四章、希望と記憶
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西には灰色港を目指すエルフの列が出来ていた。その中に居たアルウェンには、終始気がかりなことがあった。
────あの夢に現れたネルファンディアは……
そう、夢というのはネルファンディアがトーリンの墓所で見た夢のことだった。アルウェンの心はあれ以来、ずっと揺れていた。そしてふと、来た道を振り返った。
そこには幻があった。とても悲しい幻だった。自分を置いて亡くなるアラゴルン。決して年を取らない自分。取り残されるような感覚に、アルウェンは悲しみを覚えて視線をそらそうとした。だが、直後に誰かの気配を感じて彼女は隣を見た。
『アルウェン、いつも死が残すのは悲しみだけじゃない』
「────ネルファンディア!!?」
『アルウェン、あなたにはまだ道がある。私が選び損ねた道が。王となる人の未来は、とても孤独なもの。でも、あなたならきっと彼を支えられる。そして愛する人が造り上げる王国を、共に見届けるのよ。いつかその日々は、きっと喜びに変わるから』
ネルファンディアの姿が光に包まれ、消えていく。声もどんどん遠退いていく。
「ネルファンディア!あなたは一体どうしてそこまで……」
『例え私の過去を知ったとしても、どうか嘆かないで、アルウェン。私がこの身に受けた悲しみは、誰かを幸せへと導くためのものなのだから』
そして、全てが消え去った。アルウェンは困惑のなかに一人取り残されたが、次に見えたものに言葉を失った。
それは、アラゴルンとの間に出来る子供の姿だった。それを見てアルウェンは悟った。
────ありがとう、ネルファンディア。死が残すのは悲しみだけではない。暖かな思い出と、未来が生まれる瞬間なのだから。
その後は早かった。アルウェンは馬の向きを変えて隊列を逆走し始めた。戻らねば。自分は西へ去ることはできない。愛する人を置いて去ることなど。
それぞれの場所で、希望が光を増し始めていた。
ネルファンディアは杖に寄りかかりながら眠っていたが、目覚めて微笑んだ。ドワーリンが心配そうにその顔を覗き込む。
「……どうかしましたか?」
「いいえ、何もないわ。夜明けが来ることを願ってみただけ」
彼女は立ち上がると、全員に声をかけた。
「さ、行きましょう。あとはアンドゥインに行くだけよ」
「でも船がない。それはどうする気なんです?」
ネルファンディアはドーリの質問に少し考えると、辺りを見回して頷いた。
「大丈夫。宛はある」
彼女は馬に再び乗ると、目的地があるかのように進みだした。残された仲間たちも、首をかしげながらもその後ろをついていった。
やって来た場所は、アンドゥインと闇の森一帯を守る町だった。ネルファンディアの姿を見て恐れる者も居たが、やがて一人の男が目の前に現れた。
「賢者殿か」
「ええ、そうです」
ボフールはいぶかしげに、背の高い髭を生やしている男を見た。賢者は微笑むと、彼にこう言った。
「昔にあなたたちが闇の森を通る前、世話になった人の息子ですよ」
「世話になった……まさか、ビヨルン殿の?」
「ええ、その息子グリムビヨルン殿よ」
ネルファンディアが礼をしたのを見て、一同もそれに倣う。グリムビヨルンは微笑むと、同じく一礼した。
ビヨルンは五軍の合戦後、その功績を讃えられて闇の森とアンドゥイン一帯を守る大主公となった。そこに彼の一族の生き残りも合流し、こうして一大都市を形成するにまで至ったのだ。ビヨルンから寄せられた手紙で、ネルファンディアは生き別れになった息子と奇跡的に再会することが出来たという話を知っていた。グリムビヨルンもまた、父のビヨルンから彼女の話を聞いていた。
「ところで、こちらには何用で」
「船を急遽いただきたいの。アンドゥインを下り、ゴンドールへ行かねば」
「それならお任せを」
「それと、すぐに警備を固めるように。すぐに北へサウロンの軍勢が攻めてくる。もし兵力が余っているなら、エレボールとデイルの方にも援軍を送ってほしい」
「相解った。アンドゥインを下る船を手配しろ!」
