第12話:深淵を纏わない誰かの声

 逃れることの出来ない夕の空は、顔を上げるとさも当然のように光を落としている。今僕がいるこの場所も、正しくそれだった。
 もうそろそろ日が落ちるからなのか、それともこの場所自体がそうなのか。この細く僅かに薄暗い、日常からは少し確立されているかのようなこの空間。ここで事件が起きはじめたのは、今から一ヶ月ほど前のこと。
 犯行が夜中であるということと、路地裏で行われているということ。そして、凶器が刃物であるということ以外に情報を掴めなかった警察が、これは魔法が関連しているんじゃないかと適当な因縁をつけ、半ば強引にこの案件を貴族に押し付けたのだろうと兄さんが言っていたのを覚えている。今回みたいな、犯人の手掛かりが殆ど存在しないという場合、かなりの割合でその事案が貴族に回ってくる。最も、そこまで多く起こることでもないというのは、ちゃんと分かっている上での話だ。
 僕のいるノーウェン家は、古くから警察と貴族の間を取り持っており、父さんと兄さんはほぼそれにかかりっきりで、そうなると必然的に残った僕が現場に赴くことになる。それに関しては、特に不満があるわけではない。長男の兄が父さんの元にいるのは当然だし、そういうの、僕には向いてないってことも知っている。でも、だからといって現場に意気揚々と足を運ぶということはしない。というより、寧ろ逆と言えるだろう。

「ここかい? 一番最初の事件があったというのは」
「そうみたい、ですね」

 その日は、貴族の中で言うのなら、こういうことにはまだ協力的な部類に含まれるであろうアルセーヌさんと一緒だった。昼間だというのに薄暗く、空の光さえ届かない事件の起きた路地裏には、消しきれていない血の後がまだ辺りに散らばっている。床や壁に付着しているそれを見る限り、それなりに抵抗したというのは容易に分かった。

「……確かに、ただの人間の仕業じゃなさそうだ」

 僅かに残る、魔法と同等の気配。一般人が一般人を襲うのとはわけが違うのだから、抵抗したところでどうにかなるとも思えないけど、こういうのは本能的に抗うように出来ているのだろうか?

「こうなる前に僕らが誰も気付かなかったってことは、ここの街の人じゃないんですかね?」

 結果的には、警察が僕らに押し付けてきたのが正解ということになるだろうけど、何となく腑に落ちないというのも本音だろう。

「そうだねぇ……。まあ、心当たりが無いとも言えないが」
「そうなんですか?」
「つい最近隣街で起きた魔法の暴発事件、まだ記憶に新しいだろう?」
「ああ……。巻き込まれたらしい市民が見つかってないっていう、あれですか?」
「例えばそれが、貴族が市民に対して何らかの対処をしようとしてそうなった。という可能性もあると思ってね」
「……まあ、可能性としては十分にあると思いますけど」

 魔法というのは、貴族しか使えないというのは確かに大前提として存在するものの、とある条件を満たしている場合に限り、魔法を使えない市民がごく稀にその力を有す場合がある。ただ、市民が魔法を使える権限なんてものがあるわけではなく、かなりの確率で暴徒化するのが常だ。
 その現象の一つとしてあげられるのが、あの実態のない黒い靄。僅かにここに残されてているのは、紛れもなくそれだった。

「どちらにしても、今の段階では憶測の域を出ないから、この話はここまでにしようじゃないか」

 それよりも、だ。そう前置きをしつつ、アルセーヌさんの口は止まらない。

「いくら魔法と関係があるからと言って、そう簡単にどうこう出来る訳でもないから、正直なところ警察から話が来ても困ってしまうね」
「そ、そうですね……」

 つまりは、警察から要請が来てしまったのが面倒だと言いたいのだろう。こうなってしまっては、それなりの成果と、納得の出来る終わらせ方をしなければならないから、そう思うのもよく分かる。そうなる前にどうにかすることが出来たならもしかしたら助けることが出来たかも知れないけど、こういう事件が起きてしまったということは、恐らくはもうその結末を終えることは無理に等しいだろう。

「特に言うこともないが、取りあえず、キミの父君に報告しに行こうじゃないか」
「ああ、はい……」

 だからこの事件も、正直なところ、魂を喰らい尽くされてそのまま消滅してしまえば楽なのに、などと思っていた。それくらい無関心で、無頓着だった。例えそれが、『エリス・ロッソ』という知り合いの死だったとしても。
 それは決して、面倒だという感情から来た訳ではない。ただ、そう思われてもおかしくないくらいには、この時の僕はいつもと何ら変わらなかった。……そういう風に、していたのだ。

