追憶の国

 短い滞在時間はすぐに過ぎ去り、私は女と街を巡った翌々日には帰国しなくてはならなかった。女とはその日に別れてそれきりだったが、瀟洒な名刺を受け取っていた。だから、帰国後、ニュースでその名前を目にしたとき、すぐにハッとした。あの国ならではの独特の名前で、その中でも一際、珍しげな響きの名前だったから、きっと本人だろうと思われた。まあ、そのニュースに載っていたリストには、あの国の人間ほぼ全ての名前が出ていたわけなのだが。
 それは、あの国からの大量出国者リストだった。
 私があの国へ取材旅行に出かけたのは、もう一年も前のことだ。そこで得た知見を基にして軽いエッセイと、短い小説を一本書いた。観光地としても有名な国ではあるが、受け入れ人数に制限をかけているため、実際の見聞を描いた作品は、実は少ない。だから私の書いたものはよく売れて、そろそろ続刊のために二度目の取材旅行に赴こうかと思っていたタイミングだった。
「保管所」が倒壊したというニュースが飛び込んできたのだ。
「保管所」は、私も現に見たが、とても厳重な警備が敷かれていた。入国審査もかなり厳しいので、他国からのテロ行為に見舞われる可能性は非常に少ない場所のはずだった。だが、あの塔は倒壊した。全く、誰ひとりとして想定すらしたことのなかった大地震が、あの塔を揺らし壊したのだ。同様に、政府が国内のあちこちに分散して用意していた予備の「保管所」も、倒壊した。全く、本当に、それは「想定外」の災害だった。
 もちろん、地震被害はそれだけではなかった。多くの家屋が倒れ、停電や断水が起きた。死傷者の数も相当数に上ったと聞く。だがしかし、人々が希望を失ったのは、直接的な被害に際してではなかった。彼らは、彼らの生活の根本にあった「保管所」を失ったことで、絶望した。それは、彼らにとって、約束されていた「永遠の生」が潰えたことを意味していた。
 そうして、エクソダスは起きた。
 人々は、震災直後から動き出していた。世界各国が震災のニュースを大々的に報道するころには、めいめいが何がしかの方法でもって空港に集まり、ずらずらと列を成した。幸いにして、郊外に位置していた空港は地震の被害も少なく、急遽パスポートを申請する人々で溢れても、業務に支障はなかった。のちに、他の国の地を踏んだ彼らのひとりは言った。
「世界は一変してしまいました。もう、この世のどこにも、私の愛する者はいない。あんなに大切にしていた記憶が、失われてしまったのです。生きている価値も、思い出せません。私は明日には、死んでいるかもしれません」
 男の目に、その意味の大部分を失ったスマートCLが輝いているのを、私は動画で見た。
 彼の言葉通り、あの国を見捨てて逃げ出した人々は、他の国で絶望し切ったのだと思う。いや、とっくに絶望していたこの世に対する執着というものが、完全に吹っ切れたのかもしれない。連日、ニュースで、命を絶った出国者の名前が報道された。悲運に悲運を重ねたような彼らの最期に、世界中が言葉を失った。だから、言葉を操る仕事に就いた私にも、どうすれば彼らを救えるのか、見当がつかなかった。彼らの見ていた世界は、私たちとはまるで違ったのだ。差し伸べられた手すら、彼らには見えないようだった。
 あの国には今や、政府関係者さえも残っていない。今あそこにあるのは、誰にも必要とされない瓦礫の山だ。本当に、全ての人間が、あの国を出てしまった。彼らにとって、あの国は「保管所」あってのものだった。記憶との同居、それが全てだったのだ。
6/7ページ
スキ