ドワーフたちはようやく、ネルファンディアがどのようにして川を下るつもりであるかを悟った。彼女は仲間たちに腹ごしらえをしておくように言うと、自分は高台に登ってクレバインを呼び寄せた。そして何かを囁き始めた。
「────さぁ、ミスランディアの元へ行きなさい!お願いね」
クレバインは一鳴きすると、空に高く舞い上がって南へと飛び立った。南の方へ目を向けたネルファンディアは、ミナス・ティリスで起きているであろう戦いに胸を痛めた。そしてアラゴルンたちは無事なのだろうかとも思った。
そんなことを考えていると、不意に袋が投げられた。慌てて掴んで下をみると、そこにはボフールがいた。
「これは?」
「あんたの分だよ!ブリオッシュだぜ」
ネルファンディアはそのパンの名前に笑みをこぼした。ボフールはどうして彼女が笑っているのかが分からず、首をかしげている。
「ありがとう。これ、大好きなの」
南の方を眺めながら、彼女はブリオッシュを一口ちぎって口に入れた。バターと干し葡萄の香りが広がる。とても美味しかった。
そういえば、これを一緒に食べた友はどうしているのだろうか。ネルファンディアはエオウィンのことを考えながら、残りのブリオッシュを味わうのだった。
エオウィンはエドラスで独り、ふてくされながら椅子に座っていた。いや、正確には二人だ。隣に居るメリアドク・ブランディバックも、空になったパイプを口に加えながら遠くを見つめている。
「はぁ……私たちだけが残るなんて、理不尽よ」
「そうですね。でも、どうしようもないです」
エオウィンの思考に、ふと何かが舞い降りた。彼女は甲冑を取り出してくると、髪をまとめ始めた。
「ネルファンディアが戦っているのに、私だけが一人で安全な場所に居られるわけがない」
「姫、何をなさっているんです?」
「行くのよ、戦に」
「ですが!すぐに気づかれますよ」
「ばれやしないわ。私、行かないと」
エオウィンは冑を被り、剣を携えて声高らかにメリーに尋ねた。
「あなたも来る?」
彼の返事は、もちろん賛成だった。
船に少量の荷物を積み終わり、ドワーフたちは馬たちをどうするかを言い争っていた。するとネルファンディアがやって来て、レヴァナントの頭を撫でながら囁き始めた。
「レヴァナント、この子たちをロリアンへ連れていってちょうだい。あなたなら出来るわよね?」
レヴァナントはもちろんと言いたげに声をあげた。その鳴き声に他の馬たちも反応し、そのまま彼を先頭に走り出した。
「あの子たちはレヴァナントが連れていってくれるわ。立ち寄り地点で合流するように言ってあるから、安心してちょうだい」
「立ち寄り?まだどこかに?」
「北の守備を固めなければ。あなたたちもきっと歓迎されるわ。私を信じて」
ドワーリンは渋々頷くと、一同に船に乗るように促した。船といっても帆船ではなくボートに等しいが、七人で行動するには丁度いい大きさだった。先頭を行くネルファンディアがドワーリンと共に漕ぎ出すと、残りのドワーフたちもそれぞれに分かれて船を出した。
岸はみるみる遠ざかり、大河はネルファンディアたちを着実に南へと運んでいった。川を下っているうちに、一行は昔話に花を咲かせるようになってきた。
「懐かしいなぁ!樽で川を下ったときには、どうなるかと……」
「姫様が居なくなって、トーリンが随分落ち込んでな」
グローインとドワーリンの言葉に、ネルファンディアは笑った。
「それにしても、あのときのキーリの行動は素晴らしかったわ!水門が閉じたままだったら、私たちみんなオークに殺されてた」
「正に!ですがあなたの魔法も凄まじかった」
「ありがとう、ビフール」
あのときはまだ、蒼の魔法使いだった。昔の自分に戻れば、きっとその力の弱さに愕然とするのだろう。そんなことを話ながら川を下り続けると、どこからか叫び声が聞こえてきた。
「……なんの音だ?」
「弓矢と、剣の音が聞こえる。そして────助けを求める声が!」
ネルファンディアは顔をあげて辺りを見回した。そこは見覚えのある場所だった。彼女は直ぐ様小さな桟橋になっている場所に船を付けるように指示すると、荷物をまとめて剣を持った。
