六章、最後の戦い
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ネルファンディアは夜明けと共に、父へ挨拶をした。
「行ってくるわ、お父様。お母様とご一緒に眠れるように、戻ってきたら必ず埋葬してあげるから」
生家の壁を撫で、彼女は目を閉じた。幸せだった日々が、堰を切った水のように溢れだす。ドワーリンが仕度を終えたのを察し、ネルファンディアは塔の玄関口にある階段を降りながらレヴァナントを呼んだ。
「さぁ、行きましょう。長居は無用。ゴンドールへ行かねば」
「今なら、まだ間に合うやも知れません」
ネルファンディアは再びガラドリエルから貰った薬を馬たちの鼻に付けると、レヴァナントに飛び乗ってオルサンクを仰ぎ見た。
────必ず帰ってくる。次はもう、逃げたりしない。
レヴァナントが走り出す。ドワーリンも後ろから馬に乗ってついてくる。ファンゴルンを抜けてから暫くは、何の問題もなく事が進んだ。だがローハン付近になって初めて、ネルファンディアは背筋の凍るような気配を感じ始めた。以前にも感じたことのあるその気配は、振り返らずとも何であるかは自明だった。
「ナズグルよ!急いで!」
耳を貫くような甲高い声が響き、黒い馬に乗ったナズグルたちが現れた。
「お前たちの相手をしている暇は無いのよ!」
ネルファンディアは馬上から杖を振って光線を投げつけたが、相手の馬が怯む程度に終わった。このまま降りて戦うしか術はないのか。彼女がそう思ったときだった。一本の矢がナズグルの馬の眉間に射込まれた。
背後ばかり見ていたネルファンディアは、慌てて矢が飛んできた方向を見た。そこにはなんと、馬に乗って部下を連れているエルロンドがいた。
「奴らは私に任せなさい!」
「エルロンド卿!」
「娘のアルウェンがこの地で最後まで戦うのだ。私もそなたの協力を申し出よう、白のネルファンディア」
その言葉を聞いて、ネルファンディアはアルウェンが中つ国にとどまることを決意したことを知った。彼女がなにか言おうとする前に、エルロンドが叫ぶ。
「さぁ!行きなさい!」
「ありがとうございます!」
「かたじけない」
ナズグルの相手を買って出たエルロンドに礼を述べ、ネルファンディアとドワーリンはローハンの平原を馬で疾走した。ゴンドールまではもうすぐ。必ず間に合うはず。祈るような思いで二人は走り続けるのだった。
その頃、モルドールとゴンドール付近の荒れ地ペレンノール野では、ローハン軍と東夷軍が衝突していた。その中には男装したエオウィンも混じっていた。彼女は馬上前方にメリーを乗せて、果敢に戦っている。戦況はローハン軍の優勢かと思われた。だが、またもやそれを一転させる援軍が現れた。
つんざくような音に、突風のような羽ばたき。空飛ぶ怪物に乗ったナズグルだ。将のセオデンめがけて攻撃を仕掛けたナズグルは、一撃でローハン王をなぎ倒した。瀕死の重症を負った叔父を見て、エオウィンの中で何かが音を立てて崩れる。
彼女は馬でナズグルの方に突撃し、馬から降りて敵の乗っていた化け物の首を切り落とした。事の次第を悟ったナズグルは、標的を弱々しそうな若者らしき兵士と、子供のように小さな兵士に変えた。エオウィンは背筋が凍る思いに駆られたが、意を決して剣を構えた。
ナズグルが最初に狙ったのは、メリーだった。彼はすぐになぎ払われると、地面に勢いよく叩きつけられて意識を失った。だがこれが良くなかった。エオウィンの闘争心は最高潮に達し、勢いに任せて攻撃を避け続けた。ほとんど避けるというよりは地面を転がり続けているように見えるが、その身体は着実にナズグルへと近づいている。そしてその剣が敵を捉える距離まで詰めた。持っていた盾で攻撃を受け止める姿に、ナズグルは高笑いしながら彼女を見ている。
『人間の男に、俺は倒せぬ』
その言葉にエオウィンは笑いそうになった。そして憐れな敵に間違いを思い知らせてやるべく、自らの兜をもぎ取って投げ捨てた。目も眩むような美しい金色の長髪が、風と共にたなびく。
「────私は男ではない!」
エオウィン────盾持つ乙女の鋭い一撃がナズグルのかつて顔であった部分を貫いた。凄まじい悲鳴が響き渡り、嵐のような風が巻き起こった。黒の気がその場に満ち、エオウィンは後方に吹き飛ばされる。
そして彼女の意識は、純白の世界へと消えた。
他の仲間たちがネルファンディアとドワーリンが来ないのではないだろうかと憂いている様子に呆れながら、ボフールは北の方角に目を向け続けていた。既に軍とは合流しており、後は二人が辿り着くだけとなっていた。
すると、荒廃した北の地平線がにわかに光を帯び始めた。ボフールは目を細めて遠くを見た。段々とその光は強さを増し、仲間たちだけでなく歩兵たちも足を止めて見守るようになった。
それから、一際光が強くなった時だった。ボフールは全てを理解した。そして彼はその光が一頭の白馬に乗る人物から発せられていることにも気づいた。頭で考えるより先に、言葉が出た。
「ネルファンディアだ!ネルファンディアが戻ってきた!ドワーリン殿も一緒だ!」
その叫びに、他の仲間たちも一変して口々に歓喜の声をあげた。ネルファンディアとドワーリンは何とか仲間たちと合流を果たす事が出来たため、ほっと胸を撫で下ろしている。だが、彼女にはまだ急を要することがあった。
魔法使いは鳥を呼ぶと、再び何かを囁いて南の方角へ放した。ミナス・ティリスへ一直線に飛んで行く姿を見送ると、ネルファンディアはレヴァナントから降りて歩兵たちに深々と礼をした。
「皆さん、ありがとうございます」
「既にお話は伺っております。亡きトーリン王の仇を撃つためにも、マハル様(アウレのこと)のご意志と共に我らドゥリンの子らをお導きください」
