第17話:巣食われた

 ――地面から、誰かが此方へと走ってくるような感覚が全身を伝う。

「……ネイケル!」

 聞きなれた声ではあったものの、オレは特別振り向くことをしない。というよりも出来なかったのだ。何故なら、砂利にまみれた地面に背中をピッタリとつけて寝っ転がっていたからである。

「声でか……」

 重く綴じていた目をようやく開くと、さっきまでは視界に入らなかった月はただただ街を傍観しているのがよく分かる。しかしそんなものをただひたすら見ている場合でもなく、次第に誰かの足音がゆっくりになるのを感じ、オレはようやく上半身を起こし始めた。
 息を切らしたハルトは、オレが動いたことに安堵したのか僅かに落ち着きを見せ始める。幾ばくかの沈黙は、相手が言葉を選んでいることの合図だったのだろうか?

「魔法使った……?」
「分かってるなら聞くなっての」

 そうだとするなら、この男は明らかに言葉のチョイスを間違えている。こんなド直球で口にするなら、考える必要なんてなかったはずなのだ。思わず髪の毛に手をやると、パラパラと小さな砂利が音をたてて地面へと落ちていく。

「んなぁー」

 すると、今まで大人しくオレの腕の中で小さく収まっていたらしい猫が鳴いてみせた。

「なんだよ。もう居なくなったんだから帰れって」
「にゃあ」
「あ、馬鹿舐めんなよ」
「……猫?」

 何で、と続きそうなハルトの疑問に答える人物は、この場においては誰もいなかった。擦れた手の甲に猫の唾液が染みて仕方がないのだが、手で払ってもなおついてきて離れてはくれなかった。もしかして同情されているのかとも思ったのだが、それは余りにも自分の情けなさを突き付けられるのでもう考えるのは止めることにする。
 猫がオレの目の前に現れたのは、ハルトが来るよりも少し前の話だ。
 家の影に隠れるようにしていたのは一応分かってはいたものの、かといってあの状況で構えるわけもなく放っておいたのだが、男がその猫に気付いていなかったのが頂けなかった。男が放った深淵が猫のすぐ近くで飛び散り、それに驚いた猫が急にこちらに飛び出してきたのだ。慌てて飛び込んできた猫を腕で抱きかかえた時、オレの動きが止まったのをいいことに、男の周りの深淵が膨張を始めたのだ。その間僅か数秒のことである。
 まるで光と闇が反発しあうかのように、激しい爆発音と共に男とオレの間に目が開けられない程の光が割り込んできたのだ。
 ……その後のことは、余り覚えていない。気づけば地面に倒れこんでいたし、辺りは猫を覗くなら既に誰も居なかった。まるでそう、最初からそこには誰も居なかったかのようにである。それは辺りに堕ちていた深淵すらも例外ではなく、男の姿を捉えることはなかった。
 そのことに気付いたのは、ハルトがここに訪れるほんの数秒前のことだ。

「……成長しねぇよなぁ、ほんと」

 辺りは既に、すっかりといつもの夜長の姿を取り戻している。その中に落ちたオレの声は、何処か異端に響きを見せているように感じた。
 少し前、いつだったかは思い出したくもないが、過去に起きたとあることが頭に過る。それを思い出しかけた瞬間、どうにも居心地が悪くなったオレは思いっきり頭を掻いた。
 こんな真夜中に突然大きな光が瞬いたとなると、誰に見られていてもおかしくない。事件が起きたばかりで全員気が立っている状態だ。いつもと違うことが起きれば、大抵の場合は警察か貴族に矛先が行く。貴族が介入している事件となれば尚更、どうせ誰もが貴族に疑いを向けるはずだ。
 市民からしてみれば、貴族が持つ魔法というのは自身が持つことの出来ないとされる不気味な存在で、貴族が市民の為に動いているだとかなんだとかいうのは最早関係ない。幾ら地位が高いとはいえ、貴族というだけで嫌悪感を持つ人間の声が大きくなれば相当立場は悪くなる。そんな難しいことを考えると、余計気がおかしくなりそうだった。

「ごめん……もっと早く来れれば俺が――」
「いや、そういうのマジでいいから。別にオマエに謝られることじゃねぇし」

 どっちかと言うと謝らないといけないのはオレの方なんだけど。そう口にしてもよかったのだが、それよりも言わなければいけないことがあった。

「……それより、やっぱり父さんの見解当たってるわ」
「え……?」

 と言っても、これはあくまでもまだ可能性の段階だ。ここからまた、父さんとの嫌な話し合いが始まることになる。そこで最終的にどういった方針の元動かなければならないのかを改めて決めないとならないだろう。どちらにしてもアイツは既に死亡しており、端的にいうなら幽霊ということになる。それに加えて深淵を既に操っていて、そしてついさっきの話だが、貴族に襲いかかってきたというおまけ付きだ。
 こうなってしまっては余りいい結果にならないということだけは、最早揺るぎない未来の結末だろう。
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