第17話:巣食われた

「死んだ奴にわざわざ接触してくるってことは、素性くらいとっくに調べてあるんでしょ?」
「……別に、そっちはオレの仕事じゃねえし」

 目の前の男は、最早特別何かを隠そうとはしなかった。おおかたこっちが既に素性を調べ尽くしていると思っているのだろう。それは確かにそうなのだが、そこに関してもまた問題があった。
 市民を相手取りながら、こうも安易に口を滑らせててはいけない状況というのは中々に珍しい。

「まあなんでもいいんだけど、そこ退いてくれる? じゃなかったら写真返して欲しいんだけど」
「んなこと言われて、ハイそうですかって退くわけねぇじゃん?」
「退いてよ」

 口調はより一層強く、かつトーンも僅かに落ちた。

「せっかく自分だけで済んだのに、そうもいかなくなるじゃないか」

 先程から地を這いずっていた深淵が、何処からともなく競り上がってくる。この男が既に深淵を使いこなしているように見えたのは、オレの気のせいではないだろう。更にコイツは、自分だけで済んだのにとそう口にした。
 リオが死亡していた事件現場は、揉み合ったような形跡と凶器の類いが一切無かった。仮に犯人が知り合いで、その人物が刺し逃げをしたという線もあるにはあったが、それにしては何度も腹を刺したような痕があり、何度も刺されている状況で全く抵抗しなかったというのは不自然に等しかった。
 状況証拠とコイツの言葉を合わせれば、自ら命を絶ったというのはおおよそ正しいのだろう。どういう経緯でその行動に至ったのかまでは流石にまだ分からないが、だったら尚更、何とかしなければならないと思うのが道理というものではないだろうか? しかしそうは言っても、オレは自分の力を過信出きるほど魔法とは別に仲良くもない。

「そういえば、ヴォルタ家のご子息様は魔法を使わないって噂、本当だったらネイケルはこの後死ぬよね?」
「そうそう使わねーよ。あんなクソダルいもん」
「ふぅん」

 深淵が地面を黒く染める。大きく鼓舞して見せたそれは、何かを形成しようとしているのか渦を巻きながら集まっていった。

「じゃあ、今なら貴族の本気が見れたりするのかな?」

 男の手の内に集約していくそれは一体何を形成しようとしているのか、想像は容易かった。コイツが自らを刺した凶器は、まだ見つかっていない。犯人がいるならまた話は変わってくるが、今回ばかりはそうではないだろう。

「この黒いやつ、どうして俺がここまで使えるようになったのかがイマイチ分かってないんだけど、貴族に聞いたら答えを教えてくれるの?」

 本当はこの類いの質問なんて答える必要なんてないのだが、そうは言っても揺さぶりはかけておかなければならないだろう。それに、コイツにはまだ消えてもらっては困るのだ。

「生前に道理から外れる行為をすると起こり得るんだってよ。オマエ心当たりあんの?」

 回答と同時に出したオレの質問に、男の動きがピタリと止まる。

「分かってるくせに聞かないでよ」

 笑みを無くしたこの男を手には、いつの間にかしっかりと中型のナイフが握られていた。

「本当、これだから貴族は嫌いだ」
「お互い様じゃねぇか。オレも別に市民は好きじゃねぇし」
「あ、そう。じゃあ退かないんだったらさ――」

 ちゃんと殺しに来てね。目の前にいるソイツが、そう口にしたすぐ後のことだ。形成が完了したブツをくるりと回転させると、尖端がキラリとオレを捉え男と共に此方へと突っ込んでくる。それはごく普通の一般人の動きと言うには素早く、しかし貴族のそれと呼ぶにはやはり少々物足りない。避けるのは比較的容易だった。
 男が足を翻し、そのままの勢いで再び眼を見開いて刃物を振り回す。地面を踏みしめる音と角度で次に男がどう動くのかはすぐにわかったが、だからといって特別動くことはしなかった。
 そのまま突っ込んでくる男が刃物を振りかざすのを合図に、男の右腕をむんずと掴みナイフを取り零そうとするが、そこを軸に男は更に思いっきり右脚を振り回す。オレにそれを止める術はなく、仕方なく男と距離をとった。外したことへの苛立ちか、男は小さく舌打ちを打った。ゆらりと卑しく舞う深淵は、どこまでも男の側をついて離れることはない。正直近づきたくも触れたくもないのだが、こればっかりは回避の仕様がなかった。
 どうやら男は相当腹が立っているらしいが、それが果たしてコイツの本性なのかは計り知ることが困難だ。しかしまあ、深淵に晒された人間の本性なんて、知るに値するほどのモノでもない。

「……なんで魔法使おうとしないかな」

 低く訴えるようなそれは、どこか魔法を使ってくれという懇願にすら聞こえてしまう。

「一応聞いておくけど、まさか貴族が死にたがりなわけじゃないよね? そういうの冷めるから止めてよ」
「そんなに見たいかよ? 変わってんな」

 挑発とおぼしき発言を適当に交わしながら、一応考えてみることにした。魔法を使うか否かで言うなら明らかに使うべき状況なのは確かなのは理解できるのだが……。

「……どうなっても知らね」

 こんなことになる度にそれ相応の覚悟をしないといけないというのも馬鹿らしいし、なにより貴族としてそれはどうなのか疑問を提示せざるを得ないだろう。それくらいのリスクを、オレは持ちあわせていた。

「オマエが見たいって言ったんだ。ちゃんと責任とる覚悟はあるんだよなぁ?」

 仕方なく、どこか遠くの見えない心象へ向かって思いっきり息を吐く。静かに注力されていくそれは、目の前にいる男のモノとは性質も色も異なるものと言って差支えは無いだろう。月明かりよりも明るく、それでいて全く嫌な明るさではないと感じる辺り、ようやくオレが貴族であるという結論に落ち着いていく。
 だんまりとその形象を見続けている目の前の男からしてみれば、恐らくは嫌で嫌で堪らないものでしかないのだろうが。

「……ネイケルってさ、右目いつも隠してるよね? どうして?」

 まるで、子供が疑問を投げかけるかのように男は首を傾げて疑問を投げた。しかしその行動とは裏腹に、鼓舞を広げる深淵が右頬を掠めていった。

「別に隠す必要ないのにさ」

 長く伸びた前髪は、通り過ぎた深淵により空を舞い隠れたオレの右目を露にさせる。その様子をまじまじと見つめる男の顔は、今までと同じ笑みというにはほど遠く、オレの知り得る限りのリオという人物が向けたもののように見えた。但しそれは、一瞬の出来事に過ぎなかった。

「貴族の本気見せてよ。まあどうせ――」

 ネイケルは俺を消さないんだろうけど。そう口にして嫌らしく口角をあげた男のまわりに、黒々しくも僅かに光を帯びているようにも見えるそれらが集約する。
 そのサマを見る度に、お互いが纏うそれの根本的な部分というのは同じであるということを思い知らされるのだ。
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