ネルファンディアは遠征隊の隊長に再び頭を下げた。既に全兵士の意思が最後の戦いへと向けられていることは、言葉がなくともひしひしと伝わってくる。
白のネルファンディアはレヴァナントに乗り、モルドールへ杖を向けた。
「行こう、最後の戦いへ。あなた方が望む世界を取り戻すために」
目指すは黒門。決戦の時が近づこうとしていた。
アラゴルンたちは、戦いで荒廃したミナス・ティリスへ入場していた。ようやく帰還した王を、人々は疲弊しながらも歓迎している。
彼らは王の間で最後の軍議を開いている最中だった。アラゴルンを中心に、ガンダルフ、ギムリ、レゴラスが集っている。アラゴルンはガンダルフが持っていたパランティアを横目で見ながら、既に答えの出ている議題を持ち出した。
「さて、今からどうすべきだろうか」
「サウロンの目は、今はまだミナス・ティリスへ向けられておる。じゃがいずれは滅びの裂け目に向けられる。その時が来れば、全てお仕舞いじゃ」
「では、我々が出来ることはただ一つですね」
アラゴルンはガンダルフからパランティアを受けとると、目を閉じた。すぐに奴は彼の前に現れた。
『敗走の残党の長が、今更何をしようというのだ』
サウロンの声が響く。アラゴルンは強い意思を込めてその言葉を返した。
「我らは残党などではない。まだミナス・ティリスの火────自由の民の火は残っている。しかも風前の灯などではない。お前が思う以上に、我らはしぶといぞ!」
『そうか────だが、王座に就く意思のない王には何の意味もない。ただの人よ』
アラゴルンは笑った。そして高らかに告げた。
「いいや!王は戻った。今ここに。お前を倒すために!」
その宣言に、サウロンは同様を見せた。仲間たちも何をすべきか悟っている。だが、冥王も負けていない。彼は死にゆくアルウェンの姿────幻であり、全くの嘘を見せた。アラゴルンは衝撃で思わずよろめき、パランティアを床に落とした。そしてサウロンとの交信が終わる。
静まり返るその場を打ち破ったのは、ギムリだった。彼は斧を掲げてドワーフらしい言葉を口にした。
「死の危険は大きく、成功の望みは小さい。さあ、行こうじゃないか!」
アラゴルンは涙目になりながら、ギムリらしい言葉に小さく頷いた。レゴラス、ガンダルフも賛同の意を成した。だが、エルフの王子は一つだけ気掛かりなことがあった。
「……ネルファンディアの援軍は、どうなったんだろう。ガンダルフ、何かご存知ですか?」
ガンダルフは目を細めながら、最後にあった連絡を思い出しながら話し始めた。
「援軍の目処は立ったと、知らせがあった。じゃがその後は知らん」
「……では、間に合うかどうかは解らないのですか」
「到着したが後の祭りってのも困るな」
三人が推論を重ねている間、ガンダルフは静かに待っていた。バルコニーへと続く廊下を見ながら、彼は知らせがくることを信じていた。いや、祈っていた。すると北から一羽のクレバインが一直線に飛んでくるのが見えたので、衛兵が叫んだ。アラゴルンたちの視線も廊下の方へ向けられる。
純白の光に包まれた漆黒のクレバインは、力強い羽ばたきで王の間に現れてガンダルフの肩に乗った。注意深く耳を傾けたガンダルフは、何かを伝言し返し、再びそれを北へ放った。全員が固唾を飲んで見守る中、彼は振り返ってゴンドール王に告げた。
「────ネルファンディアは来る。援軍を連れ、既にゴンドールの近くまでやって来ておる」
全員が拳を突き上げて喜びを露にした。アラゴルンは上ずる声を抑えながら、王として初めての指示を出した。
「皆!戦いに備えろ!最後の戦いが始まるぞ!」
一縷の望みを繋ぐべく、全員の心が一つになった。そして誰もがネルファンディアの到着が一刻でも早まることを願うのだった。
フロドとサムは、滅びの裂け目へと続く最後の道を歩んでいた。既に喉は渇ききり、服はボロボロで汚れている。フロドは枯れそうな声で友に言った。
「指輪が……また、重たくなり始めている」
葬られることを察知しているのか、指輪はチェーンが首に食い込むほどに重くなっていた。しかも滅びの裂け目に近づくほどその重さは酷くなっていく。サムは倒れたフロドにすかさず近寄ると、自分の限界も忘れて肩を貸した。
「サム……」
「俺に指輪は運べない。でも、あなたを運ぶことなら出来る!」
その言葉に、フロドはネルファンディアの言っていたことを思い出した。
────だから一緒に行きましょう。独りで歩まねばならない道だから。
ネルファンディア。ようやくその意味がわかったよ。
フロドは自らの足に最後の力を込めた。彼にとっての全てを終わらせる戦いも、始まろうとしていた。
その少し前、北の地ではスランドゥイル率いるエルフ軍と、デイルの軍、そしてドワーフの連合軍が待機していた。かつての主君の隣で待機することに罰の悪さを覚えていたタウリエルに気づくと、スランドゥイルは一瞥もせずに言った。
「────余の隣で雑念を抱くな、気が散る」
「……申し訳ありません」
「何を謝る。別に叱ったのではない。そのような下らぬ雑念のせいで死ぬなと言いたいだけだ」
意外な言葉に、タウリエルは目を丸くした。そして、戦いの始まりを告げる角笛が谷間に響いた。愛する人の仇を討つべく、彼女の剣を握る手には力が込められ、瞳は冷たく燃えている。
タウリエルは声をあげながら突撃した。キーリには来ることの無かった明日に希望を繋げるため。
悪の巣窟への入り口────黒門の前には既に、アラゴルン率いるゴンドール軍と、エオメル率いるローハン軍が最後の戦いのために隊列を成していた。ギムリがガンダルフに心配そうに尋ねる。
