は運転に集中したのかそれから話さなくなった、俺も何も言えなくなって車内は静かになる。
時折外からカラスの声が聞こえてきたのとオレンジ色の夕日が妙に記憶に残った。
勿論ばらすなんて最低なこと絶対にしない。ただ、家族である兄に言っていないことを俺に言うのはどんな勇気なんだろうか。
ばらしてもいい、なんて言葉どんな気持ちで笑って言ったんだろうか。
「はい、着いたよ。」
「あ……。」
そう言われてやっと車が再び止まっていたことに気がついた。
車の時計を見れば18時少し過ぎていた。慌てて車から出た。
「これお母さんからね。ご近所から貰ったキウイ、食べてね。」
「……はい。」
運転手側の窓が開いてキウイの入った袋を手渡されるのを大人しく受け取る。このときあまり叔母の声は聞こてなかった、さっきのカミングアウトの意味を考えていた。そんな俺を知ってか知らずか叔母は戸惑いがちに
「……あと。これ、受け取ってほしい。」
「これは?」
次は白い……先程のような業務的な封筒ではなく、向日葵の絵が描かれている封筒を渡された。
「交通費の足しに、て私からのお金と……もし、本当にもし良かったらなんだけれど、」
さっきまでのサバサバとしていて堂々とした立ち振る舞いがなりを潜め、視線をさまよわせて自信なさそうだ。暫し言い淀んでいたけれど、話す決心がついたようだ。
「私の連絡先、入ってるから。携帯電話を買い替えてすぐじゃなくていいから、いつでも、気が向いたときにでもいいからさ、連絡して欲しいな。」
「……。」
「あっ用件は何だっていいよ、ただの気まぐれでも構わないし……もし今後鈴芽くんが兄さんたちに相談しにくいこととかあったら、いつでも連絡して?」
また、何を言って良いのかわからなくなって鮮やかなひまわりが描かれた封筒を見つめたまま黙ってしまう。だって、こんなことされたことない。
身内から誰にでも話せるようなものではないデリケートな部分を態々俺に教えてくれたり、俺のために怒って行動してくれるような、俺の身を案じてくれるようなことを身内にされたことなんかない。家族から受けてきたのは無視とか罵倒とか、裏切り……とか。それだけだった。それでいいやって思ってた、俺には透やゴンさんがいてここ最近では笑い合ってくれる友だちに会えるようになったから。
それだけで充分すぎると思った、とっくに身内に期待することを諦めていたから。
「……考え、ます。」
暫く無言が続いたあと、ポツリとそう答えた。
ここで頷けたのならきっと叔母からすると気が晴れるんだと思うが、俺は嘘はつけない。つこうとも、思えない。
中学に上がる前にこうして手を差し伸べてくれたのならその手を戸惑いながらもそれでも取っていたのかもしれない、だけどさっきは言えなかったけれどやっぱり今の俺からすると『今更なこと』だと感じてしまう。ここ数年で俺はすっかり身内からの助けなんて最早どうでもいいものであり期待するだけ無駄なものという判断を下していた。
完全に叔母をすぐに信頼、なんて出来なかった。
たとえその瞳に嘘が無いのだとわかっていても、この人はあの『父の妹』なのだ。信頼するには、彼女の情報が足りない。
「うん、それでいいよ。考えてくれるだけ嬉しいよ。正直、断られることも覚悟してたから。」
俺の答えにほんの少しだけ悲しそうにその目を揺らしたが、すぐに俺に罪悪感を持たせないようにするかのようににかっと豪快に笑って
「いつか、鈴芽くんの『大事な人』連れて来てね!勿論あの人たち抜きでね。」
そう言ってくれた。
「……まあ、そのうち。」
幼い俺には辛いだけしか無かった祖父母の家も透と一緒なら楽しいはず、だ。あいつら抜きなら特に。今は無理でもいつかは、連れてこれるようになればいい、な。
いつになるかは分からなくとも断ることのなかった俺に叔母はニコッと笑いかける。……からかって来そうな気配察知した。
「まーその親友くんが鈴芽くんの恋人くんになっているかもしれないけど!」
「ちょっ、透はそういうんじゃねえって!!」
「透くんって言うのね〜きれいな名前ね!いやぁ青春ね〜!じゃあ私行くね、またね!連絡いつまでも待ってるからね、気をつけてね!」
「おいっ」
叔母はあっさりと車を発進させ去っていってしまった。
残された俺は反射的に手を伸ばしたが、あっという間に小さくなっていく車を見ているしか出来なかった。
「ほんと、そういうんじゃねえよ……。」
そりゃ同性愛を否定する訳じゃねえけどよ、透は俺のとても大事な親友なんだ。
まあ整った顔立ちやその不思議な薄灰色の瞳には目を惹かれて、性格はさっぱりとしていて男らしくて、スタイルが良くて足も手も指も首も一つ一つのパーツが細くて長い、その割には好みは本当に俺らのような普通の男子高校生と変わらなくてふざけたことも乗ってくれる。少し不思議な感じがするが、その芸能人顔負けの容姿に似合わず中身は俺らと何も変わらないところが見ていて飽きないとは思うが。
ああ、何よりあの笑顔な。
静かにでも心底楽しそうに笑う透の顔は、きっと俺が見た何よりも美しくてかわい、い……。
(待て待て待て待て、透の存在を表すときに綺麗とか美しいが出てくるのは普通だ、だけどなんだ可愛いって。)
透は確かに美形だ、だが決して女のような顔立ちをしているわけではない。中性的だがちゃんと男だと認識出来る顔だ。『綺麗』『美しい』は透を見ていたら自然と出てくる言葉だ。だが、可愛いは違うだろ!
「違う、違う違う違うそういうんじゃねえ、そういうのではないんだ。」
顔があつい、首を振ってその熱を拡散させながらそう言い聞かせて改札を通り、誰もいない駅のホームのベンチに座って頭を抱え込んで思考を落ち着かせようと必死になった。
誰もいなくてよかった、誰かいたらきっと俺は不審者として通報されていたなと思うぐらいずっと言葉に出して自分の湧き上がってくる謎の波を抑え込もうと躍起になっていたから。
必死になりすぎて叔母からもらった手に持っていた封筒がぐしゃぐしゃになっていたことに気が付かなかったぐらいに。



