17話: 未共有事項

「……その高校生、違う制服だったんだよね?」
「は、はい……」

 彼女から聞いたことは、自分が知っていることと、知らないことの折り合わせがかなり悪いものだった。これに関しては別に彼女が悪いわけではないし特別疑っているわけでもないのだが、全てのことが本当だとするなら余りにも非現実的だ。
 黒い靄のようなモノが街を彷徨っていたこと、それが何故か彼女を追いはじめたこと、気付けば辺りには誰も居なくなっていたかと思えば、途端ひとりの男が姿を現したこと。その男というのが、どうやら靄を操っていたということ。

「他に何か覚えてない? 特徴的だったこととか」
「う、ううん……」

 後半全ての事柄が、規格外だった。
 いや、元々幽霊が見えるということ自体がおかしいのだが、それにしても馴染みのない現象ばかりで想像することが難しい。
 自分の目で視ていないからこそ、少々思考が浮足立っているというのもある。もう少し早くあの場所に居たのなら、お目にかかれた可能性はあったのだろうか? それとも、おれがあの場所に行ったから消えたのか?

「じゃあ、いつもと違うこととかなかった? そういうのが急に誰かを襲うって、あんまり起こることじゃ無いと思うんだけど」
「いつもと違うこと……?」

 そう口にした彼女は、首を傾げて思考を巡らせる。瞬間、目を見開いたかと思えば焦ったように口を走らせる。

「そ、そうです! 鞄が光って……っ!」
「鞄……?」

 隣の椅子に置いてあった自身の鞄のファスナーを開け、中身を掻きまわす音がする。少し思っていたのだけれど、別に急がなくても誰も何も言わないのだからもう少し落ち着いてほしいものだ。

「こ、これです多分!」

 彼女がおれに差し出してきたのは、ひとつの栞。花の押し花が入った、手作りのものだ。それを見て、おれは目を疑った。

「……君のじゃないの?」
「学校の図書室に落ちてて……。この前ここに来た時に、わたしの後ろの席にいた人だと思うんですけど」
「ふうん……」

 一体何を納得したのか、おれの口からはそんな適当な相槌が零れていく。

「見つかるといいね、その人」

 それ以上の言葉を、おれは口にはしなかった。

「は、はい……っ!」

 すると、相手から元気な声が返ってきてしまう。こういう反応をされると、いかに自分が浅ましい人間かがよく分かるというものだ。

「あのっ」

 少し上擦った声を特別気にすることもなく、彼女は言葉を続けていった。

「お名前、聞いてもいいですか?」
「……宇栄原 渉だよ。君は?」
「え?」
「いやだから、名前」
「ああっ、えーっと……。中条 桃花(なかじょう とうか)です」
「中条さん、ね。うん、覚えた」

 おれは、彼女の名前を忘れないようにしようと言わんばかりに噛み締めた。一応覚えておかないと、後で何かあっても困る。そんな単純な思考から出た言動だったが、果たして本当にそれだけだったのかというところに関しては、正直自身がない。

「あと、さっきから気になってたんだけど」

 気の重い話は、出来れば余り長く話していたくはない。そんな思いが、おれの口を動かした。

「な、なんでしょう?」

 何故か少し警戒されてしまったが、構わずにおれは言葉を続けた。

「それって確か五年前くらいに出たやつだよね? 好きなの?」
「え? ああっ……えーっと……」

 ずっと机の上に置かれていたひとつの小説が、最初から気になって仕方がなかったのだ。

「この人の話が好きで……」
「その人のは何冊かは読んだことあった気がするけど、それは読んだことないな……。ここのだよね?」
「あ、はいっ」
「それなら、中条さんが読み終わったらおれが借りようかな」

 おれがそうやっていうと、中条さんは目を泳がせた。何かを言おうかどうしようか、そんな感じのことを考えていそうだったから、口を挟んだりという邪魔なことはしない。

「あのっ、良ければお貸ししますけど……?」
「え? だって、まだ読んでるんじゃないの? それ学校のでしょ?」
「あ、いや……」

 僅かに眉を落とし、口にするのを少し躊躇いつつも彼女は再び口を動かしていく。

「これ、わたし持ってたみたいで……」

 家に帰ったらおんなじのがあって、驚きました。その言葉に、少しおれの思考が止まる。そうやって言う中条さんは、別に悪くはないのに何となくばつが悪そうに笑みを浮かべた。

「じゃあ、お言葉に甘えて借りようかな」
「そ、そしたらすぐ返しにいきますね! 今すぐに!」
「いや別に、そんなに急がなくても……」

 おれの言葉を全部聞くよりも前に、中条さんは図書室の受付に一直線だった。先ほどから少し慌ただしい様子が目立つのは、話していた内容が内容で、かつ会ってから間もないからなのか、それとも元からそういう性格なのかはまだ分からない。出来れば前者であってほしいと思ったのは内緒だ。

「お待たせしましたぁ」

 そう言って、彼女はさっきと同じ本をおれに手渡した。一応感謝の言葉を口にして、おれはそれを受け取っていく。
 赤に染まる彼女の笑顔。それを見た時、どうしてかおれは浮き足立ってしまったのだからひとのことは余り言える立場ではないだろう。この時感じたこれが、果たしてどういう感情に不随するものだったのかは置いておくとして、気づけばおれは顔を綻ばせていた。しかも、あろうことかこの本を読み終わったら感想言うね、などと約束までしてしまった。これはとんだ失態だ。

 このことは、拓真にも言っていない内緒の話。あれだけ人のことを茶化しておきながら、こんなことがあったと誰かに言うことをしなかったのは、きっと、おれの知らないところで別の感情が蠢いていたという確証がどこかにあったからだと思う。
 これはバレたら拓真のことどうこう言えないな、などと悠長なことを思えていた、数少ない出来事だったと言って差支えは無いだろう。
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