「ガンダルフ。ネルファンディアはいつ戻るんですか?」
「わからん。じゃが、信じて待つのじゃ」
「しかしガンダルフ、この軍勢を我らだけで迎え撃つのは少々リスクが大きいかと……」
レゴラスが最もな苦言を呈するが、どうしようもない。
角笛が響き渡る。そして、最後の蹴りをつけるべく黒門の戦いが始まった。
その僅か一時間前、ネルファンディアとドワーリンたちが率いるエレボールのドワーフ軍は、既にもぬけの殻のオスギリアスを抜けていた。
「川を下ったのは何時ぶりでしょうかね」
「ええ。あの頃を思い出して腕がなります!」
「急ぎましょう。遅れてはなりません。魔法使いは遅すぎもせず、早すぎもしないことがモットーですから」
一行は戦場に着くまでの体力を考慮した上で、進軍速度を早めた。オスギリアスを抜ければ黒門はすぐそこ。ネルファンディアは杖を握り直して、愛馬レヴァナントを駆り立てた。
見通し通りに開戦までに間に合ったネルファンディアは、谷間で一旦進軍を止めて馬上から背後を振り返った。
「皆、顔も知らぬ私のためによくここまで来てくれたわね。ありがとう」
彼女は母親譲りの穏やかな微笑みを浮かべると、士気に僅かなばらつきがあるドワーフ軍に言った。
「今から私のいうことをよく聞いてほしい。おかしなことを言うと思うから、先に言っておくわ」
ネルファンディアは息を吸って、父親譲りのよく通る威厳ある声を発した。
「────今から、戦いに行く。けれど約束してほしい。必ず生きて故郷に戻ると」
兵士たちがざわめく。普通、戦いの前口上は死んでも英雄になれと言うものだ。だがネルファンディアは想定内と言わんばかりに続けた。
「私は知っている。故郷に戻りたくとも戻れないもどかしさを。志半ばで力尽き、全ての愛しいものを置いて地に伏す人の悔しさを。そして、永遠に待っても戻ることはない人を待つ悲しみも」
ドワーリンたちはすぐに、それがトーリンのことだと悟った。そして無意識に頭を垂れた。
「だから、あなたたちは帰らねばならない。──この戦いは!ただの戦ではないから。この戦いは、明日を取り戻すため。平和を取り戻すため。この瞬間までに地に伏した、同胞たちの仇を取るため。そして、二度と故郷が戦火に包まれないためなの!この戦いの勝利は、死んで得られるものではない。今日の勝利は、ここにいる皆が日常を取り戻して待ち人たちの元へ帰るまで得られない!」
兵士たちの視線がいつの間にかネルファンディアに釘付けになる。ドワーリンは無言であっても兵の士気が格別に上がっていることに気づいた。
「必ず生きて戻る。死して英雄にならず、生きて故郷の地を踏むこと!この約束は守ってほしい。……私も怖い。でも、あなたたちはきっと大丈夫。きっと私との約束を守り、勝利を収めるでしょう」
そして彼女は決意のこもった、けれど慈愛溢れる眼差しで最後にこう言った。
「────何故ならあなたたちは、ドゥリンの子らだから」
その言葉に歓声が上がる。馬上のボフールが角笛を吹き、最後の進軍への合図を出した。
これで終わらせる。サウロン、待っていなさい。
ネルファンディアの瞳に決意の炎が宿る瞬間だった。
戦いはやや白の軍勢が劣勢だった。必死に持ちこたえている中で、アラゴルンが悲痛な叫びをあげた。
「ガンダルフ!ネルファンディアの援軍はまだか!?」
「今暫し持ちこたえよ!さすれば────」
ガンダルフがそう言って振り返った瞬間、彼は目を疑う光景に言葉を失くした。何事かと思って同じ方向を見たアラゴルンたちも同じ反応になる。
土煙の中で、目映い光を放つ人が後方に現れた。ネルファンディアだった。ギムリがその後ろに控えている大軍に声をあげる。
「エ、エレボールのドワーフ軍だ!」
ネルファンディアはトーリンから受け継いだ剣──彼女の光を受けて輝くオルクリストを抜き、頭上に掲げた。そして隊列が組まれたことを確認して、剣を振り下ろした。ドワーフ軍を率いるときの突撃の合図はこれしかない。
「────ドゥリンの子らよ!ドゥーベカー(突撃)!!!」
ネルファンディアを先頭としたドワーフ軍が、一子乱れぬ動きで壁のようになって突撃してきた。思いがけない強力な援軍の登場に、怯んだ黒の軍勢たちの隊列が乱れる。彼女はそれを見逃すことなく、隙の最も大きい場所めがけて突撃した。
「ネルファンディア殿!よくお戻りになった!」
「ギムリ!無事だったか!」
ネルファンディアに駆け寄ろうとしたギムリだったが、それよりも意外な相手との再会を果たした。父であるグローインだった。
「父上!」
「息子よ。共に戦うぞ、我らが中つ国の民のために!」
「はい!」
「グローイン!話は後だ!先に戦え!」
ドワーリンの怒声が響く。ギムリは名高い戦士である彼と戦えることに、心の底から喜びが沸き上がってくるのを感じた。
「よし!来い!この斧で叩き斬ってやる!」
叫ぶギムリに対し、馬から降りたネルファンディアにアラゴルンは敬意を示した。彼の服装を見て、すぐに魔法使いは王が帰還を果たしたことを悟った。
「おめでとう、アラゴルン」
「戴冠式がまだだ!」
会話を終え、ネルファンディアは杖を使わずにオルクリストを振るいながら応戦を続けた。だが、多勢に無勢。エオメルが張った防衛線を敵が突破しようとしているのが見える。
「このままでは駄目だ!誰か!助けてくれ!」
悲痛な叫びを耳にしたガンダルフだったが、彼が走り出すより前にネルファンディアが動いた。敵の合間をオルクリストで掻き分け縫って滑り込むと、彼女は背中から杖を取り出して魔力を込めた。
強力な波動と共に纏まった敵が吹き飛ぶ。唖然とするエオメルをよそに、ネルファンディアは地面に杖を叩き込んだ。