「我々をどこへ連れていくおつもりですか?」
「もうすぐ出てくるけれど、その前にオークが出てきそうね」
ドワーフたちは戦いの準備を始めた。ドワーリンはネルファンディアの隣を守るために、その横をしっかりとついてきている。桟橋から森を抜けると、そこにはおびただしい数のオークたちが居た。
「奴等を倒せば、協力者が居る場所に辿り着けるわ。急ぎましょう」
「その協力者とか言う奴らも、こいつらに殺られていなければ良いですがね」
「そうならないように急ぐのよ!」
ネルファンディアはオルクリストを抜いて先陣を斬った。その後ろにドワーリンたちが続く。
彼らが戦っている場所は、つい半年ほど前にネルファンディアたちが通った場所────ロスロリアンのすぐ側だった。ケレボルンはかつて無い大軍が押し寄せる非常事態に、自身も参戦すべく支度を始めていた。
「ガラドリエル、残った兵の指示を任せる」
「ケレボルン殿。私も行きます」
「しかし……」
「私を誰だとお思いで?」
ガラドリエルはケレボルンに微笑むと、かつて中つ国の地でモルゴスに立ち向かっていた頃と同じ目をして城壁へ向かった。既に隊列は破られており、館への入り口を死守するという状況まで追い詰められていた。ガラドリエルは己の魔力を使ってでも止めなければならないと悟ったのか、手を振り上げるために肩をあげた。だが、それとほぼ同時に目映い閃光が敵を数十体蹴散らした。
ケレボルンは隣に居る妻を見て、唖然とした。
「あれは、そなたが?」
だが、ガラドリエルの返事は意外なものだった。
「いいえ……私ではありません」
二人が事の次第を把握すべく前を向いた瞬間、その答えは自ずと示された。
「間に合いましたか?ガラドリエル姉様!」
「ネルファンディア!?」
敵が多すぎるためにオルクリストから杖に持ち代えたネルファンディアは、在りし日のサルマン────クルニーアと見間違えるほどに強力な魔法で応戦していた。少し遅れてドワーリンたちも加勢し始めた。ケレボルンはしばらく呆気にとられていたが、すぐに城壁で待機していた弓兵たちに命じた。
「Hado!(射よ!)」
ドワーリンはネルファンディアに叫んだ。
「魔法使いは黙ってエルフの元に連れていくのがお好きなようで!」
「言っても良い顔はしないでしょう!」
次々と敵が倒されていく。ネルファンディアたちの加勢もあって、何とかロスロリアン内に闇の勢力がなだれ込む事態は防ぐことができた。
退却していく軍勢を追う兵士たちを置いて、ネルファンディアは館の門の前に立った。待つこと少しで、門が開いてガラドリエルとケレボルンが一行を出迎えた。
「ようこそ、妻の妹の子……そして、その一行よ」
「ガラドリエル姉様、ケレボルン様、突然の訪問をお許しください」
「構いませんよ、ネルファンディア」
ケレボルンたちとのやり取りで、ドワーフたちはネルファンディアがエルフの血を継いでいることを思い出した。
「ひょっとして、あなたが姫のおば様に当たる方ですか?」
「ええ、そうですよ。フンディの息子、ドワーリン。何ゆえ解ったのですか?」
ドワーリンは何故自分と父の名を知っているのだと聞きたくなったが、質問を抑えてネルファンディアの瞳の色が同じだからと答えた。するとガラドリエルは楽しそうに笑った。
「それは我が妹とわらわが似ている部分とも言えよう。アマンの地に故郷を持つ上方エルフの証」
「しかし、髪は似ておられない」
ボフールの言葉に、再びガラドリエルが答えた。
「ええ、ボフール。この子の銀筋川のように真っ直ぐな髪は父親譲り。そしてこの色は……」
そこでようやく、ガラドリエルは改めてネルファンディアを見て変化に気づいた。
「……変わりましたね?」
「ええ。あなたの助言に従い、己の召命を知りました。そして、父の果たせなかった使命を継ぎました」
エルフの夫妻はネルファンディア────白のネルファンディアに向き直り、深々と頭を下げた。彼女もまた頭を下げる。
「父と同じ杖を持ち、同じ道を行くのですね」
「ええ。私が言うのも何ですが、自慢の父ですから」
ガラドリエルは微笑み、ケレボルンを見た。彼は一同に館への道を譲り、こう言った。
