追憶の国

 この国には、幽霊がたくさんいる。

 国の保存景観に選ばれているという美しい煉瓦通りは、人の往来が激しい。そして、老若男女問わず思い思いの足取りで進む人々の、その数の割には、とても静かだ。これだけの人がひしめき合っているならば、もっと賑わっていて然るべきだろう。しかし、聞こえてくる足音、話し声はせいぜい十数人程度のもので、密やかで慎ましやかだ。
 この国の人間は、誰もが寡黙で、足取りも静かなのか?
 否。この通りにひしめき合っている人間の、七割程度は実在していないのだ。
「あっ。あそこ」
 観光ガイドの子供が、私の袖を引っ張った。彼女が指差す方向には、ひとりの老婆がいる。小川に架かる眼鏡橋に佇み、流れる水の行方をじっと見つめている。風が老婆の白髪を揺らす。
「あれは、一年前に死んだお婆ちゃん」
 少女は歌うように言う。私と少女が見つめる前で、老婆はゆっくりと体の向きを変えて橋を降り始め、やがて私たちの視界から消えた。ぼんやりと見送る私たちの隣を、少年が走り抜ける。その勢いは確かに感じるのに、起こるべき風が起こらない。いたずらっぽく笑っていたその唇から漏れ聞こえるべき声も、息遣いも、聞こえない。
「そうだね、今の子もお婆ちゃんと同じ」
 少女はこともなげに言う。夕焼けに照らされて、煉瓦通りを歩く人々がシルエットになる。生きている人間と、嘗て生きていた人間とが、等しく歩みを進める。私の瞳に装着されたスマートCLコンタクトレンズの中で、実際の風景と、この国の人々の記憶とは混ざり合い、ゆるやかに結合している。
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