ガンダルフはその様子に、かつてのサルマンの勇姿を見た。白き衣を身に纏い、漆黒の杖で戦う姿はいつも彼の憧れだった。
魔法で戦う姿を見ながら唖然としていたエオメルは、思わずネルファンディアに尋ねた。
「あなたは……一体何者ですか」
「私はネルファンディア。白の賢者サルマンの娘!」
そう答えるネルファンディアの表情は、とても清々しいものだった。
一方、ボフール、ビフール、ノーリ、ドーリは得意の連携技で敵を倒していた。その少し離れた場所ではドワーリンが先陣を切っている。するとそこへ、新手のトロルたちが現れた。ドワーリンが仲間たちを守るために駆け出す。ところが彼のすぐ隣を真っ直ぐに飛んで行く矢の方が早かった。レゴラスが高台から正確に矢を放ち、次々とトロルたちを倒していく。ドワーリンは何かを閃くと、レゴラスの近くに向かった。弓を射る彼を集中させるために、近くの敵を引き受けたのだ。
「どうも、ドワーリン殿」
二人の連携技は目を見張る素晴らしさだった。そこに目をつけた敵将は、より大型のトロルを送り出した。レンガ造りの高台に鎚が振り下ろされ、レゴラスは寸でのところで避けた。だが第を失った彼は苦境に立たされた。するとドワーリンが叫んだ。
「エルフ!大河を下ったときみたいに、俺の肩を使え!」
当惑しながら躊躇するレゴラスに、決断が迫っていた。そして彼は覚悟を決め、地面を蹴ってドワーリンの肩を台にし、トロルの背に飛び乗った。すぐにトロルは倒され、エルフの王子は爽やかな面持ちでドワーリンの前に降り立った。
「……お見事だ」
「ああ。でも一つだけ間違いがある」
「何だ?」
「僕が乗ったのは頭だ。肩じゃない」
レゴラスはそう言って笑うと、背中から一対の剣を抜いて両手に持った。視線はアラゴルンの隣で援護をしているギムリの方に向けられている。
「ギムリ!」
「54だ!」
大丈夫かと聞きたかったのだが、突然数字が返ってきてレゴラスは面食らった。
「え?何が?」
「今で57!お前は何体だ?」
それを聞いて、レゴラスはまた競争が始まっていることに気づいた。そして僅かに微笑みを浮かべると、目の前の敵を倒し始めた。
「今から数えるよ!これで負けたら君は随分大恥をかくぞ」
「はん!58体差なんぞ、埋められるもんか!」
ギムリは斧を敵の頭に叩き込みながら、レゴラスを見た。
「だがな!俺も恥はかきたくない!今から数え直してやる!」
レゴラスはそれがギムリなりの優しさであることを知っていた。だから何も言わず、ただ笑顔で「どうも」と返すのだった。
きりがない。ガンダルフは焦っていた。フロドのために始めた戦いと言うのに、先にこちらが力尽きそうだったからだ。
「ガンダルフ!」
「ドワーリンか!」
ドワーリンはガンダルフの隣に行くと、今後のことについて尋ねた。
「このままで良いのか!?」
「あの目を逸らすためじゃ!」
だが、ガンダルフは僅かにサウロンが何かを探し始めていることに気づいていた。恐らく指輪だろう。自らの魂が近づく気配を感じないほどの馬鹿ではない。ネルファンディアもそのことに勘づいていた。そして唯一、冥王の意識を逸らすことができる方法も知っていた。
ネルファンディアはレヴァナントを呼んだ。たちまち風が吹き、白馬の姿をしたマイアールが現れる。
彼に飛び乗ると、ネルファンディアはガンダルフに言った。
「私、バラド=ドゥーアへ行くわ」
その言葉に、彼は慌てて反対した。
「いかん!冥王の望みは知っておろう」
ネルファンディアは馬上からガンダルフを見て、静かに頷いた。
「ええ。知っているわ」
そしてバラド=ドゥーアの頂上で悠々と構えているサウロンの目を、ありったけの憎しみを込めて睨み付けた。
「────だからこそ、奴に思い知らせてやらなければ。思い通りにならないことがこの世にまだ存在していることを」
ネルファンディアの横顔にトーリンを見たドワーリンは、行こうとするその裾を掴んで叫んだ。
「姫様!」
「大丈夫。あなたを独りにしたりなんてしない。共に、エレボールの頂を再び仰ぎ見ましょう」
そしてレヴァナントが走り出す。ドワーリンはその背を見つめながら、小さい声で呟いた。
「……ご武運を」
その声は戦場の音にかき消され、ついには誰の耳にも届くことはなかった。
ネルファンディアは並みいる敵をなぎ払いながら、着実に門へと近づいていた。だが、黒門に近づき始めた頃には敵が自ら道を譲るようになり始めていた。
────サウロンの指示ね。
お陰でバラド=ドゥーアの入り口に入るまでの手間は省けた。ネルファンディアはレヴァナントから降りて塔に足を踏み入れようとした。だが、珍しく彼が白い衣の裾をかじって離そうとしない。
「レヴァナント……」
ネルファンディアは彼の頭を優しく撫でた。それでも離れようとはしない。
「心配しないで。きっと戻るから。あなたも聞いたでしょう?私とドワーフたちの約束を」
それを聞いて、ようやくレヴァナントは口から袖を離した。ネルファンディアは笑顔で彼に抱きついた。
「ありがとう、レヴァナント。ここまで来れたのはあなたのお陰よ。私はいつも、あなたのことが大好きだからね」
レヴァナントから離れると、ネルファンディアは塔の玄関をくぐった。すぐにサウロンの部下らしき者が彼女を捕らえようと向かってきたが、容赦なく杖で床に叩きのめしてその首元にオルクリストを突きつけた。
「……貴様の主人はどこだ」
「最上階でお待ちだ!≪堕落した老いぼれの娘≫!」
モルドール語で罵られたことにも顔色一つ変えず、ネルファンディアは相手の首を無言ではね、天井を見上げた。
────サウロン、これで終わりよ。お前の計略は消え去る。その存在と共に。
