14話:陽気な声は聞こえない

「先輩達って結構あれなんですね。行動力に溢れてるっていうか」
「……君に言われたくないんだけど」

 一体誰のせいだというのだろう。当の本人はといえば、そんなことはまるで気にしていないかのような態度で、それがおれの機嫌に影響を与えていく。
 ま、そうですよねぇ。そうやって他人事のように言う彼との距離は、気づけば既に縮まっている。地面を踏みしめる音は、今のおれには聞こえない。それくらい彼の態度にうんざりしていたのだ。
 すると突然、強い風が辺りを走る。巻き起こったのは確かに風ではあった。恐らく、拓真にしてみたらただのそれだっただろう。だけど、そうではなかったのだ。
 黒く淀んだ粒が、空を伝う。まるで小さな粒子ひとつひとつが意思を持っているかのように波打つ様は、なんとも現実とは言い難い居心地の悪さを助長していた。
 ……ほんの僅かな隙間から顔が見えそうになったのを隠すかのように、ひとりの男が動き出す。

「ちょっと待った」

 気付けば、橋下君の腕をむんずと掴んでいた。

「あー、別に何もしないですよ? それに……」

 僅かにおれのことを視界に入れている彼は、次にこんな言葉を口にした。

「先輩が居るときは、何も起こらないんじゃないですかね?」

 余りにも不透明なその言葉に全く疑問を抱かない、なんてことはあるわけがない。

「だから離してくださいよ」

 いい加減、その適当な態度を改めてくれないか? そう言おうと思った。

「……嘘ばっか」

 それなのに、少しだけ濁した言い方をしてしまうのがよくない。こういうのが後悔の元になるということは、どうせ後になって分かるというものだ。

「嘘、ねぇ」

 こうして、おれの言葉に不服を申し立てる声がした。

「そうやって言うならこうしましょう」

 まるで止めたおれが悪いかのような言い方をする彼が次にとった行動は、少し意外なものだった。
 彼は、おれの腕を掴み返したかと思えば、拓真のいる方つまりは反対方向へと歩を進めた。強く握る手の感触が、布越しによく伝わってくる。

「ちょ、ちょっと……っ!」
「逃げれば文句ないですよね?」

 おれの言葉はまるで届いておらず、その流れのまま空いている右手で拓真の腕を掴み足の速さを速めていく。
 後ろを振り向けば、まだおれの目には何かが映っている。黒い粒子を纏うそれは、特別追うことも動くことすらもせず、ただただ風の波に打たれている。その姿からは、当然何を考えているのかというのは読み取ることが出来ない。それがまた不気味だった。
 曲がり角に差し掛かった一瞬、見えるはずのない顔に薄ら笑いが浮かんでいたような気がしたのは、恐らく気のせいだろう。……気のせいじゃないと、困る。
 姿が見えなくなってからのことは、とても早かった。逃げるだなんて言うからどこまで行くのかと思ったら、言うほどでもなかったのだ。角を曲がった先にある人がそれなりに居る大通りに辿り着くと、強めに引かれていた腕はすぐに解放された。

