三章、南へ
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ネルファンディアは杖を構えると、レヴァナントから烏ヶ丘の地面に飛び降りた。ナズグルたちと数人の東夷たちが反応する。
「お前たちには、ここで償ってもらう。トーリンが受けた痛みを味わうがいい!」
ナズグルたちが一斉に剣を抜く。魔法使いは覚悟を決め、彼らに目にもの見せるべく駆け出した。だがそれにはまず、東夷の騎士たちを倒さねば。そう思っていた時だった。
一体の騎士が倒れる。身体には投げ斧が刺さっていた。ネルファンディアは振り返って声を上げた。
「────ドワーリン殿!?」
「姫!こいつらは俺にお任せを!」
「わかった。ありがとう」
東夷たちをドワーリンが引き受けている間に、ネルファンディアはナズグルたちに戦いを挑んだ。
『死ね……!精霊とエルフの小娘よ!』
「私は決して死なない!少なくとも、この場所では!」
そう言ってネルファンディアはまず一体に止めを刺した。谷間におぞましい叫びが響き渡る。
一方、下では第二波の軍勢をスランドゥイルたちが相手していた。彼らは皆、ナズグルの身の毛もよだつ断末魔に顔を上げた。
「ネルファンディアがナズグルを一体倒したか……」
「俺たちも負けていられん!おい、エルフ王。俺と何体倒せるか勝負しないか?」
グローインが斧を振りながら、隣で涼しげな顔をして敵を迎え撃っているスランドゥイルに提案した。エルフ王は僅かに眉を潜めたが、負ける気がしないのだろう。冷淡な微笑みで応じた。
「よかろう。では、今から数えるぞ」
「1!2!」
「1、2、3、4」
タウリエルは呑気そうな二人の姿に、肩をすくめて呆れたものの、レゴラスが若い頃に自分とよく倒した数を競っていたことを思い出して笑った。
────あれはお父上の血だったのですね。
彼女は目の前の敵を倒しながら、烏ヶ丘に目を向けた。ナズグルは既に残り一体に減っている。
ネルファンディアはナズグルに容赦なく杖を叩きつけていた。魔法を使って戦うことは以前より苦しくないが、それでも体力が消耗していることは明らかだった。
『小娘よ────マイアとして生きる道を選んだか』
「どのみち死ねないなら、あなたたちへの復讐を果たすつもりだったから」
『愚かな。サウロン様に勝てるとでも思うか?』
「ええ、勝てる」
剣を受け流したネルファンディアは、姿勢を低くすると氷を使って背後に滑り込んだ。不意を突かれたナズグルの振り向き様に、杖を背中に突き刺した。
「これは……終わりではない」
幽鬼に刺さった杖を更に深く抉り、ネルファンディアは吠えた。
「これは、始まりだ!」
ナズグルが消滅する。同時に谷間の軍勢たちも一斉に、完全な退却を始めた。ネルファンディアは肩で息をしながら、膝から地面に崩れ落ちた。その姿を見つけたドワーリンがやって来るが、声は遠退いていく。
そして、彼女は深い眠りに落ちた。
目が覚めた場所は、エレボールの一室だった。ネルファンディアが意識を取り戻したとき、最初に見たものはドワーリンの姿だった。彼は涙ぐみながら目覚めを喜んでいる。
「姫!姫様!」
「ドワーリン……戦は、一先ず去りましたか?」
「ええ。目覚め次第、ダイン王がお呼びです」
ネルファンディアは立ち上がると、杖を掴んで歩きだした。慌ててドワーリンが止めようとする。
「姫!なりません!安静にせねば」
「こうしている間に、仲間が危機に瀕しているかもしれません。早く行かねば」
両親譲りの意思の固さで、ネルファンディアはドワーリンを押し退けて玉座の間へ向かった。そこには既に、召集を受けた王たちとスランドゥイルが居た。
最初の訪問とは違って、ネルファンディアはドワーフ王たちに手厚い敬意を示された。ドワーフ族とはそういう者達だったなと思い出して、彼女は少しだけ微笑んだ。
「さて、議論のことですが。我らドワーフ族は、一丸となって北の地を守ることに決めました」