「……ただいま。」
ガラ、すっかり慣れ親しんだ店の引き戸を鍵を使って開けてそう言った。
明日の仕込みをしていたゴンさんが慌てたように顔を出した
「あら!おかえりなさいっ!鈴芽ちゃん、もう帰ってきたの?!早かったわねん〜!いや、遅いのかしら?」
「っす……。」
ゴンさんの声が遠くに聞こえる、おかえりの部分だけは辛うじて聞こえたがそれ以外は筒抜けだ、重たい瞼を閉じないようにするのに精一杯だった。
あの後、電車が来て乗り込んでからも自分に言い聞かせて何とか波を収めることに成功したは良いが携帯電話が破損している今電車でどう乗り継いで帰るのか調べる手練が無いことに気づいて途方に暮れた気持ちになった。
電車内をまわっている駅員を呼び止めて怪訝な顔をされたが事情を説明すれば快く調べてくれた、何とか事なきを得たが乗り換えが分からず右往左往したり地元の不良に絡まれそれをいなしながらしたのでかなり疲れたのである。
憔悴しきっている俺にゴンさんはあらあらと困ったような声をあげる。
「随分お疲れのようねえ、お風呂沸いてるけど……あ、それよりご飯かしらん?」
「いや、もう今日は寝る……、」
汗を掻いてTシャツの下はベタつき夕飯を食べず寄り道もせずに帰ってきたので勿論空腹だが、何よりも疲れた。
「……あ、これ貰った。やる。」
2階に上がろうとして手に持っていた袋がガサガサと音を立てていたことによってそれの存在に気付いてゴンさんに手渡す。
何が入ってんのか見りゃわかんだろ、説明をするのも億劫で重たい足取りで階段を昇った。

「キウイフルーツ!こんなにたくさんどうしたのん?
良いわねぇ明日のおやつに……って、あら?鈴芽ちゃんもう上に行っちゃったの?
透ちゃんがいること伝えて損ねちゃったわねぇ……。」
うーん、と腕を組んで声をかけるか迷う素振りを見せたが
「まあ大丈夫でしょう!ふたりとも仲良しだし、メールや電話のやり取りもしてたから泊まりに来てるの知ってるでしょ!」
と自分で納得して袋に入っていたキウイフルーツを手際よく冷蔵庫の一番下にしまい始めたゴンさんに2階廊下に着いていた俺は知るよしも無かった、というか知ってたら店のソファで適当に眠ってたわ!