そして最上階へと続く階段をゆっくりと踏みしめ始めた。六十年の間、ずっと封印し続けた憎しみを思い返しながら。
「行ってくるわ、お父様。お母様とご一緒に眠れるように、戻ってきたら必ず埋葬してあげるから」
生家の壁を撫で、彼女は目を閉じた。幸せだった日々が、堰を切った水のように溢れだす。ドワーリンが仕度を終えたのを察し、ネルファンディアは塔の玄関口にある階段を降りながらレヴァナントを呼んだ。
「さぁ、行きましょう。長居は無用。ゴンドールへ行かねば」
「今なら、まだ間に合うやも知れません」
ネルファンディアは再びガラドリエルから貰った薬を馬たちの鼻に付けると、レヴァナントに飛び乗ってオルサンクを仰ぎ見た。
────必ず帰ってくる。次はもう、逃げたりしない。
レヴァナントが走り出す。ドワーリンも後ろから馬に乗ってついてくる。ファンゴルンを抜けてから暫くは、何の問題もなく事が進んだ。だがローハン付近になって初めて、ネルファンディアは背筋の凍るような気配を感じ始めた。以前にも感じたことのあるその気配は、振り返らずとも何であるかは自明だった。
「ナズグルよ!急いで!」
耳を貫くような甲高い声が響き、黒い馬に乗ったナズグルたちが現れた。
「お前たちの相手をしている暇は無いのよ!」
ネルファンディアは馬上から杖を振って光線を投げつけたが、相手の馬が怯む程度に終わった。このまま降りて戦うしか術はないのか。彼女がそう思ったときだった。一本の矢がナズグルの馬の眉間に射込まれた。
背後ばかり見ていたネルファンディアは、慌てて矢が飛んできた方向を見た。そこにはなんと、馬に乗って部下を連れているエルロンドがいた。
「奴らは私に任せなさい!」
「エルロンド卿!」
「娘のアルウェンがこの地で最後まで戦うのだ。私もそなたの協力を申し出よう、白のネルファンディア」
その言葉を聞いて、ネルファンディアはアルウェンが中つ国にとどまることを決意したことを知った。彼女がなにか言おうとする前に、エルロンドが叫ぶ。
「さぁ!行きなさい!」
「ありがとうございます!」
「かたじけない」
ナズグルの相手を買って出たエルロンドに礼を述べ、ネルファンディアとドワーリンはローハンの平原を馬で疾走した。ゴンドールまではもうすぐ。必ず間に合うはず。祈るような思いで二人は走り続けるのだった。
その頃、モルドールとゴンドール付近の荒れ地ペレンノール野では、ローハン軍と東夷軍が衝突していた。その中には男装したエオウィンも混じっていた。彼女は馬上前方にメリーを乗せて、果敢に戦っている。戦況はローハン軍の優勢かと思われた。だが、またもやそれを一転させる援軍が現れた。
つんざくような音に、突風のような羽ばたき。空飛ぶ怪物に乗ったナズグルだ。将のセオデンめがけて攻撃を仕掛けたナズグルは、一撃でローハン王をなぎ倒した。瀕死の重症を負った叔父を見て、エオウィンの中で何かが音を立てて崩れる。
彼女は馬でナズグルの方に突撃し、馬から降りて敵の乗っていた化け物の首を切り落とした。事の次第を悟ったナズグルは、標的を弱々しそうな若者らしき兵士と、子供のように小さな兵士に変えた。エオウィンは背筋が凍る思いに駆られたが、意を決して剣を構えた。
ナズグルが最初に狙ったのは、メリーだった。彼はすぐになぎ払われると、地面に勢いよく叩きつけられて意識を失った。だがこれが良くなかった。エオウィンの闘争心は最高潮に達し、勢いに任せて攻撃を避け続けた。ほとんど避けるというよりは地面を転がり続けているように見えるが、その身体は着実にナズグルへと近づいている。そしてその剣が敵を捉える距離まで詰めた。持っていた盾で攻撃を受け止める姿に、ナズグルは高笑いしながら彼女を見ている。
『人間の男に、俺は倒せぬ』
その言葉にエオウィンは笑いそうになった。そして憐れな敵に間違いを思い知らせてやるべく、自らの兜をもぎ取って投げ捨てた。目も眩むような美しい金色の長髪が、風と共にたなびく。
「────私は男ではない!」
エオウィン────盾持つ乙女の鋭い一撃がナズグルのかつて顔であった部分を貫いた。凄まじい悲鳴が響き渡り、嵐のような風が巻き起こった。黒の気がその場に満ち、エオウィンは後方に吹き飛ばされる。
そして彼女の意識は、純白の世界へと消えた。
他の仲間たちがネルファンディアとドワーリンが来ないのではないだろうかと憂いている様子に呆れながら、ボフールは北の方角に目を向け続けていた。既に軍とは合流しており、後は二人が辿り着くだけとなっていた。
すると、荒廃した北の地平線がにわかに光を帯び始めた。ボフールは目を細めて遠くを見た。段々とその光は強さを増し、仲間たちだけでなく歩兵たちも足を止めて見守るようになった。
それから、一際光が強くなった時だった。ボフールは全てを理解した。そして彼はその光が一頭の白馬に乗る人物から発せられていることにも気づいた。頭で考えるより先に、言葉が出た。
「ネルファンディアだ!ネルファンディアが戻ってきた!ドワーリン殿も一緒だ!」
その叫びに、他の仲間たちも一変して口々に歓喜の声をあげた。ネルファンディアとドワーリンは何とか仲間たちと合流を果たす事が出来たため、ほっと胸を撫で下ろしている。だが、彼女にはまだ急を要することがあった。
魔法使いは鳥を呼ぶと、再び何かを囁いて南の方角へ放した。ミナス・ティリスへ一直線に飛んで行く姿を見送ると、ネルファンディアはレヴァナントから降りて歩兵たちに深々と礼をした。
「皆さん、ありがとうございます」
「既にお話は伺っております。亡きトーリン王の仇を撃つためにも、マハル様(アウレのこと)のご意志と共に我らドゥリンの子らをお導きください」