「そうですか。警告のお聞き入れ、感謝します」
だが、報告したダインの方の表情が曇っている。実はネルファンディアが去った後、彼はドワーリンから南の地が直面している危機について知らされていた。もちろん議論の場に、援軍を送ることも話題に上げた。だが、誰の賛同も得ることはできなかった。
「では、私はゴンドールへ向かいます。お世話になりました」
ネルファンディアは結局最後まで、援軍を要請することを隠し通した。ドワーリンの心は、肩を落としてその場を去ろうとする彼女を見て、このままではいけないと叫んだ。そして、本当に声を上げた。
「陛下!このままで良いのですか?北だけを守れば済むのですか?南が落ちれば、この世界は終わるのですぞ!?」
「ドワーリン。だからと言って、どうするわけにもいかん。ここにいるドワーフ王全員の賛同を覆すことができるのは、この山の下にアーケン石を抱いて眠る、亡きトーリン王のみだ」
ドワーリンは拳を震わせながら俯いた。
「……ならば、これならどうですか!」
彼は顔をあげて左手を挙げた。その手に全員の視線が注がれ、誰もが息をのんだ。
「そ……それは……!」
「ドゥリン一族のみだけが持つ指輪ではないか!何故そなたがそれを持っておる!」
「私の物ではありません!これは、そちらにおわす白の賢者殿の物です」
ネルファンディアは事の次第が掴めず、目を見開いて呆然としている。そう。ドワーリンはトーリンが彼女に贈った指輪を、密かに眠っているうちに拝借したのだ。ネルファンディアが自ら名乗る気がないなら、誰かが代わりに証明しなければどうにもならない。
ようやくドワーリンが何をしたかを悟ったネルファンディアは、困惑に包まれる広間の中心で言葉を必死に探した。
「お答え願いたい、賢者殿。これは一体誰から授けられたものなのかな?」
「それは……」
ネルファンディアは沈黙していたものの、やがて重い口を開いた。
「────トーリン・オーケンシールド王から授けられたものです」
更にどよめきが広がる。
「亡きトーリン王は、姫様を王妃にと考えておりました。そして、ご婚約までお取り付けに」
ドワーリンの言葉が出来すぎた話にしか聞こえないと、一部の王からは不満が漏れた。
「信じられん!他に知っている者は?」
その言葉に、少し後ろで見守っていたエレボール遠征を共に乗り越えた仲間たちが次々に手を挙げ始める。流石に王たちも不満を口に出すのを止めた。だが、納得しているようすはない。するとスランドゥイルが業を煮やして声を上げた。
「そなた達!かの賢者がトーリン王の寵愛を受けていたであろうが無かろうが、そなた達がドワーフである以上はその願いに従わねばならぬ」
「何だと!?ふざけるでない!少し援軍を出したからと調子づくで────」
「Shazara!(静まれ!)」
ダインの声に、再び静寂が戻る。スランドゥイルは額に青筋を浮かべながらも続けた。
「この方はアウレ様の加護を受け、直々に召命をお受けになったのだ」
「アウレ様だと……?」
「我らドワーフ族をお創りになったあの……」
「この方こそが、アウレの加護と宿命の子だ」
ドワーフ王たちはみな、息をのんで目を丸くしている。ドワーフの中で、こんな伝説があった。
かつてドワーフを創ったアウレは、その強情な性格のために種族が滅びる定めを恐れた。そしてドワーフ族と自身の結び付きを絶やさないようにするために、彼はドゥリンの一族に最も美しい宿命の加護を与えた。そしてその加護が一族に恩寵をもたらすことを受け入れたとき、ドワーフ族の危機は救われる。
長らくこの最も美しい宿命の加護とは、アーケン石のことであると思われてきた。だが、ここに来てようやく彼らは知ったのだ。つまり、ネルファンディアはドゥリンの一族からトーリンを選び、ドワーフ族に恩寵をもたらす存在なのである。確かに危機からは既に何度も救っていることになる。
