17話: 未共有事項

「先輩、考え事ですか?」

 橋下くんに言われてはじめて気付くということは、恐らくおれは本当に上の空だったのだろう。

「……なんで?」
「いやだって、さっきから本読んでるふりして読んでないじゃないですか」

 確かに、今日図書室に来てからというもの、手に持たれた本は僅かにわずかに数ページしか進んでいない。その数ページすら、何が書かれていたのかを思い出せないくらいだ。

「まあなんか……。色々あってね」

 正確には、ここ最近一日ずっとこんな感じなのだけれど。

「色々って?」
「……そこ聞く?」
「オレは聞きますけど」

 考えているのは、当然中条さんが対面した存在のことについてだ。思考を巡らせたところでおれは会っていないのだから答えなんて出ないのだけれど、聞きたいと言ったおれもおれだから考えざるを得ないというものだろう。
 さて、この橋下君の質問におれはどう答えるのが正解なのだろうか。相手が相手なだけに余り適当なことを言うと後で困るのはおれ自身だし、かといって馬鹿正直に言える話でもない。相谷君がいるとなると尚更だ。

「この前、困ってる人がいたから話を聞いたんだけど、もう何もなければいいなって思ってただけ」
「ふうん……。この学校の人ってことですか?」
「まあね」
「あー、分かりましたよオレ。あのー、あれがあれしてああなったってことですね?」
「何を言ってるか全然分からないけど、まあ多分想像してることで合ってるよ」

 本当に通じているのかどうかは置いておくとして、極力嘘はつかない方向で、かつ簡潔にことを述べる。というより、よく考えたら相谷君が居ようが居まいがこう答えていたんじゃないだろうか。正直に答えてしまった暁には橋下君は一層喧しくなるだろうし、拓真は絶対怒るだろう。

「うーん、それだけですか?」
「それだけだけど。……どういう意味?」
「いや、彼女じゃないんですよね?」
「違うよ。大体、性別の話はしてないんだけど」
「そりゃそうですけど、なんかあやしー」

 果たして橋下君はどこに引っ掛かったのか、どうも変な解釈をされてしまったようで、疑いの眼差しを向けてくる。それが果たして演技なのかどうなのか、彼の場合は分かりづらいし、どうしてそんな発想になるのだろうか?

「……なに?」

 何かを言いたそうな拓真からの熱い視線に、おれは問いを投げ掛ける他なかった。

「いや、違うのかと思って」
「拓真まで疑ってるの? というか、すぐそういう発想になるのもどうかと思うんだけど」
「いやいや、オレだってただ話してるだけだったら何とも思いませんよ? でもなんか……」
「なんか、なに?」
「いやー言ったら怒られるやつなので、これ以上は嫌です」
「言いなよ」
「こっわ……。べ、別に大したことじゃないですよ? 先輩って以外と分かりやすいなとか、そんなこと全然思ってないですからね?」

 大変分かりやすく煽られた気がするが、そんなことは眼中にない。

「……おれが?」

 分かりやすいと言われてしまったことに、今度はおれが疑問を隠せなかった。

「そうですよー。ねえ、相谷君?」
「ま、巻き込まないでください……」

 迷惑そうに橋下君の言葉を突っぱねる相谷君だったが、いつもはそれ以上のことは口にしない彼が、再び言葉を並べ始めた。

「……栞、前のに戻ったんですね」

 彼が注目したのは、机に置かれている本ではなく栞だった。その言葉に、一瞬心臓が跳ね上がったような気がした。いやまさか、相谷くんにそこを突っ込まれるとは思っていなかったのだ。誰にも言われなかったことを相谷くんに聞かれるというのは、流石に焦る。

「まあ、うん。無くしちゃったから、前のやつでいいかなって」
「そういえば、本も前と違いますね。読んでる途中じゃなかったでしたっけ?」
「感想を言わないといけなくなったから読んでるだけ」
「感想? 誰にですか?」
「別に誰だっていいでしょ」
「そうやってはぐらかす辺りが怪しいんですよー」
「分かったから声大きいって」

 喧しい橋下君をけん制しつつ、かつ残りのふたりの視線を確認する。拓真はまだおれのことを視界に入れているようだが、相谷君はさも自分は関係ないといったように形だけの本のページを捲っている。だが、橋下君も観念したようで頬杖をつきながらぶつくさ何かを口にしている。相谷君がいる手前それはしないが、秘密にしていることなら橋下君の方が多そうだし、何ならそれを引き合いに出したって構わないくらいの勢いだ。
 今の話を忘れてくれるよう、これから橋下君の機嫌をどう取るのが先決か。そんなことを考えていたら、気付けば本は既に閉じられていた。
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