明日の俺は起きがけにゴンさんを問い詰めているだろうが、今の俺はそんなことわかるわけなんてない。ガックリと肩を落としてうつむいて重い足ながらも自分の部屋へと進んで行く。
今になって気付いたんだ。
俺がいくら早く帰ってきたとしても透はとっくに帰っている時間になっていたことに。
しかも携帯電話がぶっ壊れているせいで連絡も取れやしない、いや時間も時間だし壊れていなかったとしても連絡しなかったかもしれないけれど……。
「……ばかだなあ、俺。」
考えるより先に行動が出た結果がこれだ。
祖母にも叔母にも迷惑をかけて気遣ってくれる叔母の言葉を素直に信用できず、会いたい人に会いたくて帰ってきたのに会えない。今からいったところでそれこそ迷惑でしかないだろう。
透のことだから口には出さないだろうけれど、すでに夜の10時半を過ぎているこんな時間に連絡もなしに尋ねるのは親友でも非常識だ。
……なにしてんだろうな、ほんとう。
「ハァ……寝よ。」
疲労も相まってかネガティブなことしか考えることが出来なくなっている。
今日はもう寝てしまおう。
朝になったら風呂入って飯食って……たぶん、明日の午後には帰ってくることを伝えていし飯も食いに来るだろうから透が店に来てくれるからそのとき会える。会えなかったとしてもゴンさんにお願いして透に連絡してもらおう、あー携帯電話も新しく契約しに行かねえと……。
透と前と違って今はすぐに会える、明日には会えるんだとそう思うと気分が少しだけ晴れた。
ほんの少しだけ前向きになれた自分が現金だなと内心苦笑しながら自分の部屋の扉を開けた。
(あれ?)
入ってすぐに首を傾げた。冷たい空気が火照った肌に触れられ心地よさを感じる前に不思議だった。部屋に明かりも点いている。
ちゃんと両方とも消してから出て行ったのに。
(?ゴンさんが俺の部屋入ったのか?……いや、まさかな。もし入ったとしても電気をつけたままにしないだろう。)
じゃあ誰が?と不思議な気持ちが倍増される。
謎ではあるが、とりあえず荷物を置いてしまおう、そう思って下を見ると
「……え」
片付けた布団が出ていた、いやそれはまあいい、良くはないが、とりあえずは。
それより何より
(なんで、俺の布団で透が寝ているんだ!?)
そう、何故か透が眠っている。思わず声を上げそうになったが
「……スー……。」
透の寝息が聞こえてきて自分の口を手の甲で抑えて声を飲み込む。
そのまましゃがんで眠っている透を確認したくてそっと近寄りまじまじと見つめる。
最近意志の強さを取り戻しつつある薄い灰色の瞳は今はしっかり閉じられていて良く眠っている。手には昨日話していた『きみとぼくのものがたり』が半端に指で頁が挟まっているのを見る限り眠る気は無かったが寝落ちしてしまったようだ。
冷えて寒かったのか布団に包まって横向きで丸くなっている、寒いなら消せばいいのにと思うと同時にエアコンがガンガンが効いている部屋で潜り込んで眠る心地よさも知っているので何も言えないな……。
そっと本を抜き取って机の上においてあるティッシュを1枚抜いて頁に挟んで布団近くに置いた。
「……。」
なんでここに透がいるのか、普通に眠りこけているのか、とか色々聞きたいことはあるが。
起こさないようそのニキビ一つない滑らかな白い頬をゆるりと撫でると冷たい感触が手のひらに伝わってくる、透の方も俺の手の熱が頬に伝わったのか冷たい空気にさらされ続けたせいか温かさにつられてかすり、と機嫌のいい猫のように擦り付けられる。
「……はは」
動物のような仕草をする透に思わず気が抜けて笑ってしまう。
ここに透がいる、そう思うだけで気分が上がる。
(まあいっか、俺も寝よう。)
疲れているというのもあってか妙なテンションになってきた、それと同時にさっきまで忘れていた眠気がまた訪れて瞼が一気に重たくなった。
このまま寝てしまおうとも思ったが、少し迷って引き出しを開けて上だけ着替えた。
普段寝るときは真っ暗にしてしまうが天井のライトから伸びる紐を出来る限り音を立てないように2回、引っ張って豆電球にした。
横になって丸くなって眠っている透の背後からそっと布団に入って自分は仰向けになって寝転ぶ、薄暗いなか視界の端には透の後ろ姿が見えた。透がいるのが嬉しい。……去年のようにいつ帰ってくるのか本当に帰ってくるのかいや絶対に帰ってくるって自問自答しなくて、もういいんだ。
眠っていたけれど、それでも会いたい人に会えただけでも嬉しくて仕方がない。
透を見ると胸が暖かくなって自然と笑みが溢れる、そうだ、やっぱり俺と透は親友なんだ。
一緒にいると心が安らげる、そんな場所。
透のとなりが、ここが『今の俺』の『帰るところ』だ。そう思うしこれからもずっとそうだったらいい。

「……ただいま。」

自然と眠っている透にそう声が出ていた。
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