ダインは少し考えると、側近を呼んだ。
「────カザド=ドゥムの調査のために、南で待機している遠征隊に連絡を入れよ!」
ネルファンディアはその指示に息をのんだ。更にダインの勅令は続く。
「そしてこの遠征隊の全指揮権を、山の大御霊に相応しい王であるトーリン二世の実質的な王妃である白の賢者、ネルファンディア姫に与える!」
困惑し続けるネルファンディアに、最初の賛辞を贈ったのは意外にもスランドゥイルだった。
「余はダイン王の決定に従おう」
すると、トーリンの遺志を酌んだドワーフ王たちも次々と賛同の意を成した。中にはドル=グゥルドアへの遠征を願い出るものまで現れた。これには流石のネルファンディアも喜んだが、すぐに不安が先行した。
「ですが、エレボールの守備は……」
「あなたのご意思は、アウレ様のご意志。そして亡きトーリン王が見初められたお方なら、もはやあなたもドゥリンの一族。我らドワーフが一丸となり、スランドゥイル王とデイルの援軍もあらば北はしのげる!」
「皆、最後の戦いに立ち向かうのです。そのことは同じ」
「援軍を出したくらいで負けるならば、我らの名が廃る!」
「みんな……」
王たちが口々に賛同を始めた。ネルファンディアの目頭が熱くなる。ドワーリンは無言で頭を下げた。彼も戦いに赴くつもりなのだ。
「サウロンの野郎を打ち倒す戦に、出たいやつはついてこい」
そのドワーリンの言葉に、尻込みする仲間は誰一人居なかった。
ネルファンディアは月明かりにオルクリストを照らしながら、トーリンに話しかけるように呟いていた。
「カザド=デルラム、トーリン。アムラーリメ、タガンディーナ(ドワーフ王、トーリンよ。あなたを愛しています、永遠に。)」
いつか、面と向かって言ってみたい。そして、再び笑い合って過ごしたい。彼女は月に切っ先を向けた。
────サウロン、お前だけは決して許さない。例え月が割れようとも、太陽が消え去ろうとも、光が闇に打ち砕かれようとも。全ての終焉が訪れるときは、貴様も共に虚空への伴として連れ行こうぞ。
その瞳には、冷ややかで激しい復讐の炎が燃えていた。そして心には、ようやく宿敵と対峙できることへの喜びも踊っていた。
一方、エレボールの精錬所ではドワーリンたちの武器が鍛え直されていた。斧を手にしながら、老戦士は低い声で言った。
「……これが最期になるかもしれん。姫様の仰る通り、最後の戦は死にに行くのと同じだ」
彼は振り向き、仲間たちに告げた。
「だがな。俺たちの兄弟が!ドゥリンの一族が受けた苦しみは!俺たちが黒門の前で流す血よりも、ずっと耐え難いものだった!」
床を叩き、彼は続けた。
「覚えているか?あのとき、主君を失った日のことを。アゾグ──奴はサウロンの手先だった!奴は俺たちから主君とその甥たちを奪い……」
ドワーリンの声が涙で詰まる。階段を降りてきたネルファンディアと目があったからだ。
「姫様から……愛する人を奪った。それだけでは飽き足らず、サウロンはお父上までも手に掛けた」
ドワーリンが目頭を押さえる。ネルファンディアは沈黙する仲間たちの前に立つと、辺りを見回して言った。
「皆。今から私は賢者としてでも、アウレ様の使命を負った半マイアとしてでもない、ただのネルファンディアとして戦に向かうつもりです。あなたたちには、正直に言います。私は、サウロンに復讐したい。私から人生の全てを奪っていったあの男に、奴の僕を討ち取ったこの剣を突き刺してやりたい!」
ネルファンディアがオルクリストを振り上げる。
「……それでも、私に付いてきてくれるの?」
静寂が広がる。そんな中、最初に足を踏み出したのはドワーリンとボフールだった。
「もちろん、姫様────いえ、皇太后様に私はどこまでも従います」
「あんたとトーリンが一緒に居る姿、嫌いじゃなかった。俺たちの主君の仇を、討たないとな」
「ドワーリン殿、ボフール……」
