第4話:文字に囲まれた者

 宛もなく、ただ単に館内をさ迷っている。適当な本棚を見つけては適当に手に取って、別に興味もないから元の場所に戻す。ということを何度か繰り返していた。なんか、静かな雰囲気も相まって、段々眠くなってきた気がする。いや、気がするだけだよね、うん。
 二階にも本はあるらしいが、どうもそこまで行く気にはならない。案内板を見た限り、上の階は専門書が主らしいから、別に行かなくてもいいんだけど。
 児童書や、いわゆる小説のあるところは一応見たものの、いまいちよく分からなくて通り過ぎてしまった。まあでも、エトガーを余り待たせるのも悪いし、オレも適当に選んでさっさと戻ってしまったほうがいいかも知れない。そう思いながら、適当に歩いて辿り着いた棚に並べられている本を眺めている。どうやらここは、服とか裁縫とか、そういう系の本があるエリアらしかった。適当に手に取ったそれらの本を眺めていて、思い出したことがある。ローザおばさんが、よくセリシアやレノンの服を空き時間に作っている様子だ。
 何年も前、オレがあの家に来て暫くした時も「シントくんの為に」って何着も作ってくれたことがあった。その服を、今度はレノンが着たりとかして。何というか、本当の家族になったような気分になってしまったものだ。
 そういえば、オレの両親がどうして死んだかとか、何をしている人だったのかとか。そういうのを全然知らないままだ。おじさんかおばさんに聞いたら教えてくれるんだろうけど、別に、そこに関しての興味は余りない。
 おじさんとおばさんは、オレの両親と仲が良かったらしく、それもあってか、両親が死んで暫くした後、引き取ってくれたらしい。その時のオレは確か三、四歳くらいだったから、何があったかは全然覚えていない。子供の頃のことだからと言われればそれまでだけど、親の顔も、どうやって過ごしていたのかも、どんな人だったのかも、本当に何も覚えていないのだ。別に、無理して知ろうとも思わないけど。
 手にしていた本を元に戻そうとした時、ひとつの本がオレの目に留まる。

「靴百科……」

 下の段にあったそれを取るためにしゃがみ、その場で本を開く。靴には別にそこまで興味はないが、オレがあくまで居候として住まわせてもらっているマーティスおじさんの家は靴屋だし、オレが店番という名の手伝いをすることも少なくない。だから、もう少しちゃんと勉強しておいた方がいいのかなって思っていたところではあった。ずっとあそこに居るわけにもいかないけど、もう少し役に立たないと、ね。
 誰かの足音を聞きながらページをめくる。少しずつ、その音が近付いてくるのが分かった。最初は、ただ単に館内を歩いているのだと思っていたけど、わざとかと思う程に聞こえてくる足音が、どうしてかやけに耳についた。そして、その音はオレの右側で立ち止まる。それは、明らかにオレのことを捉えていた。その人が履いている黒くてシンプルな革靴は、つい最近、何処かで見たことがあったのを覚えている。ああそう、路地裏で出会ったとある貴族が履いていたもの。正しくそれだった。
 靴が視界に入った時、反射的に顔を上げてしまう。そこにいたのは、やっぱりオレの記憶にあった通りの人物だった。

「やあ、久しぶりだね」
「うわあ……」

 思わず変な声が口からこぼれ落ちる。どうやら、自分が思っているよりも会いたくない人物だったらしい。

「たまたま二階でキミ達のことを見かけたものでね。今日は知り合いと一緒のようで、安心したよ」
「ま、まあね……」

 確かこの人の名前はアルセーヌ……だったかような気がする。答え終わった後、本を手にもったまましゃがんでいた体を起こす。偶然オレらのことを見つけたというのが、果たして本当かどうかはともかく、安心したというのは一体どういう意味なのだろうか。その貴族は、チラリとオレの持っている本を見つめ、ひとつの問いかけをした。

「……靴、好きなのかい?」
「いや、別に……普通かな」

 何とも適当な答えを返したけど、決して嘘はついていない。特別好きでも、嫌いでもないし。これが普通の知り合いだったらただの世間話で済むけれど、でも多分、この人が聞きたいのはこんなことじゃ無いのだろうということは、よく分かっている。

「っていうか、世間話をしに話しかけてきた訳じゃないんでしょ?」

 オレから話を切り出すとは思っていなかったのか、少し驚いた様子を見せる。だが、それは一瞬のこと。すぐに笑顔によってかき消された。

「次に会う時は話を聞かせてもらうと言ったけど、生憎キミには先客がいるらしいからね。今日は止めておくとするよ。キミにわざわざ会いに来たのは、明日のキミの予定を聞こうと思ってね」
「明日?」

 つまりは、オレの予定が入ってないうちに日程を押さえておこうということらしい。ここで変に嘘をついたとしても、どうせいつかは捕まってしまう気がするし、きっと面倒なことになる。オレは、至極簡単に答えを述べた。

「……まあ、空いてるけど」
「そうか。じゃあ明日、私と少し話をしないかい?十四時頃に広場に来てくれたまえ。私の家にでも案内するよ」
「え、広場……?」
「何か不満かな?」
「いや……分かったよ。十四時に広場ね、うん」

 広場という単語に、思わず反応してしまう。貴族と会わなければいけないというのは面倒だけれど、どちらかと言うと、それよりもあの広場に行くことの方が嫌なのかも知れない。まあでも、最悪何かあっても貴族と一緒なら、リスク的には低いかも知れない。

「ああそうだ。すっかり忘れていたけれど、私のことはアルセーヌと呼んでくれたまえ」
「あ、うん……」
「……で、キミの名前は?」
「え、ああ……シントだけど……」
「じゃあシント君、私はこれで」

 以外とあっさり引き下がるその人の後ろ姿を、何を考えるでもなく、ただ単に眺めていた。

「……オレも戻ろう」

 本を探しに行くと言ってから、結構時間が経ってしまった気がする。取りあえず手にもった靴百科と一緒に、エトガーの元に戻ることにした。
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