追憶の国

 スマートCL技術が一般に普及し始めたころ、真っ先に国民にその着用を義務づけ、「記憶との同居」というコンセプトを掲げたこの国は、その当初から世界中の注目の的だった。国民全員の経験データを一箇所に集約して、言うなれば「人々の記憶で出来た世界」をAR空間に構築するその技術は、未だに他のどの国でも再現することができないそうだ。
「では先生、そういうことで」
 通話相手の声が切れた。小さなホテルの一室で、私は目の前に地図を広げる。自前のスマートCLのアプリではいまひとつ把握し切れなかったこの国の地理は、入国時に配布された観光客用データを追加すれば、一目瞭然だった。数カ所、行きたい場所をピックアップする。好きな作家が旅行に訪れた場所、その後の作品に登場した場所。他にも、この国独特の技術所なども、訪れるつもりでいた。
 入国する際にサインさせられた文面を思い出す。
『国内でのあなたの経験データは保存されませんが、他者から見たあなたのデータは半永久的に保存され、あなたの死後、AR空間内に再現される可能性があります。事前に、ご了承ください』
 これにサインしなければ入国できないとなれば、承諾するしかない。中には、それが目的で入国を希望する者もいるらしい。この国は、一時的に滞在していた人のことも、その死後、AR空間に再現するのだ。自分がこの世にいたという証を、たとえ異国の地においてであっても残したいと願う人は、この世にたくさんいるのだろう。
 時計を見ると、午後一時を過ぎていた。私はゆっくり支度をして、待ち合わせの場所へ向かった。
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