次に名乗り出たのは、グローインとノーリ、ドーリだった。三人共、モリアで縁者を失ったドワーフばかりだ。
「黒門には息子も居るんだな!親子でサウロン軍の尻にドワーフの斧を叩き込んでやる!」
「俺も、オーリの仇を取りたい」
「俺もだ。あんたに従う」
「皆……」
ネルファンディアは胸の奥が熱くなるのを感じていた。そして、最後に名乗り出たのが、ビフールだった。
「あなたとガンダルフさんはいつも、私の言葉の一つ一つに耳を傾けてくださった。次は私が、あなた方の言葉に耳を傾ける番です。ボンブールは太りすぎてしまったので行けませんがね」
その言葉に一同が笑う。ネルファンディアは剣を収め、仲間たちを見渡して告げた。
「────では、早朝に出発します」
全員がうなずく。これが故郷との永遠の別れになるかもしれない。そんな思いで彼らは眠りにつくのだった。
早朝に出発したネルファンディアたちは、陽が上がる頃にはエスガロスを抜けていた。広がる荒野を真っ直ぐ行く中、既に行き先は決まっていた。
「モリアの坑道に続く出口付近に、ドワーフ軍は待機しているのよね?」
「はい。しかし、そこまで行くには時間がかかるかと」
「問題ないわ。私が知っている道を行きましょう」
「何か妙案でも?」
「ええ。闇の森を抜けたらアンドゥイン川を下るわ」
「闇の森……か」
ドワーリンは、その名に懐かしい旅の記憶を想起させた。ネルファンディアも同じらしく、懐古の眼差しを浮かべている。だがすぐに目的を思い出すと、仲間たちに告げた。
「今から休むことは出来ないと思ってね」
「え?でも、馬は休ませないといけないぜ!」
彼女は小瓶を取りだし、馬の鼻先に水らしきものをつけ始めた。
「大丈夫。この薬があれば、元気にゴンドールまで辿り着けるわ」
そう言って見せたのは、ガラドリエルから贈られたあの薬だった。今までならそれは何だとわめきたてるところだが、誰もがネルファンディアを信じていたため、何も言わなかった。そして、ついに南に向けての旅が始まった。絶望に突き進むような旅だったが、全員の心の中には確かに希望が輝いているのだった。
「お前たちには、ここで償ってもらう。トーリンが受けた痛みを味わうがいい!」
ナズグルたちが一斉に剣を抜く。魔法使いは覚悟を決め、彼らに目にもの見せるべく駆け出した。だがそれにはまず、東夷の騎士たちを倒さねば。そう思っていた時だった。
一体の騎士が倒れる。身体には投げ斧が刺さっていた。ネルファンディアは振り返って声を上げた。
「────ドワーリン殿!?」
「姫!こいつらは俺にお任せを!」
「わかった。ありがとう」
東夷たちをドワーリンが引き受けている間に、ネルファンディアはナズグルたちに戦いを挑んだ。
『死ね……!精霊とエルフの小娘よ!』
「私は決して死なない!少なくとも、この場所では!」
そう言ってネルファンディアはまず一体に止めを刺した。谷間におぞましい叫びが響き渡る。
一方、下では第二波の軍勢をスランドゥイルたちが相手していた。彼らは皆、ナズグルの身の毛もよだつ断末魔に顔を上げた。
「ネルファンディアがナズグルを一体倒したか……」
「俺たちも負けていられん!おい、エルフ王。俺と何体倒せるか勝負しないか?」
グローインが斧を振りながら、隣で涼しげな顔をして敵を迎え撃っているスランドゥイルに提案した。エルフ王は僅かに眉を潜めたが、負ける気がしないのだろう。冷淡な微笑みで応じた。
「よかろう。では、今から数えるぞ」
「1!2!」
「1、2、3、4」
タウリエルは呑気そうな二人の姿に、肩をすくめて呆れたものの、レゴラスが若い頃に自分とよく倒した数を競っていたことを思い出して笑った。
────あれはお父上の血だったのですね。
彼女は目の前の敵を倒しながら、烏ヶ丘に目を向けた。ナズグルは既に残り一体に減っている。
ネルファンディアはナズグルに容赦なく杖を叩きつけていた。魔法を使って戦うことは以前より苦しくないが、それでも体力が消耗していることは明らかだった。
