ABCの罪
* * *
あの日、俺は確かにCを殺した。
Cがどんな人間だったのか、よくは覚えていない。
と、いうよりCを殺した――出かけたあの日、あの時が殆ど初対面だったと言ってもいい。
クラスメイトではなかった、と思う。
当時、「最近Aとよくいる奴だな」ぐらいの認識だったように記憶している。
あの日も確か、二人が学校の屋上で話しているのを見かけて、声を掛けた。
Aに声をかけたら、AがCも一緒に。と言ったこと。そして俺は、それが気にくわなかったことをはっきりと覚えている。
待ち合わせ場所につくと、Cが待っていた。
Aを待つ間、Cと特に何か話した覚えはない。
だけど、完全に無言だったというわけでもなかったはずだ。
Cは別に、嫌な奴じゃなかった。嫌なところも、なかった。
そこがもっとも、気にくわなかった。
Aはいくら待っても待ち合わせ場所に現れなくて、家まで迎えに行こうかとも思ったが、CがAの家を知らないという。
帰ることも考えたはずだけど、たぶんもうその時には、こいつがいなければいいと考えていたと思う。
先に行っていよう。後から来るだろうとかなんとか言って、Cを連れて自転車を漕いだ。
ついて来れなければいい。と思って、目一杯自転車を飛ばしたのを覚えている。
残念ながらというか、案の定というか、Cは難なくついてきた。
それが余計に俺の勘に触った。
――と、その時の自分の感情を思い返して言い訳じみたことをこじつけてはみるものの、実際のところ、俺はCが気に食わなかったから殺したわけじゃない。
CがAの傍にいるから、殺したのだ。
そこに居るのが仮にCじゃなかったとしても、おそらく俺は気にくわないと思っただろう。 俺の思惑は、いとも簡単にというよりはまるで見透かされていたかのように、狙い通りに進んだ。
最大の失態は、それをAに見られたことだった。
あるいは、それすらもCの陰謀だったのかとさえ、考えてしまう。
幸か不幸か、以来俺はAから目が離せない。離れられなくなった。
小学生だった俺たちは、高校生になった。
俺はあの頃の、記憶のAに向かって何度も囁く。あのまま来なければよかったのに。と。
そうすれば、俺にとってもAにとっても、あれは夢の出来事にできたのに。
俺の罪は、存在したまま無いものになってしまった。
それを良しとはできない。
Aの中にその罪が存在する限り。
けれどもその罪のおかげで、俺はAの傍に居られる。Aを追い詰めるとしても。
その罪だけが、俺とAを繋ぐのだ。
あの日から俺たちの関係は一変した。
当然のことではあるけれど、俺たちの間には明確な距離ができた。
いっそ、誰かに話してしまえばよかったのかもしれないと、今なら思う。
「そんな奴いたっけ?」
「なんの冗談だよ」
そう言って、笑い飛ばしてもらえてたら。
忘れたように元に戻れただろうか、なんて。そんなありもしないことを思う。
俺の手には確かに、あの時あいつを突き飛ばした感触があるというのに。
それでも、時間は流れて、俺もAも確かに変わった。
元々社交的じゃない方だったAは、あの日からずいぶんと内向的――というか、陰気になっていた。わかりやすく。
俺はそれを都合よく感じていたが、それも長くは続かなかった。
今のAには、その面影がまるでない。
中学に入って、クラスが分かれた。それを好都合と思ったのかもしれない。
Aは部活に入った。運動部に。
まだその頃は、今よりもずっと自分の罪がAによって露呈することを恐れていた。
それによって、Aとの距離がこれ以上生まれることも。
監視だと称して、俺もAと同じ部活に入った。
目的がAである俺と違って、Aは部活自体を楽しんでいた。だから、いつしか俺とAの学校での立場は逆転していた。
気にいらない。腹立たしい。もどかしさが、俺の中に渦巻くのを感じていた。
それが俺の罪の代償だったのかもしれない。
「そんなに怖い? 僕が、“あのこと”を喋るかもしれないって」
Aはいつしか、俺を嘲笑うかのようにそんなことを言うようになった。
「お前……何様のつもりや」
「別に。精々がんばって、僕が口を滑らせないように見張っててよ」
もうあの頃の俺たちには戻れない。俺がそうしたのだから。
けれど、俺はこいつから離れることもできなかった。自分が犯した罪を、なかったことにはできないから。
Aの付き合いに口を出すことはできず、けれどもAの付き合いを監視することはやめられなかった。
俺以上の秘密を、Aと共有する者が表れないように。
だけど、
「は……? あいつが? 誰とだって?」
ある日もたらされた部内での話題は、俺を驚愕させた。
高1の終わりにAがクラスの女と付き合いだしたらしいことは、知っていた。
Aが俺に言ったからだ。
「告白されたんだけど、付き合ってもいいかな」と。
胸の奥でざわめく動揺を隠して、
「お前が“あのこと”を喋らんのなら、好きにしたらええやろ」
というのが俺には精一杯だった。
怒りがなかったとは言えない。
Aに告白したのは、D子というクラスの違う同級生だった。
俺が驚愕したのは、そいつがAと寝た。という噂を耳にしたからだった。
噂の出所は、D子本人ということだった。
D子という女は、いわゆる軽い女子の部類だ。
Aが付き合うと聞いたときには、どこかで「本気ではないだろう」と。あるいは、ただAがからかわれて遊ばれているだけだろう。そういう思いがあったのは否めない。
本気だったのか?
