追憶の国

 初夏の柔らかい陽射しの下で、私と女は連れ立って歩き、名勝を見て周り、この国の人々の記憶観について言葉を交わした。石畳は軽やかに私たちの足先を押し返し、乾いた空気が、生きている人間も死んだ人間も等しく包み込む。
「兄は、ごく普通の市民でした。早くに両親が死んだため、私には親も同然の存在でした」
 彼女は、道端で買った果物のジュースを口にしながら、淡々と言った。木製ストローの端から赤い汁がぽたりと落ち、地面に染みを作る。
「死んだとき、兄の体はもう、兄の形をしていませんでした。昔であれば、写真や動画の中にしか、彼の姿を思い出す術はなかったでしょう。しかし、今は立体の、しかも生前と同じように『生活している』兄を、見ることができます。もし必要ならそのためのグローブやスーツを買えば、その体温を感じたり、抱き合うことだってできるのです」
 それは確かに、写真や動画では味わえないものではあるだろう。しかし、それでも、それは彼ではない。私には、それはただの「映像の再生」と同義にしか思えない。
 私の表情を見た彼女は、「まあ、そうでしょう」と、さして感情を込めない言葉を落とした。
「外から来た人たちは、結局はそう言うんです。『それはただの映像で、再現で、データに過ぎない』と。けれど、私たちは物心ついてからずっと、この世界で生きているんです。私たち生者が目にした生前の彼ら……『幽霊』と一緒に」
 赤いジュースはずず、と音を立てて消えた。私の手の中にも同じジュースがあったが、ぼんやり話を聞いているうちに、氷が溶けてすっかり薄くなってしまっていた。
「じゃあ、ここでは、記憶との同居が自然なことなんですね」
「ええ。自然と言いますか……当然のこと、なんです」
 空になったボトルを店先の屑籠に投げ入れて、彼女は伸びをした。気の早い電灯が瞬き出すのを背にして、気を取り直すように笑った。
「では、先生。最後の場所に行きましょうか」
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