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【外伝】ポケモン博士と安楽椅子探偵

 ***

 障子が小さく揺れた。涼しい風が家の中を吹き抜けた。
 話を終えた宇津木は、話を聞き終えた明智の顔を覗き込んだ。彼は顎を撫で、「ふうむ」と喉を鳴らしただけだ。
 宇津木はすぐさま回答が欲しかった。この不思議な出来事に対して何かしらの答えが欲しかった。だから突然の沈黙にいたたまれなくなり、すっかり冷めた湯飲みの淵を神経質に撫でた。

「ええっと、これが二日前の話だ。僕と工藤は、そのヒマナッツを連れて家に帰った。教主は一週間後にまた来るように言った。というのも、“現世にしっかり留めるために、ホウホウの灰をポケモンに振りかける必要があるから”と」
「ふうむ」

明智はもう一度唸り。

「一週間の猶予が与えられた君は、頭の整理がつかずに私のところにやってきたというわけか」

と平坦に言った。
 驚いているのか呆れているのか分からない声振りだ。少なくとも宇津木は明智の表情の変化を読み取ることがちっとも出来ないので、声の調子で判断するしかない。
 冷や汗を流す宇津木に明智は平然とした顔を向けた。

「宇津木くん。君は教主の力を信じかけているんだね? 目の前で起きた奇跡を、半分信じて、半分疑っている。儀式を目にした君は直感的に奇跡を信じた。しかし家に帰ってみると、理性としての君があれは本当なのかと疑った。結論は出ない。出るとすれば、それは例の寺へ行き教主に尋ねるしかないのだ」

――その通りだ。
 しかしもう一度あの村へ向かう勇気が宇津木には無かった。だから手っ取り早く結論を与えてくれそうな、この友人を訪ねてみた。

「だが君の臆病は君を救ったぞ、宇津木。その状態であそこへ行けば、君は今度こそ教徒になるしかないんだから」
「教徒? ま、まさか。確かに僕はあの儀式を信じかけているけれど、新興宗教にハマる理由が無い。ポケモンを失くしたわけじゃないし」

宇津木は大げさに首を振った。

「宗教っていうのは救われたい人達に必要なんだろう? 僕はそういうんじゃないよ」
「本当の宗教ならそうだろうさ。私たちは本能的に超自然的な存在に畏敬を抱く。神という超常的第三者がいるおかげで私たちは節度と道徳心を持ち、困難に打ち勝つことができる。宗教はその感覚を明文化したものだ。言ってしまえば誰が何の神様を心の内に持ったとしてもそれは不思議ではないということだ」

問題は、と明智は目を伏せた。

「今回の件は宗教を語った、ただの商売であるということだ」

しょうばい、と宇津木は拙く繰り返した。彼が何の要領も得ない一方で明智は淡々と続けた。

「人が神を信仰するようになるには、強烈な神秘体験が必要だ。理屈では考えられない超常現象を目の当たりにすることで、価値観を変えられ、その教義を心底信じるようになる。回心、というやつだ」

あの儀式だ。今までの常識はあの奇跡の儀式によってひっくり返されてしまった。

「じ、じゃあ僕はどうしたらいいんだ。これまで有り得ないと思っていたような事を経験してしまって、それを信じかけている」
「だから言っただろう。君は信じかけている程度の臆病で助かったのさ。もう一度その神秘を体験したとき、君は完全に信じる。もう戻れなくなる」
「じっ、じゃあ……、ぼ、ぼく、僕は……」

同じ質問を繰り返すよりほかない。同じ音を繰り返す宇津木に対して、明智はおもむろに微笑みかけた。

「神秘はね、タネも仕掛けも分からないから神の御業なんだ。からくりを理解した瞬間、それは科学的現象になる」


鹿威し(ししおどし)が鳴った。二人は同じ瞬間に静まった。
 もう一度、竹筒が石の上を跳ねた。
 宇津木は目の前に広げられた地図によって我に返った。明智は本棚から紙の地図を取り出すと、突然机の上に広げた。

「例の村はヒワダから真東にあるのだね?」

細い人差し指が地図の上をすべる。

「あ、ああ」
「地図上だとそこは湿原だ」
「そう、だね。霧が濃かったような……」
「2日前は霧が出るような天気ではなかった。その村はよほど低温多湿なんだろう」
「それがどうしたっていうんだい? 例の奇跡と関係あるのか」

明智は机の上に置いてある湯飲みを指さした。

「君が酒屋で飲んだという甘いお茶。おそらくその土地に自生するベニシゲダケというキノコから取ったものだろう」
「きのこ? 確かにあれだけ冷たくて湿気もあれば茸くらい生えるだろうさ。それがその土地由来のものなら、食べられていたって不思議じゃない」
「毒キノコだよ」
「……は?」

素っ頓狂な声を上げた宇津木に対して、明智は平然と湯飲みに口を付けた。

「ベニシゲダケ。ヒワダタウンの東に自生するキノコで、幻覚、幸福感、筋弛緩、判断力の低下を引き起こす。液体として接種した場合1時間ほどで効果が現れるが、疲労や空腹が溜まっている時は更に早く効いてくるだろう」

明智は顎を撫で、「ふうむ」と喉を鳴らした。この男は考えを整理する時にこのような仕草をする。

「村はバス停から随分離れていた。村に辿り着くためには霧の中を歩くしかない。視界が悪ければそれだけ注意力を割かなければならないから、疲れもするし喉も渇く」

その通りだった。宇津木は相槌を打つ代わりに唾を飲み込んだ。
 明智はそのまま淡々と続けた。

「やっとの思いで辿り着いた村は、意外と現代的で穏やかだったので、君たちは少し安心した」
「そ、そうだ。怪しい宗教の村だと聞いたから……てっきり」
「どんな恐ろしい秘境かと思った、だろう?」

うっと宇津木は言葉に詰まった。そうして恥ずかしそうに頭を掻いた。

「偏見だと笑ってくれ」
「まあね」

明智はそう返しながらも、責めるような口ぶりはしなかった。

「だが今回に関しては、それも“向こう”の思惑だと言っておこう。村にはテレビがあり、酒屋の店主は映画がどうのと親しげに話しかけてきた。宇津木くんを含め多くの人は、カルト宗教を“どこか自分とは違う、変わった世界”と見ている。その偏見を逆手に取り、敢えて親しみやすい現代的な話題を出すことで警戒心を薄れさせる。布教の常套手段だ」

加えて、と言葉を重ねる。

「加えて薬物によって判断力を鈍らせ、幻覚を見せ、強制的に神秘体験をさせる。これは宗教における常套手段、いや古典的と言っても差支えの無いやり方だ」
「ち、ちょっと待ってくれ明智! さっきから君はまるで……」

宇津木は思わず立ち上がり。

「あの酒屋までグルだと言っているようじゃないか!」
「違うよ」

明智は目線だけを上へ向け。

「あの村の全てが、君たちを引き込もうとしているんだ」
と言った。

 また鹿威し(ししおどし)の音が響いた。
 宇津木は崩れるように座りこんだ。
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