第13話:仕組まれた不戦勝
「そうか……」
何かに納得するようなクレイヴの声と同時に、盤面に無機質な音が落ちた。
「余り悠長にもしていられないね」
ひとり淡々と、白と黒の駒を交互に動かしながら、クレイヴは私の言葉を逃すことなく言葉を返した。今回の件、私がクレイヴの元を訪れた大きな理由というのが、レズリーと対峙したというのがそれに当たる。
彼に不自然な点が多かったということと、果たしてどこまで関係しているのかは知らないが、ネイケル君が隣街で行方の分からなくなっている人物と接触したらしいということを、簡潔に伝えた。だが……。
「でも、君がシント君にちゃんと事件の説明をするとは思わなかったな。まだ迷っているのかと思っていたんだけれど」
ただ単純に、誰かに今の自分の心持ちを聞いてほしかっただけなのかも知れない。
「……言わなくてもいいのなら、そっちの方がよかったですよ」
そう思えるくらいに、その言葉は簡単に口から溢れ落ちた。
「でも、そんな悠長なことは言えないという状況なのは分かってます」
それは恐らく、自分に言い聞かせていたのと同義だろう。大丈夫、分かっている。でなければ、わざわざこうしてクレイヴの元になんて来ないじゃないか。もう何度も、そんなことを唱えている。分かっているからこそ思うことが沢山あるのも事実だが、だからといって何もせずにただ時間が過ぎていくというのは、完全に悪手だ。
私の感情ひとつで、事件の真相が分かるかも知れないという糸口を消してはいけない。それを理解する時間は、十分過ぎるほどに与えられた。
「……にしても、次から次に疑問が出てきて困ったね。まだ私たちが知らない情報がいくつもあるということの裏返しだろうけど、余りにも情報が散乱していて良くない」
路地裏でシント君と会ったということも、その後家に呼んだとき躊躇して全てを話さなかったことも、この人は全部知っている。深淵が再び姿を見せていることも、だ。
「誰かが嘘をついている、或いは話すべきことを共有していないとするなら、さてそれは誰だと思う?」
突然放たれたその言葉に、心臓が掴まれたような気分だった。
「情報が錯綜しているということは、ある一定の嘘と誰にも共有していない何かがまかり通っているということに等しい。そこを知り得ることが出来ない限り、この一連の事件全てに終止符を打つのは無理だ」
心当たりがあったのだ。
「私は、君の意見を聞きたいね」
全てを見透かされているような、そんな錯覚である。当然そんなことはあるはずがないのだが、目を伏せる切っ掛けではあった。
「……関連している人間全員、じゃないでしょうか」
勘、と言われればそれまでだ。
「それは、君と私も含むのかな?」
私は、その質問には答えない。クレイヴさんがそうだとは言っていないつもりだったら、だが恐らくはそうなのだろう。現に私がそうなのだから。
「なら、シント君はどうだい?」
「彼が嘘ですか? 私にはそうは見え……」
そう言いかけるも、続く言葉に少し躊躇した。彼が嘘をついている? そんなことをするメリットがあるとは到底思えないが、その可能性だって大いにある。だが、出来ればそんなことは考えたくない。
……これじゃあ、ただの願望だ。立場上、余りにも軽率な言動は控えたいものではあるが、それはどうやら難しいらしい。
「いいよ、真面目に答えなくて。少し意地悪な質問だった。反省するよ」
苦笑交じりにそう口にしたクレイヴは、白い駒を動かした。私には、今の状況が白と黒どちらが劣勢なのかが分からない。聞いたら教えてもらえるだろうか? 今の状況でその質問は、少々場に則していない。
「まあ、一番の近道はレズリーがまともに取り合ってくれる状況を作ることだろうね。それが出来れば、の話だけれど」
少々、骨が折れそうだ。そうクレイヴが口にすると言うことは、やはり一筋縄ではいかないのだろう。それは分かっているのだが、特に我々だけでは解決には導くことが出来ないというのが惜しい。
「……シント君に協力してもらう他に、方法は無いのでしょうか?」
本当に、自分の力の無さというものを痛感する。それとこれとは話が別だというのも理解はしているが、そういうことではない。
「余りいい状況とは言えないけれど、彼がいないとレズリーはまともに取り合ってはくれないよ。それに、彼には知る権利があるからね。知りたいと言うのであれば、止めるのは野暮だよ」
「……そうですね」
今更何を迷っているのか、と言われてしまえば返す言葉もない。一番酷な状況下に置かれているのは私じゃないというのに、どうしてこうも不安が尽きないのだろうか? その理由が分かる頃には、何かしらことが進んでしまっているのだろうか?
