第1章
地震が起こった翌朝、クリスとベイリーフはキキョウシティのポケモンセンターを出発した。
「まずはアルフ遺跡よね」
クリスはポケギアの地図を確認した。遺跡は町から南へ進めばすぐにある。
「でも、どうしてアルフ遺跡にセレビィが? あそこ、もうただの観光地よね」
発見当初は研究者しか立ち入れなかった遺跡だが、最近は研究費用を確保する為の観光地となっている。ポケモンの謎について長年研究しているクリスにしてみれば、伝説のポケモンは一目を避ける傾向にある。そうでなければ伝説と呼ばれないだろう。
「ま、いっか。セレビィ目指してレッツゴー!」
細かい事は気にせず、とにかく進んでみた。その後ろを戸惑いながらも元気よく付いてくるベイリーフ。地震の時、唯一クリスの傍に居たゴールドのポケモンだ。しかし二人のポケモンは長い時間一緒に居た為、ベイリーフにとってはクリスも親トレーナーのようなものだ。
三人目の、親。
突然ベイリーフはクリスの背中に頭をこすりつけた。
「どうしたの? 甘えん坊ね~」
よしよし、とクリスはその頭を撫でた。そう、彼女は知らないのだ。ウツギ研究所の盗難事件を。ベイリーフの最初の親トレーナーを。
アルフ遺跡は案の定観光客で溢れていた。謎めいた遺跡には不釣り合いな賑やかさに、思わずクリスは唸り声をあげる。
「むー。本当にこんな所に伝説のポケモンが出るのかなぁ」
入場券を購入し、クリスは人混みの中を縫うように進む。壁の文字にヒントがあるかも、と壁に寄るも他の見物客に押されてじっくり見る事が出来ない。受付にセレビィの事を聞いてみても、遺跡案内のテンプレートを言われるだけだった。
「あーん、こんなんじゃあ見つからないわ!」
人混みを抜け、遺跡を出て、外のベンチでクリスは手を放り投げた。しかし隣のベイリーフは知っている。彼女がちゃっかり遺跡のガイドツアーに参加し、ちゃっかりお土産や名物品を買っている事を。ゴールドよりもちゃっかりしてる、とベイリーフは密かにため息を吐いた。
ふと、クリスは立ち上がった。ベンチの後ろに広がる林。入場規制はされていないので、恐らくこの先にも遺跡があるのだろう。しかしあの賑やかさは全く感じられない。
(もしかして、まだ探していない場所があるのかしら)
一応隅々まで調べておく必要はある。クリスはベイリーフと共にその林を進んだ。
深い林だった。進んでも進んでも続いていて、いつの間にかあの雑踏は聞こえなくなっていた。代わりに聞こえてくるのは聞いたこともないような野生ポケモンの鳴き声。
怖がりなクリスは、それでも足を止めなかった。時を渡るポケモンに対する思いは熱い。今はその情熱だけを頼りに進んでいた。
次の瞬間、クリスは息をのんだ。
「きゃっ」
後ずさりをする。木々の間に現れたのは、人だった。
黒い服を来た人が倒れていた。
「え、け、けが人かしら」
少しずつその人に近づくクリスとは対照的に、ベイリーフは後ろに下がっていく。すでにベイリーフは、彼女は気づいていた。その人物の正体に。
「だ、大丈夫ですか……?」
クリスは恐る恐るその人物を覗き込んだ。
赤毛。
燃えるような赤毛に黒い服、同い年くらいの男の子だった。
「ねえ、あなた、しっかりして」
そっとその肩に触れた。
すると、少年は小さく唸った。
そして、ゆっくりと目を開けた。
「僕は、誰だ……」
「う、嘘でしょ……」
閉口一番に少年が言い放った。対してクリスの顔は一気に青ざめた。
「いや」
少年は顔を振る。
「覚えている」
「ほっ」
いきなりの「身元不詳」宣言にクリスは寿命が縮まる思いだった。安堵に胸を撫で下ろすも、事はそう簡単ではなかった。
少年は覚えていない事が多かった。何故ここに来たのか、何故倒れていたのか、その他、ここ五、六年の記憶が無かった。
対照的に知識は豊富で、歴史や地名、その他ポケモンの知識から医療知識まで幅広い事を知っている。
「聞いたことがあるわ。自分に関する記憶は無くても、知識だけはきちんと覚えている記憶障害」
そうか、と少年は言い、頭を押さえた。
「痛い?」
「ああ……」