ネルファンディアは遠征隊の隊長に再び頭を下げた。既に全兵士の意思が最後の戦いへと向けられていることは、言葉がなくともひしひしと伝わってくる。
白のネルファンディアはレヴァナントに乗り、モルドールへ杖を向けた。
「行こう、最後の戦いへ。あなた方が望む世界を取り戻すために」
目指すは黒門。決戦の時が近づこうとしていた。
アラゴルンたちは、戦いで荒廃したミナス・ティリスへ入場していた。ようやく帰還した王を、人々は疲弊しながらも歓迎している。
彼らは王の間で最後の軍議を開いている最中だった。アラゴルンを中心に、ガンダルフ、ギムリ、レゴラスが集っている。アラゴルンはガンダルフが持っていたパランティアを横目で見ながら、既に答えの出ている議題を持ち出した。
「さて、今からどうすべきだろうか」
「サウロンの目は、今はまだミナス・ティリスへ向けられておる。じゃがいずれは滅びの裂け目に向けられる。その時が来れば、全てお仕舞いじゃ」
「では、我々が出来ることはただ一つですね」
アラゴルンはガンダルフからパランティアを受けとると、目を閉じた。すぐに奴は彼の前に現れた。
『敗走の残党の長が、今更何をしようというのだ』
サウロンの声が響く。アラゴルンは強い意思を込めてその言葉を返した。
「我らは残党などではない。まだミナス・ティリスの火────自由の民の火は残っている。しかも風前の灯などではない。お前が思う以上に、我らはしぶといぞ!」
『そうか────だが、王座に就く意思のない王には何の意味もない。ただの人よ』
アラゴルンは笑った。そして高らかに告げた。
「いいや!王は戻った。今ここに。お前を倒すために!」
その宣言に、サウロンは同様を見せた。仲間たちも何をすべきか悟っている。だが、冥王も負けていない。彼は死にゆくアルウェンの姿────幻であり、全くの嘘を見せた。アラゴルンは衝撃で思わずよろめき、パランティアを床に落とした。そしてサウロンとの交信が終わる。
静まり返るその場を打ち破ったのは、ギムリだった。彼は斧を掲げてドワーフらしい言葉を口にした。
「死の危険は大きく、成功の望みは小さい。さあ、行こうじゃないか!」
アラゴルンは涙目になりながら、ギムリらしい言葉に小さく頷いた。レゴラス、ガンダルフも賛同の意を成した。だが、エルフの王子は一つだけ気掛かりなことがあった。
「……ネルファンディアの援軍は、どうなったんだろう。ガンダルフ、何かご存知ですか?」
ガンダルフは目を細めながら、最後にあった連絡を思い出しながら話し始めた。
「援軍の目処は立ったと、知らせがあった。じゃがその後は知らん」
「……では、間に合うかどうかは解らないのですか」
「到着したが後の祭りってのも困るな」
三人が推論を重ねている間、ガンダルフは静かに待っていた。バルコニーへと続く廊下を見ながら、彼は知らせがくることを信じていた。いや、祈っていた。すると北から一羽のクレバインが一直線に飛んでくるのが見えたので、衛兵が叫んだ。アラゴルンたちの視線も廊下の方へ向けられる。
純白の光に包まれた漆黒のクレバインは、力強い羽ばたきで王の間に現れてガンダルフの肩に乗った。注意深く耳を傾けたガンダルフは、何かを伝言し返し、再びそれを北へ放った。全員が固唾を飲んで見守る中、彼は振り返ってゴンドール王に告げた。
「────ネルファンディアは来る。援軍を連れ、既にゴンドールの近くまでやって来ておる」
全員が拳を突き上げて喜びを露にした。アラゴルンは上ずる声を抑えながら、王として初めての指示を出した。
「皆!戦いに備えろ!最後の戦いが始まるぞ!」
一縷の望みを繋ぐべく、全員の心が一つになった。そして誰もがネルファンディアの到着が一刻でも早まることを願うのだった。
フロドとサムは、滅びの裂け目へと続く最後の道を歩んでいた。既に喉は渇ききり、服はボロボロで汚れている。フロドは枯れそうな声で友に言った。
「指輪が……また、重たくなり始めている」
葬られることを察知しているのか、指輪はチェーンが首に食い込むほどに重くなっていた。しかも滅びの裂け目に近づくほどその重さは酷くなっていく。サムは倒れたフロドにすかさず近寄ると、自分の限界も忘れて肩を貸した。
「サム……」
「俺に指輪は運べない。でも、あなたを運ぶことなら出来る!」
その言葉に、フロドはネルファンディアの言っていたことを思い出した。
────だから一緒に行きましょう。独りで歩まねばならない道だから。
ネルファンディア。ようやくその意味がわかったよ。
フロドは自らの足に最後の力を込めた。彼にとっての全てを終わらせる戦いも、始まろうとしていた。
その少し前、北の地ではスランドゥイル率いるエルフ軍と、デイルの軍、そしてドワーフの連合軍が待機していた。かつての主君の隣で待機することに罰の悪さを覚えていたタウリエルに気づくと、スランドゥイルは一瞥もせずに言った。
「────余の隣で雑念を抱くな、気が散る」
「……申し訳ありません」
「何を謝る。別に叱ったのではない。そのような下らぬ雑念のせいで死ぬなと言いたいだけだ」
意外な言葉に、タウリエルは目を丸くした。そして、戦いの始まりを告げる角笛が谷間に響いた。愛する人の仇を討つべく、彼女の剣を握る手には力が込められ、瞳は冷たく燃えている。
タウリエルは声をあげながら突撃した。キーリには来ることの無かった明日に希望を繋げるため。
悪の巣窟への入り口────黒門の前には既に、アラゴルン率いるゴンドール軍と、エオメル率いるローハン軍が最後の戦いのために隊列を成していた。ギムリがガンダルフに心配そうに尋ねる。
「ガンダルフ。ネルファンディアはいつ戻るんですか?」
「わからん。じゃが、信じて待つのじゃ」