「さぁ、歓迎しよう。ドワーフ流の食事を用意させる」
もちろんこれに異を唱えるドワーフたちは居なかった。
────あの夢に現れたネルファンディアは……
そう、夢というのはネルファンディアがトーリンの墓所で見た夢のことだった。アルウェンの心はあれ以来、ずっと揺れていた。そしてふと、来た道を振り返った。
そこには幻があった。とても悲しい幻だった。自分を置いて亡くなるアラゴルン。決して年を取らない自分。取り残されるような感覚に、アルウェンは悲しみを覚えて視線をそらそうとした。だが、直後に誰かの気配を感じて彼女は隣を見た。
『アルウェン、いつも死が残すのは悲しみだけじゃない』
「────ネルファンディア!!?」
『アルウェン、あなたにはまだ道がある。私が選び損ねた道が。王となる人の未来は、とても孤独なもの。でも、あなたならきっと彼を支えられる。そして愛する人が造り上げる王国を、共に見届けるのよ。いつかその日々は、きっと喜びに変わるから』
ネルファンディアの姿が光に包まれ、消えていく。声もどんどん遠退いていく。
「ネルファンディア!あなたは一体どうしてそこまで……」
『例え私の過去を知ったとしても、どうか嘆かないで、アルウェン。私がこの身に受けた悲しみは、誰かを幸せへと導くためのものなのだから』
そして、全てが消え去った。アルウェンは困惑のなかに一人取り残されたが、次に見えたものに言葉を失った。
それは、アラゴルンとの間に出来る子供の姿だった。それを見てアルウェンは悟った。
────ありがとう、ネルファンディア。死が残すのは悲しみだけではない。暖かな思い出と、未来が生まれる瞬間なのだから。
その後は早かった。アルウェンは馬の向きを変えて隊列を逆走し始めた。戻らねば。自分は西へ去ることはできない。愛する人を置いて去ることなど。
それぞれの場所で、希望が光を増し始めていた。
ネルファンディアは杖に寄りかかりながら眠っていたが、目覚めて微笑んだ。ドワーリンが心配そうにその顔を覗き込む。
「……どうかしましたか?」
「いいえ、何もないわ。夜明けが来ることを願ってみただけ」
彼女は立ち上がると、全員に声をかけた。
「さ、行きましょう。あとはアンドゥインに行くだけよ」
「でも船がない。それはどうする気なんです?」
ネルファンディアはドーリの質問に少し考えると、辺りを見回して頷いた。
「大丈夫。宛はある」
彼女は馬に再び乗ると、目的地があるかのように進みだした。残された仲間たちも、首をかしげながらもその後ろをついていった。
やって来た場所は、アンドゥインと闇の森一帯を守る町だった。ネルファンディアの姿を見て恐れる者も居たが、やがて一人の男が目の前に現れた。
「賢者殿か」
「ええ、そうです」
ボフールはいぶかしげに、背の高い髭を生やしている男を見た。賢者は微笑むと、彼にこう言った。
「昔にあなたたちが闇の森を通る前、世話になった人の息子ですよ」
「世話になった……まさか、ビヨルン殿の?」
「ええ、その息子グリムビヨルン殿よ」
ネルファンディアが礼をしたのを見て、一同もそれに倣う。グリムビヨルンは微笑むと、同じく一礼した。
ビヨルンは五軍の合戦後、その功績を讃えられて闇の森とアンドゥイン一帯を守る大主公となった。そこに彼の一族の生き残りも合流し、こうして一大都市を形成するにまで至ったのだ。ビヨルンから寄せられた手紙で、ネルファンディアは生き別れになった息子と奇跡的に再会することが出来たという話を知っていた。グリムビヨルンもまた、父のビヨルンから彼女の話を聞いていた。
「ところで、こちらには何用で」
「船を急遽いただきたいの。アンドゥインを下り、ゴンドールへ行かねば」
「それならお任せを」
「それと、すぐに警備を固めるように。すぐに北へサウロンの軍勢が攻めてくる。もし兵力が余っているなら、エレボールとデイルの方にも援軍を送ってほしい」
「相解った。アンドゥインを下る船を手配しろ!」
ドワーフたちはようやく、ネルファンディアがどのようにして川を下るつもりであるかを悟った。彼女は仲間たちに腹ごしらえをしておくように言うと、自分は高台に登ってクレバインを呼び寄せた。そして何かを囁き始めた。