外傷は無いものの、頭を打っているようだ。もしかしたら頭を打って記憶を失くしてしまったのかもしれない。クリスが見上げると、そこには傾斜から何かが滑り落ちた形跡が見られた。恐らくこの少年はあそこから落ちて、頭を打ったのだろう。
「あなた、あそこから落ちたのかもしれないわね」
「どうしてこんなところに……」
「もしかしてこの先の遺跡に?」
「遺跡?」
二人は林の奥を見た。薄っすらとだが、奥には建物のような物が見える。
「私もあの遺跡を探しに来たの」
ああ、とふいにクリスは思い出す。
「そういえば自己紹介がまだだったわね」
そして少年に手を差し伸べた。
「私はクリスよ。よろしく」
少年はその手を見て、戸惑い、結局顔を反らして言う。
「ブラックだ」
行き場の失った手を引っ込め、それでもクリスは屈託のない笑みを向けた。
二人の様子を不安げに伺っているのは、ベイリーフだった。
ベイリーフは知っていた。その赤毛の少年が何者なのかを。そして今まで自分がされてきた仕打ちを。忘れる事が出来なかった。
「ブラックの出身はどこ?」
「トキワだ」
「カントーかぁ。ジョウトに来てまで遺跡を調べたかったのかしら」
「どうだろうな。遺跡に関する知識は無いから、関心は薄かったのかもしれない」
林を進みながら、遺跡を目指しながら、クリスはブラックに何個も質問を投げていた。ブラックもその方が何かを思い出すかもしれないから、と律儀に答えていた。その後ろでベイリーフは暗い顔で付いて来ている。
「ねえ、家族や友達は? 何か覚えている?」
「家族……」
ブラックはゆっくりと思い出しているようだった。
「父と母が居る……。兄妹は居ない。三人でトキワに暮らしている」
「お父さんとお母さんはどんな人?」
「父は、トレーナーだったような」
「トレーナー? トキワシティなら、ジムトレーナーかもしれないわね。お母さんは?」
「母……。花の世話が好きで、髪は俺と同じ赤毛だった」
「なるほど。家族の事は覚えているみたいね、良かった」
じゃあ友達は、とクリスが尋ねようとした時、二人の目の前についに遺跡が姿を現した。
鬱蒼とする木々が突然開け、そこにはぽつんと、小さな岩の建物があった。一見すると他のアルフ遺跡と似た外観だった。やはり同じ遺跡群なのかもしれない。
「ここに居るかしら、セレビィ……」
「セレビィ?」
「あ、ああ、何でもないの!」
首を傾げるブラックにクリスは笑ってごまかした。そして。
「さあー! 調べるわよー!」
意気揚々と遺跡の中へ入っていく。いきなり鼻息が荒くなった彼女に若干引き気味のブラックと、その隣で「いつもと雰囲気の違う」彼の姿にベイリーフはドン引きしていた。
「ん? どうしたの? 入らないの?」
「あ、いや……」
「あら、ベイリーフも? 何だか様子が変ね」
ようやくベイリーフの異変に気付いたクリスは、彼女の元へ寄った。するとベイリーフはその背中にすぐ隠れてしまった。あからさまにブラックと距離を取ったのだ。
困惑するブラックとクリス。
「……」
「あれ~? おかしいわ、いつもはもっと元気なのに」
「そのベイリーフは、僕と……」
「え?」
「いや」
ブラックはそっと視線を落とした。クリスの背中に隠れているベイリーフは、全くかみつかないその少年の姿を心底不思議そうに見つめている。
遺跡の壁には、他のアルフ遺跡同様にアンノーン文字が刻まれている。あまり大きな遺跡ではなく、壁文字の翻訳も時間を要さないだろう。
手元のノートに記しながら、クリスは手早く翻訳に移る。
「ううーん?」
現れた現代語訳を、クリスは何となしに呟いた。
「か、れ、ら……いしき、さっちする、ちからあり、そ、と、こば、む……?」
その時、近くで物音がして、思わずクリスは飛び上がった。
しかしその音の正体はブラックだった。
「ど、どうしたの?」
遺跡の床に座り込む彼にクリスは駆け寄った。見ろ、と彼は床のある部分を指さす。
「仕掛けだ」
床の一か所に、ポケモンの絵のパズルのような物が埋め込まれていた。しかし絵はバラバラで、文字通りパズルのようにピースを動かしたら完成するようだ。
「もしかしたら、これを完成させたら何か起こるかも? この遺跡、他の遺跡に比べたら狭すぎるもの。何か隠されている可能性があるわ」
あー、でも、とクリス。