そんな疑問と、だとすれば、という不安に駆られた俺は、D子を呼び出した。
呼び出しに応じたD子はわざとらしく動揺した素振りだけを見せながら、俺をホテルへと連れ込んだ。
「まさか、Bくんともここに来ることになるなんて……」
「……へえ、ほんまにAとも来たんか」
低く呟いた俺にD子は気まずげに口を噤むが、そのまましなだれかかって来る。
「わたしぃ、本当はBくんのことが好きだったんだよ」
絡みつくような目線と、腕、指先。這い上がるように胸元から首、顔を撫であげる。まるで蛇のようだ。
振り払うようにして、ベッドへと突き倒す。
「ええから。そういうの」
ベッドスプリングに仰向けに倒された女は、唇に気味の悪い笑みを浮かべて、その両腕を伸ばす。
「俺がお前に聞きたいのは一つだけや。――あいつと、どんな話をした」
「Aくん?」
D子は体を起こす。
「別に。普通の話しかしないよ」
つまらなさそうに吐き出した。
「普通じゃない話は、Bくんの話題だけ」
D子はにんまりと微笑む。その笑みが気に食わない、と思った。
ベッドスプリングが跳ねる音がして、その後のことは、思い出せない。
あの日、俺は確かにCを殺した。
Cがどんな人間だったのか、よくは覚えていない。
と、いうよりCを殺した――出かけたあの日、あの時が殆ど初対面だったと言ってもいい。
クラスメイトではなかった、と思う。
当時、「最近Aとよくいる奴だな」ぐらいの認識だったように記憶している。
あの日も確か、二人が学校の屋上で話しているのを見かけて、声を掛けた。
Aに声をかけたら、AがCも一緒に。と言ったこと。そして俺は、それが気にくわなかったことをはっきりと覚えている。
待ち合わせ場所につくと、Cが待っていた。
Aを待つ間、Cと特に何か話した覚えはない。
だけど、完全に無言だったというわけでもなかったはずだ。
Cは別に、嫌な奴じゃなかった。嫌なところも、なかった。
そこがもっとも、気にくわなかった。
Aはいくら待っても待ち合わせ場所に現れなくて、家まで迎えに行こうかとも思ったが、CがAの家を知らないという。
帰ることも考えたはずだけど、たぶんもうその時には、こいつがいなければいいと考えていたと思う。
先に行っていよう。後から来るだろうとかなんとか言って、Cを連れて自転車を漕いだ。
ついて来れなければいい。と思って、目一杯自転車を飛ばしたのを覚えている。
残念ながらというか、案の定というか、Cは難なくついてきた。
それが余計に俺の勘に触った。
――と、その時の自分の感情を思い返して言い訳じみたことをこじつけてはみるものの、実際のところ、俺はCが気に食わなかったから殺したわけじゃない。
CがAの傍にいるから、殺したのだ。
そこに居るのが仮にCじゃなかったとしても、おそらく俺は気にくわないと思っただろう。 俺の思惑は、いとも簡単にというよりはまるで見透かされていたかのように、狙い通りに進んだ。
最大の失態は、それをAに見られたことだった。
あるいは、それすらもCの陰謀だったのかとさえ、考えてしまう。
幸か不幸か、以来俺はAから目が離せない。離れられなくなった。
小学生だった俺たちは、高校生になった。
俺はあの頃の、記憶のAに向かって何度も囁く。あのまま来なければよかったのに。と。
そうすれば、俺にとってもAにとっても、あれは夢の出来事にできたのに。
俺の罪は、存在したまま無いものになってしまった。
それを良しとはできない。
Aの中にその罪が存在する限り。
けれどもその罪のおかげで、俺はAの傍に居られる。Aを追い詰めるとしても。
その罪だけが、俺とAを繋ぐのだ。
あの日から俺たちの関係は一変した。
当然のことではあるけれど、俺たちの間には明確な距離ができた。
いっそ、誰かに話してしまえばよかったのかもしれないと、今なら思う。
「そんな奴いたっけ?」