それが本当にいいことなのか、私はもう、よく分からない。
「……君の優柔不断っぷりには困ったね」
私が返した返事に若干の間が生まれたことを、この人は見逃すことをしない。
「君がしっかりしないでどうするんだ」
クレイヴが、身を乗り出して私の額に白い駒を当てる。この時まで、私はずっと目を伏せていたということに気付かなかった。
「彼が困った時、側に居てあげないといけないのは君じゃないかと私は思うけどね?」
クレイヴの視線が、痛いくらいに私を刺した。
「……とてもそうとは思えません」
「それはどうして?」
「どうしてと言われても……」
言葉に詰まる私に向けてため息が放たれたのは、そう遠くない出来事だった。
「君は馬鹿だね」
「……馬鹿?」
「馬鹿だよ。この街にいる貴族の中で、誰が一番シント君のことを知っていると思っているんだ?」
「そ、それとこれとは話が別では……」
「別じゃない」
ピシャリと、何かを言いかけた私の声を跳ね返す。
「それはとても大事なことだよ」
真っ直ぐに私のことを貫くその瞳が、私には美しく見えた。
柔らかな笑みを浮かべる彼を前にすると、本当にそうなのではないかという気持ちになる。彼の言葉は、それくらい私にとって重いものなのだ。
「……何かしら思うことがあると、必ず私の元を訪ねてくるところは相変わらずだね」
これら疑問全てはきっと、誰かに答えを求めたところで解決するものでは無いのだろう。だからこそ、私はこうやって難色を示してしまう。
「それはそうですよ。伝えるところはちゃんとしておかないと」
そういう意味じゃないんだけれど。そう言った直後、長らく私の額に留まっていた白い駒が、盤面に置かれていく。
「……勝ち続きっていうのは、余り面白くないんだ」
それが動いた数秒後に取られたのは、黒の王冠をあしらった大きい駒。手に持たれたそれを盤面の外に置き、言葉を続ける。
「次に私とやる時には、あの負け癖を何とかして欲しいものだね。ああ、君には期待していないから、安心しなさい」
「それは結構ですけど……。そこまでキッパリ言われると、またやりたくなってきますね」
「そういうのは、駒の名前くらい覚えてから言って欲しいものだよ」
そうでしたね。と、やれもしないものを対象にこうやって言えるようになったのは、私が大人になった所以だろうか。
「……この時間に長居するのは、余り良くないですね」
視界に入った時計の針は、既に一時間を越えそうになっていた。
「また、来てもいいですか?」
私の言葉に勿論と返したクレイヴは、散らばった駒をいつものケースに入れていく。その様子を、私はただ単に眺めていることしか出来ないでいた。
何かに納得するようなクレイヴの声と同時に、盤面に無機質な音が落ちた。
「余り悠長にもしていられないね」
ひとり淡々と、白と黒の駒を交互に動かしながら、クレイヴは私の言葉を逃すことなく言葉を返した。今回の件、私がクレイヴの元を訪れた大きな理由というのが、レズリーと対峙したというのがそれに当たる。
彼に不自然な点が多かったということと、果たしてどこまで関係しているのかは知らないが、ネイケル君が隣街で行方の分からなくなっている人物と接触したらしいということを、簡潔に伝えた。だが……。
「でも、君がシント君にちゃんと事件の説明をするとは思わなかったな。まだ迷っているのかと思っていたんだけれど」
ただ単純に、誰かに今の自分の心持ちを聞いてほしかっただけなのかも知れない。
「……言わなくてもいいのなら、そっちの方がよかったですよ」
そう思えるくらいに、その言葉は簡単に口から溢れ落ちた。
「でも、そんな悠長なことは言えないという状況なのは分かってます」
それは恐らく、自分に言い聞かせていたのと同義だろう。大丈夫、分かっている。でなければ、わざわざこうしてクレイヴの元になんて来ないじゃないか。もう何度も、そんなことを唱えている。分かっているからこそ思うことが沢山あるのも事実だが、だからといって何もせずにただ時間が過ぎていくというのは、完全に悪手だ。
私の感情ひとつで、事件の真相が分かるかも知れないという糸口を消してはいけない。それを理解する時間は、十分過ぎるほどに与えられた。
「……にしても、次から次に疑問が出てきて困ったね。まだ私たちが知らない情報がいくつもあるということの裏返しだろうけど、余りにも情報が散乱していて良くない」
路地裏でシント君と会ったということも、その後家に呼んだとき躊躇して全てを話さなかったことも、この人は全部知っている。深淵が再び姿を見せていることも、だ。
「誰かが嘘をついている、或いは話すべきことを共有していないとするなら、さてそれは誰だと思う?」
突然放たれたその言葉に、心臓が掴まれたような気分だった。
「情報が錯綜しているということは、ある一定の嘘と誰にも共有していない何かがまかり通っているということに等しい。そこを知り得ることが出来ない限り、この一連の事件全てに終止符を打つのは無理だ」