「私、こーゆうパズル、苦手なのよねぇ……」
どうしよう。頭を掻いて途方にくれるクリス。対してブラックは非常に冷静であった。しばらく床の絵を見つめた後、鮮やかな手つきでパズルを動かしていった。
「え……?」
驚くのもつかの間、次の瞬間にはパズルは完成していた。床に現れたのは、大きな翼を広げるポケモンの絵だった。
轟音と揺れ。
「きゃっ!?」
思わずクリスは床に座り込み、ブラックも床に手を付けて慎重に辺りを見回す。
揺れはすぐに収まり、二人は恐る恐る遺跡の中を歩き出した。
すると入口近くの床に、先ほどまで無かった穴が開いていた。下への階段が続いている。
「やった! 隠し部屋だわ!」
「おい……」
不用心にそこを下っていくクリスに対して、ブラックは呆れながらも慎重に地下へ進んだ。
そこは一階と特に変わった所は無く、同じように壁文字があるだけだった。しかしクリスは歓喜で一杯だった。
「すごいわっ! 新発見よ! まだ誰も辿り着いていない謎に私たちは到達したのだわーっ!」
ばんざーい、と手を投げる。
「……、何なんだ、こいつ」
その後ろでブラックは呟いた。
クリスは早速壁文字の翻訳に取り掛かった。そしてしばらくノートにペンを滑らせていると、突然止まった。
「どうした」
ブラックがその背中に呼びかける。少しの沈黙の後、クリスは静かに訳を呼んだ。
「わたしたち にんげん かれらと ともに あゆむ こと ひつよう かれらの ために わたしたち たびだつ」
クリスはほう、と息を吐いた。
「……ここには人間とポケモンが一緒に暮らしていた。でもそのポケモンは人の気持ちを読んでしまうから、外の人間たちを拒んでいた」
彼女はそっと壁の文字をなぞった。
「一緒に暮らしていた人間の一族は、そのポケモン達が他の人間とも仲良くできるように……ここを出ていったのね」
どれだけ辛かっただろう。共に暮らしていた者と離れなければならない事は。けれども共に居たら世界は狭まってしまうから。
「ここに住んでいた人とポケモンは、本当に思い合っていたのね。だからこそ、ポケモンの為に別れなければならなかった」
アルフ遺跡はざっと千五百年以上前に建てられたもの。
「そんな昔から、人とポケモンは分かり合っていたんだ……」
その言葉を聞いて、ブラックは彼女と同じように壁文字を見つめ、ボールに入っているベイリーフは俯くばかりだった。
***
一旦キキョウシティのポケモンセンターに戻ったクリスは、今日書いたノートを読み返した。結局セレビィは現れず、その手がかりも今一つだ。ため息を吐いたものの、クリスの瞳は諦めていなかった。今回が駄目でも次がある、命燃える限り冒険は続くのだと。
ふんす、と鼻息荒く、クリスは次の目的地をポケギアで確認した。
その時、ボールたちを抱えてブラックがこちらにやって来た。
「どうだった?」
顔を上げてクリスは尋ねた。
アルフ遺跡を後にした一行は、ブラックの症状や彼の手持ちと思われるポケモン達を考慮し、一旦病院とポケモンセンターへ向かった。
「ポケモン達は問題なかった。やはり僕の手持ちらしい」
「倒れていた場所にボールが転がっていて良かったわぁ。記憶の方は?」
「症状は軽い、らしい。一週間もすれば少しずつ思い出すだろうと。もしくは」
「もしくは?」
「……同じような衝撃を受けるか」
「……もう一回崖から落ちるの? やっだぁ」
「当たり前だ」
そこまで言って、ブラックは視線を落とした。そしてもごもごと口を動かすのだ。「聞こえないわ」とクリスが数回促せば、彼は小さく口に出した。
「……だから、アンタに付いていく」
「へ!?」
「だ、か、ら、アンタと一緒にコガネシティに行くって言っているんだ!」
驚くクリスに、ブラックは顔を真っ赤にしてそう言い放った。そして再び顔を俯かせ。
「い、医者が言うには……色んな人間と話して色んな場所を巡って、脳に刺激を与えた方が早く治るって」
「……あー、なるほどね」
合点がいった。クリスはポンと手を叩き、そして次の瞬間には元気いっぱいに笑うのだ。
「もちろんOKよ! 一緒にセレビィを見つけて、ついでに記憶も取り戻しましょう!」
「ついでか……」
