かじさく

「来るの遅せぇ。チャット送ってからどんだけ時間かかってんだよ」
「うるせぇ!毎回急に呼び出しやがって!今日はなんだよ!」
 夏が近付き、学ランを着ていると汗ばんでくるような頃。朝顔の蔓が青々と伸びてフェンスに絡みついていた。梶と桜は、もう随分頻繁に校舎裏で会っている。
「…お前もいちいち聞くなよ」
 飴をガリッと強く噛み、梶は苛立ちを顕にする。そして苛立ちを抑えながら、徐に桜の肩にに寄りかかり「座れ」と命令した。
 またか、と思いながらも桜は非常階段の下に座り、太陽から梶を隠すように自分へ寄せた。梶の頭は桜の肩に寄りかかったままで、表情が見えない。しかし、お互い座り込んで間もなく梶がヘッドホンを外し、桜の首へ移し替える。

 大切な人から貰った物だから。

 ヘッドホンに関して、以前梶がそれだけ言っていたことを桜は思い出した。じゃあオレに預けるなよと抗議したが「大事だからお前に預けるんだよ」と力強く頬を摘まれながら言われた。不機嫌そうな顔で言われ、言っていることとやっていることの意味が分からず桜は疑問符を浮かべるばかりであった。
 そして今日も、それを理由にヘッドホンを首へ預けられる。梶の香りがして少し緊張した。
 梶は首元がスッキリして、いつものように桜の膝の上に頭を乗せ昼寝をする体勢に入った。
 ふー、と桜も息を吐く。
 わざわざオレの膝の上で寝て何がいいんだ、と思いながら桜は膝の位置を梶の体勢に合わせて調整し、壁に寄りかかり自分のポケットに手を突っ込んだ。
 梶が満足して起きるまでこのままだ。



 最初の頃は、この非常階段の下で級長としての近況報告をする程度だった。最初は桜が呼び出し、手持ち無沙汰でペットボトルをポコポコ潰す仕草をしながら話し合っていたのだが、次第に梶からの呼び出しが多くなってきた。梶から自販機の珈琲やミネラルウォーターを奢って貰って他愛のない会話をしたり、昼寝の時間になったりと変化していった。級長同士の報告もないこの時間は何なのか桜には分からず、昼寝の時間が出来てからは、梶は完全に桜のことを枕としか見ていないんじゃないか?と思うようになった。

 しかし今日までそれを繰り返され、梶からの呼び出しに文句を言いつつも桜は大分慣れてきた。
 すり、と桜の腹部におでこを擦り付ける梶を見て、前に楡井に撫でられていた猫を思い出した。猫なのかこいつは、と心の中で文句を言う。いつも無愛想な顔をしていて可愛いとは思わないが。
 いつも口に飴を入れたまま寝てしまうが、危ないのではないかと桜はぼんやり思った。取った方がいいのだろうか。怒られそうだなと思いつつも、梶の口から飴のスティックを取り出そうと試みる。梶の薄い唇から案外すんなりと桃色の飴が取り出された。
(やべ、これどうしよ)
 取ったはいいが、裸のままの飴をどうすれば良いのだろう、と狼狽えてしまった。

(これずっと持っていればいいのか?)
(落としたらどうしよ)
(口に戻していいか?いや絶対殴られる)
(やんなきゃ良かっためんどくせぇ…)

 桜の狼狽をよそに、梶は固く目を閉じて眠っている。寝息はあまり聞こえない。ロボットのスイッチが切れたように、その身をすっかり桜に預けていた。



「気は張るよな。オレもまだ、あいつらに全部委ねることが出来ない」
 自分で張り詰めた糸が切れてしまわないように、脆い鎖が壊れないように、梶はクラスメイトの前ではまだ気を張ってしまうと言う。
 級長同士の報告をしていた時にそう零していたことを思い出し、桜は梶を見つめた。こうして膝の上で寝ている間は、張り詰めた糸を緩めることが出来ているのだろうか。
 青すぎる空、眩しすぎる太陽から身を隠して寝ている梶は、どこか幼く見えた。
 そんな梶の口に飴を戻すのは流石に悪いと思い、桜は梶が起きるまで飴を持っていることにした。

 梶にとって、今この場が安心出来る場所になっているなら、それなら良いか。そう思いながら、桜の伸ばした足先に迫る日差しからジリ、と少し逃げた。







「……寝てるし」
 梶が目を覚ますと、桜がうとうとと目を閉じていた。いつもは梶が起きるまでしっかり起きていてすぐ文句を言うのだが、珍しいこともあるものだと桜を見つめた。
 日差しが桜の顔に当たり、白い肌が透き通って見える。小さい顔を覆うヘッドホンがやけに大きく見えた。黒い睫毛と色素の薄い睫毛は光の反射で輝きを放っている。全てが透明に、儚く見えた。下から桜の寝顔を見るのは梶にとって初めてだったので、梶は見入ってしまった。


 膝枕を桜にせがんだのは、ほんの気まぐれだった。
 己の感情をコントロールしきれない未熟な自分を先輩として慕ってくれた桜を、元々可愛いと思っていた。弟のようだとも。しかしそれはあくまで後輩としてだ。しかし何度か外の非常階段下で会話を重ねるうちに、その意識は変わっていった。
 それは浴びる日差しと風が心地よくなり、眠気に襲われる日があった時だ。そのまま教室に帰れば良かったのだが、単純に面倒くさいという理由から桜の肩に寄りかかって少し睡眠を取った。起きてから散々文句を言われたが、桜の体温は心地良く、自分の張り詰めた糸を緩むのに丁度いいものであった。
 その体温が癖になり、梶は自分勝手とは思いつつも昼寝の為に桜を呼び出すようになったのである。
 肩から膝へと梶の頭は移動し、深く考えもせず心地良さだけを求めて桜の腹部に頭を擦り寄せたりもした。桜の体温が心地よかったのだ。ぼそっと頭上から猫かよ、という声が聞こえたが無視した。お前も猫みたいなもんだろと心の中で吐き、眠りに落ちた。
 級長としてのスイッチを落とし、獣が放たれるかもしれないという恐怖から解放され、1人の人間として生きることができる。この空間が、梶にとって安心できる場所になっていた。
 小学生の頃、柊と出会い自分の居場所を見つけたような、あの時と近くて少し違う感覚。安心できる。ここに居たいと思える。自分から呼び出してでも、会いたいと思う。

 梶にとっては安心出来ていたが、正直桜の意思はあまり深く考えていなかった。初めて出来た後輩だったので、距離感がいまいち分からなかったこともあるだろう。梶は柊やクラスメイト以外にはまだ緩んだ表情を見せられず、無愛想になってしまう自覚はあった。どうしても心を開くのに時間がかかってしまう。桜にもよく悪態を吐かれるので、自分のマイペースっぷりにうんざりしているんだろうと何となく察してはいた。しかし、今こうして桜が寝顔を見せてくれたということは、桜も安心しきっているということだろうか。
なら、いいか。
 そう思いながら、梶はもう一眠りすることにした。そういえば飴がない。桜が口から奪ったのだな、と気付いたが、飴がなくても眠りにつける自分にどこか喜びを覚えた梶だった。少し夏に近づいた春風が、眠っている桜と梶の前髪をもて遊んでいる。太陽から逃げるように、梶はまた桜におでこを擦り付けた。
朝顔の蕾が花開く頃も、この非常階段下は2匹の猫を太陽から隠していくのだった。
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