『小娘よ────マイアとして生きる道を選んだか』
「どのみち死ねないなら、あなたたちへの復讐を果たすつもりだったから」
『愚かな。サウロン様に勝てるとでも思うか?』
「ええ、勝てる」
剣を受け流したネルファンディアは、姿勢を低くすると氷を使って背後に滑り込んだ。不意を突かれたナズグルの振り向き様に、杖を背中に突き刺した。
「これは……終わりではない」
幽鬼に刺さった杖を更に深く抉り、ネルファンディアは吠えた。
「これは、始まりだ!」
ナズグルが消滅する。同時に谷間の軍勢たちも一斉に、完全な退却を始めた。ネルファンディアは肩で息をしながら、膝から地面に崩れ落ちた。その姿を見つけたドワーリンがやって来るが、声は遠退いていく。
そして、彼女は深い眠りに落ちた。
目が覚めた場所は、エレボールの一室だった。ネルファンディアが意識を取り戻したとき、最初に見たものはドワーリンの姿だった。彼は涙ぐみながら目覚めを喜んでいる。
「姫!姫様!」
「ドワーリン……戦は、一先ず去りましたか?」
「ええ。目覚め次第、ダイン王がお呼びです」
ネルファンディアは立ち上がると、杖を掴んで歩きだした。慌ててドワーリンが止めようとする。
「姫!なりません!安静にせねば」
「こうしている間に、仲間が危機に瀕しているかもしれません。早く行かねば」
両親譲りの意思の固さで、ネルファンディアはドワーリンを押し退けて玉座の間へ向かった。そこには既に、召集を受けた王たちとスランドゥイルが居た。
最初の訪問とは違って、ネルファンディアはドワーフ王たちに手厚い敬意を示された。ドワーフ族とはそういう者達だったなと思い出して、彼女は少しだけ微笑んだ。
「さて、議論のことですが。我らドワーフ族は、一丸となって北の地を守ることに決めました」
「そうですか。警告のお聞き入れ、感謝します」
だが、報告したダインの方の表情が曇っている。実はネルファンディアが去った後、彼はドワーリンから南の地が直面している危機について知らされていた。もちろん議論の場に、援軍を送ることも話題に上げた。だが、誰の賛同も得ることはできなかった。
「では、私はゴンドールへ向かいます。お世話になりました」
ネルファンディアは結局最後まで、援軍を要請することを隠し通した。ドワーリンの心は、肩を落としてその場を去ろうとする彼女を見て、このままではいけないと叫んだ。そして、本当に声を上げた。
「陛下!このままで良いのですか?北だけを守れば済むのですか?南が落ちれば、この世界は終わるのですぞ!?」
「ドワーリン。だからと言って、どうするわけにもいかん。ここにいるドワーフ王全員の賛同を覆すことができるのは、この山の下にアーケン石を抱いて眠る、亡きトーリン王のみだ」
ドワーリンは拳を震わせながら俯いた。
「……ならば、これならどうですか!」
彼は顔をあげて左手を挙げた。その手に全員の視線が注がれ、誰もが息をのんだ。
「そ……それは……!」
「ドゥリン一族のみだけが持つ指輪ではないか!何故そなたがそれを持っておる!」
「私の物ではありません!これは、そちらにおわす白の賢者殿の物です」
ネルファンディアは事の次第が掴めず、目を見開いて呆然としている。そう。ドワーリンはトーリンが彼女に贈った指輪を、密かに眠っているうちに拝借したのだ。ネルファンディアが自ら名乗る気がないなら、誰かが代わりに証明しなければどうにもならない。
ようやくドワーリンが何をしたかを悟ったネルファンディアは、困惑に包まれる広間の中心で言葉を必死に探した。
「お答え願いたい、賢者殿。これは一体誰から授けられたものなのかな?」
「それは……」
ネルファンディアは沈黙していたものの、やがて重い口を開いた。
「────トーリン・オーケンシールド王から授けられたものです」
更にどよめきが広がる。