「なんの冗談だよ」
そう言って、笑い飛ばしてもらえてたら。
忘れたように元に戻れただろうか、なんて。そんなありもしないことを思う。
俺の手には確かに、あの時あいつを突き飛ばした感触があるというのに。
それでも、時間は流れて、俺もAも確かに変わった。
元々社交的じゃない方だったAは、あの日からずいぶんと内向的――というか、陰気になっていた。わかりやすく。
俺はそれを都合よく感じていたが、それも長くは続かなかった。
今のAには、その面影がまるでない。
中学に入って、クラスが分かれた。それを好都合と思ったのかもしれない。
Aは部活に入った。運動部に。
まだその頃は、今よりもずっと自分の罪がAによって露呈することを恐れていた。
それによって、Aとの距離がこれ以上生まれることも。
監視だと称して、俺もAと同じ部活に入った。
目的がAである俺と違って、Aは部活自体を楽しんでいた。だから、いつしか俺とAの学校での立場は逆転していた。
気にいらない。腹立たしい。もどかしさが、俺の中に渦巻くのを感じていた。
それが俺の罪の代償だったのかもしれない。
「そんなに怖い? 僕が、“あのこと”を喋るかもしれないって」
Aはいつしか、俺を嘲笑うかのようにそんなことを言うようになった。
「お前……何様のつもりや」
「別に。精々がんばって、僕が口を滑らせないように見張っててよ」
もうあの頃の俺たちには戻れない。俺がそうしたのだから。
けれど、俺はこいつから離れることもできなかった。自分が犯した罪を、なかったことにはできないから。
Aの付き合いに口を出すことはできず、けれどもAの付き合いを監視することはやめられなかった。
俺以上の秘密を、Aと共有する者が表れないように。
だけど、
「は……? あいつが? 誰とだって?」
ある日もたらされた部内での話題は、俺を驚愕させた。
高1の終わりにAがクラスの女と付き合いだしたらしいことは、知っていた。
Aが俺に言ったからだ。
「告白されたんだけど、付き合ってもいいかな」と。
胸の奥でざわめく動揺を隠して、
「お前が“あのこと”を喋らんのなら、好きにしたらええやろ」
というのが俺には精一杯だった。
怒りがなかったとは言えない。
Aに告白したのは、D子というクラスの違う同級生だった。
俺が驚愕したのは、そいつがAと寝た。という噂を耳にしたからだった。
噂の出所は、D子本人ということだった。
D子という女は、いわゆる軽い女子の部類だ。
Aが付き合うと聞いたときには、どこかで「本気ではないだろう」と。あるいは、ただAがからかわれて遊ばれているだけだろう。そういう思いがあったのは否めない。
本気だったのか?
そんな疑問と、だとすれば、という不安に駆られた俺は、D子を呼び出した。
呼び出しに応じたD子はわざとらしく動揺した素振りだけを見せながら、俺をホテルへと連れ込んだ。
「まさか、Bくんともここに来ることになるなんて……」
「……へえ、ほんまにAとも来たんか」
低く呟いた俺にD子は気まずげに口を噤むが、そのまましなだれかかって来る。
「わたしぃ、本当はBくんのことが好きだったんだよ」
絡みつくような目線と、腕、指先。這い上がるように胸元から首、顔を撫であげる。まるで蛇のようだ。
振り払うようにして、ベッドへと突き倒す。
「ええから。そういうの」
ベッドスプリングに仰向けに倒された女は、唇に気味の悪い笑みを浮かべて、その両腕を伸ばす。
「俺がお前に聞きたいのは一つだけや。――あいつと、どんな話をした」
「Aくん?」
D子は体を起こす。
「別に。普通の話しかしないよ」
つまらなさそうに吐き出した。
「普通じゃない話は、Bくんの話題だけ」
D子はにんまりと微笑む。その笑みが気に食わない、と思った。
ベッドスプリングが跳ねる音がして、その後のことは、思い出せない。