「しかしガンダルフ、この軍勢を我らだけで迎え撃つのは少々リスクが大きいかと……」
レゴラスが最もな苦言を呈するが、どうしようもない。
角笛が響き渡る。そして、最後の蹴りをつけるべく黒門の戦いが始まった。
その僅か一時間前、ネルファンディアとドワーリンたちが率いるエレボールのドワーフ軍は、既にもぬけの殻のオスギリアスを抜けていた。
「川を下ったのは何時ぶりでしょうかね」
「ええ。あの頃を思い出して腕がなります!」
「急ぎましょう。遅れてはなりません。魔法使いは遅すぎもせず、早すぎもしないことがモットーですから」
一行は戦場に着くまでの体力を考慮した上で、進軍速度を早めた。オスギリアスを抜ければ黒門はすぐそこ。ネルファンディアは杖を握り直して、愛馬レヴァナントを駆り立てた。
見通し通りに開戦までに間に合ったネルファンディアは、谷間で一旦進軍を止めて馬上から背後を振り返った。
「皆、顔も知らぬ私のためによくここまで来てくれたわね。ありがとう」
彼女は母親譲りの穏やかな微笑みを浮かべると、士気に僅かなばらつきがあるドワーフ軍に言った。
「今から私のいうことをよく聞いてほしい。おかしなことを言うと思うから、先に言っておくわ」
ネルファンディアは息を吸って、父親譲りのよく通る威厳ある声を発した。
「────今から、戦いに行く。けれど約束してほしい。必ず生きて故郷に戻ると」
兵士たちがざわめく。普通、戦いの前口上は死んでも英雄になれと言うものだ。だがネルファンディアは想定内と言わんばかりに続けた。
「私は知っている。故郷に戻りたくとも戻れないもどかしさを。志半ばで力尽き、全ての愛しいものを置いて地に伏す人の悔しさを。そして、永遠に待っても戻ることはない人を待つ悲しみも」
ドワーリンたちはすぐに、それがトーリンのことだと悟った。そして無意識に頭を垂れた。
「だから、あなたたちは帰らねばならない。──この戦いは!ただの戦ではないから。この戦いは、明日を取り戻すため。平和を取り戻すため。この瞬間までに地に伏した、同胞たちの仇を取るため。そして、二度と故郷が戦火に包まれないためなの!この戦いの勝利は、死んで得られるものではない。今日の勝利は、ここにいる皆が日常を取り戻して待ち人たちの元へ帰るまで得られない!」
兵士たちの視線がいつの間にかネルファンディアに釘付けになる。ドワーリンは無言であっても兵の士気が格別に上がっていることに気づいた。
「必ず生きて戻る。死して英雄にならず、生きて故郷の地を踏むこと!この約束は守ってほしい。……私も怖い。でも、あなたたちはきっと大丈夫。きっと私との約束を守り、勝利を収めるでしょう」
そして彼女は決意のこもった、けれど慈愛溢れる眼差しで最後にこう言った。
「────何故ならあなたたちは、ドゥリンの子らだから」
その言葉に歓声が上がる。馬上のボフールが角笛を吹き、最後の進軍への合図を出した。
これで終わらせる。サウロン、待っていなさい。
ネルファンディアの瞳に決意の炎が宿る瞬間だった。
戦いはやや白の軍勢が劣勢だった。必死に持ちこたえている中で、アラゴルンが悲痛な叫びをあげた。
「ガンダルフ!ネルファンディアの援軍はまだか!?」
「今暫し持ちこたえよ!さすれば────」
ガンダルフがそう言って振り返った瞬間、彼は目を疑う光景に言葉を失くした。何事かと思って同じ方向を見たアラゴルンたちも同じ反応になる。
土煙の中で、目映い光を放つ人が後方に現れた。ネルファンディアだった。ギムリがその後ろに控えている大軍に声をあげる。
「エ、エレボールのドワーフ軍だ!」
ネルファンディアはトーリンから受け継いだ剣──彼女の光を受けて輝くオルクリストを抜き、頭上に掲げた。そして隊列が組まれたことを確認して、剣を振り下ろした。ドワーフ軍を率いるときの突撃の合図はこれしかない。
「────ドゥリンの子らよ!ドゥーベカー(突撃)!!!」
ネルファンディアを先頭としたドワーフ軍が、一子乱れぬ動きで壁のようになって突撃してきた。思いがけない強力な援軍の登場に、怯んだ黒の軍勢たちの隊列が乱れる。彼女はそれを見逃すことなく、隙の最も大きい場所めがけて突撃した。
「ネルファンディア殿!よくお戻りになった!」
「ギムリ!無事だったか!」
ネルファンディアに駆け寄ろうとしたギムリだったが、それよりも意外な相手との再会を果たした。父であるグローインだった。
「父上!」
「息子よ。共に戦うぞ、我らが中つ国の民のために!」
「はい!」
「グローイン!話は後だ!先に戦え!」
ドワーリンの怒声が響く。ギムリは名高い戦士である彼と戦えることに、心の底から喜びが沸き上がってくるのを感じた。
「よし!来い!この斧で叩き斬ってやる!」
叫ぶギムリに対し、馬から降りたネルファンディアにアラゴルンは敬意を示した。彼の服装を見て、すぐに魔法使いは王が帰還を果たしたことを悟った。
「おめでとう、アラゴルン」
「戴冠式がまだだ!」
会話を終え、ネルファンディアは杖を使わずにオルクリストを振るいながら応戦を続けた。だが、多勢に無勢。エオメルが張った防衛線を敵が突破しようとしているのが見える。
「このままでは駄目だ!誰か!助けてくれ!」
悲痛な叫びを耳にしたガンダルフだったが、彼が走り出すより前にネルファンディアが動いた。敵の合間をオルクリストで掻き分け縫って滑り込むと、彼女は背中から杖を取り出して魔力を込めた。
強力な波動と共に纏まった敵が吹き飛ぶ。唖然とするエオメルをよそに、ネルファンディアは地面に杖を叩き込んだ。
ガンダルフはその様子に、かつてのサルマンの勇姿を見た。白き衣を身に纏い、漆黒の杖で戦う姿はいつも彼の憧れだった。