心当たりがあったのだ。
「私は、君の意見を聞きたいね」
全てを見透かされているような、そんな錯覚である。当然そんなことはあるはずがないのだが、目を伏せる切っ掛けではあった。
「……関連している人間全員、じゃないでしょうか」
勘、と言われればそれまでだ。
「それは、君と私も含むのかな?」
私は、その質問には答えない。クレイヴさんがそうだとは言っていないつもりだったら、だが恐らくはそうなのだろう。現に私がそうなのだから。
「なら、シント君はどうだい?」
「彼が嘘ですか? 私にはそうは見え……」
そう言いかけるも、続く言葉に少し躊躇した。彼が嘘をついている? そんなことをするメリットがあるとは到底思えないが、その可能性だって大いにある。だが、出来ればそんなことは考えたくない。
……これじゃあ、ただの願望だ。立場上、余りにも軽率な言動は控えたいものではあるが、それはどうやら難しいらしい。
「いいよ、真面目に答えなくて。少し意地悪な質問だった。反省するよ」
苦笑交じりにそう口にしたクレイヴは、白い駒を動かした。私には、今の状況が白と黒どちらが劣勢なのかが分からない。聞いたら教えてもらえるだろうか? 今の状況でその質問は、少々場に則していない。
「まあ、一番の近道はレズリーがまともに取り合ってくれる状況を作ることだろうね。それが出来れば、の話だけれど」
少々、骨が折れそうだ。そうクレイヴが口にすると言うことは、やはり一筋縄ではいかないのだろう。それは分かっているのだが、特に我々だけでは解決には導くことが出来ないというのが惜しい。
「……シント君に協力してもらう他に、方法は無いのでしょうか?」
本当に、自分の力の無さというものを痛感する。それとこれとは話が別だというのも理解はしているが、そういうことではない。
「余りいい状況とは言えないけれど、彼がいないとレズリーはまともに取り合ってはくれないよ。それに、彼には知る権利があるからね。知りたいと言うのであれば、止めるのは野暮だよ」
「……そうですね」
今更何を迷っているのか、と言われてしまえば返す言葉もない。一番酷な状況下に置かれているのは私じゃないというのに、どうしてこうも不安が尽きないのだろうか? その理由が分かる頃には、何かしらことが進んでしまっているのだろうか?
それが本当にいいことなのか、私はもう、よく分からない。
「……君の優柔不断っぷりには困ったね」
私が返した返事に若干の間が生まれたことを、この人は見逃すことをしない。
「君がしっかりしないでどうするんだ」
クレイヴが、身を乗り出して私の額に白い駒を当てる。この時まで、私はずっと目を伏せていたということに気付かなかった。
「彼が困った時、側に居てあげないといけないのは君じゃないかと私は思うけどね?」
クレイヴの視線が、痛いくらいに私を刺した。
「……とてもそうとは思えません」
「それはどうして?」
「どうしてと言われても……」
言葉に詰まる私に向けてため息が放たれたのは、そう遠くない出来事だった。
「君は馬鹿だね」
「……馬鹿?」
「馬鹿だよ。この街にいる貴族の中で、誰が一番シント君のことを知っていると思っているんだ?」
「そ、それとこれとは話が別では……」
「別じゃない」
ピシャリと、何かを言いかけた私の声を跳ね返す。
「それはとても大事なことだよ」
真っ直ぐに私のことを貫くその瞳が、私には美しく見えた。
柔らかな笑みを浮かべる彼を前にすると、本当にそうなのではないかという気持ちになる。彼の言葉は、それくらい私にとって重いものなのだ。
「……何かしら思うことがあると、必ず私の元を訪ねてくるところは相変わらずだね」
これら疑問全てはきっと、誰かに答えを求めたところで解決するものでは無いのだろう。だからこそ、私はこうやって難色を示してしまう。
「それはそうですよ。伝えるところはちゃんとしておかないと」
そういう意味じゃないんだけれど。そう言った直後、長らく私の額に留まっていた白い駒が、盤面に置かれていく。
「……勝ち続きっていうのは、余り面白くないんだ」
それが動いた数秒後に取られたのは、黒の王冠をあしらった大きい駒。手に持たれたそれを盤面の外に置き、言葉を続ける。
「次に私とやる時には、あの負け癖を何とかして欲しいものだね。ああ、君には期待していないから、安心しなさい」
「それは結構ですけど……。そこまでキッパリ言われると、またやりたくなってきますね」
「そういうのは、駒の名前くらい覚えてから言って欲しいものだよ」
そうでしたね。と、やれもしないものを対象にこうやって言えるようになったのは、私が大人になった所以だろうか。
「……この時間に長居するのは、余り良くないですね」
視界に入った時計の針は、既に一時間を越えそうになっていた。
「また、来てもいいですか?」
私の言葉に勿論と返したクレイヴは、散らばった駒をいつものケースに入れていく。その様子を、私はただ単に眺めていることしか出来ないでいた。