「いやぁ、疲れた……ほんと疲れた……」

 口先だけの疲れただなどという言葉に、騙されるわけがなかった。

「……誰のせいだと思ってるわけ?」
「いやいや、先輩がいけないんですよー?」

 一体さっきのどの部分におれの落ち度があったのか全くもって分からないが、それはもうこの際どうでもいい。気になったのは、次に彼の口から羅列された言葉。

「やっぱり、視えない方が得ですよね。こういうのって」

 その言葉は、決して拓真に言ったわけでもましてやおれに言ったわけでもなく、とにかく他人事で酷く淡々としていた覚えがある。

「さっきの、先輩は関わらないほうがいいと思うんですよねぇ」
「……なんで?」
「なんでも」
「答えになってない」
「なってなくても、駄目ったら駄目です」

 困りながらも、あくまで笑顔を絶やさないその複雑な顔から、おれは目を離すことはしない。伝わっているのかは知らないが、真剣だったのだ。

「……どうしましょう?」

 先に沈黙に堪えられなかったのは、彼のほうだった。

「普通に理由言えばいいんじゃないの?」
「それは嫌ですね」
「どうして?」
「そんなの、嫌だからに決まってるじゃないですか」

 しかし、簡単に言うとラチがあかなかった。
 考えなくても分かるが、彼の言動は最初からこの時まで全てにおいて余りにも不自然だったのだ。

「……君がこの前会っていた"知り合い"と関係あるの?」
「ないですよ」

 それはまさしく、即答だった。

「あったとしても、オレはないって言いますけどね」

 何かしらの嘘を既につかれている。そんな前提が、恐らくは出会った頃からあった。

「だから先輩」

 それに気付いたのは、随分と時間が経ってからのことだ。

「これ以上は、何も聞かないでくださいね?」

 何も教えない。そんな意思を持った微笑が、とあるモノを運んでくる。
 ――何か、冷たいものが頬に当たった。
 該当する箇所に思わず手を触れ、視線を上に向ける。どんよりとした空を眺めると、目の前を何かがチラついた。

「あ、雪……? 雪っぽくないですか?」

 この日の天気予報は、どうやら大当たりらしい。雪だということに気付くのに、少しだけ時間を要してしまっていた。

「ちょっと先輩、雪ですよ雪」
「うん、いやそれはいいんだけどさ」
「今日降るなら降るって言ってくださいよー」
「だから天気予報くらい見ればいいでしょ。じゃなくてさ」
「いやだって、天気予報見たら面白くないじゃないですか。オレの楽しみ無くなっちゃいますよ」

 聞きたい答えがまるで返ってこないという、完全に悪い流れだった。天気の話なんでこの状況では本来どうでもいい筈なのだが、いちいち答えてしまっているおれが悪いのだろうか。もしそうだとするのなら、さっき彼が口々に言った「先輩のせい」というのは大方当たっているのかも知れない。

「それより先輩寒い……。いや滅茶苦茶寒くないですか?」
「つ、掴むなよ……」
「ちょっとくらいいいじゃないですかー」

 彼の標的が、するりと拓真に変わる。我が物顔で左腕に掴まってべったりとくっついている様子は、さながら周りの誰かに見せつけているどこかの男女のそれのようだ。

「せんぱーい? 先輩ちょっと」
「な、なに?」
「いいから先輩、早く」
「ちょ、ちょっと……」

 それはもう、正しく無理矢理だった。絡まられた右腕は、衣服を貫通して僅かに彼の体温が走る。
 身長差が相まってかなり歩きづらいうえに、何よりどうしてこうなっているのか理解に苦しむ。もしかして、今まで起きたことを誤魔化しているのだろうか? それもおれの考えすぎか?

「ふたりの先輩の間に挟まれるって、なんかいいですよねぇ……。モテモテじゃないですか」
「……無理矢理挟まれてるようにしか見えないけど」
「いや別に、オレが暖かければなんでもいいっていうか」

 真ん中だけ少し窪んでいるかのようになっているからだろうか、その道中拓真と目が合った気がした。多分気のせいだろう。

「でも、どうせすぐにお別れですね」

 さも当たり前のように、軽快にそう口にした。

「オレの家こっちじゃないんですよ。反対方向なんですよね」

 そう言ったかと思うと、掴まれていた腕が解放されていく。おれの腕には、まだ温もりが残ったままだ。

「じゃあ先輩、また何処かで」

 彼の言うように、それは本当にすぐに訪れた。
 自由になった腕と、それを存分に使っておれらに手を振っている彼。不思議とこれが最後なのではないかと思わせるあの笑顔がいかにおれを不安にさせているのかということに、恐らく当の本人は気づいていない。
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