14話:陽気な声は聞こえない

 あれから、橋下くんと別れて一週間も経っていない頃だろう。確か一月も終わりを迎えようとしている時、おれ達ふたりはいつものように図書室に足を運んでいた。
 どうしてか辺りがいつもより静かに感じていたのは、おれだけではなかったらしい。

「……橋下? だっけあいつ……。最近見たか?」

 拓真の質問の意図は知らないが、聞いてきたということは多分気にはかけていたんだと思う。

「いや、あれ以来会ってないけど……。そもそも学年が違うんだし、そんな頻繁には会わないんじゃない?」
「そりゃそうか……」

 いくら視えないとはいえ、あんなことがあってから彼を一度も見かけていないとなると、それなりに引っ掛かる部分があるのだろうか。
 無論、おれが彼のことを何も考えていないという訳ではない。確かに気にはなるし、最悪あの後何かがあったのではと考えるのも分かる。でも、だ。

「……あ、やっぱりいた」

 こういう人物は、おれらが意図しようがしまいが勝手に現れるというものだ。

「何か久しぶりですね?」

 それがいかに慢心的考えであるかというのは、また別の話だが。

「あのー、この前のことなんですけど」

 早速聞きたいことに触れてきたのは、以外にも彼のほうだった。橋下くんは、すぐ側に来ているにも関わらずこの前のようにずかずかと座ることはしない。しょうがなく、といった様子で目を合わせる辺りが、それを物語っていた。

「あの後、ああいうのに会ったりしました?」
「……いや、おれは視てないけど」
「そうですかー……」
「あの黒いの、探してるんだ?」
「そういうわけでもないんですけどねぇ」

 あ、そうだ。まるで名案でも思い付いたかのように、そう口にした橋下君が声を上げる。そして言葉に出されたのはこうだ。

「一応言っておこうかなって思ってたんですけど、出来れば詮索しないで貰えると嬉しいっていうか、寧ろ記憶ごと抹消して欲しいっていうか。無理でもそういうことにしておいて欲しいっていうか」

 よっぽといい案でも思い付いたのかと期待して待っていたのだが、どうもそうではなかったらしい。つまりは視なかったことにして、これ以上の詮索はしないでくれということだろう。別に詮索してるつもりは毛頭ないが、一度視てしまったものに対してそう簡単に引き下がると彼は本気で思っているのだろうか?

「……全然意味が分からないんだけど。随分と都合がいいね?」

 それは少々、虫がよすぎるというものだ。

「そこを何とかお願いしますよー」

 馴れ馴れしい言葉を口にしながら、ようやく空いているおれの隣を陣取って距離を縮めてくる。お願いと手と手を合わせて懇願してきたかと思えば、チラチラとおれらの様子を伺っているのがよく分かった。どうやら、よっぽと知られたくないことが何処かにあったのだろう。思考を巡らせたところでそれが何なのかが分からない辺り、単に知り合って間もないからというだけなのかも知れないが、もしかするとおれは何かを見逃していたのだろうか?

「……じゃあ、ひとつだけ聞きたいんだけど」

 ため息混じりにおれがそう口に出す。久しぶりに彼とちゃんと目があったような、そんな気がした。

「君の言う逝邪? この前会ってた知り合いと、最近のやつ。あれってそれに該当するの?」
「あー……知り合いなんて言いましたっけ? なら失言だったなぁ」

 やってしまった、その言葉を体現するかのように彼が苦笑いを浮かべた。どうも彼の言葉は空を浮いているようで落ち着きがないが、どうやらおれは彼の答えたくない部分をちゃんと突けたらしい。

「別に知り合いってわけでもないですけどね。あと、逝邪ではないと思います」
「……どうして?」

 おれのその問いに、彼は僅かに目を丸くした。

「先輩、それ愚問ですよ?」

 嘲笑にも似た笑みで、彼はそう答えた。

「ひとつだけって先輩が言ったんじゃないですか。その質問には答えません」

 その言葉に、おれは心の何処かで安堵を浮かべた。愚問というのはどちらかと言えば責め立てられているような、大抵の場合は何かを見落としているこちらに落ち度があるのだが、そういうことではないらしい。

「……じゃあ、俺がその質問をしたら答えるのか?」

 彼が、そう口にしたすぐのこと。突然、拓真の声が割って入ってきたのだ。
 今まで全く興味が無さそうに本に視線を落としていたくせに、どうやらちゃんと話は聞いていたらしい。

「そんなにこの話聞きたいですか?」
「気にさせるような言い方ばっかりするらな」
「そうですかね?」

 彼は少し唸るように思考を巡らせ、早々に拓真からの解答を投げた。

「本当に逝邪って存在が居るとして、本当に幽霊を然るべきところに送るという力があるとするなら、ですよ?」

 次に彼が続けた言葉は、あくまでも推測に過ぎない。

「纏ってるの、黒にはならないと思うんですよね」

 だが、その言葉は確かに真理を突いているような気がしてならなかった。

「ということで、質問タイムはこれで終わり。詮索もしないってことで」

 だが、どうやら本当にこれ以上のことは聞いても答えてはくれないらしい。オマケに、こっちにはなんのメリットもないこれ以上は詮索しないという条件付きだ。

「さっきから随分と強引だよね。知られなくないことでもあるんじゃないかって思われても文句言えないよ?」
「先輩こそ、そういうことあんまり言わなそうな顔して結構刺々しいですよねぇ。心が痛いんですけど」
「相手が君じゃしょうがないね」
「えー、絶対素じゃないですか」

 これを素と言われてしまうと少々癪に障るのだが、あながち間違ってはいないせいで言葉に詰まる。それを確認したかのように、橋下君は身を乗り出した。

「ところで神崎先輩、なんですかその本。オレって本全然読まないんですよねー」
「読まなそうな顔してるもんな」
「それ、今流行ってるんですか?」
「……十年以上前に流行ったやつだけど」
「ふーん」
「興味ないなら聞くなよ」

 橋下君に遊ばれている拓真を放っておくのは中々に面白いけど、流石にそのままっていうのは段々可愛そうになってくる。

「君って本当によく喋るよね。一応ここ図書室なんだけど」

 僅かな慈悲と共に、おれは言葉を乗せた。

「あー、そういえばそうでしたねぇ。いやでも、学校の図書室なんてこんなもんじゃないですか?」
「別になんでもいいけどさ……。図書室なんて来なさそうな顔してるもんね」
「またその話ですか? 確かにそう来ませんけど」

 学校の図書室なんてこんなもん。いや、彼が来る前まではそれなりに静かなはずだったのだから、それは絶対に違うと言っていいだろう。
 だけどまあ、たまにはこういうのも悪くないのかも知れない。
 元から読む気なんてない本に挟まれた栞が視界に入ると、おれは自然と本を畳んでいた。
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