『そういえば、今日はピアスしてないんだね?』

 この通り魔事件の一番最初の被害者というのが、彼女だったというのも、さして問題ではないだろうと思っていた。

「ああ……。この前、ちょっと落としちゃったみたいで。何度も探しに行ったんだけど、見つからなくて……」

 あの時は確か、いつもの喫茶店のいつもの席でいつものメニューの中から僕が頼んだのは、なんてことないストレートの紅茶。エリスの前に置いてあるそれは、確か……。

「何もそこまでして探さなくても……。それに、イヤリングだったら幾つか持ってるんじゃ……」
「駄目。折角アルベルに貰ったのに、別のやつ付けてあなたに会ったら、意味がないじゃない?」

 そう。確か、香り立つアップルティーだった。

「え、ああ……。無くしたのって、もしかして僕があげたやつ?」

 紅茶の入ったカップが、空で止まる。そういえばエリスは、僕に会うときに随分前にあげたピアスを必ず付けていたのを思い出す。だから今日はしてなかったのかと、妙に納得してしまうのが不思議だった。

「だからって別に探さなくても……。また買ったっていいんだし」

 そういうことじゃないの。と、何が納得いかないのか彼女は口を尖らせる。

「……あ、そうだ。ねえ、本当に新しいの買ってくれるの?」
「別にいいけど……。急にどうしたの?」
「それなら、私の誕生日はイヤリング買うって決めておいてね」
「誕生日って……。まだ二ヶ月以上も先じゃないか」
「いいじゃない。これで、誕生日に何を買うかって決めなくて済むでしょ?」
「それはそうだけど……」
「駄目?」

 そうやって言われてしまっては、断るなんて出来るわけが無く、僕は苦笑いを浮かべながら承諾した。誕生日だからという理由であるのなら尚更、断る理由もない。

「じゃあ決まりね。私、自分で買わないで楽しみにしてるから」

 曇りひとつない笑顔で言葉を返すエリスとこの話をしたのは、一体いつのことだっただろうか。そんなことも思い出せない僕は、やっぱり冷静じゃなかったんだと思う。決して、何も気にしていなかったわけじゃない。でも、そこまでして探す必要があるとも正直思えなかったのだ。僕からしたら、たかがピアスという認識でしかなかったから。
 だって、この街の何処かでエリスがピアスを落としたという話を聞いたときは、何ら普通だった。それ以上のことは何もなかった。なんてことないただの日常のひとつで、この事件だって、稀に起こる事件に彼女が巻き込まれたというだけ。だた、それだけだ。それだけだったら尚更、僕は冷静でいなければならない。そうでもしないと駄目なのだ。
 などという狂いかけた思考を踏まえた上で、薄暗い景観の中僕は考える。今日出会ったエリスという人物はいわゆる幽霊に近いもので、僅かに蔓延している黒いそれが、何らかの形で残っていた思念に影響を及ぼしたのではないだろうか?
 エリスが魔法を使えるというのは、端的に言うとあり得ない。だが、そのあり得ないというのは、とある条件を満たせは可能だ。最も、余り考えたくはないことであるのは違いないけれど。
 その条件というのを前提にすると、どうして、その事件に巻き込まれたの一番最初の人物がエリスだったのか、という部分に関してはある程度説明がつく。恐らくは、なるべくして起きた出来事だったのだろう。ただ、それでも分からないことは存在する。それは、どうして彼女は路地裏に二度も足を踏み入れたのか、という部分についてだ。僕から貰ったと謳う、落としたピアスを探していた?いや、まさかそんなことがあるのだろうか?ただのひとりの人間が渡しただけの贈り物を、そんな必死になって探すだなんて、僕には意味が分からない。本当に、分からなかった。
 その中でもどういう訳か思い出してしまうのは、最後に会った、あの喫茶店で見た彼女の笑顔。いつもの少しからかっているかのようなそれではなく、本当に嬉しそうだったのをよく覚えている。
 時が経った今でも、どうしてそれが僕の頭から離れないのかが、何一つとして分からない。それなりの時間をそれなりに一緒に過ごしていたはずなのに、それだけがどうしても分からないのだ。
 それを知る術は、もう何処にも存在しないというのに。
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