「────さぁ、ミスランディアの元へ行きなさい!お願いね」
クレバインは一鳴きすると、空に高く舞い上がって南へと飛び立った。南の方へ目を向けたネルファンディアは、ミナス・ティリスで起きているであろう戦いに胸を痛めた。そしてアラゴルンたちは無事なのだろうかとも思った。
そんなことを考えていると、不意に袋が投げられた。慌てて掴んで下をみると、そこにはボフールがいた。
「これは?」
「あんたの分だよ!ブリオッシュだぜ」
ネルファンディアはそのパンの名前に笑みをこぼした。ボフールはどうして彼女が笑っているのかが分からず、首をかしげている。
「ありがとう。これ、大好きなの」
南の方を眺めながら、彼女はブリオッシュを一口ちぎって口に入れた。バターと干し葡萄の香りが広がる。とても美味しかった。
そういえば、これを一緒に食べた友はどうしているのだろうか。ネルファンディアはエオウィンのことを考えながら、残りのブリオッシュを味わうのだった。
エオウィンはエドラスで独り、ふてくされながら椅子に座っていた。いや、正確には二人だ。隣に居るメリアドク・ブランディバックも、空になったパイプを口に加えながら遠くを見つめている。
「はぁ……私たちだけが残るなんて、理不尽よ」
「そうですね。でも、どうしようもないです」
エオウィンの思考に、ふと何かが舞い降りた。彼女は甲冑を取り出してくると、髪をまとめ始めた。
「ネルファンディアが戦っているのに、私だけが一人で安全な場所に居られるわけがない」
「姫、何をなさっているんです?」
「行くのよ、戦に」
「ですが!すぐに気づかれますよ」
「ばれやしないわ。私、行かないと」
エオウィンは冑を被り、剣を携えて声高らかにメリーに尋ねた。
「あなたも来る?」
彼の返事は、もちろん賛成だった。
船に少量の荷物を積み終わり、ドワーフたちは馬たちをどうするかを言い争っていた。するとネルファンディアがやって来て、レヴァナントの頭を撫でながら囁き始めた。
「レヴァナント、この子たちをロリアンへ連れていってちょうだい。あなたなら出来るわよね?」
レヴァナントはもちろんと言いたげに声をあげた。その鳴き声に他の馬たちも反応し、そのまま彼を先頭に走り出した。
「あの子たちはレヴァナントが連れていってくれるわ。立ち寄り地点で合流するように言ってあるから、安心してちょうだい」
「立ち寄り?まだどこかに?」
「北の守備を固めなければ。あなたたちもきっと歓迎されるわ。私を信じて」
ドワーリンは渋々頷くと、一同に船に乗るように促した。船といっても帆船ではなくボートに等しいが、七人で行動するには丁度いい大きさだった。先頭を行くネルファンディアがドワーリンと共に漕ぎ出すと、残りのドワーフたちもそれぞれに分かれて船を出した。
岸はみるみる遠ざかり、大河はネルファンディアたちを着実に南へと運んでいった。川を下っているうちに、一行は昔話に花を咲かせるようになってきた。
「懐かしいなぁ!樽で川を下ったときには、どうなるかと……」
「姫様が居なくなって、トーリンが随分落ち込んでな」
グローインとドワーリンの言葉に、ネルファンディアは笑った。
「それにしても、あのときのキーリの行動は素晴らしかったわ!水門が閉じたままだったら、私たちみんなオークに殺されてた」
「正に!ですがあなたの魔法も凄まじかった」
「ありがとう、ビフール」
あのときはまだ、蒼の魔法使いだった。昔の自分に戻れば、きっとその力の弱さに愕然とするのだろう。そんなことを話ながら川を下り続けると、どこからか叫び声が聞こえてきた。
「……なんの音だ?」
「弓矢と、剣の音が聞こえる。そして────助けを求める声が!」
ネルファンディアは顔をあげて辺りを見回した。そこは見覚えのある場所だった。彼女は直ぐ様小さな桟橋になっている場所に船を付けるように指示すると、荷物をまとめて剣を持った。
「我々をどこへ連れていくおつもりですか?」
「もうすぐ出てくるけれど、その前にオークが出てきそうね」