「亡きトーリン王は、姫様を王妃にと考えておりました。そして、ご婚約までお取り付けに」
ドワーリンの言葉が出来すぎた話にしか聞こえないと、一部の王からは不満が漏れた。
「信じられん!他に知っている者は?」
その言葉に、少し後ろで見守っていたエレボール遠征を共に乗り越えた仲間たちが次々に手を挙げ始める。流石に王たちも不満を口に出すのを止めた。だが、納得しているようすはない。するとスランドゥイルが業を煮やして声を上げた。
「そなた達!かの賢者がトーリン王の寵愛を受けていたであろうが無かろうが、そなた達がドワーフである以上はその願いに従わねばならぬ」
「何だと!?ふざけるでない!少し援軍を出したからと調子づくで────」
「Shazara!(静まれ!)」
ダインの声に、再び静寂が戻る。スランドゥイルは額に青筋を浮かべながらも続けた。
「この方はアウレ様の加護を受け、直々に召命をお受けになったのだ」
「アウレ様だと……?」
「我らドワーフ族をお創りになったあの……」
「この方こそが、アウレの加護と宿命の子だ」
ドワーフ王たちはみな、息をのんで目を丸くしている。ドワーフの中で、こんな伝説があった。
かつてドワーフを創ったアウレは、その強情な性格のために種族が滅びる定めを恐れた。そしてドワーフ族と自身の結び付きを絶やさないようにするために、彼はドゥリンの一族に最も美しい宿命の加護を与えた。そしてその加護が一族に恩寵をもたらすことを受け入れたとき、ドワーフ族の危機は救われる。
長らくこの最も美しい宿命の加護とは、アーケン石のことであると思われてきた。だが、ここに来てようやく彼らは知ったのだ。つまり、ネルファンディアはドゥリンの一族からトーリンを選び、ドワーフ族に恩寵をもたらす存在なのである。確かに危機からは既に何度も救っていることになる。
ダインは少し考えると、側近を呼んだ。
「────カザド=ドゥムの調査のために、南で待機している遠征隊に連絡を入れよ!」
ネルファンディアはその指示に息をのんだ。更にダインの勅令は続く。
「そしてこの遠征隊の全指揮権を、山の大御霊に相応しい王であるトーリン二世の実質的な王妃である白の賢者、ネルファンディア姫に与える!」
困惑し続けるネルファンディアに、最初の賛辞を贈ったのは意外にもスランドゥイルだった。
「余はダイン王の決定に従おう」
すると、トーリンの遺志を酌んだドワーフ王たちも次々と賛同の意を成した。中にはドル=グゥルドアへの遠征を願い出るものまで現れた。これには流石のネルファンディアも喜んだが、すぐに不安が先行した。
「ですが、エレボールの守備は……」
「あなたのご意思は、アウレ様のご意志。そして亡きトーリン王が見初められたお方なら、もはやあなたもドゥリンの一族。我らドワーフが一丸となり、スランドゥイル王とデイルの援軍もあらば北はしのげる!」
「皆、最後の戦いに立ち向かうのです。そのことは同じ」
「援軍を出したくらいで負けるならば、我らの名が廃る!」
「みんな……」
王たちが口々に賛同を始めた。ネルファンディアの目頭が熱くなる。ドワーリンは無言で頭を下げた。彼も戦いに赴くつもりなのだ。
「サウロンの野郎を打ち倒す戦に、出たいやつはついてこい」
そのドワーリンの言葉に、尻込みする仲間は誰一人居なかった。
ネルファンディアは月明かりにオルクリストを照らしながら、トーリンに話しかけるように呟いていた。
「カザド=デルラム、トーリン。アムラーリメ、タガンディーナ(ドワーフ王、トーリンよ。あなたを愛しています、永遠に。)」
いつか、面と向かって言ってみたい。そして、再び笑い合って過ごしたい。彼女は月に切っ先を向けた。
────サウロン、お前だけは決して許さない。例え月が割れようとも、太陽が消え去ろうとも、光が闇に打ち砕かれようとも。全ての終焉が訪れるときは、貴様も共に虚空への伴として連れ行こうぞ。