呆れるブラックであったが、その底抜けに明るい笑みに、思わず口角を緩めた。
「まずはアルフ遺跡よね」
クリスはポケギアの地図を確認した。遺跡は町から南へ進めばすぐにある。
「でも、どうしてアルフ遺跡にセレビィが? あそこ、もうただの観光地よね」
発見当初は研究者しか立ち入れなかった遺跡だが、最近は研究費用を確保する為の観光地となっている。ポケモンの謎について長年研究しているクリスにしてみれば、伝説のポケモンは一目を避ける傾向にある。そうでなければ伝説と呼ばれないだろう。
「ま、いっか。セレビィ目指してレッツゴー!」
細かい事は気にせず、とにかく進んでみた。その後ろを戸惑いながらも元気よく付いてくるベイリーフ。地震の時、唯一クリスの傍に居たゴールドのポケモンだ。しかし二人のポケモンは長い時間一緒に居た為、ベイリーフにとってはクリスも親トレーナーのようなものだ。
三人目の、親。
突然ベイリーフはクリスの背中に頭をこすりつけた。
「どうしたの? 甘えん坊ね~」
よしよし、とクリスはその頭を撫でた。そう、彼女は知らないのだ。ウツギ研究所の盗難事件を。ベイリーフの最初の親トレーナーを。
アルフ遺跡は案の定観光客で溢れていた。謎めいた遺跡には不釣り合いな賑やかさに、思わずクリスは唸り声をあげる。
「むー。本当にこんな所に伝説のポケモンが出るのかなぁ」
入場券を購入し、クリスは人混みの中を縫うように進む。壁の文字にヒントがあるかも、と壁に寄るも他の見物客に押されてじっくり見る事が出来ない。受付にセレビィの事を聞いてみても、遺跡案内のテンプレートを言われるだけだった。
「あーん、こんなんじゃあ見つからないわ!」
人混みを抜け、遺跡を出て、外のベンチでクリスは手を放り投げた。しかし隣のベイリーフは知っている。彼女がちゃっかり遺跡のガイドツアーに参加し、ちゃっかりお土産や名物品を買っている事を。ゴールドよりもちゃっかりしてる、とベイリーフは密かにため息を吐いた。
ふと、クリスは立ち上がった。ベンチの後ろに広がる林。入場規制はされていないので、恐らくこの先にも遺跡があるのだろう。しかしあの賑やかさは全く感じられない。
(もしかして、まだ探していない場所があるのかしら)
一応隅々まで調べておく必要はある。クリスはベイリーフと共にその林を進んだ。
深い林だった。進んでも進んでも続いていて、いつの間にかあの雑踏は聞こえなくなっていた。代わりに聞こえてくるのは聞いたこともないような野生ポケモンの鳴き声。
怖がりなクリスは、それでも足を止めなかった。時を渡るポケモンに対する思いは熱い。今はその情熱だけを頼りに進んでいた。
次の瞬間、クリスは息をのんだ。
「きゃっ」
後ずさりをする。木々の間に現れたのは、人だった。
黒い服を来た人が倒れていた。
「え、け、けが人かしら」
少しずつその人に近づくクリスとは対照的に、ベイリーフは後ろに下がっていく。すでにベイリーフは、彼女は気づいていた。その人物の正体に。
「だ、大丈夫ですか……?」
クリスは恐る恐るその人物を覗き込んだ。
赤毛。
燃えるような赤毛に黒い服、同い年くらいの男の子だった。
「ねえ、あなた、しっかりして」
そっとその肩に触れた。
すると、少年は小さく唸った。
そして、ゆっくりと目を開けた。
「僕は、誰だ……」
「う、嘘でしょ……」
閉口一番に少年が言い放った。対してクリスの顔は一気に青ざめた。
「いや」
少年は顔を振る。
「覚えている」
「ほっ」
いきなりの「身元不詳」宣言にクリスは寿命が縮まる思いだった。安堵に胸を撫で下ろすも、事はそう簡単ではなかった。
少年は覚えていない事が多かった。何故ここに来たのか、何故倒れていたのか、その他、ここ五、六年の記憶が無かった。
対照的に知識は豊富で、歴史や地名、その他ポケモンの知識から医療知識まで幅広い事を知っている。
「聞いたことがあるわ。自分に関する記憶は無くても、知識だけはきちんと覚えている記憶障害」
そうか、と少年は言い、頭を押さえた。
「痛い?」
「ああ……」
外傷は無いものの、頭を打っているようだ。もしかしたら頭を打って記憶を失くしてしまったのかもしれない。クリスが見上げると、そこには傾斜から何かが滑り落ちた形跡が見られた。恐らくこの少年はあそこから落ちて、頭を打ったのだろう。