魔法で戦う姿を見ながら唖然としていたエオメルは、思わずネルファンディアに尋ねた。
「あなたは……一体何者ですか」
「私はネルファンディア。白の賢者サルマンの娘!」
そう答えるネルファンディアの表情は、とても清々しいものだった。
一方、ボフール、ビフール、ノーリ、ドーリは得意の連携技で敵を倒していた。その少し離れた場所ではドワーリンが先陣を切っている。するとそこへ、新手のトロルたちが現れた。ドワーリンが仲間たちを守るために駆け出す。ところが彼のすぐ隣を真っ直ぐに飛んで行く矢の方が早かった。レゴラスが高台から正確に矢を放ち、次々とトロルたちを倒していく。ドワーリンは何かを閃くと、レゴラスの近くに向かった。弓を射る彼を集中させるために、近くの敵を引き受けたのだ。
「どうも、ドワーリン殿」
二人の連携技は目を見張る素晴らしさだった。そこに目をつけた敵将は、より大型のトロルを送り出した。レンガ造りの高台に鎚が振り下ろされ、レゴラスは寸でのところで避けた。だが第を失った彼は苦境に立たされた。するとドワーリンが叫んだ。
「エルフ!大河を下ったときみたいに、俺の肩を使え!」
当惑しながら躊躇するレゴラスに、決断が迫っていた。そして彼は覚悟を決め、地面を蹴ってドワーリンの肩を台にし、トロルの背に飛び乗った。すぐにトロルは倒され、エルフの王子は爽やかな面持ちでドワーリンの前に降り立った。
「……お見事だ」
「ああ。でも一つだけ間違いがある」
「何だ?」
「僕が乗ったのは頭だ。肩じゃない」
レゴラスはそう言って笑うと、背中から一対の剣を抜いて両手に持った。視線はアラゴルンの隣で援護をしているギムリの方に向けられている。
「ギムリ!」
「54だ!」
大丈夫かと聞きたかったのだが、突然数字が返ってきてレゴラスは面食らった。
「え?何が?」
「今で57!お前は何体だ?」
それを聞いて、レゴラスはまた競争が始まっていることに気づいた。そして僅かに微笑みを浮かべると、目の前の敵を倒し始めた。
「今から数えるよ!これで負けたら君は随分大恥をかくぞ」
「はん!58体差なんぞ、埋められるもんか!」
ギムリは斧を敵の頭に叩き込みながら、レゴラスを見た。
「だがな!俺も恥はかきたくない!今から数え直してやる!」
レゴラスはそれがギムリなりの優しさであることを知っていた。だから何も言わず、ただ笑顔で「どうも」と返すのだった。
きりがない。ガンダルフは焦っていた。フロドのために始めた戦いと言うのに、先にこちらが力尽きそうだったからだ。
「ガンダルフ!」
「ドワーリンか!」
ドワーリンはガンダルフの隣に行くと、今後のことについて尋ねた。
「このままで良いのか!?」
「あの目を逸らすためじゃ!」
だが、ガンダルフは僅かにサウロンが何かを探し始めていることに気づいていた。恐らく指輪だろう。自らの魂が近づく気配を感じないほどの馬鹿ではない。ネルファンディアもそのことに勘づいていた。そして唯一、冥王の意識を逸らすことができる方法も知っていた。
ネルファンディアはレヴァナントを呼んだ。たちまち風が吹き、白馬の姿をしたマイアールが現れる。
彼に飛び乗ると、ネルファンディアはガンダルフに言った。
「私、バラド=ドゥーアへ行くわ」
その言葉に、彼は慌てて反対した。
「いかん!冥王の望みは知っておろう」
ネルファンディアは馬上からガンダルフを見て、静かに頷いた。
「ええ。知っているわ」
そしてバラド=ドゥーアの頂上で悠々と構えているサウロンの目を、ありったけの憎しみを込めて睨み付けた。
「────だからこそ、奴に思い知らせてやらなければ。思い通りにならないことがこの世にまだ存在していることを」
ネルファンディアの横顔にトーリンを見たドワーリンは、行こうとするその裾を掴んで叫んだ。
「姫様!」
「大丈夫。あなたを独りにしたりなんてしない。共に、エレボールの頂を再び仰ぎ見ましょう」
そしてレヴァナントが走り出す。ドワーリンはその背を見つめながら、小さい声で呟いた。
「……ご武運を」
その声は戦場の音にかき消され、ついには誰の耳にも届くことはなかった。
ネルファンディアは並みいる敵をなぎ払いながら、着実に門へと近づいていた。だが、黒門に近づき始めた頃には敵が自ら道を譲るようになり始めていた。
────サウロンの指示ね。
お陰でバラド=ドゥーアの入り口に入るまでの手間は省けた。ネルファンディアはレヴァナントから降りて塔に足を踏み入れようとした。だが、珍しく彼が白い衣の裾をかじって離そうとしない。
「レヴァナント……」
ネルファンディアは彼の頭を優しく撫でた。それでも離れようとはしない。
「心配しないで。きっと戻るから。あなたも聞いたでしょう?私とドワーフたちの約束を」
それを聞いて、ようやくレヴァナントは口から袖を離した。ネルファンディアは笑顔で彼に抱きついた。
「ありがとう、レヴァナント。ここまで来れたのはあなたのお陰よ。私はいつも、あなたのことが大好きだからね」
レヴァナントから離れると、ネルファンディアは塔の玄関をくぐった。すぐにサウロンの部下らしき者が彼女を捕らえようと向かってきたが、容赦なく杖で床に叩きのめしてその首元にオルクリストを突きつけた。
「……貴様の主人はどこだ」
「最上階でお待ちだ!≪堕落した老いぼれの娘≫!」
モルドール語で罵られたことにも顔色一つ変えず、ネルファンディアは相手の首を無言ではね、天井を見上げた。
────サウロン、これで終わりよ。お前の計略は消え去る。その存在と共に。
そして最上階へと続く階段をゆっくりと踏みしめ始めた。六十年の間、ずっと封印し続けた憎しみを思い返しながら。