その瞳には、冷ややかで激しい復讐の炎が燃えていた。そして心には、ようやく宿敵と対峙できることへの喜びも踊っていた。
一方、エレボールの精錬所ではドワーリンたちの武器が鍛え直されていた。斧を手にしながら、老戦士は低い声で言った。
「……これが最期になるかもしれん。姫様の仰る通り、最後の戦は死にに行くのと同じだ」
彼は振り向き、仲間たちに告げた。
「だがな。俺たちの兄弟が!ドゥリンの一族が受けた苦しみは!俺たちが黒門の前で流す血よりも、ずっと耐え難いものだった!」
床を叩き、彼は続けた。
「覚えているか?あのとき、主君を失った日のことを。アゾグ──奴はサウロンの手先だった!奴は俺たちから主君とその甥たちを奪い……」
ドワーリンの声が涙で詰まる。階段を降りてきたネルファンディアと目があったからだ。
「姫様から……愛する人を奪った。それだけでは飽き足らず、サウロンはお父上までも手に掛けた」
ドワーリンが目頭を押さえる。ネルファンディアは沈黙する仲間たちの前に立つと、辺りを見回して言った。
「皆。今から私は賢者としてでも、アウレ様の使命を負った半マイアとしてでもない、ただのネルファンディアとして戦に向かうつもりです。あなたたちには、正直に言います。私は、サウロンに復讐したい。私から人生の全てを奪っていったあの男に、奴の僕を討ち取ったこの剣を突き刺してやりたい!」
ネルファンディアがオルクリストを振り上げる。
「……それでも、私に付いてきてくれるの?」
静寂が広がる。そんな中、最初に足を踏み出したのはドワーリンとボフールだった。
「もちろん、姫様────いえ、皇太后様に私はどこまでも従います」
「あんたとトーリンが一緒に居る姿、嫌いじゃなかった。俺たちの主君の仇を、討たないとな」
「ドワーリン殿、ボフール……」
次に名乗り出たのは、グローインとノーリ、ドーリだった。三人共、モリアで縁者を失ったドワーフばかりだ。
「黒門には息子も居るんだな!親子でサウロン軍の尻にドワーフの斧を叩き込んでやる!」
「俺も、オーリの仇を取りたい」
「俺もだ。あんたに従う」
「皆……」
ネルファンディアは胸の奥が熱くなるのを感じていた。そして、最後に名乗り出たのが、ビフールだった。
「あなたとガンダルフさんはいつも、私の言葉の一つ一つに耳を傾けてくださった。次は私が、あなた方の言葉に耳を傾ける番です。ボンブールは太りすぎてしまったので行けませんがね」
その言葉に一同が笑う。ネルファンディアは剣を収め、仲間たちを見渡して告げた。
「────では、早朝に出発します」
全員がうなずく。これが故郷との永遠の別れになるかもしれない。そんな思いで彼らは眠りにつくのだった。
早朝に出発したネルファンディアたちは、陽が上がる頃にはエスガロスを抜けていた。広がる荒野を真っ直ぐ行く中、既に行き先は決まっていた。
「モリアの坑道に続く出口付近に、ドワーフ軍は待機しているのよね?」
「はい。しかし、そこまで行くには時間がかかるかと」
「問題ないわ。私が知っている道を行きましょう」
「何か妙案でも?」
「ええ。闇の森を抜けたらアンドゥイン川を下るわ」
「闇の森……か」
ドワーリンは、その名に懐かしい旅の記憶を想起させた。ネルファンディアも同じらしく、懐古の眼差しを浮かべている。だがすぐに目的を思い出すと、仲間たちに告げた。
「今から休むことは出来ないと思ってね」
「え?でも、馬は休ませないといけないぜ!」
彼女は小瓶を取りだし、馬の鼻先に水らしきものをつけ始めた。
「大丈夫。この薬があれば、元気にゴンドールまで辿り着けるわ」
そう言って見せたのは、ガラドリエルから贈られたあの薬だった。今までならそれは何だとわめきたてるところだが、誰もがネルファンディアを信じていたため、何も言わなかった。そして、ついに南に向けての旅が始まった。絶望に突き進むような旅だったが、全員の心の中には確かに希望が輝いているのだった。