「あなた、あそこから落ちたのかもしれないわね」
「どうしてこんなところに……」
「もしかしてこの先の遺跡に?」
「遺跡?」
二人は林の奥を見た。薄っすらとだが、奥には建物のような物が見える。
「私もあの遺跡を探しに来たの」
ああ、とふいにクリスは思い出す。
「そういえば自己紹介がまだだったわね」
そして少年に手を差し伸べた。
「私はクリスよ。よろしく」
少年はその手を見て、戸惑い、結局顔を反らして言う。
「ブラックだ」
行き場の失った手を引っ込め、それでもクリスは屈託のない笑みを向けた。
二人の様子を不安げに伺っているのは、ベイリーフだった。
ベイリーフは知っていた。その赤毛の少年が何者なのかを。そして今まで自分がされてきた仕打ちを。忘れる事が出来なかった。
「ブラックの出身はどこ?」
「トキワだ」
「カントーかぁ。ジョウトに来てまで遺跡を調べたかったのかしら」
「どうだろうな。遺跡に関する知識は無いから、関心は薄かったのかもしれない」
林を進みながら、遺跡を目指しながら、クリスはブラックに何個も質問を投げていた。ブラックもその方が何かを思い出すかもしれないから、と律儀に答えていた。その後ろでベイリーフは暗い顔で付いて来ている。
「ねえ、家族や友達は? 何か覚えている?」
「家族……」
ブラックはゆっくりと思い出しているようだった。
「父と母が居る……。兄妹は居ない。三人でトキワに暮らしている」
「お父さんとお母さんはどんな人?」
「父は、トレーナーだったような」
「トレーナー? トキワシティなら、ジムトレーナーかもしれないわね。お母さんは?」
「母……。花の世話が好きで、髪は俺と同じ赤毛だった」
「なるほど。家族の事は覚えているみたいね、良かった」
じゃあ友達は、とクリスが尋ねようとした時、二人の目の前についに遺跡が姿を現した。
鬱蒼とする木々が突然開け、そこにはぽつんと、小さな岩の建物があった。一見すると他のアルフ遺跡と似た外観だった。やはり同じ遺跡群なのかもしれない。
「ここに居るかしら、セレビィ……」
「セレビィ?」
「あ、ああ、何でもないの!」
首を傾げるブラックにクリスは笑ってごまかした。そして。
「さあー! 調べるわよー!」
意気揚々と遺跡の中へ入っていく。いきなり鼻息が荒くなった彼女に若干引き気味のブラックと、その隣で「いつもと雰囲気の違う」彼の姿にベイリーフはドン引きしていた。
「ん? どうしたの? 入らないの?」
「あ、いや……」
「あら、ベイリーフも? 何だか様子が変ね」
ようやくベイリーフの異変に気付いたクリスは、彼女の元へ寄った。するとベイリーフはその背中にすぐ隠れてしまった。あからさまにブラックと距離を取ったのだ。
困惑するブラックとクリス。
「……」
「あれ~? おかしいわ、いつもはもっと元気なのに」
「そのベイリーフは、僕と……」
「え?」
「いや」
ブラックはそっと視線を落とした。クリスの背中に隠れているベイリーフは、全くかみつかないその少年の姿を心底不思議そうに見つめている。
遺跡の壁には、他のアルフ遺跡同様にアンノーン文字が刻まれている。あまり大きな遺跡ではなく、壁文字の翻訳も時間を要さないだろう。
手元のノートに記しながら、クリスは手早く翻訳に移る。
「ううーん?」
現れた現代語訳を、クリスは何となしに呟いた。
「か、れ、ら……いしき、さっちする、ちからあり、そ、と、こば、む……?」
その時、近くで物音がして、思わずクリスは飛び上がった。
しかしその音の正体はブラックだった。
「ど、どうしたの?」
遺跡の床に座り込む彼にクリスは駆け寄った。見ろ、と彼は床のある部分を指さす。
「仕掛けだ」
床の一か所に、ポケモンの絵のパズルのような物が埋め込まれていた。しかし絵はバラバラで、文字通りパズルのようにピースを動かしたら完成するようだ。
「もしかしたら、これを完成させたら何か起こるかも? この遺跡、他の遺跡に比べたら狭すぎるもの。何か隠されている可能性があるわ」
あー、でも、とクリス。
「私、こーゆうパズル、苦手なのよねぇ……」
