第1章
――…白。
辺り一面は白に染まっている。先ほどまでの雪は止み、風が吹き荒れている。舞い上がった積雪は吐き出す息すら真っ白に染めた。
少年は赤い帽子を飛ばされないように手で押さえる。透き通る淡い水色の空と雪原の混じる場所で、たった一つ、赤い色が佇んでいる。
風が止む。安心したように、彼はほう、と息を吐いた。
「あ」
声が漏れた。
真っ白な麓から登ってきた、もう一つの赤。
赤毛の少年だった。
「“レッド”」
少年の唇が震えているのは、寒さのせいだけでは無いのかもしれない。
「お前が、“レッド”」
赤毛の少年はもう一度、噛みしめるように言った。挑戦者かな、と彼は冷めた面持ちで少年を見た。
しかし赤毛の少年と目が合った瞬間、その銀色の瞳を捉えた瞬間、彼は心づいた。
ああ、と声が漏れた。
「俺、君と会ったことあるかな?」
そんなことは無い、と彼も分かっていた。それでも尋ねずにはいられなかった。
赤毛の少年は答えず、目の内の闘気だけを答えとした。
「僕と戦え」
帽子の影の下、冷めた目が僅かに細められた。
「……そうだね」
やっぱり、彼はその少年を知っていた。
***
「……―っは!」
忘れたように息を吸えば、目の前にはニドキングが倒れていた。
負けた。今の今まで実際に戦っていたはずなのに、赤毛の少年は初めてその事実に気付いたようだった。
目線を上げる。帽子の彼とピカチュウは静かに少年を見つめている。極寒の地で汗だくの少年とニドキングに対して、彼とその相棒は息の一つも乱していなかった。
強者。
真っ白になった頭にその事実が色濃く焼き付けられた。
(これが、これが……“レッド”)
じんわりと、噛みしめるように広がっていく。
「これが……」
零れ落ちる。
「俺たちを、ロケット団を……倒した」
それを聞いて、帽子の彼は目を見開き、そうして静かに呟いた。
「やっぱりそうだったんだ」
その何もかもを見透かしたような声振りに、赤毛の少年は思わず彼の胸倉を掴みかかった。
「お前にっ! 何が分かるっ!」
おれたちは、と少年は喉を震わせ。
「ぼくの、父さんは」
顔を歪め。
「お前に負けた」
零れ落ちるように呟いた。
「きみは……」
王者の少年は初めて動揺を声に出した。
「アイツの」
それ以上は言えなかった。
赤毛の少年は胸倉を掴んだまま、顔を沈めていく。肩が震えていた。
(ああ、俺は)
少年の吐く白い息を見て、王者は眉根を切なげに寄せた。
(なんてことを)
かつて自分と双子の妹と母を置いて、蒸発した父親。あの日から全てが狂ってしまった。父親という存在は、大きなしこりとなって、彼らを緩やかに死なせていく。
父に代わって家族を守って来た、そのはずだったのに。
(俺は、同じことをしてしまったんだ)
世間では「10歳の少年が悪の組織を倒した」と報じられ、行く街で口々に称賛された。周りからの拍手は、正しい事をしたのだと彼自身に思わせた。
しかしそれはこの赤毛の少年にとっては、あまりにも残酷な仕打ちであったということを、その時ようやく気付くことができた。
少年はもがくように呟いている。
「世界で一番だって……誰にも負けない組織だって。それなのに、こんな、こんな子供一人に。寄ってたかっても結局こんな奴一人に負けちまうなんて。なんで、なんでこんなに弱いんだよ、おれも父さんも……」
「お前たちが負けたのは」
王者は変わらず、冷たく敗者を見下ろしている。
「俺が強いからだ」
王者は胸倉を掴む手を、あるいは慈しむようにそっと両手で包み込んだ。
「俺は強い。今までも、これからも」
少年は腫らした目を向けた。
「悔しいか?」
向けられた銀色の瞳の奥で確かに揺らめく、怒り。
「なら俺に勝ってみろ」
怒りを向けられた目には、かつてと同じ覚悟が揺らめいていた。
二つの意志がぶつかり合い、約束は交わされた。
「俺はここに居る。ここでお前を待つ。誰にも負けない」
「僕は……俺は、お前を負かす。もう一度この場所で」