ドワーフたちは戦いの準備を始めた。ドワーリンはネルファンディアの隣を守るために、その横をしっかりとついてきている。桟橋から森を抜けると、そこにはおびただしい数のオークたちが居た。
「奴等を倒せば、協力者が居る場所に辿り着けるわ。急ぎましょう」
「その協力者とか言う奴らも、こいつらに殺られていなければ良いですがね」
「そうならないように急ぐのよ!」
ネルファンディアはオルクリストを抜いて先陣を斬った。その後ろにドワーリンたちが続く。
彼らが戦っている場所は、つい半年ほど前にネルファンディアたちが通った場所────ロスロリアンのすぐ側だった。ケレボルンはかつて無い大軍が押し寄せる非常事態に、自身も参戦すべく支度を始めていた。
「ガラドリエル、残った兵の指示を任せる」
「ケレボルン殿。私も行きます」
「しかし……」
「私を誰だとお思いで?」
ガラドリエルはケレボルンに微笑むと、かつて中つ国の地でモルゴスに立ち向かっていた頃と同じ目をして城壁へ向かった。既に隊列は破られており、館への入り口を死守するという状況まで追い詰められていた。ガラドリエルは己の魔力を使ってでも止めなければならないと悟ったのか、手を振り上げるために肩をあげた。だが、それとほぼ同時に目映い閃光が敵を数十体蹴散らした。
ケレボルンは隣に居る妻を見て、唖然とした。
「あれは、そなたが?」
だが、ガラドリエルの返事は意外なものだった。
「いいえ……私ではありません」
二人が事の次第を把握すべく前を向いた瞬間、その答えは自ずと示された。
「間に合いましたか?ガラドリエル姉様!」
「ネルファンディア!?」
敵が多すぎるためにオルクリストから杖に持ち代えたネルファンディアは、在りし日のサルマン────クルニーアと見間違えるほどに強力な魔法で応戦していた。少し遅れてドワーリンたちも加勢し始めた。ケレボルンはしばらく呆気にとられていたが、すぐに城壁で待機していた弓兵たちに命じた。
「Hado!(射よ!)」
ドワーリンはネルファンディアに叫んだ。
「魔法使いは黙ってエルフの元に連れていくのがお好きなようで!」
「言っても良い顔はしないでしょう!」
次々と敵が倒されていく。ネルファンディアたちの加勢もあって、何とかロスロリアン内に闇の勢力がなだれ込む事態は防ぐことができた。
退却していく軍勢を追う兵士たちを置いて、ネルファンディアは館の門の前に立った。待つこと少しで、門が開いてガラドリエルとケレボルンが一行を出迎えた。
「ようこそ、妻の妹の子……そして、その一行よ」
「ガラドリエル姉様、ケレボルン様、突然の訪問をお許しください」
「構いませんよ、ネルファンディア」
ケレボルンたちとのやり取りで、ドワーフたちはネルファンディアがエルフの血を継いでいることを思い出した。
「ひょっとして、あなたが姫のおば様に当たる方ですか?」
「ええ、そうですよ。フンディの息子、ドワーリン。何ゆえ解ったのですか?」
ドワーリンは何故自分と父の名を知っているのだと聞きたくなったが、質問を抑えてネルファンディアの瞳の色が同じだからと答えた。するとガラドリエルは楽しそうに笑った。
「それは我が妹とわらわが似ている部分とも言えよう。アマンの地に故郷を持つ上方エルフの証」
「しかし、髪は似ておられない」
ボフールの言葉に、再びガラドリエルが答えた。
「ええ、ボフール。この子の銀筋川のように真っ直ぐな髪は父親譲り。そしてこの色は……」
そこでようやく、ガラドリエルは改めてネルファンディアを見て変化に気づいた。
「……変わりましたね?」
「ええ。あなたの助言に従い、己の召命を知りました。そして、父の果たせなかった使命を継ぎました」
エルフの夫妻はネルファンディア────白のネルファンディアに向き直り、深々と頭を下げた。彼女もまた頭を下げる。
「父と同じ杖を持ち、同じ道を行くのですね」
「ええ。私が言うのも何ですが、自慢の父ですから」
ガラドリエルは微笑み、ケレボルンを見た。彼は一同に館への道を譲り、こう言った。
「さぁ、歓迎しよう。ドワーフ流の食事を用意させる」
もちろんこれに異を唱えるドワーフたちは居なかった。