どうしよう。頭を掻いて途方にくれるクリス。対してブラックは非常に冷静であった。しばらく床の絵を見つめた後、鮮やかな手つきでパズルを動かしていった。
「え……?」
驚くのもつかの間、次の瞬間にはパズルは完成していた。床に現れたのは、大きな翼を広げるポケモンの絵だった。
轟音と揺れ。
「きゃっ!?」
思わずクリスは床に座り込み、ブラックも床に手を付けて慎重に辺りを見回す。
揺れはすぐに収まり、二人は恐る恐る遺跡の中を歩き出した。
すると入口近くの床に、先ほどまで無かった穴が開いていた。下への階段が続いている。
「やった! 隠し部屋だわ!」
「おい……」
不用心にそこを下っていくクリスに対して、ブラックは呆れながらも慎重に地下へ進んだ。
そこは一階と特に変わった所は無く、同じように壁文字があるだけだった。しかしクリスは歓喜で一杯だった。
「すごいわっ! 新発見よ! まだ誰も辿り着いていない謎に私たちは到達したのだわーっ!」
ばんざーい、と手を投げる。
「……、何なんだ、こいつ」
その後ろでブラックは呟いた。
クリスは早速壁文字の翻訳に取り掛かった。そしてしばらくノートにペンを滑らせていると、突然止まった。
「どうした」
ブラックがその背中に呼びかける。少しの沈黙の後、クリスは静かに訳を呼んだ。
「わたしたち にんげん かれらと ともに あゆむ こと ひつよう かれらの ために わたしたち たびだつ」
クリスはほう、と息を吐いた。
「……ここには人間とポケモンが一緒に暮らしていた。でもそのポケモンは人の気持ちを読んでしまうから、外の人間たちを拒んでいた」
彼女はそっと壁の文字をなぞった。
「一緒に暮らしていた人間の一族は、そのポケモン達が他の人間とも仲良くできるように……ここを出ていったのね」
どれだけ辛かっただろう。共に暮らしていた者と離れなければならない事は。けれども共に居たら世界は狭まってしまうから。
「ここに住んでいた人とポケモンは、本当に思い合っていたのね。だからこそ、ポケモンの為に別れなければならなかった」
アルフ遺跡はざっと千五百年以上前に建てられたもの。
「そんな昔から、人とポケモンは分かり合っていたんだ……」
その言葉を聞いて、ブラックは彼女と同じように壁文字を見つめ、ボールに入っているベイリーフは俯くばかりだった。
***
一旦キキョウシティのポケモンセンターに戻ったクリスは、今日書いたノートを読み返した。結局セレビィは現れず、その手がかりも今一つだ。ため息を吐いたものの、クリスの瞳は諦めていなかった。今回が駄目でも次がある、命燃える限り冒険は続くのだと。
ふんす、と鼻息荒く、クリスは次の目的地をポケギアで確認した。
その時、ボールたちを抱えてブラックがこちらにやって来た。
「どうだった?」
顔を上げてクリスは尋ねた。
アルフ遺跡を後にした一行は、ブラックの症状や彼の手持ちと思われるポケモン達を考慮し、一旦病院とポケモンセンターへ向かった。
「ポケモン達は問題なかった。やはり僕の手持ちらしい」
「倒れていた場所にボールが転がっていて良かったわぁ。記憶の方は?」
「症状は軽い、らしい。一週間もすれば少しずつ思い出すだろうと。もしくは」
「もしくは?」
「……同じような衝撃を受けるか」
「……もう一回崖から落ちるの? やっだぁ」
「当たり前だ」
そこまで言って、ブラックは視線を落とした。そしてもごもごと口を動かすのだ。「聞こえないわ」とクリスが数回促せば、彼は小さく口に出した。
「……だから、アンタに付いていく」
「へ!?」
「だ、か、ら、アンタと一緒にコガネシティに行くって言っているんだ!」
驚くクリスに、ブラックは顔を真っ赤にしてそう言い放った。そして再び顔を俯かせ。
「い、医者が言うには……色んな人間と話して色んな場所を巡って、脳に刺激を与えた方が早く治るって」
「……あー、なるほどね」
合点がいった。クリスはポンと手を叩き、そして次の瞬間には元気いっぱいに笑うのだ。
「もちろんOKよ! 一緒にセレビィを見つけて、ついでに記憶も取り戻しましょう!」
「ついでか……」
呆れるブラックであったが、その底抜けに明るい笑みに、思わず口角を緩めた。